トップページ | 2011年3月 »

2011年2月

2011年2月28日 (月)

波止場の猫

 この週末はは暖かな日が続きましたね。でも、暖かな陽気は恩恵だけをもたらすわけではありません。杉花粉が折からの風に乗って大量に飛散しているようで、目はかゆいし、くしゃみはひどいし・・・特に防備もせず散発に出かけたところ、刈ってもらっている途中もくしゃみを連発、鼻水だらだら。困ったものです。sad

 午後になって、暇つぶしに地元の堤防に行って釣り人の様子でも眺めようとしたのですが、西風が強く波が防波堤を洗って釣りどころではありません。相模湾は東と北の風には強いのですが、南と西の風に弱いという特徴がありまして、特に西風が吹くと三角波が立ち、沖で釣りをしていても突如西風が吹き出して早上がりになってしまうケースが多々ありました。

Dsc01522 右側(西)に西風が吹き付けて大荒れなのがお分かりでしょうか。

 港には猫の姿が似合いますが、この小さな堤防の周辺にも多くの野良猫たちが住着いております。毎日ここへやって来ては椅子を並べて将棋をさしたり小宴会を楽しんでいるおじさんたちに餌をもらったり、釣り人におこぼれをもらっているので、人懐こい猫が多いのです。釣りを終えて、荷物をまとめて車に戻ろうとすると、「ニャ~」とか細く鳴いてすり寄ってくるおべっか使いもいます。が、中には人には気を許さない野生児もいるものです。

 この日は先述のように海が荒れ模様でしたので、人がいなければそれ目当ての猫たちの姿もありません。1匹だけ大柄の猫がいて、私が防波堤に近づくと船の下に逃げ込んでしまいました。

Dsc01521 なかなかの面構えです。

でも、こんな小憎らしいヤツでも、しばらくして戻ってくると・・・

Dsc01525 日当たりのよい漁具の上でお昼ねタイム

Dsc01529 近づいてカメラを向けても全然動じませんね。

 猫が見せる表裏ある表情は面白いものですね。私は愛犬党なのですが、愛猫党の気持ちも分かるような気がしました。

2011年2月27日 (日)

春待ちわびる同居人たち

 天然児病の折。昨日(26日)は寒くなる予報でしたが、窓辺にいると日差しが暖かな春の陽光を感じますね。たまには家の中に目を向け、我が家の同居人を紹介しましょう。とはいえ、家族紹介なんてお恥ずかしいものではありません。

 私と一緒に窓辺で気持ちよさそうに日向ぼっこをしているのはクサガメ。

Dsc01514

 このカメは一昨年の秋口、先日レポートした大磯高麗山をハイキングしたときに、道路の真ん中で手足を引っ込めて休憩していたところを運良く(悪く)拾われた次第。街中でしたから飼われていたものが逃げ出したのか、公園の池などに住んでいたのかもしれませんが、まあ車にひかれる可能性も高かったわけですから、拾われたのは幸運なんだと良い方にとらえておりますけど。真冬はほとんど餌を食べなかったのですが、最近はイトミミズをあげるとゆ~っくりと食べています。一緒にいるイモリに横取りされてしまうことも度々。まだ10cmほどの子ガメですが、ご長寿な動物ですから末永くお付き合いしたいものです。

 お次は玄関の棚の上にあるポリの容器を持ってきました。しばらく放置状態だったので、恐る恐るふたを開けてみますと・・・

Dsc01512 Dsc01515 中は木のくずが詰められております。

ちょっと掘ってみますと・・・

Dsc01516 Dsc01517 オオクワガタです。こっちをうかがっているようです。

 このオオクワも一昨年前、ペット屋でアイスクリームカップ半分ほどの容器に入れられて500円ほどで投売りされていた幼虫を買ってきて、ポリ容器(実は幼虫の餌となる菌糸が含まれたクヌギかすで満たされている。通称菌糸ビン)で育ててきたものです。幼虫のときはオスかメスかは分からなかったのですが、今回は見事なオスに羽化していました。冬眠を妨げられ本調子ではないようですので、水分を補充してしばらく寝かせてあげましょう。オオクワは上手に飼えば羽化後5年は生きると言われています。なかなかそこまで長生きさせてあげられないのですが、可愛がってあげたいと思っています。

Dsc01513 血統書付ですよ(笑)

 最後におまけコーナー。

Dsc01518 視線が可愛らしくありませんか?

 水槽にフラッシュが反射して見づらいのですが、ハゼの一種です。地元の堤防で不覚にも私に釣られてしまい、今は子メジナやベラ、ヤドカリなどと住んでいます。

 これから暖かくなって生物が活発になってくることでしょう。今年はどんな生き物に出会えるか楽しみです。

2011年2月26日 (土)

山行のルートマップを作成

 前日25日は南風が吹き込んで暖かな陽気となりました。sunこのまま春を迎えられると良いのですが、「三寒四温」とはよく言ったもので、2月26日(土)は前日比マイナス10度とのこと。

 朝から快晴で絶好のお出かけ日和です♪天然児が秦野市の施設で日中預かり療育日なので、半日登山を楽しもうと考えていたのですが、天然児が風邪をひいたようで微熱があり、療育をお休みして朝から一緒にレール遊びをしております。train仕方なくこうしてブログを更新しながら、先日出かけた山行のルートマップを作成してみました。

2月21日の湘南平~高麗山トレイルランニング

Photo

2月6日の湯河原城山ハイキング

Photo_2

今後は山レポに併せて掲載していきたいと思います。

 あーそれにしてもこのお天気・・・残念だ。sad

2011年2月24日 (木)

トレイルランニング湘南平~高麗山

 2月21日(月)午後、天然児をデイサービスに預けてホッと一息。かみさんは買い物に行くというので、午後のひとときを有効に過ごそうと低山徘徊へ。許される時間は少ないので、車で15分程の湘南平へ向かい、湘南平から浅間山、高麗山へとトレイルランニングで縦走することした。

 14時15分駐車場をスタートし、まずは麓の東小磯地区を目指して下山する。10分ほどで閑静な住宅街に飛び出した。この住宅街の最奥部には善兵衛池という溜め池があるが、冬季の渇水期のため水は底をついていた。平日の住宅街は人気も少なく、そこを大の大人が走り抜けていく自らの姿にちょっとした違和感を覚える。住宅街の「V」字路で折り返し、今度は山に向かって登っていく。

Dsc01436 善兵衛池 Dsc01438 住宅街から湘南平を仰ぐ

 住宅街を抜けると小さな梅林や庭園があり、庭園の脇から山道に入る。山道に入ると間もなく十字路に出た。直進は横穴古墳群経由大磯駅方面。右折は高田公園経由大磯駅方面。左折は湘南平方面である。左折して標高を上げていく。この付近の山道は所々崩落していて桟道が設けられていた。

Dsc01440 梅林 Dsc01442 庭園(個人?) Dsc01447 崩落箇所

 14時45分湘南平と浅間山・高麗山方面の分岐に到達。右折して手すりがつけられた急坂を登ると5分も経たず浅間山山頂(181m)。富士山信仰の浅間神社の小さなお社が設けられている。浅間山から先、高麗山の手前、八俵山(はっぴょうやま)までは比較的なだらかな尾根道を進む。進行方向の左手(北面)は水仙の群落や河津桜、椿の花が冬山を彩ってくれている。桜の木も多く、桜の季節はお花見ハイクも楽しめそうである。右手(南面)は大木が多く、この一帯が県内有数の照葉樹林(常緑広葉樹)であることをうかがわせる。

Dsc01454 浅間山山頂 Dsc01455 尾根道(左手が植林、右手が自然林)

Dsc01458 椿 Dsc01478 水仙 Dsc01476 河津桜

 やや急な岩肌が露出した坂を下り、鞍部を越えると八俵山(160m)。この辺りからいよいよ高麗山城跡に踏み込む。この山城は東西に3つ並んだピークに曲輪を構築し、それぞれを橋で渡して結ぶなかなかの山城の姿が偲ばれる。ここ八俵山辺りは西曲輪で、高麗山山頂が本丸、東側の天照という場所が東曲輪となるようだ。高麗山への鞍部は天然の空堀となっているが、橋から見下ろすと石がところどころのぞいている人工的に曲輪を補強したものであろうか?

Dsc01462 空堀を渡す橋 Dsc01461 空堀を見下ろす

 ここ高麗山は、相模平野と足柄平野を遮るように丹沢から海へ張り出した渋沢-大磯丘陵の東端に位置し、相模の国を見渡しかつ東海道を扼する戦略拠点としては絶好の位置である。ここに城が設けられたのは室町時代中頃といわれるが、1510年の権現山の戦いで北条早雲が籠城して、山内・扇谷上杉連合軍の大軍と対峙し、1561年には長尾政虎(上杉謙信)が小田原攻めの本陣と定めた故事の残る城である。

 頂上直下の岩肌を上ると広々とした高麗山山頂(168m)に出たが、ここは高麗山城本丸跡であり、高来神社上宮の跡である。高来神社は神武天皇の世に創建された説があり、中世は神仏習合により高麗寺として繁栄を誇ったが、先述の戦乱により大半の伽藍が焼失するなど衰退した。その後、小田原北条氏や徳川幕府の庇護を受けたが、明治期の廃仏毀釈で高麗寺は破却されてしまった。高麗寺と分離した高来神社は現在まで残るが、上宮は昭和40年代の火災で焼失したため、現在は下宮のみが残り地域の信仰を集めている。毎年4月17~19日に行われる春季大祭は、神輿の山登りや植木市が開催され多くの人手で賑わっている。

Dsc01464 岩肌を登りきると・・・ Dsc01470 高麗山山頂

 15時に高麗山を折り返し、湘南平に向かって往路を引き返す。浅間山を下り、登ってきた道を左に分かれ、分岐を直進して湘南平への階段を登る。高麗山から20分程で湘南平へ到着した。ここは千畳敷と呼ばれるほどの平坦な頂で、戦時中は高射砲陣地が設けられて相模湾から進入するB29など米軍機を迎え撃った。学生の頃、出入りした平塚の模型屋のオヤジが、高射砲の弾はB29の高度まで届かなかったとか、昭和17年の東京初空襲のときに西に避退するB25を厚木基地の隼が高麗山を越えて追いかけていったとか、往事を聞かせてくれたものだ。現在は電波中継塔や展望台が設けられ、春は桜、秋は紅葉で賑わう場所だ。また、夜は湘南方面の夜景が美しく、若者たちのデートスポットでもある。電波塔の金網に「愛錠」なる南京錠をかけ、固く愛を誓い合う「奇習」が近年流行ったものだ。

Dsc01480 湘南平を目指す。 Dsc01484 千畳敷 Dsc01485 展望台

 電波塔は金網や「愛錠」があって景色が良くないので、展望台に登った。曇り空ではあったが、北は大山、丹沢連峰。西は箱根、伊豆に薄っすらと富士山も見える。東は湘南の海岸線。南は相模湾と360度の展望である。

Dsc01487 北 Dsc01489 西 Dsc01491 東 Dsc01490

 展望台の下はスタート地点の駐車場である。今回はこれにて。

★コースタイム

14:15湘南平→14:30東小磯折り返し→14:50浅間山→15:00高麗山→15:20湘南平

2011年2月22日 (火)

天然児の代休日

 2月21日(月)けふ天然児は授業参観の代休で学校が休みなので家におります。彼はひとりで留守番が出来ないので、私も家にいることにしました。wink

 朝から天気がはっきりしないのですが、庭に洗濯ひもを張って、前日収穫してきたわかめの天日干し作業を行います。風も吹いていて乾燥させるには良いのですが、ちょっと強すぎるようです。こっちで干して振り返るとさっき干したものが風で飛ばされているような具合で、七転八起のペースでやっとこさ終わらせると、お出掛けモードになってきたので、小田原市下曽我の梅祭りに行ってみることにしました。

 梅祭りが行われる曽我梅林は小田原市の東部・曽我丘陵にあり、JR下曽我駅周辺に北から中河原、原、別所の3会場に別れ、合計3万5千本もの梅が見頃を迎えております。ここの梅祭りの目玉は本数もさることながら、晴天の日は頭に雪を頂いた富士山をバックに観梅が出来ることにあります。

http://www.odawara-kankou.com/event/01/(小田原市観光協会より)

 現地に行ってみると、県道沿線は白や桃色に彩られ、車窓からでも梅林が見頃を迎えていることがうかがい知ることが出来ました。曇って富士山が見えない平日にもかかわらず結構人が出ているようで、係員が有料駐車場に誘導しています。しかし、私にとって曽我の梅林はご近所意識が強く、どうも有料駐車場に停める気がしません。空き地に心当たりがあり、そこから歩いて行くことにしました。

Dsc01427 別所梅林(後方は曽我丘陵。お手軽ハイキングに最適)

 その空き地から梅林は目と鼻の先ですが、問題はJR東日本の国府津車両センターが見える位置にあることです。なぜ問題なのか?我が家の天然児が「花より電車」なのであります。朝の通勤時間も終わって、15両編成のE231系やE217系など東海道線の主力車両が引込み線に並び、整備や清掃を受けています。広大な敷地に並ぶ電車はなかなか見応えのある風景です。当然天然児は梅林そっちのけで車両センターの外構柵にかじりついています。ちょうど振り向けば梅林、振り向けば電車という農道で、父子は背を向け合っているという変な構図です。

 歩いては止まり歩いては止まりの攻防の末、私は折れて車両センターの中央を跨ぐ跨線橋に連れて行きました。ここからは車両センター施設を一望でき、足柄平野を取り巻く山々も良く見える展望地でもあります。正直、私も好きなスポットです。

Dsc01430 跨線橋より。一番右の線はJR御殿場線。後方一番左の山は矢倉岳。

Dsc01433 鉄道用の洗車機です。

 天然児は大喜びでキャーキャーしながら跨線橋を右へ左へ。私も車が来ないか注意しながら動画を撮影します。眼下では車両が出入りして、作業員の方々が往来しています。しかし、しばらく撮影していますと、変に作業員の方々の視線が気になりだしました。??そんなに怪訝な顔してこっちを見なくても良さそうなものですが・・・これだけの施設ですから「撮り鉄」なんて珍しいものではないはずですし・・・疑問を残したまま後ろ髪引かれる思いで車両センターを後にしました。

 後々気づいた私なりの答えは、跨線橋には当然転落防止の側壁と金網があるわけですが、作業員の方々から見上げると、私は見えても背の低い天然児が良く見えないのです。それでいて天然児はキャーキャー奇声を発しているわけですから、作業員の方々は「橋の上でちょっと危ないおじさんが奇声を発しながら車両(あるいは自分たちを)撮影している。」と見ているわけです。いやはや参りました。coldsweats01

わかめは豊年満作

 神奈川県水産試験場主催の「親子の魚料理教室」に昨年来参加してきましたが、その第4回目は2月20日(日)に小田原漁港で行われたわかめ収穫体験であります。

Dsc01381 小田原ちょうちん型灯台 

Dsc01386 小田原漁港上を有料道路の橋梁が跨ぎます。(無料化実験中!)

 西湘バイパスを西へ。9時30分に漁港に到着すると、岸壁に敷かれたビニールシートの上に体験実習用に陸に揚げられた(通常は沖のわかめ棚に船を着けて刈り取るそうです。)わかめが並んでおり、どのわかめも立派に葉を茂らせております。水産試験場の方も5、6年やってきて今年が一番の豊作とおっしゃっていました。長男はわかめに寄生する小動物に興味津々。私は岸壁釣りを観察したり漁船を眺めたり・・・

Dsc01383 ちょっと見てくれはキモいわかめ。小動物の宝庫です。

Dsc01389 ついつい気になってしまうんですよ・・・

 10時スタートで職員の方からオリエンテーションを受けます。今回収穫されたわかめは昨年11月26日に種付けを行ったそうで、参加者1家族あたり2株ずつ割り当てがあって、目印に参加者名が入ったタグが付けられていました。早速我が家のわかめを探しましたが・・・「あれ?!」どう見ても1株しかありません。職員の方に聞いてみると、どうやら1株流失してしまったようです。cryingでもご安心。予備の株がいっぱい用意されておりました。catface

Dsc01391 豊年満作じゃ~ Dsc01390 我が家の株が流失!

 さて、オリエンテーションも終わり収穫開始です。めかぶの根元をハサミで切り取りますが、1株からは茎が10本も出ていてなかなか手ごわい相手のようです。何はともあれ実践あるのみ。先陣は長男の役目であります。小動物を気にしーしー丁寧に刈っていきます。しばらくして疲れてきたようなので私の出番となり、15分ほどでモジャモジャの根の部分を残して収穫されました。

Dsc01398 「はいやる!すぐやる!」

Dsc01399 きれいに刈り取られました。 Dsc01400

 収穫後は試験場に移動して調理方法の講義です。毎度おなじみ調理担当の登場です。この方、地方公務員でありながら調理師の免許を持つつわものです。

Dsc01404

 めかぶ、茎、葉と3分割にして、それぞれの切り方、茹で加減、調理方法を丁寧に説明していただきました。ちなみに茹で加減は、葉やめかぶは10秒程度で色が茶褐色から奇麗な緑に変わったらでOKですが、茎は20分は茹でないと火が通らないそうです。調理方法については、葉はサラダ、味噌汁がおなじみですが、てんぷらやチジミにしても美味しそうです。茎は細切りにしてきんぴらが、めかぶはおなじみの刻んでポン酢がけが美味しいですね。bottle説明後は切り方、ゆで方を実践して正午過ぎに終了となりました。

 お昼をまわったので、お腹も空く頃合です。せっかく小田原漁港にいるのですから、魚料理を食べない手はありません。市場周辺を歩いてみますと・・・

Dsc01403 TVなどでもおなじみの市場直営食堂

Dsc01417 干物バイキングなんてのもございます。

しかし、どこも大賑わいの行列です。やや疲れもあったので、とりあえず漁港周辺でのランチをあきらめて、自宅近くの心当たりに行くことになりました。

 国道1号線沿い、JR国府津駅近くの「のんき」食堂で昼食をとることにしました。ここも魚料理が売りの食堂で、いつ行っても適度に賑わっているお店です。魚料理に加え豚汁もボリュームがあって美味しいです。

Dsc01418 R1沿い、右側西湘バイパスの下はもう砂浜です。

Dsc01422 食べかけで失礼します。当日おすすめ「カンパチの刺身定食」

Dsc01421 あ、アジフライも美味しそうだな・・・

 翌日、わかめを天日干しにしましたとさ。

Dsc01423

2011年2月20日 (日)

暇なときは水くみに

 さて、授業参観の関係でお昼過ぎに半端な時間が空いたので、家でじっとしていることのできない私は、車にポリタンクとペットボトルを積んで湧水を汲みに出かけることにしました。秦野市内あるいはその周辺部の丹沢の山際には何箇所か湧き出している場所がありますが、今回は一番身近な「葛葉の泉」です。現場へ到着すると、水場に車が横付けされご夫婦がポリタンクやペットボトルを何十本も並べてせっせと水汲みに励んでいました。取水口は2箇所しかないので、この場合他者がいなければ両方を使用しますけど、後から来れば1箇所は譲るのが水汲みのマナーです。私も1箇所を譲っていただき、小型ポリタンクとペットボトルが10本程度の我が家はあっという間に終了です。お礼を言ってご夫婦に継続していただきました。

P1000196 P1000197

 我が家は汲んだ湧水でお茶を沸かす程度ですけど、何十本も汲んでいく人は何に使っているのでしょうか?以前、別の場所でご一緒した八王子ナンバーの方はお蕎麦屋さんで、蕎麦うちに使われるとのことでした。ガソリンを使って汲みに来るんですから、水道水では出せないこだわりがあるんでしょうね。私は湧水で日本茶やコーヒーを沸かして飲むのが大好きです。よく表現できませんが、水がやわらかくて喉ごしが良いですね。japanesetea

P1000198 P1000199 葛葉川に架かる木橋

 水場の脇には葛葉川が流れていて、夏は水遊びやバーベキューが最高の場所です。駐車場や簡易トイレもあり便利ですね。水場の少し先から二ノ塔にアクセスできる登山道がありますが、木の根が多くて歩きにくく、昨年末に登ったときはすれ違う人が1人でマイナーコースのようでした。ちなみに葛葉の泉から1時間30分ほどで二ノ塔に登れます。

P1000200 のっぺらぼうの木の地蔵さん

P1000201 椎茸栽培

 帰りは湧水近くの無人販売所で野菜を買って帰ることにしました。安くて新鮮。今夜は野菜たっぷりの鍋物になりそうです。

P1000202 無人販売所(後方の山は二ノ塔、三ノ塔)

 しかし無人販売所の近くには・・・

P1000203 中央にある紅白の看板が新東名高速道路の通過予定を示すもの。

 こんな自然豊かなところにも開発の手が伸びようとしています。丹沢山地の南縁を通過する第2東名高速が計画されています。こんな道路は要らないといつも私は思う次第です。

天然児の参観日

 2月19日(土)今日は天然児の授業参観でした。

 教室で朝のホームルームの後は、体育館でサーキットトレーニング。ハードルを越えたり、跳び箱を乗り越え、輪くぐりをして・・・思いっきり走り回っていました。保護者はステージ上にイスを並べて見学ですが、天然児は時折輪から脱線してステージ上に笑顔でアピールしておりました。run

 その後教室に戻り、生活科でバスの乗車練習を。教室を半分にシャッターして、バス停編と車内編に分けて来たる辻堂海浜公園への郊外学習の事前練習です。設定はJR辻堂駅を下車して、海浜公園方面へ向かう江ノ電バスをバス停で待つところから。ボードで作られた江ノ電バスが入線すると天然児は大喜び。bus車内編ではイスが横2列、縦5列ほどに並べられて児童が座り、保護者も同乗者となって乗車します。私は立ち乗りで吊革につかまります。若い先生が「毎度ご乗車ありがとうございます。このバスは高砂経由辻堂西海岸行きです・・・」と運転手さんの名口調で出発進行!TVモニターに先生が事前取材したVTRが上映されます。(子供たちは釘付け)久根下公園前~高砂~高砂小学校前を通過して辻堂海浜公園入口でピンポ~ン♪先生より硬貨を1枚ずつ渡され、運賃箱に投入します。精巧に模造された運賃箱には運賃の投入口と両替の細い両替口があり、どうしても両替口に入れたくなるのは天然児らしいところ。無事下車して終了と思いきや、VTRが消されると天然児は激怒して周囲に当り散らしておりました。coldsweats02慌てて教室から退場して参観は終了。先生方には舞台製作、事前取材とお疲れ様です。

 その後下校バスの時間まで時間があるので、久しぶりに夫婦ふたりで平塚美術館で行き、美術館のレストランでランチをしました。サラダバー、飲み物、デザート付のパスタをいただきました。これはこれで美味しかったが私はラーメンが食べたかった・・・

午後編へつづく・・・

P1000194 美術館エントランス

2011年2月18日 (金)

駅前の銅像がいざなう歴史旅

 駅の改札をくぐると銅像が迎えてくれる場所は多いですよね。芸術的なもの、ご当地名物、ゆかりのある人物等々・・・有名どころ渋谷駅の忠犬ハチ公(ハチの出生の地である秋田県大館駅にもあるそうですよ。)や甲府駅の武田信玄(塩山駅も信玄公)から、最近は銀河鉄道999やゲゲゲの鬼太郎などアニメキャラクターが話題になっていますね。私は歴史上の人物や名場面の駅前銅像が好きなんですが、特にJR北陸本線はお気に入りが多いです。福井駅の柴田勝家、小松駅は勧進帳の「安宅関」、長浜駅は秀吉に茶を進上する石田三成、津幡と石動駅は源平倶利伽羅峠の戦いの「火牛の計」・・・

P1000069 津幡駅構内の火牛像

こういう火牛もいるんだね~http://kanazawa.keizai.biz/headline/1137/(金沢経済新聞)

 地元小田原駅には東西両口に銅像があります。東口の小便小僧は繁華街のある東口の利用頻度が多かったので、幼い頃からなじみ深かったのですが、西口にある北条早雲の銅像は駅裏となる西口をほとんど利用することがなかったので、存在を知ったのは最近になってからでした。

P1000305 昨日も登場した早雲公

 さて、その早雲公は勇ましく馬上で采配をふるう姿ですが、その脇に角に松明をつけた牛が3頭。ここにも「火牛」がデザインされております。しかし、先述の倶利伽羅峠の「火牛の計」とは少しニュアンスが異なります。倶利伽羅峠の戦いは源平の戦いのひとつで、信州から北陸道に進出した木曽(源)義仲が、京都から攻めてきた平家軍の陣中に荒れ狂う火牛を突入させて打ち破った戦いです。火牛そのものを兵器とした訳ですが、北条早雲の「火牛」は、彼が小田原城を関東管領上杉氏の家臣であった大森氏から奪い取ったときのエピソードに登場するものです。

 北条早雲は戦国時代の幕開けを象徴する人物として、あるいは下克上を象徴する人物として有名ですが、出生から前半生については不透明な点が多い人物です。浪人の身分から大名に成り上がったように思われがちですが、本名が伊勢新九郎長氏ということから、室町幕府執事伊勢氏の身内人で、姉(妹とも)北川殿が駿河守護今川義忠に嫁いだので、その縁で駿河(静岡県)に下向し、義忠が不慮の死を遂げた後は今川家の軍師として幼君氏親を補佐して活躍しました。駿東郡(静岡県東部)から伊豆を平定して、相模への進出を狙いますが、関東には関東管領上杉氏(山内、扇谷家)が勢力を誇り、相模には扇谷上杉氏家臣の太田道灌、大森氏頼、三浦時高などの強豪がいて手が出ません。

 早雲は悶々とした日々を送ったことでしょう。こんな夢を見ています。~1匹のねずみが現れて、2本の杉の大木に取り付き、かじり倒してしまいました。すると、そのねずみは虎に変化したのです。~早雲は子年だったので、ねずみに自分を重ね、2本の大杉は関東の大勢力扇谷、山内の両上杉家を想定し、いつかは上杉家を倒して関東を奪い取るという大望を抱いていたんですね。

 辛抱強く待っていると、チャンスが到来!1486年に彼のライバルともいえる太田道灌が伊勢原市糟屋の主人上杉定正の館に呼び出され殺害されました。この事件は太田道灌の天才的な能力を恐れた主人が行った愚行とされていますが、早雲がライバルである道灌を消すために謀反の噂を流したという説もあります。更に1494年は早雲にとって運命的な年となりました。扇谷上杉定正が戦の最中に落馬して死去。足柄岩原城に隠居しながら小田原城ににらみを効かせていた大森氏頼が病死。相模最大の勢力を誇る鎌倉以来の名門三浦時高が後継者争いで養子の道寸に殺害と、早雲にとってこの上ない事件が立て続けに起こったのです。

 そしてその時、1495年9月某日。

 小田原城主は大森氏頼の次男藤頼でした。大森氏頼・藤頼父子と早雲は扇谷上杉氏傘下の同僚として以前から交流がありましたが、父の氏頼は早雲の野心を見抜き心を許しませんでした。氏頼亡き後、子の藤頼がお人好しであることに目をつけた早雲は、大量の贈り物を藤頼にして彼を油断させていました。その日、早雲は伊豆の山で鹿狩りをしていたところ、鹿の群れが箱根山に逃げ込んでしまったので、勢子(獲物を追いたてる狩人)を越境させて欲しいと小田原の藤頼に依頼しました。すっかり早雲を信じ込んでいた藤頼は「早雲庵の手際の悪さよ。」と笑ってこれを許しました。それこそが早雲の思う壺、箱根山に入ったのは勢子ではなく早雲揮下の精鋭と千頭もの牛。早雲は夜になるのを待って、牛の角に松明をつけ、箱根山の麓である小田原に向けて牛を放ちました。真夜中に突如起こった松明の群れと牛のいななき、軍兵のときの声。小田原城中は何者による襲撃かも確認できず(早雲が今川の援兵を率いて襲撃してきたと考えるのが妥当か?)大混乱となり、大森藤頼は戦わずして城を棄てて平塚の真田城へと逃走してしまいました。早雲が用いた千頭もの火牛は木曽義仲が用いたような兵器ではなく、敵を欺く偽兵だったのです。

 こうして北条早雲こと伊勢早雲庵宗瑞は関東進出の第1歩を記したのです。この後、彼は残る生涯を相模の最大勢力である三浦道寸との戦いに費やし、1516年に三浦半島新井城に籠る三浦氏を滅ぼして相模を平定し、その3年後に死去しました。早雲から氏綱、氏康へと北条氏は扇谷・山内上杉氏と戦いながら関東に勢力を拡大し、3代目氏康のときには両上杉氏を滅ぼして、遂に早雲が夢見た2本の大杉を倒したのです。更に氏政、氏直の時代はほぼ関東全域を支配下に置き、小田原北条100年の栄華を今に伝えます。

2011年2月17日 (木)

小田原城小話

 「小田原城で戦国時代の弓が見つかったんだって!」昼下がりの眠気を割くような歴史好きの同僚の言は当に寝耳に水でした。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kanagawa/news/20110213-OYT8T00036.htm

(読売新聞の記事より)

 記事にもあるように、戦国期の弓が出土することは稀有なことらしく、確かに弓は木製ですから400年以上土中にあって残ることは驚きでした。同僚は小田原城と言うので、小田原城の武器庫か何かの跡なのかと思いきや、むしろ小田原を攻めた武田軍が放置した破損弓だとか。面白いですよね。

 小田原城攻めといえば、戦国時代の終幕である1590年の太閤秀吉の小田原北条攻めが有名ですが、実は戦国時代を代表する二将、武田信玄と上杉謙信が小田原城を攻撃し、共に攻略かなわず撤退していることは戦国マニアのネタであります。

 1561年に関東管領山内上杉憲政を圧迫していた北条氏討伐のため、関東管領を襲名した上杉政虎(後の上杉謙信)は関東諸将に動員令を発し、佐竹、小田、那須、太田など11万を号する大軍が小田原城を囲みます。政虎自身は現在の大磯町高麗山(あるいは城山公園)に本陣を据え、埼玉岩槻の太田三楽斎(資正)を先鋒に小田原城を攻めますが、北条方は門を硬く閉ざし甲羅の亀になってしまったので攻めあぐねます。業を煮やした政虎が、小田原城蓮池門の前で銃弾飛び交う中、酒を飲んで城方を挑発するも、北条氏康は挑発に乗らなかったので、11万もの大軍は士気の低下と兵站線(物資補給)が破綻して撤退しました。

 1569年には、甲相駿三国同盟(武田、北条、今川三氏の同盟)が破棄され、北条氏が越後の上杉謙信と同盟したことにより、武田信玄が2万5千の兵を率いて小田原城に攻め寄せます。信玄は小田原城を本気で陥れるつもりはなく、北条氏に対する恫喝のための出兵だったので、早々に兵を退いています。むしろ撤退時に追撃する北条勢を現愛川町(厚木市の北)の三増峠で散々に打ち破ったことが信玄の戦巧者らしいところです。このときの名残が丹沢の犬越路やヤビツ(矢櫃)峠の地名に残されています。

 今回の弓は小田原城の北東に位置する蓮池門の近くで見つかったようですが、上杉、武田の両将が同じように小田原城の弱点である蓮池に攻め寄せたことは興味深いことです。これ以降、北条氏は小田原城の大改修に着手し、小田原が日本では希な城塞都市に発展することになります。

 戦国を代表する二将が攻めても陥落しなかったことが、小田原城が難攻不落の堅城として全国的に有名としました。逆にこのことで北条氏に「城に籠っていれば何者も寄付けない」という安堵感を持たせて、太閤小田原征伐によって破滅することになります。

 最後に去年の暮れに私が踏査した北条期最終段階の小田原城遺構の写真を載せておきます。

P1000294_2 P1000295_3 P1000297_2 P1000296_2 城北西に位置する堀割

P1000298_2 城外郭から笠懸山(太閤一夜城・中景、後方は箱根外輪山)を望む。

P1000305_2 小田原駅前の初代北条早雲像(小田原北条の始まりと・・・)

P1000303_2 四代氏政と弟氏照の切腹の地(終焉の地)

P1000302_2 おなじみ江戸期の天守閣(左上UFOかな)

2011年2月15日 (火)

バレンタイン釣行その後

 さてさて、スーさんの竿が大きく引き込まれました。何が掛かったことやら・・・

 明らかにアジやイシモチではない引きである。定番外道である大サバか?底サメか?弧を描く釣竿が期待を膨らませる。隣のハマちゃんがタモ網を構えいつでも来い!とばかりにスタンバっている。いつもながらナイスなフォロー振りである。このやり取りこそ釣りをやっていて最高に楽しいときである。水面に銀鱗が浮かび上がってきた!ハマちゃんのタモが打たれ見事に取り込まれた。

Dsc01369 45cm 1.5kgのクロダイだ!スーさん満面の笑み。happy01

 クロダイ(関西名チヌ)は沿岸水域の港湾や岩礁に生息し、ときには河川を遡上する。このため船釣りではあまりなじみのない魚であるが、堤防や磯釣りファンの間では言わずと知れた憧れの魚である。港湾周辺の浅場を狙う東京湾のライトタックルアジ釣りならではの嬉しい外道(本命外の魚)である。

 その後、後半戦は好調であったアジの当たりがぱったりと止まり、たまにイシモチ・・・たま~にアジ・・・と非常に厳しい展開となってしまった。そんな中でも我々の反対側に陣取る中乗りさんはポツポツとアジを上げていく。こればっかりは腕の差というものであろう。我々もアジ釣り歴は10年を超えるが脱帽である。釣りの手が空いてくると、集中力が落ちて周囲の風景が見えてくる。

Dsc01365 右手に横須賀沖猿島、その左手奥は観音崎です。

Dsc01368 おやおや、観音崎沖を潜水艦が通過中ですね。

可愛い魚雷と一緒に積んだ~青いバナナも黄色く熟れた~♪男所帯は気ままなものよ~髭も~生えます、髭も生えま~す無精髭♪ちなみに奥の陸地は房総半島であります。

Dsc01372 釣り船のすぐお隣ではビックな工作艦?も投錨。船の多さ、マニア度は東京湾ならでは。

Dsc01364 可愛らしい赤灯台catface

 最後まで復調はかなわず、13時に沖上がりとなった。私の釣果はアジ35尾とイシモチが6尾であった。前半戦で釣果が伸びたので半日釣行としては上出来である。帰港後、待合所でばあちゃんがお茶を入れてくれてホッと一息。金沢八景付近の近況を伺う。2月になって潮が冷えたので、サバやワラサが入ってこなくなった一方で、早くもクロダイの活性が上がってきているそうだ。水の中でも「冬来たりなば春遠からじ」なのである。お土産に地場産のわかめを3人分用意してくれていた。ありがとうございます。

 休日は渋滞する七里ガ浜もスイスイ通過して帰宅できた。これだから平日釣行はやめられない。smile

 帰宅後、アジをタタキ、イシモチをお刺身にして夕食のおかずとした。アジのタタキは定番メニューでいつも好評であるが、イシモチのお刺身も甘みがあって美味しかった。釣り人ならではの楽しみ方である。

 さて、春になると水も温み、魚たちの活性も高まることであろう。次回は何にしよう?

2011年2月14日 (月)

バレンタイン釣行

 そしてオヤジには今日がある。

 2月14日はお菓子メーカーの販売促進日であります。なんて言い方は世間のウキウキモードには無縁なおじさんのひがみと言われちゃいそうなので、改めまして聖バレンタインデーであります。coldsweats01でもやっぱり無縁なので、釣りに出かけることにしました(笑)

 連休以降の不安定な天候を危ぶむも、お昼過ぎまでは天気が持ちそうなので、地元の浜ちゃん&スーさんと3人でアジ釣りに出かけることにしました。とは言っても、真冬は魚たちも活性が下がり釣果は不安定な状態。地元相模湾に比して釣果が安定している東京湾のアジを狙うため、横浜金沢港・仁丸さんにお世話になることにしました。仁丸さんは今回初めて利用する船宿です。東京湾のアジを売りにしている船宿が何十件もある中でココを選んだ理由は、ハンドウォーマーを船に装備しているからです。真冬の釣りは餌付けや魚を外すときに指先が濡れると冷たくなってかなり辛く、手返しも悪くなるので、ハンドウォーマー装備の船宿を選択したのです。じゃあハンドウォーマーってどんなもの?と言いますと、釣り座に配管がつけられ、その中を温水が流れ、パイプを触ると温まるという仕組みです。また、パイプがちょうど膝裏にあたるので、足も温まる優れものです。

Dsc01357←これがハンドウォーマーだ!

 午前8時前に金沢漁港に到着すると、仁丸待合所の前に受付のばあちゃんとスタッフが待っていた。どうやら月曜日から釣りに来るような遊び人は少ないようで、今回は我々3人と中乗りさん(お手伝いスタッフ)だけのゆったりした釣行となった。船の左舷中ほどに3人が並び、右舷に中乗りさんが陣取った。8時過ぎにのんびり出向。港の出口には・・・

Dsc01358八景島シーパラダイスとDsc01362住友のドックという、いきなりダイナミックなロケーションである。それにしてもタンカーはでっかい!毎度ながら驚かされる。ポイントまでは港から10分程度の近場。住友ドックの正面でもあり、横須賀市田浦の海上自衛隊基地の出口に位置している。

Dsc01363 護衛艦が停泊しているようです。

 「それでは始めてください!」の船頭さんの号令一下、仕掛を投入しスタート。水深は30mほどで、アジは底すれすれを泳いでいるようであるため、仕掛が水底に着いたら1m巻いてコマセ(撒き餌)を振り、さらに1m巻いて当たりを待つ。仕掛は2m3本針なので、水底から2m上までを3本の針が位置することになる。2、3回コマセを振るとコマセカゴが空になるので、仕掛を巻き上げてコマセを詰めなおす。この動作の繰り返しがアジ釣りである。いかに手返し良く繰り返すかが釣果を伸ばすポイントである。

Dsc01370

 スタートから10分ほどで待望の当たりが来た。ククククッククククッと竿を絞り込むのはアジ独特の当たりである。アジは口が弱い魚なので勢いよく巻くと口が切れてしまうため、逸る気持ちを抑えつつ巻き上げる。水面まで仕掛が来たら巻くのをやめ、糸を緩めず仕掛を手で持って取り込むのだが、アジ釣りはこの瞬間が一番難しい。水面から空中に上がると重力が掛かって口切れしやすいのだ。最初やや強めの力を加えてフワリと船中に取り込むのがコツである。

 スタートから2時間ほどの間、20~25cm前後の食べ頃サイズのアジが入れ食い状態となり、時折ゴトゴトゴトと竿を振るわせる良型のイシモチも交じってバケツが賑やかになってきた。

Dsc01371 お腹を上に向けているのがイシモチです。

 そのとき、一番後に陣取っているスーさんの竿が大きく絞り込まれた!(つづく)

2011年2月13日 (日)

今日は堤防釣りに行こう!

 三連休も最終日でようやく晴天に恵まれました。

 朝、自宅の窓から外を見ると海の向こうに見える伊豆天城山、大室山は雪化粧。いやいや、下界に雪は降らなかったけど、お山にはしっかり降っていたんですね。

Dsc01343

 実は昨日の夕方、虫歯になっていた親知らずを抜いたんですが、抜歯後の経過もよく、歯ではなく遊び心がうずきます。「天気も良いから堤防釣りに行こう!」と最近すっかりノリの悪くなった長男を誘ってみます。すると友人同伴で参加OKが。

 西湘バイパスを一路西へ!足柄平野に入ると左手相模湾の向こうに伊豆大島三原山、伊豆半島天城山、正面に箱根連山、右手に富士の高嶺、丹沢山地と見渡す限り銀世界。大パノラマに心も踊りつつ、早川で青イソメと冷凍アミを購入して小田原米神堤防へ。

 この堤防は潮通しが良く、夏から秋にかけて青物が回遊するポイントとして巷では名を知られ、シーズン中は竿が隙間なく並ぶのですが、この時期は釣り人もまばら。それでも連休唯一の晴天日とあってか、堤防には10人ほど乗っています。

Dsc01345(堤防から小田原市街と丹沢を見る)

 微風を感じるも心地よい陽だまりで、イスに座ってのんびりと糸を垂れる1日を過ごせそうである。が、子供らはリールの使い方、仕掛けのセッティング、餌のつけ方を全く知らず、レクチャー開始。小物でも飽きない間隔で釣れるサビキ釣りをセッティングしてやって、何となく要領を教えると、さすが遊びのことは飲み込みが早い。(勉強も釣りのように頼むよ先生・・・)

Dsc01351

 サビキッズはトウゴロウイワシ、ベラ、何とかイシモチをちょいちょ上げていく。さて、こっちも本番行きますかなと思っていると、今度は彼ら、気分が良いのか変てこな歌を大声で歌いだし、他の釣り人の間に割り込むように竿を出したりして、保護者を冷や冷やさせる。ちょっと困り顔の人もいるが皆さん寛容に対処してくれている。それでもこっちは落ち着かず、チラチラ彼らを監視しながらのチョイ投げ釣りはなかなか手につかない。

 サビキッズが順調に釣果を伸ばす中、不調のチョイ投げオヤジにもようやく当たりが♪引き寄せてみると・・・

Dsc01346良型のゴンザレス(ゴンズイ)

サビキッズはイエローライン鮮やかな毒魚が釣れて大喜び。ゴンザレスには申し訳ないが、唇ピアスのまま海にお帰りいただいた。

 さて、その後もサビキッズが好調に釣果を伸ばした反面、チョイ投げオヤジは振るわず15時前に撤収となった。釣果は3人でトウゴロウイワシが50匹ほどとベラ3匹、何とかイシモチが5匹、マイナーハゼ1匹、そしてゴンザレス。お友達にトウゴロウを夕飯のおかずに持ち帰りいただき、その他は無罪放免と相成りました。子供たちには楽しめた釣行になったようです。

 私は・・・明日があるさ(つづく)

紀元節 首都圏は雪に!?

 紀元2671年2月11日(金)朝から雪が降っています。でも相模湾に面した我が家辺りは今回も積雪はなさそうです。

 この天気で山も海も行かれないので、せめて雪見にでもと車のハンドルを握ります。そして荷室にはちゃっかり水汲み用のポリタンクとペットボトルを積載。「丹沢は白くなっているよ。」との情報で、一路秦野の山際へ。菩提地区の一番てっぺんの辺りは白くなっているので、急坂でアクセスする葛葉の泉は避け、大倉戸川公園から戸沢林道へ入り竜神の泉で取水することにしました。

 戸沢林道はいつも塔ノ岳方面へのハイカーが多く、小心者の私は車で「そこ退け、そこ退け」と入るのが苦手なのです。逆の立場であることも多く、山奥まで車で乗り入れる光景はあまり気持ちの良いものではありませんし。でも、さすがに雪が降る中入山する人はほとんどいないようでハイカーの姿はありません。未舗装のガレ道を恐る恐る10分ほどで竜神の泉に到着。

P1000360

 出水量はやや少ないものの、我が家でお茶を沸かす程度なら十分の量です。湧き水で沸かしたお茶はのど越し滑らかでおいしいです。沢の水音にまじって時折遠くからワンコの鳴き声が聞こえてきます。この寒空の下、鉄砲射ちの方々が入山しているようです。この時期、丹沢前衛の低山に登っているとワンコの鳴き声や鉄砲射ちのおじさんを見かけることが多いですね。さすがに射殺されることはないと思いますが、ハンターワンコに食いつかれることはあるのでしょうか?ちょっとビビりますね。

P1000361 P1000364

 さて、汲み終わったら雪をうっすら被った山をちょっと眺めて退散です。今夜の喫茶が楽しみであります。

2011年2月11日 (金)

湯河原ハイキングその後

 中1日置いてしまいましたが、2月6日(日)の湯河原ハイキングその後であります。

 ようやく林道歩きから脱出し、「しとど窟」への九十九折の急坂を下る。坂道の両側には石灯籠とお地蔵さんがならんでいて、ずいぶん厳かな雰囲気である。林道終点から10分ほど下ると大岩が座っていて、その裏側にしとど窟は口を開けていた。しとど窟は大岩の岩陰にある窪みで、中には仏像が並んでいて導入路から更に神秘的な雰囲気である。霊気漂うこの場所に単独で来訪できる人は勇気がある人だ。

Dsc01319_2

 しとど窟は今から830年ほど昔の源平合戦の折、平家打倒の旗揚げをした源頼朝が北条勢を率いて伊豆から鎌倉を目指して進軍したものの、小田原の手前石橋山で平家方の大庭景親率いる大軍の迎撃を受け大敗をきっして敗走。さらに後方を伊東祐親(曽我兄弟の祖父)に扼され進退窮まったとき、湯河原の土豪土肥実平に匿われ湯河原山中を転々としたとき、数日間落武者狩りから身を隠した場所である。(ちなみに私のご先祖(三浦氏)は頼朝救援のために、三浦半島から急いで西進したものの、相模川の増水で足止めをくって石橋山合戦に間に合わなかった。先祖に代わってお詫び申し上げます。think

 さて、ここまで来て13時30分。もはや本日の最終目的地「城山」(土肥実平の城跡)には到達できないことを悟り下山を決意するも、往路の長い林道歩きはもうご免被りたいところである。と、しとど窟の入り口にある看板に、「一の瀬方面崩落により通行止」の表記。!!このせいで我々は林道に迂回させられていたんだ!と悟り、疲れてもいたので時間短縮という魔力に勝てず一の瀬へ下る登山道へ強行突入!小さい沢を渡るものの、適度な勾配の道で歩きやすい。しかし、10分ほど下った沢の右斜面についた道が危なっかしい。お供の天然児は横這いのカニ歩きができないので、高度差に怯える彼の手を強引に引いて突破を計る。少し進むと案の定足を踏み外して滑落!しかしそれは想定のうち。「ファイトー!イッパーツ!」のような場面に。まだ小さいからこんなこともできるのだが。coldsweats02通過できない箇所ではないが、梅林からも近く多くの人が通過するにはあまり適さないと思われる。通行禁止は行政としては当然の判断であろう。

 下り40分ほどで一の瀬へ飛び出し、湯河原梅林へ戻る。梅祭り会場でB級グルメ坦坦焼きそばを食べ遅い昼食として今回は終了。noodle

★コースタイム

11:00湯河原梅林→11:20一の瀬分岐→12:30白銀林道→13:30しとど窟(休憩10分)→

14:20一の瀬分岐→14:40湯河原梅林

2011年2月10日 (木)

歴史もあります。

 歴史ネタ第1弾は、信長と家臣との関係について少々コメントしてみたいと思います。

 織田家の勢力伸張の要因は信長自らの天性とも言われる用兵、政治手腕もさることながら、彼の下で粉骨砕身の働きをした家臣団の努力によるものが大きいと思います。   

 ご存知のとおり、織田家臣団は武将、執政官、テクノクラート、スポークスマン、諜報家、宗教家など各分野に秀でたプロフェッショナルの集合体でありますが、この研ぎ澄まされた集団形成は信長の身分にとらわれない人材登用、ドラスティックな能力主義の賜物であります。これら有能な家臣を時事に応じて適材適所な配置転換を行い中央に覇権を確立したことは、彼が用兵家というよりは用臣家(=経営者かな?)の才があったことをうかがわせます。
 畿内統一以降は自ら兵を率いることも少なくなり、主な武将を方面軍司令官に任じて外征と分国経営を委任していますし、京都には所司代をおいて都の執政と調停工作を行わせています。それとは逆に自らは築城やら宗教やら茶の湯等々の趣味に走っていましたけど(笑)

 それにしても信長は人使いが荒すぎますね。
長年仕えた重役クラスの佐久間信盛や林佐渡守を突然追放したり、美濃攻めで寝返らせた西美濃三人衆も卜全は殿戦で戦死し、守就は謀反の疑いで追放され、一徹は暗殺されかかってますからね。明智光秀に対しての近江坂本と丹波一国の召し上げも、明日から給料出しませんので、自分で営業開拓して生活費を稼いでください!みたいなものでしょ。
丹波なんて今では黒豆の産地として有名なのんびりとした土地だけど、あの時代には赤鬼・青鬼がいたり、鎌倉以来の名門波多野氏など強力な在郷勢力が山深い天然の要害に籠って、西に攻めれば東から現れ、北に攻めれば、南から現われとゲリラ戦で明智軍を悩ませました。ようやく平定した矢先の転封ですからたまったものではありません。その光秀に対する人々の同情が丹波八上城で人質となっていた彼の母が磔にされる伝説(本能寺の変怨恨説)を生んだのかもしれませんね。
 そして起こるべくして起こった本能寺。家臣皆あれだけこき使われたんだから「光秀よくやってくれた!」と喝采があがってもよいと思いますが、「恩義を忘れた逆賊め!」とフルボッコされてしまうんですから、何とも明智君お気の毒な話です。本能寺の変に関しては諸説ありますが、どれをとっても面白いですよね。

 まあ、信長のようなワンマン社長は、今の世では社員が皆さっさと辞めてしまうのが落ちでしょうけど、恩義を忘れず仕えた戦国時代の人々は逞しいですね。(結果として明智君はブチ切れたわけだけど。)

2011年2月 9日 (水)

初投稿 湯河原ハイキング

初投稿は2月6日(日)の湯河原ハイキングです。

今回の目的地は湯河原・城山(563m)であります。

メンツ:ババ、天然児、私(3人)

 前日は松田町の寄(やどろぎ)から秦野峠まで林道歩きをしたので、今日は一転して海方面にハンドルを切り、西湘バイパスを一路西へ。湯河原の幕山を考えていたが、天気がイマイチだったので、楽チンコースの城山に変更することに。

 駐車場のある幕山公園まで行ってみると湯河原梅祭りが始まっていて、なかなかの賑わい。我々の目的は梅祭りではないので通過しようとするも、「ちょっと待った!」coldsweats02梅林の入場料1人200円也。城山へのハイキングが目的であることを説明するも、「梅林内を通行する以上は払ってください。」とのことだったので、環境保全のためならばと承諾。wink

 入場料を払った以上は梅も愛でてやろうと梅林に目をやると、幕山の断崖絶壁をバックに紅梅、白梅があちらこちらに花を咲かせ、案内板には「1部咲き」とあるも、それ以上に見応えあるものだった。

Dsc01304 Dsc01328

 さて、11時にスタートして幕山の裾をかすめるように梅林を進み、一の瀬という分岐点に出た。道標に従って左折し菜畑林道へ入る。適度な傾斜の林道は歩きやすく快調に進む。右手には常に幕山のどっしりとした姿がお供してくれる。林道を1時間以上進み標高を随分稼いだが・・・ちょっとまてよ?ガイドによれば最初のポイントであるしとどの窟までは梅林から1時間もかからないはずなのに??気がつけば600m以上ある幕山の山頂が同じくらいの高さに見えている???城山は幕山よりも低いはずなのに・・・モヤモヤしながらも進むと白銀林道にぶつかった。これはいけない。道標に随分山奥に迂回させられてしまった。あせる気持ちで空を見上げると雲行きが怪しい。路肩や北面の山肌には残雪があって寒々しい。足早に白銀林道を進みゲートに到達したときはホッと一息。happy01(つづく)

トップページ | 2011年3月 »