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2011年3月

2011年3月30日 (水)

花をたずねて不動尻へ

 3月26日(土)この日は親子の魚料理教室の最終回、アンコウの吊るし切り体験の予定だったのですが、震災の影響で中止となってしまいました。貴重な機会だったので、楽しみにしていたのですが残念です。sad

 さて、海で笑えなければ山で笑うのが私のモットーです。気を取り直して、昨年空振りした厚木市の最奥部である不動尻のミツマタの花を見に行こうと思い立ち、天然児とババのおなじみ3人衆で出陣しました。

 不動尻へのアクセスは、七沢温泉郷のひとつ広沢寺温泉にある登山者用の駐車場から二の足林道を終点まで進む約4km弱の林道歩きで、厚木市の森林セラピーロードにも指定されています。ちなみに森林セラピーとは、森林が持つ癒し効果を予防医学的見地から、健康維持や増進に役立てようとするもので、厚木市の七沢周辺は森林セラピー基地として全国レベルで認定されています。確かに森林浴は気持ちの良いものだと思いますが、人によってはこの時期花粉浴になってしまいますね。smile山笑もひどい花粉症持ちですが、この時期はあえて火中の栗拾いをするのが楽しみです。

 駐車場には10台ほどの車が停まっていましたが、やはり地震の影響でしょうか、いつもよりは少なめに感じます。駐車場の路向かいにはマス釣り場とバーベキュー場があって、天然児はそちらに興味津々です。15分ほど進むと大きな砂防提の工事現場があって、昔の沢沿いのコースは大きく迂回させられておりました。人目につかない血税消化発見であります!砂防堤のすぐ上には石切場跡の石碑があり、その周辺には石垣や石仏、廃屋、墓地など集落の痕跡が残されていました。かつて人は自然を切り開いて生活を営んだが、その営みが消えると逆に自然に飲み込まれている。その攻防が古からの人間と自然のつきあい方なのでしょう。そう考えると堂々と構える砂防ダムに違和感を覚えるのは私だけでしょうか・・・

110326_110444 広沢寺温泉付近 110326_112200 砂防堤と迂回路(ご立派!)

110326_112315 石切場跡 110326_112716 山に戻る集落

 この辺りから林道は急勾配となって、山深く進んでいきます。沢沿いの道は今はまだ寒々しさもありますが、もう少し暖かくなれば最高の涼感です。急坂の先に林道のゲートが見えてきて、その前に車やバイクが何台か停まっています。このゲートの脇には湧き水があって、豊かな森の恩恵にあずかることが出来ます。sweat02

110326_114020 二の足林道ゲート

 ゲートを通過してしばらく行くと正面に鐘ヶ嶽という山の尾根が立ちふさがり、暗く長いトンネルが口を開けています。この山ノ神は過去何度も通過してきましたが、距離が長く真昼でも照明がないので真っ暗で、いつ来ても気持ちの悪いトンネルです。過去にとんでもない恐怖体験をした場でもあります。(前回の記事参照)

110326_115017 山ノ神トンネル

 トンネルを抜けると左手が山の斜面、右手に谷太郎川を見下ろす断崖絶壁を林道が進んでいきます。トンネルを抜けて最初の曲がりカーブに差し掛かるときは、ちょっとドキドキします。何故なら昨年10月にハイキングしたときに、ツキノワグマと鉢合わせた場所だからです。あの時、不動尻方面に向かってこのカーブを曲がったとき、左前方の樹木が変に揺れていました。?と眺めていると、突然真っ黒な物体が林道に落ちてきたのです!森の熊さんはこちらを全く無視して谷太郎川の谷底に降りていきました。前回の三峰山のニホンカモシカといい、不動尻にはカワガラスもいたりして、この辺りは野生動物の宝庫のようです。

110326_115601 お!熊かな?・・・人でした。 110326_120045 大山~三峰山への尾根

 しばらく進むと道は下りに変わり、左手の斜面からは滝が落ちていたり、岩から水がしみ出しています。見下ろしていた谷太郎川の高さまで下りきった広い駐車スペースは、二の足林道終点で、昔の不動尻キャンプ場の名残です。川を渡ると谷太郎川沿いに煤ヶ谷に向かう道が分かれています。さあ、ここから私にとって「命の洗濯の場」、不動尻に入ります。

110326_120909 不動尻に到着 110326_121005 伐採された木材

 不動尻は大山と三峰山の尾根から流れ出る谷太郎川の源流。多くの沢が流れ込んでいて、河原の岩は緑の苔で覆われた水と緑の楽園です。当日は不動尻周辺の森林の伐採が行われていて、林道には切り出された木材が積み上げられておりました。ドン尻のキャンプ場の跡地に着くと、今回お目当てのミツマタの花が咲いていました。テントサイトの跡らしい平たい草地に腰を下ろして昼食のおにぎりをいただきます。

110326_122011 陽だまりでお昼にしましょう。 110326_122245 ミツマタの木

 お昼を食べていると、近くで休憩をしているおじさんが「この奥にミツマタの群落があるよ。」と教えてくれたので、食べ終わって見に行くことにしました。河原より5分ほど斜面を上がっていくと・・・

110326_125025 斜面いっぱいのミツマタの花 110326_125049 これは見事!

 不動尻の良さをまたひとつ知ることが出来ました。ここまでは楽勝なので、復路は山ノ神トンネル付近から尾根に上がり、鐘ヶ嶽に寄ってみることにしました。(つづく)

110326_114758 今回のコースです。

☆メンツ:天然児、ババ、私(3人)

★コースタイム

11:00広沢寺温泉駐車場→11:40林道ゲート→11:55山ノ神トンネル→12:25不動尻キャンプ場跡(昼食)12:40→12:55ミツマタ群生地→13:15鐘ヶ嶽尾根入口→13:30尾根→14:00鐘ヶ嶽→15:10鐘ヶ嶽登山口→15:20広沢寺温泉駐車場

2011年3月28日 (月)

不動尻ハイキングの前に(恐怖編)

 今回ハイキングに行った不動尻は、何度となく足を運んでいるお気に入りのハイキングコースですが、本題をレポートする前に、今から10年ほど以前のある日のお話をさせていただきましょう。その日は、当時県下有数の心霊スポットとして名高かった不動尻に向かう二の足林道にある山ノ神トンネルに肝試しに来たのでした。

 深夜2時頃、私とどっちーさん(当ブログにちょくちょくコメントをいただいております。)は、先述のゲート前に車を駐車し、真っ暗闇を星明りを頼りに歩いてトンネルまでやってくると、有名スポットであるだけに深夜にもかかわらず学生グループらしき若い衆が来ておりました。無鉄砲なことですが、私たち二人は出口の見えない真っ暗闇のトンネルを進んでいき、5分ほど文字通り「闇夜の烏」となって不動尻側に抜けました。そこは丹沢の山中。満天の星空が美しく、沢音と鹿でしょうか獣の泣き声が驚くほど近くの闇から聞こえます。

 さて、用を足して引き返すことにしましたが、トンネルに入ったときに不思議なことが起ったのです。若い衆は返ってしまったのか人気がなくなったトンネルを進むと、前方からものすごい風が吹き上げてきます。トンネルが風の通り道になるのは当然だとは思いますが、往路のときは全く感じなかったのです。トンネル中ほどまで来ると、落ち葉が風に流されるような音が耳に入りました。風が吹けば落ち葉の音ぐらいは当然です。が・・・その音が何か不自然なのです。落ち葉が風下に吹き流されていく、即ち我々の後方に流されていくのではなく、落ち葉の音が我々を追ってくるように聞こえるのです。?と思っていると、遂に落ち葉の敷きつめた上を人が這いずるような音が私の足のすぐ後ぐらいにまとわりついてくるようになりました。!!こうなると不思議というよりは恐怖以外の何ものでもありません。恐ろしさの余り後を振り向くことも出来ず、この恐怖空間と化したトンネルから一刻も早く抜け出そうと、どっちーさんのことを忘れて足を速めます。すると、どっちーさんも私と競うように前に出ようとするのです。彼も何かを感じているようです。

 「だーっ!」とトンネルを飛び出すと、風もなく音も消え、前方に厚木市街の煌びやかな夜景が目に入り、やっと現実に戻れました。二人で顔を見合わせると同時に「お前も感じただろ?」科学の発達した現代においても、割り切れない不思議なことはあるものです。あれはスポットの由縁となっているトンネル内で自殺した者、あるいは山から帰りたかった遭難者の霊なのか、怖いもの見たさの馬鹿二人に「山ノ神」がいたずらを仕掛けたのか・・・トンネルの中は現実の世界と何か違う不思議な空間になっているのかもしれません。

 その一件以来、我々は心霊スポット探訪をやめました。

2011年3月25日 (金)

山行 三峰山から煤ヶ谷へ

 前回で煤ヶ谷まで一気に書き込んでしまおうと思いましたが、疲れて寝てしまいました。既に三峰山南峰に立ったので中身は薄いのですが、最後までレポします。

 三峰山南峰の山頂で昼食をとり、12時40分に出発。中峰を経由して北峰を目指すことにした。南峰からの下りは急な階段である。一気に下り鞍部を渡ると中峰への急な登りになった。梯子や鎖を頼りによじ登る。

Dsc01676 南峰を下る急階段 Dsc01679 中峰に登り返す。

 中峰の小ピークを難なくクリアして、再び下るが・・・

Dsc01680 何じゃこりゃ!

 ナイフリッジのやせ尾根に桟道が渡してあるのだが、下り坂が急なので恐ろしい・・・ちょっとした気の迷いでいつでもあの世に逝ける場所である。この中峰から北峰への渡りが三峰山で一番ハードな箇所であろう。やっとこさ北峰に立ち、3つの峰を制覇した。ここまで、南峰手前で中高年グループと出会って以来、一人のハイカーにも会わなかった。もしやせ尾根から転げ落ちたら、私は人知れず山の中で永遠の眠りについただろう。

Dsc01681 北峰から振り返ると中峰と南峰が見送ってくれた。

 北峰から急峻な北斜面を下り、清川村煤ヶ谷地区へ下る道が分岐する物見峠へ向かう。途中、左手が大きくガレていて丹沢山の好展望が臨める場所で、大勢のハイカーに出会った。老若男女、日米?混成の大部隊である。山ガールも大勢いる!ややオーバーアクションで「こんに~ちは!」気持ちが良いものである。私も身振り手振り巧みに彼らが向かうであろう三峰山の険しさを語り、注意を喚起した。ワイワイガヤガヤ一行が北峰に登っていくのを見送り、一人大展望を楽しんだ。

Dsc01683 中央が丹沢山、右端の3つのピークが丹沢三峰山

 やがて、物見峠と煤ヶ谷の分岐に到着。物見峠とは、江戸期に丹沢山地が幕府の御用林だった頃、無断で木を伐採したり、鳥獣を狩猟する者を取り締まる目付役人が巡検したルートであったため、そのように呼ばれたそうである。現在も煤ヶ谷から札掛へと通っている唐沢林道がその巡検ルートの名残であろう。

Dsc01685 この辺りはクマが多いらしい(汗)

Dsc01684 ここから振り返ると三峰山が見える。

Dsc01686 三峰山ルートの入口には注意喚起の看板が立っていた。

 分岐点から右手に入り、緩やかな下り坂をのんびり下っていく。小1時間ほどで、煤ヶ谷の集落に入ることが出来た。煤ヶ谷は神奈川県唯一の村である清川村の中心であり、村役場や小中学校、金融機関が集中している。厚木市方面から観光地である宮ヶ瀬ダムへ向かう県道も通じており、休日はドライブ、ツーリングで賑わう。

Dsc01689 下山口付近 Dsc01690 谷太郎川 Dsc01691 清川村役場

 村役場前の煤ヶ谷バス停で時間を確認すると、本厚木行きのバスは1時間に1本。ちょうど間隔の谷間で、次のバスまでは30分ある。ここで30分立つよりはバス代節約のため、県道を30分歩くことにした。それにしても車やバイクが多い。世の中ガソリン不足のはずではなかったのか・・・途中、別所温泉の看板が目に入る。汗をかいた我が身にはとても魅力的だが、ここで入浴していると更に1時間遅らせることになる。温泉をあきらめて、御門橋というバス停から本厚木駅行きのバスに無事乗車。

Dsc01692 別所温泉看板 Dsc01693 村内のお茶畑 Dsc01694 ここで終了

 今回の山行は、久しぶりの長丁場で大変疲れたが、大きな達成感を得られた。帰りの道中も機嫌良く、本厚木駅前の震災募金にちょっと多めに募金して終了と相成った。

★コースタイム

12:40三峰山南峰→13:00北峰→13:40物見峠分岐→14:35煤ヶ谷バス停→15:10御門橋バス停

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2011年3月24日 (木)

山行 小さなアルプス三峰山

 前回は蓑毛から登って大山山頂を踏んだところまでレポしましたが、その後三峰山を縦走し、清川村煤ヶ谷に至る後半をレポします。

 大山山頂から急階段を下る。北東向きの斜面は日当たりが悪く、登山道はかなりぬかるんでいる。水溜りやぬかるみを避けながら歩くので、想定外の時間がかかっているようだ。10分ほど下ると左手に三峰山が見えてきた。

Dsc01643 大山三峰山

 丹沢山地には三峰山が2つ存在する。その1つは丹沢山から宮ヶ瀬ダム方面に落ちる尾根上にある3つのピーク。これを丹沢三峰山と呼ぶ。そしてもう1つが今回の三峰山である。こちらは丹沢三峰山と区別するため大山三峰山と呼ばれる。

 大山山頂から20分ほど下って、日向薬師へ下る大山の雷ノ峰尾根と分かれて北に延びる尾根に入り、急な階段を下っていく。北向きの斜面には残雪がかなり残っている。ここ数日下界はかなり暖かくなったので、登山道にまで残雪が残っていることは誤算であった。この辺りはかなり急なので、滑らないようかなり慎重になるも2、3度は尻餅をつくことになる。

Dsc01647 残雪残る急階段 

 しばらくすると傾斜はゆるくなり、正面に三峰山を臨みながらの尾根道を進む。振り返り大山を見上げると随分標高を下げてきている。登り返しが大きいのはくたびれるが・・・

Dsc01648 なだらかな尾根道 Dsc01649 前に三峰 Dsc01650 後ろに大山

 下りきってやや右巻きの登りとなる。小ピークに達すると唐沢峠で道は右手(東)へ下っていくが、道標は不動尻を指している。ここで直感が働いた!三峰山に延びる尾根から不動尻に下りてしまうと、再び三峰山への登り返しが厳しくなる。地図には廃道のような点線が尾根伝いに延びているではないか。道標が案内していないとなると、かなりの悪路を覚悟しなければならない。意を決して唐沢峠から尾根伝いに直進することにした。

Dsc01658 この辺りは人間が少数派のようだ。 Dsc01657 直進が近い! 

 歩いてみると踏み跡はついているし、木には登山道を示すテーピングが付けられているので、迷うことはないだろう。しかし、この辺りから三峰山の山域に入ったようで、岩場やガレ場が目立ってきた。尾根は砂礫で両側が切れ落ちている。大山のコースとは明らかにハイレベルになっている。思えば大山の尾根から分かれて以来、誰にも会わない。山が深い分、少し不安が芽生えてきた。

Dsc01656 尾根の両側は深く切れ落ちている。

が突如、そんな不安を癒してくれる山の住人が出現した。

Dsc01651 ルート左先の斜面から視線を感じる。お分かりだろうか?

Dsc01653 ニホンカモシカ(山での遭遇は初!)

 ニホンカモシカがこちらに視線を向けている。実は昨年の秋に、この尾根の麓に位置する不動尻まで林道をハイキングをしたとき、ツキノワグマに遭遇したことがあったため、唐沢峠を直進して以来、わざと手を叩いたり、声を上げたりして人間の存在を示して鉢合わせないようにしてきた。先ほど、大山に登る途中にシカの群れが私に気付いて逃げ去る光景を見たが、カモシカは肝が据わっていて逃げようとはしない。こちらも強気で「おい!」と声をかけても動じずこちらを見つめている。この急峻な地形では己が人間よりも優位に立っていることを知っているのであろう。

 森の住民に勇気付けられて進むと不動尻からのルートに出合う。いよいよ三峰山に取り付くのだ。三峰山は北峰、中峰、南峰と文字通り3つの峰が南北に並んでいる。最高地点は南峰の935mと低山であるが、ナイフリッジの切り立った尾根はかなり危険である。鎖場と梯子が連続する南峰の崖のような急登をよじ登る。このような自分の姿は久しぶりである。まだまだ自分もいける!

Dsc01668 こんなところや・・・ Dsc01669 こんなところ・・・

Dsc01670 おっとっと、わき目は禁物!

 喘ぎながら登っていくと上から賑やかに談笑する声がする。仙人たちの宴会に出くわしたかと思っていると、ピークに10人ほどの中高年ハイカーが昼食をとっている。「ここが頂上ですか?」と尋ねると、「三峰山はまだ先だよ。この先は危ねえぞ~」と呑気な答えが返ってきた。いやいや、こんな急峻なコースに踏み入れる今どきの中高年、恐るべしである!先述の急登を更に15分ほど進むと急階段となり、それを登りきると三峰山南峰頂上である。

Dsc01672 急登を登り切ると・・・ Dsc01674 南峰頂上(934.6m)

 頂上は樹木に囲まれ展望が開けない。苦労した割には報われない山である。達成感は抜群であるが。頂上のベンチでひとり昼食をとった。

 あー長くなった。(つづく)

★コースタイム

10:20大山山頂→10:40日向方面分岐→11:15唐沢峠→11:45不動尻出合→12:15三峰山南峰

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2011年3月23日 (水)

山行 塔ノ岳に登ろうと思ったが・・・

 3月20日(日) 売り言葉に買い言葉ではないが、マイカーのレジャー使用を禁じられたので、公共交通機関を利用して単独行の登山をすることにした。目標は塔ノ岳。秦野盆地から見上げると中央にドカリと居座る堂々としたその容姿は、日常最も身近な丹沢のシンボルである。前回の登頂からほぼ10年経とうとしている。このときはマイカー登山だったので、ヤビツ峠から表尾根を往復したが、公共交通機関ならヤビツ峠から反対側の大倉尾根(バカ尾根)を下って渋沢方面から帰ることが出来る。

 7時前の秦野駅行のバスに乗り、秦野駅から7時35分発のヤビツ峠行に乗り換えるつもりであったが、バス停に行ってみるとヤビツ峠行ではなく、麓の蓑毛行のバスが停まっている。おかしいなぁ・・・と思っていると、山姿の私を見た運転手が「地震の影響で丹沢方面の登山も自粛するよう言われているので、ヤビツ峠行はしばらく蓑毛行に変更になります。」とのこと。そうすると、蓑毛からヤビツ峠まで1時間余計に歩かなければならない。せっかく家を脱出して引き返したくなかったので、とりあえず蓑毛まで行ってみようとバスに乗る。悶々と山が近づいてくる。bus

 そうだsign01塔ノ岳から大山に目標を変更しよう。でも、ただ大山をピストンするだけでは面白くないので、裏側にある三峰山とセットで縦走することにした。

 蓑毛のバス停に降り立ったのは私ともう一人の山屋。この方、バスがヤビツ峠まで上ると思ったのか、終点の蓑毛に着いても「あれ?」てな感じで、運転手に降車を促されていた。さて、パッキングを整え、用を済ませて登山者カードを記入。8時丁度に蓑毛を発つ。

 沢沿いの道を登り、民家が途絶えると右手に大山への登山道が分かれる。いにしえの大山講の参道らしい石畳の急登が始まる。登山道の入口にはミツマタの花が見頃であった。独特の香りを感じながら標高を上げていく。信仰の道は沿道に石仏や何丁目を記す道標が多く、厳かな雰囲気を演出している。

Dsc01622 大山講参道 Dsc01621 ミツマタの花 Dsc01624 沿道の石仏

 1時間ほど歩くと明るい尾根道に出る。やや霞んでいるが、伊勢原方面や表尾根が良く見える。右側から大山ケーブル下社駅からのルートが合流する。普段は多くの登山者で賑わう大山銀座であるが、ケーブルが運行を休止しているのか人はまばらである。

Dsc01625_2 明るい尾根道 Dsc01626_2 信仰の山はその昔女人禁制の地である。

Dsc01629_2 岩を登る箇所もあり、大山も馬鹿に出来ない。

 2時間弱でヤビツ峠から延びるイタツミ尾根のルートと出合うが、この辺りからは塔ノ岳や富士山が良く見える。大山初心者の方には、有名なケーブルカー下社からのルートよりもイタツミ尾根のコースが展望も良く、アクセスも楽でありお勧めである。以前天然児を連れてイタツミ尾根を登ったが、今回のルートはとても天然児連れでは不可能である。

Dsc01632_2 イタツミ尾根出合 Dsc01636_2 手前左三ノ塔、右塔ノ岳、そして富士山

 さて、イタツミ尾根と合流するといよいよ頂上直下の急な石階段となり、間もなく正面に大山阿夫利神社上社の鳥居が現れ、それをくぐると標高1252mの大山山頂である。

Dsc01634 急登上の鳥居 Dsc01637 大地震の爪痕 Dsc01638

Dsc01639 ふりむくと・・・ Dsc01640 ちと厳しいか 

 境内の石灯篭が崩れていた。おそらく大地震の影響であろう。霞んでいるものの、山頂からは相模平野から湘南地区、相模湾の展望が素晴らしい。先述したとおり、普段は人であふれる山頂だが、この日はまばらで10人も満たない状況であった。ベンチで暫しの休息と栄養補給をして山頂を後にする。次の目標は三峰山である。(つづく)

☆メンツ:単独

★コースタイム

8:00蓑毛バス停→8:35浅間山分岐→9:20下社出合→9:50イタツミ尾根出合→9:55大山山頂

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2011年3月21日 (月)

携帯電話壊れる!

 4年以上愛用していた携帯電話の電源が突如入らなくなってしまいました。ソフトバンクショップに行って相談しましたが、電源が立ち上がらない限り、本体に保存されていたアドレスや写真はアウトだそうです。crying

 まあ4年といえば、携帯電話では長寿になると思います。もしかしたら、この大震災のショックで息をひきとったのかもしれないですね。

 ってことで、私のメアドをご存知の方は、恐れ入りますが氏名と電話番号を送ってください。

 よろしくお願いいたします。mobilephonehappy01

2011年3月20日 (日)

切られてしまった思い出の桜

 大震災以降、ガソリン買いが殺到したため、どこのスタンドも軒並み在庫切れとなって、入荷すると渋滞する光景が繰り返されています。スタンド渋滞は交通障害になっていて迷惑極まりないですね。

 渋滞に並んで給油するのはご免なので、我が家の石油燃料の節約が始まりました。ちょっとしたお遣いや子供の習い事は自転車で出かけるようになりましたし、石油ヒーターも控えめに。そして、遂に車を利用したレジャーの禁令が発令されてしまいました。山登りや釣りには行っても構わないが、車は利用してはいけないとのこと。「行けるものなら行ってみろbleah」と言わんばかりです。折から春分の日が絡んだ3連休+自主休暇の4連休が到来。暇で暇で仕方ありません。「こうなったら歩くしかない!」と近場を歩き回ることにしました。

 初日は子供らが学校に行っている間に地元を歩いてみようと、9時に我が家を出発し、裏山の農道を登り始めます。南向きに相模湾を臨む道は日当り良く、歩いていても気持ちが良いものです。ちらほらと咲く桜を楽しみながら尾根道を進むと正面には大山や塔ノ岳が奇麗に見えました。大磯町の通称「山」と呼ばれる地区を抜け、ゴルフ場の縁を進んでいくと、大磯丘陵の最高峰鷹取山(219m)の山頂鷹取神社に到着。湘南地区の低山特有の常緑照葉樹の大木がここにも多いです。神社の狛犬と並んで砲弾が置かれていましたが、戦時中はこの山頂に高射砲陣地が置かれ、アメリカ軍機を射撃していたそうです。

 鷹取神社にお参りをした後、神社前の急坂を下り生沢(いくさわ)に下ります。この道は関東ふれあいの道に選定されていますが、飛び出したところは農家の庭先。牛舎の番をしているワンコに散々吠えられ、道端に座って話し込んでいたおばちゃんが突如裏山から出現した不審者に怪訝なまなざしを向けています。こういう場面で愛想笑いをすると更に不審度を増してしまいますが、どうも私は澄まして通過することが出来ません。smile

 この辺りは私が生まれ育った土地ですが、良く通ったプールは取り壊され、畑の中に立派な幼稚園が建っていました。この幼稚園は私が通った月京(がっきょう)幼稚園が移転して、たかとり幼稚園として再スタートしたものです。懐かしい我が家の跡地は整地され、町営アパートの建設予定地となっておりました。庭先に亡き父が植えた桜の木は伐採されておりました。この桜は父が開花時期が違う2種類の桜を1本に接木して、長期に渡ってお花見が楽しめる工夫がされた銘木でした。7年前に新居を建てたときに、どうにかしてこの木を移植出来ないか大磯町や植木屋さんに相談しましたが、大きくなりすぎて不可能でした。家は壊され更地になってもずっと残っていたこの桜を、たまに見に来るのが楽しみでしたが残念です。生まれ育った土地が少し縁遠くなってしまったような寂しい気持ちになりました。think

 

2011年3月19日 (土)

久しぶりの山レポ

 あの大地震から1週間経ちましたね。ついに犠牲者が阪神大震災を上回って、戦後の自然災害では最悪の被害を記録してしまいました。せめて行方不明者が少しでも下方修正されれば良いとは思いますが・・・

 気分を変えて、1週間遅れとなる久しぶりの山レポートをお送りいたします。

 東北関東大地震の翌々日3月13日(日)、「スーパーにお客が殺到している」とあたふたするかみさんを尻目に、危機感のない私は時間を持て余してしまい、身近なところにハイキングしようと、前々から気になっていた表丹沢県民の森に出かけることにしました。

 秦野市の最西部、三廻部(みくるべ)地区から三廻部林道に入り、10分ほど進むと表丹沢県民の森の駐車場に到着します。当日は時間が遅かったからか、地震の影響か、いつも満車になっている駐車場(10台もないですけど)にすんなり駐車できました。

P1000210 県民の森駐車場からの鍋割山稜

 駐車場にある案内板を見ると、この周辺の森林に散策路が縦横に走っていることが表示されていますが、このスギ花粉真っ盛りの時期に杉林を歩く人はめったにいないでしょうね。私たちも迷わずくぬぎ山への直登コースを進みます。案内板には1時間15分と書かれていました。

 駐車場から杉の植林帯に入って九十九折の坂道を進みますが、一斉に杉から熱烈な歓迎を受けることになります。風が吹くと頭上からフワフワ~、足元の落ちている枝を踏んでも下からフワフワ~。くしゃみ5連発やら、じわじわと鼻水が垂れるやら、反応が出始めました。

P1000212 杉、杉、多すぎ~

P1000219 2世誕生!古い切り株から芽を出す杉の幼生です。

 15分ほど登ると大秦野林道に飛び出します。驚くほど奇麗に舗装された林道です。人の目に付きにくいところに多額の血税が垂れ流されております。ペンチが置かれていたので遅い昼食をとることにしました。休憩をしていると外人さんハイカーの一行が後から賑やかに登ってきました。彼らも今回の大地震を日本のどこかで体験したのでしょうか。もしそうならば、遠い異国の地での貴重な経験となったことでしょう。まあそんなことは微塵も感じさせず元気に登っていきました。

P1000214 大秦野林道 P1000216_2 中央の点線が今回のルート

 大秦野林道を渡って急な登山道に入っていきます。林道より上は植林ではなく、落葉樹の明るい樹林を登っていきます。所々荒れてはいるものの、全般的に歩きやすい登山道です。標高を上げるにつれて、だんだん周囲の景観が開けてきました。

P1000217

 林道から急登30分で広々としたくぬぎ山の山頂に飛び出しました。休憩時間を入れても1時間程度で少々拍子抜けです。頂上は、私たちが登ってきた県民の森からの登山道が寄(やどろぎ)から鍋割山に向かう登山コースにぶつかる分岐点でもあります。

P1000221 山頂の見事な赤松 P1000223 左手が寄、右手が鍋割山

それにしても広々しすぎていて、すぐ近くに更に100m高い栗ノ木洞のピークが見えるので山頂らしくありませんが、表尾根や三ノ塔、秦野市外の景色はなかなかのものです。

P1000224 三ノ塔 P1000230 秦野方面の展望

 天然児たちが日向ぼっこしている間に、広々とした山頂のカヤト原を歩き回ります。この日は晴天に恵まれ、日向はとても暖かな陽気でしたが、日当りの悪い木陰には残雪が見られます。カヤト原のあちらこちらに鹿の糞が落ちています。夜な夜なこの辺りに出没しているようです。

P1000225 残雪 P1000229 鹿コロコロ

 30分ほど日向ぼっこを楽しんで下山。県民の森はハイキングコースが多いので、登りとは別コースで下りましたが、ほんの50分で駐車場へ戻りました。ちょっと歩き足らない感じです。

 さて、三廻部林道の入口にたまごの売店が前々から気になっていたので、今回初めて寄ってみることにしました。しかし売店には誰もいません。

P1000238 夕方なので帰ってしまったのかと思っていると・・・

P1000241 !鐘があります。天然児が大喜びで連打。すると・・・

P1000240 いらっしゃいませ~奥から番犬が出現!

 首輪も鎖もないこのワンコ。番犬なら一吠え、一噛みされるかなと構えましたが、さにあらず。私たちの前にチョンと座り「しばらくお待ちください。」という顔をして、なかなかおりこうさんのようです。天然児らは大喜び。

 しばらくして売店のご婦人が出てきたので、いろいろ話を聞いてみると、ニワトリの餌と飼育環境にこだわっているそうです。たまごは1パック600円・・・ちょっと高いかな。たまごプリンは200円。その他ケーキもありました。たまごとプリンをいくつか買いました。プリンは甘みはほどほど、それでいて濃厚で美味しかった。たまごは生をほっかほかごはんにかけていただき、これも最高!happy01

 帰りに寄方面に寄り道してお約束の水汲みをして帰りました。

P1000246_2 P1000245

☆メンツ:天然児、ババ、私(3人)

★コースタイム

13:30県民の森駐車場→13:45大秦野林道(休憩15分)→14:30くぬぎ山山頂(休憩30分)→15:30大秦野林道→16:00県民の森駐車場

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2011年3月17日 (木)

停電情報による混乱

 本日、折からの冷え込みにより、電力が過大供給の見込みとなり、大規模停電の警告が発せられました。更に交通機関に運行の縮減が求められたので、帰宅困難を危ぶんだサラリーマンが一斉に帰宅時間を繰り上げたことにより、都心の交通機関は大変な混雑となってしまいました。

 私も17時前に退社したものの、既に新橋や東京駅はものすごい混雑でした。ここ数日の運転調整により、行き帰り共に座れない状況が続き、花粉症による体調不良もあったので、何本か電車を見送って座ることにしました。車内はものすごい混雑でしたが、鼻たれ読書おじさんを貫きとおしました。traintraintrain

 この混乱は大衆心理の典型的行動パターンですが、もう少し配慮ある情報操作と雇用者側の営業自粛が必要ではないでしょうか。かく申す私は、明日の通勤を自粛させていただきます。甘ったれですが、ここ数日の慌しさと花粉症で少々疲れました。それに週末を前にして何かが起こりそうな胸騒ぎがします。think

 現在、私たちの生活に電気は無くてはならないものですが、家庭電力の歴史はほんの1世紀です。確かにこの1世紀、日常生活及びメディア文化の目覚しい発展向上は電気の恩恵に他ならないと思いますが、逆に電気抜きでは生活が成り立たなくなってしまいました。たまには電気を忘れた100年前生活を回顧してみるのも必要かもしれません。その意味でキャンプは楽しみながら脱電力を体験できるレジャーだと思っています。

 また、電力源についていえば、夢のエネルギーとしてもてはやされた原子力が、我が国の奇跡といわれる戦後復興とその後の経済成長に大きく寄与したことは否めませんが、その影で当初から叫ばれていた核燃料の危険性はいつの間にか忘れ去られていきました。今や日本は唯一の被爆国でありながら、世界でも指折りの原子力依存国になっているのです。そして、そのツケが今回の震災で訪れました。今回の放射能漏れと電力不足は原子力依存体制を見直すよい機会であると思います。ダムの存在を是とは一概に出来ませんが、水力発電は資源の少ない我が国には有効な方式だと思いますし、地熱や太陽光、風力など環境に優しい電源開発が発展していくことが望まれます。用水確保とは別の観点で八ツ場ダムが復活するかもしれませんね。

2011年3月16日 (水)

今度は静岡

 3月15日(火)22時30分頃、静岡県東部富士宮市を中心に大きな地震がありました。

 今日は早めに家路についたのですが、東海道線が停電の影響で40分間隔でしたので、満員電車に揺られて疲れてしまい早めに寝ていたのですが、さすがに飛び起きました。近隣では小田原が震度5で我が家の辺りは震度4とのこと。もう少し大きかったような気もしますが、我が家がボロなのか・・・

 東北関東大地震以来、信越~東海と伝播しています。次は伊豆か?相模湾か?縁起でもありませんね。今後も要注意ですね。

2011年3月15日 (火)

恐るべし震災の影響

 3月14日(月)は計画停電も発表され、首都圏の鉄道の大半が運休となりました。県西部も平行する東海道と小田急が運休となり、臨時休暇となってしまいました。長男の小学校は手弁当で通常通りでしたが、天然児の学校は休校になってしまいました。

 我が家の地域は計画停電の第2区ということで、9時から13時までが停電する予定でしたので、かみさんは停電前に家事をこなそうとフルパワーでしたが、幸い節電の呼びかけが功を奏して、停電はありませんでした。皆さんの危機意識の賜物。こういうところが日本人らしい真面目さですね。我が家も外灯、温便座を消し、室内灯も出来る限り節約しました。ブログも・・・最短時間で更新です!

 かみさんが開店一番で近所の生協に出かけましたが、人が詰めかけ、本人は思いつきで行ったから何を買ってよいものか分からずオロオロしてしまったようです。私は銀行に用があったので、車の使用は自粛し、自転車で出かけました。ついでに街中商店の営業状況を偵察しましたが、通常営業の商店が多いものの、大型スーパーは停電を理由に営業を休止していました。マックも閉まっていましたね。ガソリンスタンドはガソリンが入荷したようで、長蛇の車列ができていました。

 午後は天然児が預り保育に出たので、災害下にも関わらず、暖かな南風に誘われて散歩に出かけました。あてがなかったので同級生がいる地元の神社へ寄ってみました。お茶をご馳走になりながら、折からの大震災について語らいました。彼の神職仲間も大震災に見舞われ、家族が行方不明になっているそうで、心を痛めておりました。大地震の影響の大きさを実感する1日でした。

 目がかゆい、鼻がダラダラ・・・

 

2011年3月14日 (月)

被災地の皆さん頑張って!

 東日本大地震はマグニチュード9.0。死者は万単位に上ることが確実とか・・・天災とはいえ、大変な事態となってしまいました。

 押し寄せる津波の映像には驚くばかりです。家族や知人、住む家を失った人たちのことを想うと胸が痛みます。未だ寒い日が続きますが、被災された皆さんお心を強く、救助にあたる皆さんも含めて頑張ってください!

 昨日街中を移動しましたが、ガソリンが売り切れでガソリンスタンドは軒並み閉店。コンビにやスーパーも食料品や電池など生活用品の品切れが目立ちました。

 計画停電も発表されました。交通機関も運転調整をするようです。土曜日帰宅時の状況を考えると今日は出勤を見合わせようかな。花粉症で具合も悪いし・・・

 ブログの更新頻度も考え物ですね。では。

2011年3月13日 (日)

都心からの脱出

 3月11日(金)の東北地方太平洋沖地震では帰宅不能者となってしまいまして、都内職場で眠れぬ、いや眠れる一夜を明かしましたが、翌12日は7時から東海道線が復旧するというので、6時30分に職場を出て帰宅することにしました。

P1000209 書類が散乱した地震直後の職場

P1000210 首都高が止まり渋滞する溜池交差点付近

 赤坂周辺は人がまばらで、いつもと変わらない週末の朝のようでしたが、新橋駅まで歩くにつれてサラリーマン風の人が集まってきて、ホームの上にも大勢の人が見られました。

 新橋駅に着いたものの電車は全く動いておらず、構内に設置されたビニールシートの上ではごろ寝している人もまだいました。しばらくは動きそうもないので、始発である東京駅に歩いて向かいました。通り抜けて行く銀座の朝も赤坂同様、前日の大揺れが嘘のような静かなものでした。

 7時45分頃東京駅に到着。東海道新幹線のみが通常運転をしていましたが、在来線は相変わらず動きがほとんどない状況で、京浜東北線だけが時折着発していました。東海道線は始発が8時過ぎとのことで、ホームに上がってみると人、人、人・・・まあ当然のこういう状況だとは思いましたが。1本目は到底乗車不可能で、2本目に乗ろうと並びます。が、入線した電車は短い10両編成(通常15両編成)で、13両目に並んでいた私はあきらめて3本目に変更しました。学習能力がないとは私のことで、またもや後方位置に並んでしまい、気づいたときには短い10両編成が入線。30分に1本という運行状況で次の電車を待つ人も大勢いたので、鮨詰め覚悟で3本目の沼津行きに乗車することにしました。

 乗車率200%、300%!?ともいえる様な鮨詰めの状態で9時過ぎに東京を出発。安全確認の30キロ走行ということで、トロトロ時折止まりながらゆっくりと進みます。新橋、品川とホームは満員状況ですが、ドアが開いても人の壁ですから乗車はかないません。

 多摩川を渡る手前で「ブレーキの具合が悪い」とアナウンスがあり緊急停止。余りに時間が長いので、今度は「ブレーキの確認が終わりましたが、具合の悪いお客様がいるのでもう少し停止します。」、挙句の果てには「3両目でドアが開放され、線路にお客様が降りているようなので、もう少しお待ちください。」と次々と悪い知らせが続きます。車内は過密乗車と日光の照射で温度が上がり、アナウンスの度に乗客のため息と舌打が。停車時間が長くなれば、具合の悪くなる人が多くなるのは当然です。川崎駅まで電車を移動させて点検や救護にあたるべきであったと思います。乗務員の判断ミス(?)と乗客のモラルのなさが相まって現場に1時間停車。さすがにまいりました。

 結局9時10分に東京駅を発した電車が二宮駅に着いたのがだいたい11時45分。帰宅は正午になり、平時の3倍の時間がかかりました。歩いたり過密乗車もあって、疲れましたけど被災地の人たちのことを考えればそんなこと言ってられませんからね。無事に帰宅できただけでも良しとしましょう。家族も珍しく私の帰宅を暖かく迎えてくれました。coldsweats01

 しつこいようですが、平行する小田急線が昨夜のうちから終夜運転をしたのに対して、JRの対応の遅さはいかがなものかと思いますね。まあ臨海部を通りますから、津波警報なんかが発令されているとなかなか難しいとは思いますが、大動脈東海道ですから、せめて復旧以降は15分に1本の運行体制、列車の編成は長い15両編成でお願いしたいものです。また、駅では電車の編成をアナウンスしないといけませんよ。皆さん15両編成が当たり前だと思って並んでいますから、直前で言われてホーム上をばらばらと移動して混乱していました。(私もその一人)

2011年3月12日 (土)

観測史上最大の地震!!

 3月11日(金)14時45分頃、宮城県を震源とするマグニチュード8.8という明治以降の観測史上最大という大地震が発生し、その後の余震、大津波と併せて東北、北関東に大被害をもたらしました。

 私は東京・赤坂の職場で執務中だったのですが、折からの揺れに書類は雪崩れうち、飲み物はこぼれ、職場はパニックに陥りました。夜にかけて余震が続き、緩い揺れを感じると「またいつドカンと大きいのがくるのか」という恐怖を絶えず感じるような状況でした。coldsweats02

 自宅及び実家に電話をかけて安否を確認しようとしたものの、なかなか繋がらない状況で、夕方ようやく確認がとれ、まずは一安心。大揺れのとき、長男は学校、天然児は何故かお風呂で大爆笑だったとかcoldsweats01

 東海道線をはじめ、関東一円の交通網が麻痺してしまったので、帰宅不能者の一人として職場に泊まることに。幸い近くの居酒屋は営業をしていたので夕食をとり、ダンボールの上で夜を明かして、未だ余震の続く中、こうしてキーボードを叩いています。ネットやテレビから報じられる東北の被害状況は相当のものらしく、死傷者の多さに心を痛めております。東北にも知人や同僚がいるのですが、皆さんの無事を祈る次第です。

 昔から南関東や東海にいつかは来るであろうと言い聞かせられてきた大地震を、全く想定外の形で体験することになりました。自分自身パニックで、適切な対応は出来ませんでしたが、貴重な経験になったと思います。

 交通状況も徐々に回復してきたようです。どれだけ混雑しているか不安ですが、そろそろ帰宅することにしましょう。最後に安否確認の電話をもらった友人に感謝、感謝です。

2011年3月10日 (木)

松田山の早咲き桜

 3月5日土曜日の伊豆からの帰り道、沼津から東名高速に乗って神奈川に入り、下り坂を大井松田ICに下ってくると左手の山が何やら賑やかである。山の中腹が一面ピンク色になっている。「まつだ桜まつり」の会場である。http://www1.biz.biglobe.ne.jp/~matsuda/2010sakura.htm(松田町観光協会HP)

 松田山の中腹に西平畑公園という公園があり、平成8年に町民の手で植樹された河津桜が今や立派に成長して、毎年ソメイヨシノよりは1月早い3月上旬に満開となる。当然桜には目が無い日本人のことであるから、NHKの朝のニュースに中継されもしたら人が押し寄せることになる。早咲きの河津桜は伊豆の河津町が昔から有名であるが、何せ伊豆は遠い。それに比してここ松田町は東名大井松田ICから近く、小田急線新松田駅は新宿から1時間余りで来れる。これといって名所が無かった松田町としては大きな観光資源となったわけである。まさに桜の恩返しである。

Dsc01607 河川敷駐車場より松田山を仰ぐ。左のやっこは松田町大名行列にちなむ。

 3月6日(日)午後、桜祭りの会場へは松田駅からも徒歩で行ける距離ではありますが、気まぐれマイカーツアーの我が家は河川敷の臨時駐車場に駐車し、富士急行のシャトルバスで西平畑公園の会場に向かいます。バスは途中松田駅に寄り、電車組の客を乗せると満員であります。

Dsc01602 河川敷に待つ富士急行バス。後方の鉄橋は小田急線

 ジグザグと松田山をバスは登り、10分ほどで公園の駐車場に入りました。下車してみると大勢の観光客で賑わっています。桜は満開ですが、部分的に早くも葉桜となっているところも見受けられます。松田山の面白いところは、桜の根元に菜の花が植えられ、こちらも見頃を迎えておりました。

Dsc01589 桜詣での人で賑わう松田山

Dsc01592 ピンクと黄色のコラボです。

 松田山はこの時期は桜で賑わいますが、ハーブガーデンやお山のSLがあり、富士山や箱根山、足柄平野の眺望は最高なので、桜以外の季節も楽しめます。

Dsc01593 足柄平野の眺望。手前東名高速、中景に御殿場線と小田急線。右上は酒匂川

Dsc01595 ハーブガーデン

Dsc01600 苦しいけど富士山

 桜のトンネルを楽しみながら、松田山を下り河川敷に戻ります。

Dsc01597 見頃やね~♪

Dsc01601 お上品な猫やね~♪

Dsc01604 酒匂川河川敷より箱根外輪山を仰ぐ。左から明神ヶ岳、金時山、矢倉岳

2011年3月 8日 (火)

湯のまち修善寺

 風雲文庫を後にして、伊豆スカイライン玄岳ICから天城高原方面に向かいます。

 スカイラインは箱根十国峠から天城高原までの、伊豆半島中央稜線を南北に貫く大展望を楽しみながらのドライブを楽しめる爽快な道路である。玄岳から入って少しすると・・・

Dsc01559 出ました!富士山 Dsc01561 振り返れば箱根

Dsc01562 沼津アルプスの向うに沼津湾。左手半島は大瀬崎。もうすぐムギイカの季節だ♪

 スカイラインを20分ほど走って冷川峠ICを降りて右折し、修善寺方面へ下ります。そろそろお腹も空きました。

Dsc01563 とろろ定食をいただきま~す♪

 修善寺駅を右手に見て狩野川を渡って左折するといよいよ修善寺の温泉場です。修善寺は弘法大師空海が建立した修禅寺と門前に湧出する独鈷の湯を中心とした温泉旅館街で、半島各所で温泉場を有する伊豆半島の中でも、最も温泉場らしい情緒あふれる温泉街です。当日は多くの観光客で賑わっておりました。

 修禅寺は弘法大師空海の建立とされていますが、鎌倉期には鎌倉建長寺を開山した蘭渓道隆が住し、その後室町期の戦災で焼失しましたが、このブログではおなじみ北条早雲が再建し、曹洞宗寺院として再スタートしたそうです。

Dsc01565

 修禅寺門前、桂川河畔に湧出する「独鈷の湯」は、弘法大師空海が川で病んだ父親の体を洗う子供の姿を不憫に思った空海が、独鈷杵という仏具で岩を叩いたところ、湧出したといわれる由縁を持ち、温泉場の中心となっています。当日は温泉街を散策しただけで入浴しませんでしたが、残党さんと天然児は河原の足湯に浸かって気持ちよさそうでした。

Dsc01571 河原の足湯 Dsc01569 足湯に浸かる天然児

 温泉場として有名となったのは明治期以降で、往時は7つの外湯が設けられて明治期の文豪たちに愛された温泉場となりました。現在では独鈷の湯の他、近年復活した筥湯(はこゆ)のみです。河原沿いの温泉街を見ながら竹林の小路を経て、修禅寺と対面に位置する指月殿へ。

Dsc01573 河原の旅館 Dsc01574 竹林小路 Dsc01575 射的場

 指月殿は源頼朝の妻北条政子がその子である源頼家の冥福を祈るために修禅寺に寄進したお堂です。なぜか?頼家は母政子ら北条一門に殺されたからです。頼家は頼朝の後継者として鎌倉幕府の2代将軍になりますが、実際は北条政子の父時政や兄義時に幕政の主導権を握られてしまいました。1203年、将軍独裁を望んだ頼家は妻の父である比企能員を後ろ盾として北条氏排除を画策しましたが、北条氏に先手を打たれて、頼家の後継者である子の一幡と比企能員が殺害されてしまいます。更に頼家自身も修善寺に幽閉され、翌年北条氏の手により先述の筥湯入浴中に暗殺されてしまいました。血生臭い鎌倉初期の政争の一場面です。指月殿脇に頼家の墓がありました。

Dsc01576 釈迦如来 Dsc01577 鎌倉期らしい仏像 Dsc01578 頼家の墓

 指月殿の裏山に「おしゃぶり婆さん」なる何やら怪しげな石像があるとのことで、指示標に従って山を登ります。山道に息を切る残党さんを従えて15分ほど進みますと「おしゃぶり婆さん」に出会えました。この婆さんがなぜ「おしゃぶり」なのか説明が曖昧でしたが、赤ちゃんがくわえる「おしゃぶり」に絡めて子宝・子育ての神様だそうです。婆さんの並びにある石仏は母乳に恵まれるよう「巨乳」なスタイルとなっておりました。民俗的ですなぁ~happy01

Dsc01582 おしゃぶり婆さん Dsc01583 巨乳仏さま(ありがたや~)

 今回は日帰りなので、温泉街に未練を残しつつ帰路につきました。

 今回の散策ルートhttp://www.shuzenji-kankou.com/walkingmap.html(伊豆市観光協会修禅寺支部HP)

2011年3月 7日 (月)

風雲文庫といふところ

 ついに念願の「風雲文庫」の門前に立ちました。それだけで感無量のふたりであります。

 表札?には「洪武」と銘うたれています。「コウブさん?」早速門をくぐりましょう。風雲文庫は熱海の左側、伊豆スカイライン玄岳ICから錦ヶ浦へ降る熱海新道の7合目ほどのところにあり、シンボルタワーである中華風の五重塔は熱海サンビーチ辺りでも見つけることが可能です。山の尾根に設置されているので、広さはないものの、庭園風にアレンジされた庭の小路をジグザグと進みます。道脇の小さな池には蛙の卵が産みつけられ、春の到来を感じさせてくれます。

Dsc01538 春ですねぇ・・・

 小路を進むと立て看板に・・・

Dsc01539 「風雲の歴史に学ぼう!」と。

見学者への心構えでありましょうや、期待は更に高まります。

 シンボルタワーである五重塔の前に大きな梵鐘が立ちはだかります。「嗚呼神州正気之鐘」であります。この鐘は左手の高所にある鐘釣場にあったものが降ろされてここに置かれたようです。「何でかなぁ?」と考えますが、すぐに無駄な疑問に恥じ入ります。ここ伊豆半島は地震の巣であります。近代以降、丹那、駿豆、伊豆半島東方沖などいくつもの震災が記録され、近年でも伊東周辺の群発地震は記憶に新しいところです。この巨大な鐘がここから転げ落ちたら、楠公よろしく千早城、赤坂城の防戦も真っ青の結果になることでしょう。下手すれば熱海城も陥落かな(笑)

Dsc01540 「沈鐘に聞け憂国の歌!」と。

 さて、鐘の前で初老のご婦人が庭の手入れをされています。「こんにちは~見学させてください。」と爽やか青年(うち1名中年)登場。朝っぱらから小結が2人も出現したので、多少驚きを隠せないご婦人に見学料1,050円ずつ支払って、五重塔に案内されます。入り口には「戦時遺品!それは最良の教師である。」との看板が。「よし!その名教師からたっぷりと学んでやろう!」と突き進む我等の後ろから、「館内は撮影禁止でお願いします。」と蜂の一刺し。

Dsc01541 五重塔は灯台なのですね。 Dsc01547 私も同感です!

 螺旋状の階段を上がるとあるわあるわ・・・地方の郷土資料館なんぞ足にも届かないほどの戦時資料が所狭しと並びます。軍装、兵器とその欠片、配給標や軍票、重大事件や大東亜戦争の局面を報じる新聞、戦地からの手紙など書類、三島由紀夫など著名人の書などの他、当時の民具や玩具、広告看板やポスター、鉄道時刻表など多種多彩に並び、普段は戦時ネタを余り語らない残党さんも興奮のるつぼに。その中で、私は紀元2600年記念観艦式(昭和15年に天皇陛下を招いて行われた帝国海軍の軍艦お披露目式)の広告が素敵だと思いました。

 この五重塔は4階までが展示コーナーで、最上階は「夢殿」と銘じられた仏間のような空間になっておりました。ショーケースの中には「乗り切り観音」様が「ハーケンクロイツ(逆卍)」を背負って立たれ、両脇にとんでもなく恐ろしい形相の狛犬?を従えております。何より我々が驚いたのが、観音様の足元に置かれた書籍。「古事記」、「日本書紀」、「神皇正統記」、「大日本史」、「日本外史」、「海国兵談」など日本史でおなじみの書名ばかりです。くたびれ方もなかなかのもので、信憑性がありそうですね。

 さて、「夢殿」から下りて、4階のテラスに出てみますと・・・

Dsc01548 左手 Dsc01552 右手

これはすごい展望!相模湾と錦ヶ浦を正面に左手には遠景に三浦半島~湘南地方、手前に箱根外輪山~真鶴半島、その手前に熱海市街。右手には遠景に伊豆大島~初島、大室山、手前に熱海市多賀~網代を俯瞰できました。足場がやや外側に傾斜していたので、高所恐怖症のふたりは及び腰でグルリ1周。

 五重塔を下りると、資料館「ヒーローの家」に通されました。こちらのテーマは「栄光」であります。ちなみに栄光とは「生きようとする最強で最高の意志を「種の掟」と言ひ、この掟故に斃されるまで斃されるまで戦う一大心意気=鬼気燃尽」であるそうです。地下の展示室に下りると!!先ほどの五重塔以上に貴重な展示品の数々。ナポレオン、ビスマルク、マルクス、ニーチェ、ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン・・・近現代に名高い政治家、思想家所縁の品が展示されています。当に「ヒーローの家」です。特にヒトラー所縁の品は白眉で、彼の著書「マイン・カンプ(我が闘争)」やそれを入力したタイプ、身の回りの品々が展示されています。高速道路アウトバーンの起工式で彼が使用したスコップや東部戦線で使用した仮眠ベットなんて考えただけで気が遠くなりそうですよ・・・

 余りの高次元の空間に踏み込んで戸惑うふたり。これら全て、どれを取っても「偽りの影」が付きまといますが、そんな俗世的な考えは捨て去らなければならないと何度も何度も心に言い聞かせるのが大変でした。満身創痍で地上に上がると、ソ連軍包囲下のベルリンの総統地下壕を脱出した気分になるほどでした。「戦争は終わったんだ!」

 さて、フロントで待っていた先ほどのご婦人に思わず「すばらしい展示の数々です!」と率直な思いを叫んでしまいました。そのような叫びを何十人何百人も聞いてきたであろうご婦人は、いたって穏やかに「普通の博物館ではなかったでしょ。」と。熱海市を一望に俯瞰する窓辺に通され、コーヒーをご馳走になりました。コーヒーを飲みながら、風雲文庫の設立や設立者の話、熱海の春、山を登る桜、夜景など幅広い話題で楽しませていただきました。何より驚いたのは、空気が澄んだ日にスカイツリーや東京タワーがここから展望できることでした。いろいろなところでその存在感を誇るスカイツリー。人類の傲慢の象徴「バベルの塔」にならなければ良いと思いますが・・・何はともあれ、文庫長との対談も達成!

 最後に風雲とは「強大な意志の激突で生ずる種族的あるいは国家的な緊急事態をいう。また大風雲児を英雄と呼ぶ 」と解説されていました。B級スポットと割り切ってやって来たものの、すっかり目から鱗ならぬ風雲の化けの皮が剥がれた偽風雲児ふたり。彼らの行く末や如何に!?

 展示内容の貴重さと大展望で1,050円の入場料は安い!ここはお薦めです!

風雲文庫 熱海市熱海1949 毎週水曜日定休 見学料1,050円

2011年3月 6日 (日)

熱海の異界、あるいは名所とも

 残党さんが遊びに来たので、3月5日(土)かねてより訪れたいと思っていた。熱海の隠れた名所「風雲文庫」に行ってみることになりました。天然児とババがお供です。

 当日は快晴の空の下、西湘バイパスを西へ向かいます。無料化実験の影響でしょうか、結構な通行量です。陽気も良くなってきたのでツーリングライダーも多いですね。先週の寒波で正面の箱根山は白く雪化粧・・・と思っているうちに真っ白な富士山が右手に登場!fuji新幹線の車窓でしか富士山を観たことのない関西人の残党さんは大はしゃぎであります。

 早川口の僅かな渋滞を抜けて、真鶴、湯河原、熱海と順調に進みます。熱海の手前、伊豆山の辺りから早咲きの桜が我々を迎えてくれました。サンビーチ周辺は満開の様相!cherryblossom錦ヶ浦をのぞき、熱海城下から熱海新道の急勾配を伊豆スカイライン方面に上がって行きます。

Dsc01535 勇壮たる天主。でも歴史的価値はなし。

下界の春とは対照的に標高が上がるにつれて道路脇に残雪が見られました。熱海城から仏舎利塔とディープスポットを通過し、こころ高鳴ります。同乗のババはなじみの熱海からは想像外の異界に不安顔。「あんたたち宗教団体に行くの!?」と不安をもらします。

 熱海新道も半ばを過ぎ、左手に別荘地の入口とバス停、そして・・・

Dsc01536

ありました!うっかりすると見落としてしまいそうな「風雲文庫」の看板です。

看板の卍(逆向きは出ません!)マークはお寺ではありません。「ハーケンクロイツ」であります! 看板に従い、別荘地に入るとすぐに鉄の扉が行く手を遮ります。「あれ?今日は閉館かな。ひょっとして終世閉館ではなかろうね!」動揺する一行(うち2名)ですが、ご心配なく。右手脇に通用門のような入り口がありました。駐車場が見当たらないので、鉄扉の前に駐車させてもらいました。天然児は危険?を察知してか、入りたがらないので、熱海新道を上り始めてからドン引きのババと周辺を散歩して待っていてもらうことになりました。

 さて、ついに「風雲文庫」の前に立った風雲児?ふたり。風雲急を告げます!(つづく)

2011年3月 4日 (金)

通勤電車「サーンライト湘南」?

 この時期は三寒四温と言われますが、今週は真冬に逆戻り。朝の通勤電車の車窓から丹沢の山々が見えますが、鍋割山、塔ノ岳、大山と1千mを越す山々は頭に雪を冠ってしまいました。春の山を楽しむのはまだまだ先のようですね。gawk 

 今年もJR春のダイヤ改正が来週末に迫っております。毎日の通勤にはさほど影響するとは思えませんが、改正直後は微妙なずれに気づかず、いつもの時間に出たつもりが・・・「あれ?遅刻しちゃった!」という場面が毎年繰り返されております。coldsweats01近年では我らが東海道線に湘南新宿ラインなる相互乗り入れ線がBESTな時間帯に割り込んで、私にとっては非常にありがたくない存在となっております。

 さて、7時過ぎに地元田舎駅のホームで電車を待ちます。「不惑」が近づく年齢の大半を地元で過ごしてきましたが、不思議と昔なじみの友人、知人には会わないものです。東京まで2時間もかけて通勤している人間はそういない地域ですから、地元通勤組とは時間が合わないのでしょうね。train

 平塚を過ぎると相模川の橋梁を渡ります。相模川の河口辺りが車窓から見えますが、そこには平塚漁港があるのでついつい海が恋しくなります。fish座席の空きはなくなり、藤沢、大船に向かって混雑の度合いが増してきます。藤沢には小田急江ノ島線と江ノ電が接続しており湘南地域でもっとも乗降の激しい駅であります。巨大な観音様が見下ろす大船には横須賀線と京浜東北線、モノレールが接続して、鎌倉や横須賀など三浦半島方面や沿線工場地帯に向かう人が大勢降りるので、混雑は少し解消されます。train

 この大船辺りまでは中学、高校生など学生が多く、他愛のない話題で盛り上がる一方で、爆睡をこくサラリーマン(私かcoldsweats02)の隣で参考書を開く子も。この光景は20年経っても変わらないのですね。(私は20年前も寝ていたな・・・)若人よ。よく遊び、よく学べ!立派な大人になって、その頃にはくたびれきっているであろうこの私を養ってくれ!あくまで他力本願な私であります。学生さんのほか、私服通勤のサラリーマンが多いのも大船辺りまで。

 次の戸塚は同じホームに上り方向の東海道線と横須賀線が並ぶことになります。平行して両線の電車が入ると、ものすごい勢いで人が乗り込んできます。横須賀線に乗って三浦半島から来る人たちが東海道線に乗り移ってくるのです。手前の大船が両線の最初の接続駅ですが、乗り換える人が少ないのはホームを跨がなければならないからです。戸塚では目の前に東海道線が停まっていますからドアTOドア5秒です。最速かつ効率的な手段を求めるのが現代人の姿。私は「急がば回れ」・・・ではなく、急いでいません。戸塚を出ると東海道線の車内は鮨詰め状態となります。train

 そして沿線最大の都市横浜。buildinghotelbuilding京浜東北線、横浜線乗り入れ、横須賀線、京浜急行、相鉄、東急東横線(みなとみらい線)、市営地下鉄と接続も多い!神奈川県西部から乗ってくる人は横浜で降りる人がほとんどです。官庁・オフィス街であるみなとみらい地区、京浜臨海工業地帯などへ通勤する人たちです。横浜は降りる人も多い反面、乗ってくる人は更に多い!乗り切れないのに後から後から乗り込んで来る人をさえぎってドアが閉まってしまいます。なぜなら・・・横浜から東京まで平行する路線の中で東海道線が一番早いからですよ。ここから先は東京へ向かうサラリーマンの独断場です。train

 さて、お寿司は大歓迎ですが、鮨詰めの通勤ラッシュはストレス以外の何ものでもありません。ガタゴトガタゴト・・・ギュウギュウ・・・イライライライラ・・・大人たちが裸になって(モチ外見ではありませんよbleah)本性むき出しでぶつかり合う東海道線の山場でございます。「いたたたた」「降りまーす!降りまーす!降ろしてぇぇぇぇぇ!」「おいカバン引っ込めろよ!」女が叫び、男が怒る。そして何より、電車がカーブやブレーキをかけるときに起こる車内数十人が発する「フッ!ムッ!」という踏ん張りの気。ふと目が覚めると座っている私の足の間にお姉ちゃんが立っていることもlovely(これこそ本当の山場!)夢か幻か・・・これが夢ならば覚めないでくれ~~

 「汽笛一声新橋をはや我が汽車は離れたり、愛宕の山に入りのこる月を旅路の友として」都内に入った証である嫌なメロディーが私の惰眠を妨げます。(鉄道唱歌は好きですけどね)鉄道唱歌の歌詞は鉄道事始めの起点新橋をうたっていますが、品川駅のメロディとなっています。今や新幹線も停車し、東京の西の玄関口に発展した品川ならではですね。「まもなく新橋、新橋です。」あー、もうすぐ職場だ・・・gawk

 最後に。こうして長々と通勤風景を書かせていただきましたが、実際9割9分は湘南田舎駅を出て10分、平塚を出る頃には睡眠に落ちますので、断片的な記憶の中から書かせていただきました。以上、夜の夜行快速「ムーンライトながら」ならぬ、朝の睡眠鈍行「サーンライト湘南」でした。train

2011年3月 3日 (木)

猫間中納言

 さて、前回に続き猫にまつわる話を続けてみましょう。

 平家物語に猫間中納言こと藤原光隆という人が登場します。中納言は官位ですが、なぜ「猫間」と呼ばれたのか?この人は京都洛中、後世に新撰組の屯所が置かれた壬生という場所に住んでいたそうですが、壬生という地名が猫間と呼ばれた時期があったそうです。彼は摂関藤原家の本流ではないにしろ、平安時代末期に「天下一の大天狗」と呼ばれた策謀家後白河院(法皇)の近親として活躍した人です。

 ときは1183年初夏、北陸道で平家軍を打ち破った木曾(源)義仲は、勢いに乗って平家を都落ちさせて入京を果たします。しかし、義仲に率いられた信州、北陸地方の田舎武士たちは、京都の華やかさや豊かさに浮かれて略奪や乱暴狼藉の限りを尽くし、都人を恐怖に陥れました。見かねた後白河法皇が義仲のもとへ交渉役として派遣したのが、猫間中納言こと藤原光隆でした。

 さて、両者対面の場面は、義仲の礼儀知らずな田舎武者の一面と共にユーモア溢れる人物像が描かれています。

 家臣から猫間中納言の来訪を知らされた義仲はangry「なに、猫が人に会おうというのか?」と大笑い。のっけから飛ばします。家臣が慌ててcoldsweats02「いえ、猫ではなく猫間中納言という公卿様です!」と取り繕うと、義仲angry「猫殿のせっかくのおこしであるから飯をお出ししろ。猫は生魚を好むゆえ、生魚ではないが生平茸があるのでそれをお出ししろ。」と饗応接待を命じます。山盛り飯、菜物、平茸汁の膳が出されると、猫間中納言は京都の貴人ですから、配膳の見た目の悪さにcat「今は腹が満たされておりますゆえ。」と辞退します。そこは頓着しない義仲angry「これは木曾田舎流の精進料理ですから遠慮せずに。」としつこく勧めるので、catさすがに悪く思ったのか、中納言は箸をつける仕草をします。それに気付いた義仲は爆笑してangry「猫殿は小食でいらっしゃる。猫は猫らしく食い散らかすものじゃ。さあ食った!食った!」とはやし立てたので、cat猫間中納言はすっかり交渉をあきらめて逃げ帰ってしまったということです。

 平家物語で語られる源平合戦の血生臭い時代にあって、木曾義仲の田舎者振りと京の高潔な作法を食ったようなユーモアが面白いですね。

 しかしこの後、木曾義仲は後白河院を恐喝するような形で征夷大将軍を拝命し、「旭将軍」と世に知られましたが、そこは「天下一の大天狗」後白河院、やられっぱなしではありません。院は水面下で義仲の排除を画策し、鎌倉の源頼朝に義仲追討の院宣を下したので、頼朝は義仲討伐のため弟範頼、義経を大将とした大軍を京都に派遣します。義仲入京の翌年1184年1月宇治川で両軍は激突し、衆寡敵せず義仲軍は敗退。敗走した義仲主従は近江国(滋賀県)粟津で捕捉撃滅され、義仲は戦死します。享年31歳の若さでした。

 最後に蛇足です。猫間中納言こと、藤原光隆の子供に「小倉百人一首」第98番の歌人従二位家隆がいます。季節外れの和歌で今回は終了。

「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」

(楢の葉が風そよぐ夕暮れ、川でみそぎ(禊)をする光景はいまだ夏である証拠だ。)

2011年3月 2日 (水)

暁に祈る

 前回は猫の話題でしたので、猫にまつわるお話をもうひとつ。

 今やこのブログではおなじみ我が家の天然児。彼は学齢に達しているのですが、いまだに夜鳴きを繰り返しています。think特に夜が長い冬場に夜鳴きが多く、布団がめくれて寒いのか、お腹でも痛いのか、夢の中で私が出てきたのか、放水してしまったのか・・・その原因たるや不明であります。

 moon3さて、天然児が夜鳴きをすると、大音響でこっちは寝不足になって迷惑な話なのですが、何度も聞いているうちに不思議な現象が起こっていることに気づきました。「ワ~~~ン、ウォ~~~~~~~」と天然児が泣くと、しばらくして外から「アーオ、アーオ、アーオ・・・」と猫の泣き声が返ってくるのです。共鳴し合っているんですよ。何となく犬の波長のような気もしますが、隣家の犬は無反応で、返ってくるのは必ず猫なんです。そして猫の鳴き声が聞こえ始めると天然児は泣き止むんです。我が家の近所には飼い猫、野良猫が結構いて、我が家の猫の額ほどの庭もオシッコ臭かったり、ゴミ箱が狙われたりと、猫が自由に出入りしている痕跡があります。今夜も天然児の泣き声につられて猫たちがやってくるのでしょうか?草木も眠る丑三つ時に密かに営まれる人間と猫のコミュニケーションです。cat信じる信じないはあなたしだい!

 彼らが寝静まる頃、東の空は白み始めます。暁の空に私は祈ります。天然児が楽しく幸せに生きていけますよう・・・confident

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