« 初投稿 湯河原ハイキング | トップページ | 湯河原ハイキングその後 »

2011年2月10日 (木)

歴史もあります。

 歴史ネタ第1弾は、信長と家臣との関係について少々コメントしてみたいと思います。

 織田家の勢力伸張の要因は信長自らの天性とも言われる用兵、政治手腕もさることながら、彼の下で粉骨砕身の働きをした家臣団の努力によるものが大きいと思います。   

 ご存知のとおり、織田家臣団は武将、執政官、テクノクラート、スポークスマン、諜報家、宗教家など各分野に秀でたプロフェッショナルの集合体でありますが、この研ぎ澄まされた集団形成は信長の身分にとらわれない人材登用、ドラスティックな能力主義の賜物であります。これら有能な家臣を時事に応じて適材適所な配置転換を行い中央に覇権を確立したことは、彼が用兵家というよりは用臣家(=経営者かな?)の才があったことをうかがわせます。
 畿内統一以降は自ら兵を率いることも少なくなり、主な武将を方面軍司令官に任じて外征と分国経営を委任していますし、京都には所司代をおいて都の執政と調停工作を行わせています。それとは逆に自らは築城やら宗教やら茶の湯等々の趣味に走っていましたけど(笑)

 それにしても信長は人使いが荒すぎますね。
長年仕えた重役クラスの佐久間信盛や林佐渡守を突然追放したり、美濃攻めで寝返らせた西美濃三人衆も卜全は殿戦で戦死し、守就は謀反の疑いで追放され、一徹は暗殺されかかってますからね。明智光秀に対しての近江坂本と丹波一国の召し上げも、明日から給料出しませんので、自分で営業開拓して生活費を稼いでください!みたいなものでしょ。
丹波なんて今では黒豆の産地として有名なのんびりとした土地だけど、あの時代には赤鬼・青鬼がいたり、鎌倉以来の名門波多野氏など強力な在郷勢力が山深い天然の要害に籠って、西に攻めれば東から現れ、北に攻めれば、南から現われとゲリラ戦で明智軍を悩ませました。ようやく平定した矢先の転封ですからたまったものではありません。その光秀に対する人々の同情が丹波八上城で人質となっていた彼の母が磔にされる伝説(本能寺の変怨恨説)を生んだのかもしれませんね。
 そして起こるべくして起こった本能寺。家臣皆あれだけこき使われたんだから「光秀よくやってくれた!」と喝采があがってもよいと思いますが、「恩義を忘れた逆賊め!」とフルボッコされてしまうんですから、何とも明智君お気の毒な話です。本能寺の変に関しては諸説ありますが、どれをとっても面白いですよね。

 まあ、信長のようなワンマン社長は、今の世では社員が皆さっさと辞めてしまうのが落ちでしょうけど、恩義を忘れず仕えた戦国時代の人々は逞しいですね。(結果として明智君はブチ切れたわけだけど。)

« 初投稿 湯河原ハイキング | トップページ | 湯河原ハイキングその後 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

宗教家とはかの有名な加納随天ですか?

 初コメントありがとうございます。
 加納随天は平成4年の大河ドラマ「信長 king of jipang」に登場した謎の易学者でしたね。信長が成長するにつれて彼の神秘的な部分の化けの皮がはがれ、逆に人間臭さが出てくる、まあ「噛ませ犬」的な架空キャラでしたね。俳優・平幹二朗さんの演技がさえておりましたね。happy01

 随天は架空人物ですが、信長のお抱えになった宗教で有名なのが朝山日乗ですね。日蓮宗の僧侶で対朝廷工作に活躍しますが、結構クセモノだったようで、キリスト教を邪教として目の敵にしていましたが、フロイスとの宗論に敗れて失脚して行くようです。フロイスも家臣ではありませんが、信長の周囲に根を下ろし、御伽集のような立場になっていますよね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1468968/38809654

この記事へのトラックバック一覧です: 歴史もあります。:

« 初投稿 湯河原ハイキング | トップページ | 湯河原ハイキングその後 »