湯河原ハイキングその後
中1日置いてしまいましたが、2月6日(日)の湯河原ハイキングその後であります。
ようやく林道歩きから脱出し、「しとど窟」への九十九折の急坂を下る。坂道の両側には石灯籠とお地蔵さんがならんでいて、ずいぶん厳かな雰囲気である。林道終点から10分ほど下ると大岩が座っていて、その裏側にしとど窟は口を開けていた。しとど窟は大岩の岩陰にある窪みで、中には仏像が並んでいて導入路から更に神秘的な雰囲気である。霊気漂うこの場所に単独で来訪できる人は勇気がある人だ。
しとど窟は今から830年ほど昔の源平合戦の折、平家打倒の旗揚げをした源頼朝が北条勢を率いて伊豆から鎌倉を目指して進軍したものの、小田原の手前石橋山で平家方の大庭景親率いる大軍の迎撃を受け大敗をきっして敗走。さらに後方を伊東祐親(曽我兄弟の祖父)に扼され進退窮まったとき、湯河原の土豪土肥実平に匿われ湯河原山中を転々としたとき、数日間落武者狩りから身を隠した場所である。(ちなみに私のご先祖(三浦氏)は頼朝救援のために、三浦半島から急いで西進したものの、相模川の増水で足止めをくって石橋山合戦に間に合わなかった。先祖に代わってお詫び申し上げます。)
さて、ここまで来て13時30分。もはや本日の最終目的地「城山」(土肥実平の城跡)には到達できないことを悟り下山を決意するも、往路の長い林道歩きはもうご免被りたいところである。と、しとど窟の入り口にある看板に、「一の瀬方面崩落により通行止」の表記。!!このせいで我々は林道に迂回させられていたんだ!と悟り、疲れてもいたので時間短縮という魔力に勝てず一の瀬へ下る登山道へ強行突入!小さい沢を渡るものの、適度な勾配の道で歩きやすい。しかし、10分ほど下った沢の右斜面についた道が危なっかしい。お供の天然児は横這いのカニ歩きができないので、高度差に怯える彼の手を強引に引いて突破を計る。少し進むと案の定足を踏み外して滑落!しかしそれは想定のうち。「ファイトー!イッパーツ!」のような場面に。まだ小さいからこんなこともできるのだが。通過できない箇所ではないが、梅林からも近く多くの人が通過するにはあまり適さないと思われる。通行禁止は行政としては当然の判断であろう。
下り40分ほどで一の瀬へ飛び出し、湯河原梅林へ戻る。梅祭り会場でB級グルメ坦坦焼きそばを食べ遅い昼食として今回は終了。
★コースタイム
11:00湯河原梅林→11:20一の瀬分岐→12:30白銀林道→13:30しとど窟(休憩10分)→
14:20一の瀬分岐→14:40湯河原梅林
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