山行 大野山山開き その2
4月29日(金)11時大野山山開きのイベントがスタートした。我々は牛乳の無料配布の長蛇の列に並んでいる。まず山頂にある祠に設けられた祭壇で神職が祝詞をあげ、シーズンの安全を祈願する。厳かな雰囲気は当に山岳信仰の時代を彷彿させていて、思わず姿勢を正している。その後大野山がある山北町の重職(町長かな?少なくとも観光協会の会長)が挨拶をされたが、何せこの日は南風が強くてよく聞き取れない。この頃までに牛乳をもらい、日当りの良い場所に陣取って少し早い昼食をとった。牧歌的な景色が最高のおかずである。周囲は中高年ハイカーのグループが多いものの、車で食料をあげたのか、山上宴会モードのかなり賑やかなグループもいる。
式典が終わるといよいよ山上コンサートが始まった。西向きの高所に音響機器が設けられ、バックには富士山が・・・という場面設定だが、この日は雲上がり富士山は姿を現さない。この中に富士山の女神を嫉妬させるほどの美女がいたに違いない。
最初は大井町女性グループによるコーラスである。1曲目「翼をください」は実にこの情景にマッチしている。この鈍重な私でも背後に見える山々や丹沢湖の谷の上を飛び回りたくなっている。2曲目「時には昔の話を」はジブリ映画「紅の豚」のエンディングテーマ。「飛べねー豚はただの豚だ・・・」こっちの方が私にぴったりかも(汗)3曲目は唱歌「ふるさと」これについてはもはや語るまでもない。
コーラスに続いて南米の民族音楽フォルクローレ楽団による演奏。1曲目は先ほどのコーラス隊とのコラボで「花祭り」。ケーナの音がこれまた山々に渡るようでアンデス観光にでも来たような気分になる。2曲目に舞踊家の女性とのコラボがあり、その神秘的な動作に天然児は何故か馬鹿受けである。笑いすぎて過呼吸になっていた。
コンサート半ばの12時30分に下山開始。下山は西側の斜面を下り、JR御殿場線の谷峨(やが)駅を目指す。牧草地にジグザグとつけられた道をくだって行く。正面に箱根外輪山の姿が雄大である。この大野山と外輪山の間にある狭隘なところを東名高速、国道246号、JR御殿場線が通っている。昔は交通の難所であった箱根の迂回路である。
牧草地から樹林帯に入り、ジグザグと高度を下げていく。順調なペースで13時53分の上り電車に間にあいそうである。が、ここで落とし穴が・・・天然児がウ○チをもよおしたので、木陰で雉射ちとなったが、いざ座らせると出ないという。いいよと促しても出ないという・・・こだまでしょうか?いえ、天然児です。仕方なくまた歩き出すと再びトイレサインを出す。雉射ちの青天井を嫌っているのかと思い、少し上にあった公衆トイレに座らせると素直なお腹になった。ちなみにこのトイレは環境に配慮されたバイオトイレであった。
雉射ちのロスタイムで大幅に時間を食い、先を急ぐも下界に見える谷峨駅に御殿場線が入線しているのが遠望された。タイムアウト!嵐というジャニーズ系の集落を抜け、酒匂川にかかる大きな橋を渡ると谷峨駅に到着した。この山間の小さな無人駅に、大勢のハイカーが押し寄せてくる。昼中は1時間に1本のダイヤであり、駅舎周辺、ホームはたちまち人で溢れていた。
やがてガタゴトとたった2両の御殿場線が入線。もともと立ち客もいる混み具合に100人以上のハイカーが詰め込まれる。リュックのスペースを考えると150人か。休日の満員電車は3つ先の松田駅まで続いたが、ここで交差する小田急線の利用客が多く、乗客の8割方が流れていった。いやはや、大野山ではさほど疲れなかったが、最後は人疲れしてしまった。
メンツ:天然児、ババ、私
コースタイム:5時間(昼食、休憩、ロスタイム2時間含む)
大野山登山口9:05→共和小学校9:25(休憩)9:35→牧場下10:25→イヌクビリ10:45→大野山山頂10:55(昼食)12:25→(雉射ち20分)→14:05谷峨駅
« 山行 大野山山開き その1 | トップページ | 山行 明星みはらしコース »
「登山、ハイキング」カテゴリの記事
- 山行 大天井岳山頂に遊ぶ 表銀座縦走その3(2018.08.05)
- 山行 雷鳥が散歩するガスの燕岳 表銀座縦走その2(2018.08.04)
- 山行 台風追撃!まだ雨の降る信濃路へ 表銀座縦走その1(2018.08.02)
- 山行 花の散歩道を歩いて雲の上へ 金時山(2018.07.27)
- 山行 堅く守られた山のお宝アヤメ平 櫛形山その3(2018.07.20)
こんにちは。
この辺にも名物というか、きんたろう牛乳なんていう
ものがあるんですね。
近くの事って本当に知らないでいるなあと思いました。
谷峨駅、良いですね!
御殿場線の駅はどこか風情があります。
そして、本数が少ないですから混みますよね笑。
半年ほど前、御殿場線で沼津に行きましたが
とても良かったです。
知られていないと思いますが
松田、山北の辺りも探せば
古戦場などがあるはずですよね。
投稿: 江ブログ | 2011年5月 2日 (月) 17時04分
梅の里下曽我、ひょうたんの駅上大井、かつての鉄道の町山北、御殿場から裾野辺りの富士山など沿線風景もさることながら、かつての東海道線という大動脈時代の名残を各所で見ることができるマニアックな線でもあります。
古戦場ですか・・・山北駅近くに河村城跡があり、ここは中世の戦火に何度も見舞われています。南北朝時代に城主河村氏は南朝方に属し、新田、脇屋といった南朝主力を迎えて、北朝方畠山氏と戦っています。永享の乱では足利持氏方に攻められています。
それ以外に駿河小山駅の近くに竹之下古戦場があります。竹之下の戦いは鎌倉で後醍醐天皇に反旗をひるがえした足利尊氏を討伐するため派遣された新田義貞軍を足利軍が迎え撃ち破った古戦場です。
南北朝時代の古戦場が多いですが、駿東郡は武田と北条、今川がしばしば衝突した地でもあります。
投稿: 山笑 | 2011年5月 2日 (月) 20時37分