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2011年9月

2011年9月30日 (金)

台風通過後の南房総にて

 台風15号通過後の9月22日(木)。落ち葉拾いに追われていた午前中から一転して、夕方鴨川市江見の港にやってきた。陽気は秋風の涼しさが感じられ、港周辺の岩礁帯は白く波が砕け、台風通過後のうねりが残っているようだった。明朝までには納まってくれることを祈りつつ、船宿へ投宿した。

110922_183800 旨いものがあると旨い酒が飲みたくなる。

 JR内房線江見駅前の静かな商店街の一角にある船宿は、素泊まりができるものの食事がとれないので、裏手にある居酒屋に出かけた。地魚のお造りやカイワリの煮魚などを肴に焼酎を飲み、仲間3人と釣りの話や職場の話で盛り上がり、翌朝の釣行を気遣っていつもより早めに就寝した。勿論、イビキ対策は万全である。涼しい風に乗って波の音が寄せていた。

110923_120125 江見港に停泊する新栄丸

 9月23日(金)4時30分に起床。当日参加組が宿の下に来ていて、順次受付・会計を済ませて港に移動した。この日の乗船客は8人。うち7人が外道会のメンバーである。乗合のお客さんが1人来ていたが、右舷のみよし(船首)に座ってもらい、私はその隣に座した。慌しく準備を済ませて5時に出船となる。船頭から事細かに手返しやポイントについて説明されるうち、港外10分で最初のポイントに到着。

110923_070229 港から10分で最初のポイント

 朝一はマダイを狙うとのこと。3号5mの長ハリス2本針の仕掛けにオキアミをつける。船頭からの指示ダナはハリス(5m)+2mを取り、マダイ釣りらしいシャクリは入れずにリールのドラグを緩めて置き竿にするとのこと。20秒経って当たりがなければコマセを入れ替える。この繰り返しとなるが、当たりは一向になし。しばらくしてメンバーの中でアジやイナダが顔を出したが、最初の1時間余りはマダイの反応がなかった。

 「おかしいなぁ・・・反応は出ているんだけど食わないなぁ。」船頭がイライラしながら小まめにポイントを変更したが、やはりダメなのでイサギ狙いに変更となった。鴨川方面に10分ほど東進した水深25mほどのポイントで、イサギは高根の上に群れているので水面からタナ取りをするよう指示が出た。水面から20mから仕掛の長さ3m分の幅で、これまた置き竿で構わないとのこと。仕掛はハリス1.5号と細く、カラー空針の3本針である。餌は細かく切ったバイオベイトを付けるか空針でもOKとのこと。

 しばらくするとコマセが効いたらしく、ギュンと竿が絞り込まれる。慎重に巻き上げると縞模様が残る25cmほどのイサギが水面に躍った。釣れ始めると数を伸ばすために手返しが重要となる。イサギは根に群れているので、船が潮に流されて根の上を通過するときが勝負なのである。根を過ぎてしまうと当たりが遠退くので、船頭は船を回頭して元の位置に戻るので、繰り返しの釣りとなる。慣れてくると欲が出て、最初の当たりがあっても仕掛を巻き上げない。他の針にも追い食いを待つのである。3本針に3尾かかることもあり、イサギは入れ食いとなった。釣れるイサギの大きさは、15cmの縞模様が色濃い「ウリンボ」と呼ばれる小イサギから35cmの真っ黒いジャンボサイズまで様々である。船頭からは20cmに達しない「ウリンボ」はリリースするよう指示が出る。「大きくなって戻ってまた会おう。」という訳だが、そんな釣り人のロマンチシズムもイサギにとっては二度と御免被りたい話であろう。

110923_070239 イサギポイントへ移動 110923_103912 タイやイサギが舞い踊り・・・

 数時間に渡ってイサギは好調に釣れ続き、生簀バケツはイサギで真っ黒になってきた。間もなく制限定量の50尾に達するのではなかろうか。しかし、船頭がラストの1時間余りをマダイ釣りに変更した。ここで数人がグラム級の小型のタイとハナダイを釣り上げ、時折大き目のイナダが顔を出した。水面を大きなシイラが遊弋して、我々の釣果を狙っているようであった。結局大鯛の顔は見れず仕舞いで11時過ぎの納竿を向かえた。

110923_175141 クーラーは満タン 110923_183504 五目も達成!

 私の釣果はイサギ35、マダイ1、イナダ1、ウマヅラハギ1、マアジ1、小さな黒ムツ1とまずまずの釣果でリリースしたウリンボを含めれば定量50尾以上に達していた。船頭が途中でマダイ狙いに変更せずにイサギ1本で通してくれたら良型で定量に達していたことであろう。とはいえ、欲を出しても仕方ないこと。充分に釣らせてもらったし、船頭のやや小うるさい指示が煩わしく感じられたものの、熱意あふれる指導をもらったから良しとしよう。

2011年9月29日 (木)

スロー派の楽園 アンディランド

 伊豆河津町から国道135号線を下田・白浜方面に5分ほど走ったところに、今回の旅の目的地とも言うべきアンディランドがあります。ここは日本で唯一のカメの水族館であります。6月に我が家の一員となったクロパトキン(ロシアリクガメ)は、部屋の中を歩き回って体が納まる丁度良い空間を見つけるとお昼寝をするマイペース振りですが、世話役となったかみさんはカメの本を読んで食事を研究するハマり具合。本の中で紹介されていたアンディーランドに行ってみたいとなったわけです。

http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-edb9.html

P1000774 縁起ものやねぇ・・・

 ここには世界中から集められたカメたちが飼育・展示されています。誰でも聞いたことがあるガラパゴスゾウガメ、スッポン、ワニガメ、ミドリガメ(ミシシッピアカミミガメ)、クサガメから珍種までこれでもかというくらい多種多彩なカメが集まっています。「カメなんてどれも同じ。動きがとろくてすぐ飽きちゃう。」と思われるかもしれませんが、どれも個性があって不思議と飽きませんね。

P1000797 ヘビクビガメ(その名のとおりの容姿)

P1000788 ワニガメ(水底にじっとしてる姿が、ちょっと怖いですね。)

P1000802 緑の池にミドリガメがわんさか!

P1000790 天然児はガメラのポスターの新幹線にご執心。

 さて、アンディランドはカメの展示以外にも楽しめる企画があります。

①ゾウガメの背中に乗って記念撮影(但し体重30㎏未満のお子様)

ゾウガメの飼育小屋に入れてもらうと、ガラパゴスゾウガメ、アルダブラゾウガメ、ケヅメリクガメなどの大型リクガメがわんさと出迎えてくれて圧巻です。天然児はかなりビビッていましたが、何とかパチリ!

P1000823 どれもBIGなヤツらです。

②リクガメに餌付けコーナー

基本的に草食なリクガメに野菜スティックをあげるのですが、どいつも食欲旺盛で、人を見ると近づいてきてパクパクムシャムシャ見ていて癒されます。

P1000811 ヘルシーな食生活 P1000809 とりあえず口にはいるものはパクリ

③白熱のカメレース

10匹のクサカメが山あり谷ありの障害物レースをします。観客は「これだ!」というカメを選んで1枚100円のカメ券を購入。見事当たると景品がもらえます。我が家はかみさんが出走待ちのカメに目を利かせて3、6、7番のカメ券を購入します。さてどうなりますか・・・

全カメ一斉にスタートをきりました!まずは3番が猛烈な直進を見せます。このまま3番の独走と思いきや、中盤の谷に差し掛かると何故か3番、大きく左にそれてほぼ真横に向かってしまいました。最初に谷から這い上がって終盤の山を迂回したのは5番です。これは5番で決まるか・・・と、思いきや、7番がカメながらありえないラストスパートを見せ見事ゴール!会場は歓喜と溜息で大いに盛り上がりました。我が家も見事景品であるカメのぬいぐるみをGET!

 かみさんと長男はお土産のカメグッツを買い込んで上機嫌。遅い夏の楽しい思い出になったようです。

P1000829 みんなおいでよアンディランドhttp://www.izuandyland.com/

2011年9月27日 (火)

伊豆に湿原!? 細野高原散策

 稲取の裏山にあたる三筋山(812m)は山頂付近に芝が広がる気持ちのよい姿をしています。この芝高原は細野高原と呼ばれ、パラグライダーのポイントとして愛好家には知られた場所のようですが、一般的には余り有名ではありません。しかし、細野高原は秋になるとススキ野原が覆い、また伊豆唯一ともいえる湿原が存在しているのです。「伊豆に湿原なんてあるの!?」と首を傾げる人も多いと思いますが、私も数年前に偶然ネットで発見して驚きました。今回稲取を訪れた機会に訪れることにしました。

 稲取漁港から国道135号線を挟んで山側へ急な坂道が続きます。集落を抜け、みかん畑やゴルフ場を通過する幅の狭い車道を15分ほど登ってくると、突然、三筋山の芝高原が広がります。高原の入口にはパラグライダーのスクールがあり、晴天に恵まれたこの日も多くの愛好家が訪れていました。海も見下ろせるし、最高のロケーションです。いつもの山歩き三人組ならこの辺りに駐車して高原をぐるりひと回りするところですが、今回は他にもメンバー同伴だったので、山頂近くまで延びる車道を更に進みます。

P1000748 コロコロ鹿の糞 P1000756 美しいものは汚いものを好む?

 細野高原には中山1号、2号湿原と桃野湿原、芝原湿原など、小規模の湿原が数箇所点在しているようです。我々一行は山頂近くの桃野湿原の駐車場まで車を進めました。駐車場には鹿の糞が転がっていて、夜は多くの鹿が高原を歩き回りお月見しながら草を食んでいるのでしょう。この糞目当てに艶やかなフンコロガシがウロウロしていました。

P1000755 三筋山に広がる細野高原

 駐車場からやや下り加減の草が刈られた散策路をあるきます。振り返るとススキの穂をバックに三筋山が立っています。高原の湿地は、いかにもマムシなど蛇が好みそうな環境です。子供たちは沢山生息する大きなバッタに夢中で、散策路をそれて草原に近づきますが、マムシに注意するよう促してもお構いなしです。高台でラジコン飛行機を飛ばしている人たちからもマムシに気をつけるよう注意喚起が飛んできました。

P1000751 天城山 P1000762 桃野湿原 P1000765 逆さ三筋です。

 駐車場から15分ほど歩くと、北側にそびえる天城山を背景に小規模の湿原が点在していました。湿原の周囲には小さな花をつけた可愛らしい植物が見られ、大小いろいろなトンボが飛び回っています。小さな流れには沢蟹も生息していました。生命の源となっているのですね。マムシに注意しながら散策路をぐるりと一周40分ほどでした。

 伊豆という一大観光地の中に、これほど静かな高原が存在していることに驚きましたが、訪れてみて更なる感動を得ることができました。今度は時間をかけて高原を一周歩いてみたいと思います。

2011年9月26日 (月)

伊豆稲取港の風景

 東伊豆海岸のやや南に稲取という小さな半島があります。周辺の熱川や河津同様に温泉地としてホテルや保養所が集まる地区ですが、稲取漁港は日本有数の金目鯛の水揚げを誇り、今や伊豆の海産物販売店で最も有名となっている徳蔵丸水産も、この稲取港が発祥の地です。

P1000736 松を大事にする地域住民の心ですね。

P1000735 その昔は江戸城築城の石を船積みしていました。

P1000737 朝っぱらからなにいちゃついてんだよ。

 9月18日(日)、朝風呂から出た後、涼みがてらに稲取港周辺を散策してみました。堤防には朝早くから釣り人が糸を垂れて、カサゴなどが釣れているようでした。港内の朝市会場は地元住民、観光客を問わず賑わっていましたが、会場横に川の流れ込みがあって、ダツやメッキの群れが寄っていました。ちなみにダツという魚は、サヨリや秋刀魚のように細長い魚体ですが、体長は1mに達し、大きな口ばしで小魚を捕食する獰猛な性質です。また、光るものに突進する習性があり、ダイバーが突き刺されて死傷する事故が報告されています。メッキは黒潮に乗って伊豆や房総半島をはじめとする太平洋沿岸に到来する20~30cmほどのギンガメアジの幼魚です。この魚も小魚を捕食するフィッシュイーターなので、ゲームフィッシングのターゲットとなっていますが、冬になると水温の低下により全滅してしまう死滅回遊魚の一種です。

P1000734_2 稲取港の朝 P1000744_2 ダツの群れ

 稲取港を見下ろす半島先端の高台にある稲取灯台に向かいます。灯台に通じる散策路は深い広葉樹林に覆われ、可愛らしいタイワンリスが枝を渡る姿が見られました。灯台横の展望台からは、正面に伊豆大島が大きく、その右手に利島、新島、式根島が並び、遠く神津島もかすかに見ることができました。振り返ると天城山から延びる三筋山の芝がとてもまぶしく見えました。

P1000723 稲取灯台 P1000733 伊豆大島

P1000724 左から利島、鵜渡根島、新島 P1000728 三筋山

 灯台の近くにあるどんつく神社寄ってみました。社殿の中には男根を模った神輿が設置されていました。当に珍宝ですね。毎年6月第1週目の火、水に奇祭どんつく祭りが開催され、稲取地区の人々が「子孫繁栄、夫婦和合、無病息災」を祈念して、この神輿を担いで練り歩きますが、何といっても女性が担ぐ姿は一見の価値ありですね。ほんと、民俗って面白い!私も一度は見てみたい祭事であります。(家族旅行ではアウツですがね(笑い))

P1000730 どんつく神社 P1000731 民俗だなぁ~

 自然も民族文化も食べ物もそろった稲取に皆さんも機会があれば訪れてみてください。

2011年9月25日 (日)

台風到来

 南国沖縄付近で遊んでいた台風15号が南西から北東へ日本列島を縦断してきました。9月21日(水)13時頃に浜松に上陸して、時速50kmの高速で東進中との報により、早めの15時に退社して東京駅に向かいましたが、東海道線を始めJR線各線は軒並み運転取り止め。神奈川県西部に通じるもうひとつの活路、小田急線も海老名以西は運転取り止めということで、帰宅難民の1人になってしまいました。

 東京駅の新幹線改札周辺で、途方にくれる旅行者に混じって缶チューハイを空けながら運転の再開を待ちましたが一向に動く気配はありません。構内放送では旅行の取り止めを促す放送が流れていましたが、取り止めたところで前にも後にも動きが取れません。

 17時、仕方なく一緒に飲んでいた友人の宿舎に一時ご厄介になることになり、大手町から都営三田線で高島平に向かいます。しかし・・・三田線が地上部に出る直前の本蓮沼という駅で電車がストップ。風速が25mに達したので運転を取り止めるそうです。「こうなったら東京へ戻って電車を待つしかない!」と息巻くも、友人になだめられて地上でバスを待つことになりました。バス停は帰宅しようとする人で行列ができています。高島平方面のバスは10分間隔ですが、到着するバスは何れもすし詰め状態で、降車する人が2、3人なので同数しか乗ることができません。中では1人も乗せることなく通過するバスもある始末。ようやく6本目くらいのバスに乗り、17号線を高島平に向かいました。

 友人の新婚の奥さん(前回高尾山で奮戦した。)は、突然転がり込んだお邪魔虫を歓迎してくれて、手料理で歓待してくれました。寝床まで用意してくれてたので、最悪、電車が復旧しなくても安息の場が確保されたことに安堵しました。しかし、今回の台風は速度が速く、友人の家に到着した頃には雨は止み、風も収まり始めていました。

 22時前に東海道線が運転再開をしたというので、友人夫婦は遅い時間なので泊まっていくことを勧めてくれましたが、友人宅を辞して東京駅に向かいました。23時前に東京駅に行ってみると、14時の電車が未だ表示されているので、嫌な予感がしたのですが案の定、線路上障害物の影響による遅延と上り電車の不着により下り電車は大混雑。23時30分、3月11日の大震災の翌日同様のすし詰め電車に乗って出発しました。幸い横浜で座ることができましたが、帰宅は1時30分。翌日休みなのが幸いでした。

110921_225206 23時になろうとしているのに・・・

 翌朝、家の周りを見てびっくり!山から飛んできた木の葉が路上や庭を埋め尽くし、マイカーなどは軍用車さながらの迷彩色に彩られていました。午前中は落ち葉掻きと洗車に負われる羽目になりました。

山行 お疲れ様ビールで乾杯! 高尾山その3

 富士見台から南東に延びる尾根は緩やかな下り坂が長く続いていました。小ピークを越えると藪が深くなり、友人夫婦は「探検隊みたいや!」とやや興奮気味。下るにつれて車の走行音が近くなり、30分ほどで中央高速と圏央道が接続する八王子ジャンクションの脇に出ました。中央高速を挟んで南側の高尾山北面には、圏央道高尾山トンネルが工事中で、山腹にポッカリと穴があけられています。あれだけ反対運動が世論になっても、諫早湾や長良川河口堰のように国策は推進されてしまうものなのです。私が春の到来を楽しむ秦野の里山風景も、高尾山同様に高速道路に蹂躙されてしまうのかという虚しさを感じずにはいられません。

P1000696 高尾山トンネル工事現場

 ジャンクションから中央道沿いに東へ大きく迂回させられて、JR中央線の踏切を渡ると街道沿いの集落にでました。この辺りは小仏の関所があった辺りです。水が豊富なようで、街道沿いに清水が湧水していました。高尾山トンネルに通じる圏央道の巨大なアーチを見上げながら、蛇滝口から小仏川を渡って高尾山に取り付きます。

P1000698 自動車時代ですなぁ・・・ P1000700 枯渇せねばよいですが・・・

 沢沿いにやや急な車道を上がっていくと蛇滝の水行場があり、そこから左手にジグザグと九十九折の登山道を登ります。この辺りまで来ると友人夫婦はかなり疲れていて、休み休み登っていきます。

P1000703 爽やかな道 P1000706 蛇滝の水行場

 実はこの日、我々とはケーブルカーで来る別働隊と高尾山山頂駅で待ち合わせて、夏季季節営業の高尾山ビアマウントで飲み食いすることが決まっていて、14時に山頂駅に待ち合わせています。定刻より20分ほど遅れて山頂駅に到着。山頂へ向かう参道は多くの人で賑わっています。学生の町八王子が近いせいか、若者グループが結構多いのですが、聞くと日本語でない言語で会話している人が多いことに気付きました。高尾山はミシュランの☆☆☆観光地に指定されているので、道理で外国人が多い訳ですね。

P1000710 山頂駅とビアマウント P1000713 高尾山にはカールがよく似合う?

 ビアマウントは平日15時30分からの営業のようで、少し待ち時間が生じてしまい、駅周辺をブラブラすることになりました。北面の展望台からは、今日歩いた北高尾山稜がよく見えて、その向こうには遠く奥多摩三山の大岳山、御前山が見えています。南東の展望台からは多摩丘陵が広がり、新宿や横浜の高層ビルが眺望できました。

P1000709 北高尾山稜 P1000712 遠く大岳山(右)と御前山(左)

P1000708 多摩丘陵

 山頂駅のすぐ横にあるビアマウントの開場時間が近づくと、学生グループやスーツ姿の会社員グループが集まってきました。受付には行列ができていて、どうやら皆考えることは同じで、眺望のよい席をダッシュで確保しようとしているようです。15時30分開場。男性3,300円、女性3,000円で2時間飲み放題食べ放題です。我々も南東面の良い席を確保することが出来ました。いよいよ山盛りの食べ物とビールで乾杯です!沢山汗をかいたのでビールが最高!ゴクゴク、ムシャムシャ・・・カロリー摂取量はハイキングで消費した量を大きく凌駕したことでしょう。

P1000716 結構怖いケーブルカー P1000718 清滝駅

 夕闇迫る高尾山をケーブルカーで下りましたが、勾配がきつくて座席から前につんのめりそうになるほどでした。スリル感は大山のケーブルカーの比ではありません。山麓の清滝駅に下り、京王線高尾山口駅まで少し歩いて、めいめいほろ酔い加減で帰宅の途につきました。

☆メンツ:友人、友人の奥さん、自分

★コースタイム:3時間40分(休憩時間含む)

八王子城管理事務所10:40→11:10本丸(深沢山・昼食)11:25→11:50天守閣跡→12:20富士見台(休憩)12:30→13:20街道集落の水場13:30→13:45蛇滝→14:20ケーブルカー山頂駅

Photo

2011年9月23日 (金)

山行 ああ壮烈八王子城 北高尾山稜その2

 八王子城の御主殿を見学後、本丸のある深沢山、天守閣跡を経て北高尾山稜を富士見台まで登ります。管理事務所の裏手に鳥居があり、尾根に沿って階段の付けられた登山道に入ります。歩き易い道を40分ほどで本丸に至りますが、所々、金子曲輪のような尾根を平たくした砦跡が見られました。

 深沢山の山頂周辺には本丸、松木曲輪(二の丸)、小宮曲輪(三の丸)など防御施設が集中しています。八王子城の守将である横地監物が本丸、中山勘解由が二の丸、狩野一庵が三の丸にそれぞれ籠っていました。ちなみに八王子城代の横地監物は伊豆の豪族で北条家の老臣、中山勘解由は滝山城代で槍の名手、狩野一庵は元小田原評定衆筆頭と何れも北条家で重きを成す家臣でした。彼らの他にも武蔵守護代滝山城主大石氏(氏照夫人の実家)の家臣や八王子周辺の支城から援兵が詰めていました。八王子落城時、多くの兵が逃亡してしまいましたが、これら守将らは北条家譜代、武蔵衆何れも攻撃軍の降伏勧告を拒んで戦死しました。この主家に対する忠誠心は、武士道を感じると共に、北条家の領国経営が根付いていた証拠であると思います。

 それにしても、名城である八王子城は何故1日で落城してしまったのでしょうか?説として、豊臣軍来攻時に霧が深く立ち込め、豊臣軍が城下に浸透する状況が把握できなかったとも、八王子城築城時の設計担当者が豊臣軍に降伏していて、城の縄張を知られてしまったともいわれています。

 山頂には八王子神社が祀られています。平安時代、華厳菩薩と呼ばれた人が深沢山で修行中、牛頭天王と8人の王子が出現したといわれ、この由縁を知った北条氏照が城を八王子城と命名し、八王子の地名になったといわれています。

P1000680 スカイツリーわかりますか?

 山頂東南部は木が払われて多摩丘陵の眺望が素晴らしく、遠く新宿の高層ビル群やスカイツリーも見えていました。ここで友人の奥さんが作ってきてくれたおにぎりをいただきます。炊き込みご飯のおにぎりは秋らしく、風景がおかずになって最高の味でした。

P1000684 石垣は今も残ります。 P1000685 天守閣跡

 山頂からは尾根からそれて、山腹をしばらくトラバースすると天守閣跡への急登になりました。友人の奥さんはクロックスサンダル履きという山を侮ったスタイルですが、なかなか体力があるらしく後に続いてきますが、友人の方は早くもバテ気味です。天守閣跡は庭付き一戸建てが1件建つほどの狭いスペースでした。天守閣といっても戦国期の山城ですから松本城や小田原城のような天守閣ではなく、物見櫓程度の掘立小屋だったのでしょうね。それでも石垣の名残が残っています。このような山上に石を運び上げた先人の苦労と真面目さが偲ばれます。

P1000686 天守閣下の空堀 P1000691 富士は見えず・・・

 天守閣から空堀を越えると急な尾根道に戻り、富士見台という分岐点に到達しました。ベンチが置かれ、富士山の方角は樹木が払われていましたが、この日は雲が多く、富士山の展望は得られませんでした。ここで一休み。友人は高校時代以来という山登りですっかり疲れ果てていました。北高尾山稜はここから更に西へ陣馬山まで延びていますが、我々は分岐する南側の尾根を下り八王子ジャンクション付近を通過し、高尾山蛇滝口からケーブルカーの駅が目標です。(つづく)

2011年9月20日 (火)

山行 ああ壮烈八王子城 北高尾山稜その1

 八王子城は小田原北条氏4代氏政の次弟氏照が、名城として名高い滝山城(八王子市)から天正15年(1587年)頃居城を移し、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐時に落城するまで、僅か3年という短命な城でした。八王子城の縄張は、標高445mの深沢山山頂に築かれた本丸と東に伸びる尾根に松木曲輪、小宮曲輪、金子曲輪などの砦が設けられ、本丸西の高台には天守閣が存在した戦国期山城の集大成ともいえる城塞と、山麓の城山川沿いに政庁としての大規模な御主殿が築かれていました。北条氏といえば、障子空掘など独特の築城技術を有する築城巧者なので、八王子城も中央政権に対抗するために最先端の築城技術が注ぎ込まれたことでしょう。また、城主北条氏照は、永禄12年(1569年)武田信玄の滝山城来攻時の教訓を反映した縄張にしたともいわれています。

 しかし、氏照が精魂込めて築城した八王子城は、碓氷峠から南下してきた秀吉傘下の上杉、前田ら大軍の猛攻を受けて1日で落城してしまいます。豊臣軍来攻時、北条氏照は小田原城に詰めていたので、八王子城には横地監物や狩野一庵ら家臣が城を守備していましたが、広大な山城を守備するための兵力が不足し、大量の鉄砲を集中投入した攻城軍の人海戦術により、奮戦虚しく玉砕しました。

P1000668 御主殿の滝

 北条氏滅亡以降、関東に入封した徳川時代は天領となり、その後国有林となったことから、落城時から手付かずの状態が残され、現代の発掘調査で遺構や多くの出土品が確認されました。それと共に、守将がはことごとく討ち死にし、氏照夫人ら婦女子は御主殿近くの滝に身を投じたと語り継がれていることから、不入の地はいつしか禁断の地として、今日まで全国的に有名な心霊スポットとして語り継がれてきました。

110916_085939 懐かしい115系横須賀線カラー

110916_090606 マンションと対照的な高尾駅

 9月16日(金)中央線高尾駅で下車。高尾周辺は霊園が多く、石屋や花屋が多いのに驚きました。仏閣を模した高尾駅舎の前で友人を待っていると、小仏峠方面に向かうバスが出て行きましたが、バスは中高年ハイカーで満員状態でした。友人と合流後、バスで八王子城方面に向かいます。霊園前バス停から住宅地を15分ほど歩くと八王子城跡に到着しました。

110916_094907 八王子城跡入口 110916_094353 これは「氏照くん」

 入口でウロウロしていると、管理事務所からガイドのおじさんが出てきて、城跡を案内してくれると言うので、せっかくの機会なのでお願いしました。ガイドさんは御主殿と隣接するあしだ曲郭を中心に説明してくれましたが、やぶ蚊が多く、私ばかり狙われるのにはまいりました。話の中で、御主殿跡の発掘調査で当時のものとしては我が国唯一のヴェネツィアン・レースグラスが出土し、現在、六本木ミッドタウンのサントリー美術館で展示されている話は驚きでした。北条氏照も信長のようにギヤマンのグラスでぶどう酒を嗜好していたのかもしれませんね。1時間ほど案内をいただいて入口に戻り、いよいよ山城エリアに向かいます。(つづく)

P1000656 P1000663 P1000665 P1000671 御主殿周辺

2011年9月19日 (月)

山行 アウツな西丹沢世附の道

 富士登山の翌日9月11日(日)。丹沢湖の西部から世附川(よづくがわ)沿いに延びる山北山中湖線は、明神峠、三国峠を経て山中湖東端の平野へ通じていますが、丹沢湖西端の浅瀬にゲートが設けられていて、一般車は通行ができない道となっています。この道の中程には大棚と呼ばれる丹沢最大級の滝があるというので、残暑厳しい折の涼感を求めて滝見物に行くことになりました。

Dsc01799

 流木が大量に浮かぶ丹沢湖湖面から少し世附川を遡上したところが浅瀬で、ゲートの手前にあるスペースに車を駐車して歩きだします。浅瀬付近はその名の通り、水量の多い世附川が浅瀬を形成していて、川遊びやバーベキューにはもってこいのポイントです。この日も2、3のグループが遊んでいましたが、この辺りの川はにわか雨が降れば水量が瞬く間に増えるので、天候には注意したいものです。

Dsc01801 大又沢の激流 Dsc01800 懐かしいボンネット型

 10分ほど歩くと右手から大又沢が出合い、沢沿いに地蔵平方面に通じる道が延びています。分岐点の表示では両方とも道路荒廃により通行止とありますが、さすがに歩いてはいけるだろうと思い、世附川に沿って左手に向かいます。しかし、この先の道はとんでもない状況でした。

 川の対岸には不老山があり、分岐直後に不老山登山コース上の浅瀬のつり橋があるはずですが、見当たりません。(昨年の台風9号で流失していました。)道を塞ぐように巨大な重機が2台置かれていて、その脇を抜けると・・・

Dsc01803 道路流失(通過後撮影)

 右側斜面が崩落して道路を世附川河原に押し流していました。復旧工事の最中でしたので、工事箇所を迂回するように河原に下り、再び斜面を登って道路に戻りました。天然児とババも何とかついてきます。

 崩落現場の先、左手の川向こうに落差の大きい滝が見えました。この滝は夕滝という名瀑のようです。大棚への期待も高まりつつ更に先へ進むと・・・

Dsc01804 倒木が遮り・・・ Dsc01807 道路陥没!

 次々と出現する自然の爪痕を目にしたババがさすがにギブアップ。私自身も天然児同伴では通過困難と判断して、引き返すことになりました。最後に夕滝をじっくりと眼に焼き付けましたが、こんな素晴らしい滝がほとんど人に知られず存在している西丹沢、まだまだ歩いてみる価値がありそうです。

Dsc01810 夕滝 Dsc01811 荒ぶる世附川

 復旧工事が進んでいますが、今年もいくつかの台風に見舞われることでしょう。世附川の流れが更に猛威を振るえば、この道は完全に消失してしまうかもしれません。

2011年9月18日 (日)

山行 頼むよ父ちゃん 富士山その3

 fuji富士山山頂を1時間ほど楽しんで10時過ぎに下山を開始した。下山は転がるように下りるので、ガイドが3時間30分だと2時間30分くらいで下りられるだろうと楽観し、与えられた時間が「お昼過ぎまで」だったので、何とかごまかせる時間に帰宅できそうだ。

 しかし、世の中そんなに甘いものではない。九十九折の胸突き八丁を登山者が行列を成して上ってくるのが見える。息を切らせて登ってくる人たちに道を譲っていると結構なロスタイムが生じてしまう。まあゆっくり下れば足を痛めることも、転倒することもなかろうと割り切って、「お疲れさん。あと一息だよ。」とか「ゆっくりでいいですよ。」なんて声をかけている。山ガールなんぞ見かけたもんなら「あと一息だよ。がんばってね!」てな感じ。若い女子に公然と声をかけられるんだから、こんなに嬉しいことはないよね。bleah

 それにしても、これがシーズンオフかと首を傾げるくらいに登山者が多い。山ガール、中高年、短パン一丁のおじさん、小学生連れの親子。普通の山よりよっぽど人が多い。こうなると先述のように排泄の問題が生じてくるので、当局はこの現実を考慮して、富士山の夏山シーズンを9月下旬ぐらいまで延長してもらいたいものだ。山小屋の営業は無理でもトイレぐらいは開放すべきである。toilet

P1000645

 さて、九合目を過ぎた急斜面を下っているときに子供の泣き声が聞こえてきた。下の方で人だかりが目に入った。3歳児くらいの男の子を大人が何人か囲んでいるのが見えた。事情を尋ねてみると、男の子とお姉ちゃんがレスキューシートに包まれて登山道脇に寝ていたというのだ。寝ていた場所が落石多発の危険箇所であることから、ガイド風の男性が八合目池田館まで下ろそうとしたが、お姉ちゃんが大人しく下りたのに対して、男の子は暴れ泣き叫んで抵抗をしているとのこと。更に驚いたことにこの子達の父親は小学生の男の子1人のみ連れて、この子達を置いて頂上に向かってしまったとのこと。何とも呆れた親である。coldsweats02高山では落石の他にも天候の急変もありうるので、人の親ならば迷わず下山を選択しなければならない。通過する登山者たちは「馬鹿な親だなぁ」と嘆くが、子供の手前、親の悪口を聞かせるのは忍びないものだ。

 座り込む男の子に対して、何人かの大人たちがなだめたりお菓子で釣ろうとしたが、「やだ!」の一点張り。強硬手段だが、抱きかかえて下ろすことにしたが、大暴れで抵抗し手がおえない。聞き分けのない子である。最後はお姉ちゃんが説得に再度上がってきて、外国人の青年が説得すると何故か根負けして八合目まで下ろすことができた。日本語が通じなかったのか(汗)

 ガイド風の男性は登山中だったので父親を探しながら頂上に向かい、その他の人たちもしばらく付き添っていたが、安定した場所に保護できたことと、水や食べ物もある程度持っているのが確認できたので、三々五々下山していった。最後になった私もしばらくは子供たちに付き添っていたが、しばらくすれば父親が八合目に下ってくるだろうと思い、男の子の排泄を手伝い、何かあったら通過する大人を頼るようお姉ちゃんに言って、髪引かれる思いで子供たちと別れた。別れ際、ザックのポケットに天然児の変な音が出るおもちゃが入っていたので、それを男の子に渡すと笑顔が見れたのが救いであった。

P1000653 無事で帰れよ! P1000654 皆富士山が大好きheart

 六合目まで下りると、宝永山方面に多くの人が上り下りするのが見えた。予定より大幅に遅れて14時に五合目に下山したが、駐車場は車にあふれていた。山頂を振り返り、親子の無事な下山を祈るばかりであった。run

2011年9月16日 (金)

山行 富士山に初登頂! その2

 富士宮口の頂上は浅間大社奥宮となるが、直径800mにもなる噴火口の周囲は高低差がある。その中でも最高地点となる剣ヶ峰(3,776m)に立たないと、富士山登頂の達成感が半減すると考える登山者が多いのではないだろうか。

P1000629 浅間大社奥宮から見た剣ヶ峰(火口内に万年雪)

P1000642 剣ヶ峰に向かう道を振り返る。

P1000644 雲海の向こうに沼津湾と大瀬崎

 浅間大社奥宮から剣ヶ峰は片道15分ほどの近い位置にあるが、富士吉田口の頂上は剣ヶ峰と正反対に位置するため、1時間近いお鉢巡りをしなければならない。駿河湾を左手に見下ろしながら剣ヶ峰直下の急坂を登っていると、パワーショベルが放置されていた。思えば気流の不安定な富士山ではヘリによる輸送が不可能なため、ブルドーザー道は山頂まで通じ、無限軌道は山小屋の資材搬入に活躍している。

P1000637 富士山測候所 P1000638 日本で一番高い場所!

 剣ヶ峰周辺は賑わっていて、最高点の標柱では写真撮影の順番待ちとなったが、9月でこの状態であれば登山者が殺到するシーズン中はこの場所に立つことすら難しいのではないか。剣ヶ峰にはレーダードームが廃止された富士山測候所が残されていて、周囲が立ち入り禁止となっているため、南アルプス方面の景観の妨げとなっていたことは残念であったが、それでも八ヶ岳や秩父方面の山々を望むことができた。

P1000636 奥秩父の山々 P1000641 遠く八ヶ岳

 NHKの番組HPに掲載されるというので集合写真に飛び入りしたが、番組名を忘れてしまい確認できなかった。残念・・・

2011年9月15日 (木)

山行 富士山に初登頂! その1

 山好きの親に育てられ、現在も山を愛する齢40を目前にした私であるが、天下一の霊峰富士山に登ったことがなかった。「いつかは登る機会があるだろう」という曖昧な思いがいつも念頭にあったのだが、ダラダラと齢を重ねてきてしまった。毎年8月が過ぎる頃「今年も富士山を見送ってしまった。来年こそは・・・」と思うのである。

 今年も8月が過ぎた9月初旬、突如富士登山を決意した。これといった夏山登山ができなかったからか、誕生月を過ぎ齢を重ねる恐怖感か(笑)、職場などでモヤモヤ感が募っていたからか、理由は判然とはしないが・・・

 9月10日(土)3時起床。前夜は釣り同好会の急な飲み会が入り、神田でイワシ料理を楽しんだ。会の後半は酒を控えていたので、短い睡眠でも酔いは残っていなかった。東名高速御殿場ICから市街地、東富士駐屯地を抜け、富士山麓に向かって車を走らせる。御殿場辺りは雲がかかって富士山の姿が見えなかったが、御殿場登山口に近い太郎坊まで来ると白み始めた空をバックに山頂まではっきり見えていた。ポツポツと光が見えていたが、山小屋は閉鎖しているので登山者のヘッドランプらしい。この光を見て正直ホッとした。シーズンオフになった9月でもある程度の登山者がいるとは確認していたが、人気の少ない富士登山に不安があったからだ。

P1000607 朝焼け P1000609 愛鷹連峰と天城山

 スカイラインを富士宮五合目まで上がってくると駐車場は思いのほか混んでいた。登山口に近い場所に車を停められず、1段下の駐車場に車を停めた。5時に五合目登山口(2,380m)をスタートをすると、東の空が朝焼けに染まり、下界の雲海から箱根連山、愛鷹連峰、更に伊豆天城山が姿を見せる美しい光景である。五合目から六合目までは道幅のある登山道で歩き易い。六合目(2,490m)の雲海荘、宝永山荘が9月でも営業を継続しているが、宝永山方面の登山者を対象にした営業で、富士宮ルートは六合目より山頂まで全ての山小屋が9月5日をもって営業を終了している。

P1000611 宝永山からの日の出 P1000652 山頂へは通行止

 六合目から山頂方面に向かう登山道の入口は通行止の柵が設けられていたが、登山者は柵の脇からスルーして登山道に入っていくが、通行止の規制を犯して進む以上、ここから先は自己責任の世界である。宝永山の張り出しを右手に見ながら標高を上げていく。登山口から1時間もしないうちに七合目(2,790m)。更に溶岩がゴロゴロする道を30分ほど登ると・・・また七合目?!こちらは元祖七合目(3,030m)だそうで、小出しに子供だましにされている気分である。元祖七合目で標高は3千mを突破した。

 八合目の手前辺りはかなりの急坂で、一歩一歩地道に標高を上げる。周囲の溶岩は黒から赤っぽい色に変わってきた。登山道の先に石垣に囲われた八合目の山小屋が見えているが、その姿は山城のようで頼もしい。八合目の山小屋は大きく、汚水を浄化する施設が隣接しているが、何れも閉鎖されている。汗を大量にかいているせいか尿意は全くないのだが、道中一休みに良さそうな岩影に近寄ると必ずきついアンモニア臭がする。五合目以上に樹木がない富士山はこのような場所が非常時の「場所」になるらしい。そしてこの現実が富士山を世界遺産認定から遠ざけている。せめてトイレぐらいは凍結時期まで開放してもらいたいものだ。

P1000616 八合目の鳥居 P1000617 山頂を望む

 八合目の標高は3,220mなので、日本第2の高峰、南アルプス北岳の3,192mを越えている。富士山の独断場に入ったのだ。八合目の上部は大きめの岩石が目立つ急坂で、落石多発の危険遅滞である。復路ここで驚くべき場面に立ち会うことになるが、往路知る由もない。登山口から3時間弱で九合目(3,400m)。いよいよ山頂が手に届くような感じだ。

 しかし、ここまで順調だったペースが九合目辺りからガクンとダウンしてしまった。高山特有の希薄な酸素の影響で、少し歩くと息切れしてしまうのである。この辺りで富士山慣れした登山者とそうでない登山者の差が明確に表れて、年配の登山者でもペースを崩さずに追い抜いていく人もいるのだ。その反面、高山病の症状で真っ青な顔で座り込んだり、嘔吐する登山者も見受けられた。

P1000621 箱根連山(左)と愛鷹山(手前右)、天城山(奥) 

P1000623 南アルプス(遠景)と富士川流域の山々 P1000622 山頂近し!

 九合目の上に九合五勺(3,550m)があり、ここから先は頂上まで最後の九十九折となる。荒々しい頂上付近の岩肌が頭上にあるが、息苦しさが限界に達し、5歩も歩くと立ち止まって息を整えるが必要である。振り返ると正面に愛鷹連峰がかなり低くなり、その向こうに沼津湾、伊豆半島、大島三原山と並ぶ。西側には富士川の流れと静岡の山々、遠景には南アルプスの末端が見えていた。東には箱根連山、その向こうに湘南の海岸線が見え、丹沢塔ノ岳も小さく見えた。

P1000626 浅間大社奥宮

 休み休み登り続けて、9時15分に頂上にある浅間大社奥宮の鳥居をくぐった。本殿や社務所は冬支度で固く閉ざされていたが、本殿に深々と頭を垂れて登頂の感謝と下山の無事を祈った。(つづく)

☆メンツ:単独

★コースタイム:4時間10分(往路・休憩含む)

五合目登山口5:05→元祖七合目6:30→7:10八合目(朝食休憩)7:25→九合目7:55→九合五勺8:30→頂上浅間大社奥宮9:15

2011年9月12日 (月)

山行 雨山は今日も雨だった・・・

 松田町寄(やどろぎ)のどん詰まり、寄大橋から中津川上流部の寄沢沿いに遡上して、雨山峠を越えてユーシン渓谷に向かう雨山越えは、丹沢前衛に位置する割には悪路として敬遠されがちである。どんなものか以前から気になっていたルートなので、終わり行く夏の思い出として8月27日(土)に歩いてみた。

 天然児を送って山際の農道を抜けて寄に向かい、途中市町境の峠にある湧き水で補給をした。寄大橋には10時過ぎに到着し、身支度を整えて30分前に出発。寄大橋のたもとに林道のゲートが設けられているが、そこを通過すると昔みんなの森キャンプ場があったところであるが、現在は寄水源の森として散策路や樹木の解説版が整備されている。目に付くのが、「○○不動産の森」、「○×石油の森」といった水源林のスポンサー企業の看板である。立派な看板をこのような山奥に立てて、ハイカーにまで宣伝するとは熱心な営業活動である。

110827_102716 水源林入口のゲート

 寄沢は流れの割りに大きめな石がゴロゴロする広々とした河原が広がっている。しかし、丹沢の山々に大雨が降るとこのような沢は突如として変貌することであろう。林道の終点から右側の山林に入るが、ルートはすぐに河原に降りて、渡渉となった。水量はそうでもないが、安定感がある石を探して渡る。今度は左の山林に入るが、再び河原に降りた。一時的に山林に入るのは河原にいくつも設けられた堰堤を越えるためで、基本的なルートは沢沿いを進むのである。

110827_105443 寄沢の広大な河原 110827_111103 渡渉に次ぐ渡渉

 ゴロゴロ石によろけながら歩いていると、突如土砂降りの雨となってしまった。慌てて枝振りのよい木下に逃げ込んで雨具を装着する。気を取り直してスタートするが、広い河原はルートがはっきりしない。目を凝らすと対岸の枝にピンクのビニールテープが巻きつけてあった。このような渡渉が4連続あって、右岸の山林に入ることができた。

110827_111826 4つ目の渡渉 110827_112149 追悼碑

 山林に上がるとすぐに小さな追悼碑が置かれていた。碑文には「荻野先生と○○さん 美しい自然とうるわしい人間愛を求めてここに眠る 一九七〇年六月一四日 江北高校同窓会一同」と記されていた。後日調べてみると、高校のワンゲル部一行が鍋割山登頂後、折からの豪雨の中、鍋割峠から下山路を誤って寄沢に迷い込み、沢に滑落した女子高生と救助に向かった教師の2人が亡くなられた痛ましい遭難であった。このような丹沢前衛の山でも侮ることなかれ。条件によっては遭難は起こりうるものだ。追悼碑に手を合わせて瞑目した。

110827_133113 藪のトンネル

 鹿柵沿いに低木がトンネルのようになっている場所を登って行く。低木のおかげで雨量が多い割りに雨を感じない。しばらく行くと前方に黄色いヤッケが見えた。追いつくと初老のハイカーで、雨山峠を越えてユーシンロッジに宿泊し、明日は西丹沢の大石山方面に向かうそうだ。マニアックなコース設定もさることながら、恐らく無人であろうユーシンロッジに独りで泊まり込むことに脱帽である。ちなみにユーシンロッジは県が運営する山小屋であるが、丹沢湖方面から通じる玄倉林道が工事通行止のため、休業中で避難小屋として開放されている。

110827_132539 渡渉点から見た対岸の斜面 110827_113958 鎖を頼りに

 藪を抜けると再び沢に下り、渡渉すると目の前にガレた急斜面が立っていて、鎖とロープが張られた。取り付きが分かりづらく、強引に崖を攀じ登ろうとする自分に、後から先述のハイカーが一旦崖の向こう側へ回り込むように手信号を送ってくれた。おかげで取り付きを発見できて、鎖を頼りに斜面をクリアした。

110827_115233 尾根を通過すると 110827_120513 崩落箇所多し! 110827_120612

 斜面をあがると、このルートで数少ない落葉樹林の中の尾根をジグザグと登って、やがて両側が切れた場所を通過すると、沢を見下ろす山腹をトラバースする。この辺りは崩落著しい危険箇所で、登山道が落ちている箇所には仮設橋や鎖が設置されていた。

110827_122342 白いゴルジュを登って行く。 110827_123019 源頭部の鉄階段

 やがて白っぽい岩肌に折からのモヤが立ち込めた神秘的な沢に下り、沢の中を登って行く。一度左手の沢にテープを見つけて迷い込んでしまったが、ひたすら直進しなければいけない。直進すると沢の源頭部から上がる鉄の階段が設けられていたが、崩落の影響で斜めに傾いた危なげな階段であった。ここを登り切るとベンチと道標が設置された十字路、ここが雨山峠だ。正面のユーシン方面は西丹沢の山が見えるはずだが、ガスで何も見えない。左手は雨山、檜岳方面に向かうルート。右手は鍋割山へ向かうルートだ。

 沢歩きに不慣れなせいか意外と時間がかかってしまったので、軽食を済ませて早々の下山となった。鉄階段の下で、後続して来た黄色いヤッケのハイカーに道中の安全を告げ、足早に下山した。復路大きなヒキガエルを道端に見つけたが、人気の失せた静かな山をのんびり歩き回っていることであろう。

110827_134235 お散歩を楽しむヒキガエル

☆メンツ:単独

★コースタイム:3時間50分(休憩等含む)

寄大橋10:25→林道終点10:40→最初の渡渉10:50→(雨具装着10分)→4つ目の渡渉・慰霊碑11:20→渡渉と鎖場11:40→白い沢12:10→(左手沢へ迷い込み10分)→雨山峠(休憩)12:35~45→寄大橋14:15

Photo

2011年9月 6日 (火)

何度来てもよいところ 上高地

 1度訪れたら満足という旅先が多い中で、何度訪れても良いところがありますね。私にとっては、尾瀬や霧ヶ峰、南房総の海などと並んで上高地がそのひとつですが、小学生のときに親に連れられて来たとき以来5、6回になります。最初に来たときは、現在マイカー規制が行われている釜トンネルの先も、マイカーが通行できていた時代で、狭くて暗く、露岩が荒々しい釜トンネルを抜けたときの梓川の青さはこの上なく爽快でした。夜行で行ったので、大正池の脇で朝食にカップラーメンを食べたことは今でも遠い記憶にあります。

 8月8日(月)何度目かになる上高地です。松本市街から松本電鉄に沿って国道158号線を西進。この道は安房峠を越えて、新穂高温泉、乗鞍や高山はおろか、富山、能登、福井方面の旅に通った道なので、上高地も含めていろいろな思い出があります。リンゴの果樹園や水田が広がる松本市波田地区はスイカの産地のようで、沿道にはスイカの直売所が沢山見られます。天然児は常に横にある線路が気になっていますが、ローカル線は本数が少ないのでそう簡単にはお目にかかれません。松本電鉄の終着駅新島々から先は山道になり、奈川渡ダムを渡ると「上高地に来た」という期待感が膨らみます。

 沢渡の駐車場に車を停め、タクシーで上高地に向かいます。日頃タクシーは敷居が高いのですが、観光地ではバスの時刻を気にしなくてよいし、ドライバーから現地の近況や、自分が聞きたい細かな情報を聞けるメリットがあります。梓川に沿って安房峠に向かう国道の両側には荒々しく崩落した崖が続きます。危なっかしいので何とかならないものかと思いましたが、ドライバーさん曰く、崖の崩落も国立公園内では自然の姿としてなるに任せるしかないのだそうです。

P1000513 事故の記憶

 現在は安房トンネルで岐阜県側の平湯まで20分ほどで通じる道程ですが、私が幼い頃に訪れた安房峠の時代は九十九折の難所で、観光バスやトラックと出くわすとすれ違いに大騒ぎでした。この時代は平湯まで1時間以上かかっていたと思います。対岸の斜面の中腹に巨大な橋脚が何本か建っていましたが、これが安房トンネルの当初ルートの遺構です。長野県側の出口である中ノ湯の工事現場で、平成7年に水蒸気爆発事故が発生して4名の方が亡くなり、ルートの修正を余儀なくされました。大きなコンクリート製の橋脚は何とも違和感ありありですが、危険で解体すら出来ないのだそうです。

 安房峠の手前で上高地に抜ける釜トンネルに入ります。現在は交互通行の釜トンネルですが、昔の手掘りトンネルの時代は対面通行で、通過待ちに何十分も待たされた思い出が強く、難なく通過することに違和感があります。トンネルを抜けると、6月の崩落事故の復旧作業も続けられておりましたが、これも国立公園内なので、自然の景観に配慮したレベルまでしか工事が出来ないのだそうです。

P1000478 焼岳(2,455m)

 間もなく大正池の前でタクシーを下車すると、青々とした大正池の向こうには焼岳が荒々しい姿で出迎えてくれました。山頂から水蒸気が上がっているのがみえました。焼岳は比較的新しい火山で、大正4年の大噴火では泥流が梓川を堰き止めて大正池が誕生しました。前述の中ノ湯の爆発事故も焼岳の火山活動が原因です。大正池の立ち枯れ木立と焼岳の姿は上高地の名所のひとつですね。

P1000480 何かいい感じ P1000488 山女もちらほら

 大正池から河童橋方面に向かって散策です。大正池から田代池、ウェストン碑を経由して河童橋に至るコースと、河童橋から明神池を往復するコースが上高地のメジャーなトレッキングコースですが、個人的には明神池コースの回数が多く、今回のコースは2回目です。大正池からしばらくは白樺やダケカンバ、モミなのど樹林帯を歩きます。多くの人が歩いていましたが、観光地らしく普段着から山の完全装備まで千差万別です。ドライバーさんは震災の影響があって人では少ないと言っていたものの、なかなかの人手です。

P1000484 田代池から霞沢岳 P1000490 満々とした梓川

 田代池からは上高地を挟んで穂高と向かい合う霞沢岳のギザギザした尾根がよく見えました。上高地周辺では山小屋もなくアクセスが長いマイナーな山ですが、穂高の山々の展望は素晴らしいことでしょう。田代池から先は、満々した透明度の高い梓川の流れを左手にしばらく歩くことになります。帝国ホテルの裏手で穂高橋を渡って梓川右岸に渡ります。ここから先は上高地の銀座とも言うべきホテル街で、帝国ホテル、温泉ホテル、清水屋、五千尺ホテルなどの高級ホテルが並んでいます。

P1000497 ウェストン碑 P1000499 カンバ林を粛々と

 ホテルの裏手にウェストンの碑を見つけました。明治中期に英国人宣教師として来日した彼は、富士山をはじめ日本アルプスを開拓してスポーツとしての登山を日本に根付かせた人として登山家の間では神格化されています。キリスト教宣教師が山屋の神になってしまったんですね。

P1000511 河童橋

 やがて焼岳が見えなくなって、穂高岳沢のカールが見えてくると河童橋に到着です。生憎、この日の穂高は雲隠れしていました。橋の上で岳沢カールをバックに記念写真を撮ろうとしましたが、カメラを構えても容赦なく人が往来して、天然児も落ち着かないので、橋のたもとで五千尺ホテルのアイスを食べながらパチリ。

P1000503 穂高は雲隠れ

 夏山最盛期、大きなザックを背負って多くのハイカーが涸沢方面に入山していきました。

2011年9月 3日 (土)

松本の奥座敷 穴沢温泉

 松本市街から上田方面に向かう国道143号線を北上して20分ほどのところに、穴沢温泉という1件宿の小さな温泉があります。この穴沢温泉辺りの村落は、一昔前まで四賀村という村でしたが、現在は松本市に吸収合併されています。spa

 宿の名は「松茸山荘」。その名のとおり周辺の山林は赤松が多く、これから9月から10月にかけては松茸の収穫シーズンとなります。松茸山荘には本館と新館があってそれぞれ泉質が異なる温泉が引湯されています。経営が公営の宿らしく、周辺には球戯場が併設されていて、訪れた日は東京のジュニアバレーボールクラブが合宿に来ていて賑わっておりました。我が家は新館に宿泊しましたが、こちらはナトリウム炭酸水素塩温泉ということで、専門用語ではイマイチ?ですが、濁り湯は肌にスベスベ感が高くなかなか良さ気でした。夕食は松茸会席でしたが、訪れた真夏では冷凍か海外か・・・何れにせよ素人にとってはとても美味しくいただける内容でした。happy01

 翌朝、バレークラブの朝練に釣られて朝風呂の前に宿の周辺を散策しましたが、エゾハルゼミが鳴く赤松林は松茸の盗み穫り防止策で厳重に管理されておりました。川沿いの道を歩いていると、興味深い看板が出ております。

110808_054936 クジラの化石があるようです。 110808_054853 ここにあります。

 対岸の崖にクジラの化石が露出しているようです。四賀地区からはクジラを始め多くの海洋生物の化石が出土しているようで、四賀化石館という博物館も近くにあります。川を渡った崖に展示小屋が設けられていて、ウィンド越しにクジラの骨格を見ることができました。

110808_054721 クジラの骨格 110808_054736

110808_061212 赤松林の散歩コース 110808_055831 松茸山荘ではありませんよcoldsweats01

 

2011年9月 2日 (金)

もうひとつの五稜郭

 川上村に降りると土砂降りの雷雨が嘘のように止んで、夏の陽光が照り付けていました。小海線沿いに国道141号線を北進して佐久方面に向かいます。沿道は高原野菜の畑が広がっていて雄大な景色ですが、バックを飾る八ヶ岳が見えないのが何とも残念です。

 南佐久に臼田という街があります。ここには龍岡城五稜郭という日本には珍しい西洋式星形の縄張を有した城跡があるので、立ち寄ってみることにしました。五稜郭といえば榎本武揚が立て籠もった北海道函館のものが有名ですが、龍岡城は日本で2箇所しかない五稜郭の片方なのです。むしろ我が国に五稜郭がもうひとつあったことが驚きですけどね。

 龍岡城は徳川譜代の三河奥殿藩大給松平氏の松平乗謨(のりかた)が、幕末の1863年に三河の本領から離れてここ臼田に田野口藩を設立し、当時最新の西洋式城塞を構築しました。ちなみに、この松平乗謨、後に老中や陸軍総裁などの幕府要職を勤め、フランス式の軍制を導入して幕府軍の建て直しを図りました。しかし、戊辰戦争が始まると職を辞して龍岡城に退き、新政府軍に恭順して北越征伐に従軍することになります。大身の幕臣としてはちょっと不甲斐ないのですが、これで終わらないのが偉い人。この殿様、明治維新後は大給恒と改名して、西南戦争時には日本赤十字を創設する経歴の持ち主でもあるんです。

P1000450_2 大手口 P1000449 この方が松平乗謨改め大給恒です。

 国道から離れて小海線の踏切を渡った住宅と畑が混在するのどかな地区に龍岡城跡はありました。大手口に架けられた橋を渡ると広々とした本丸?が広がり、草野球の練習をしていました。現在の龍岡城跡は学校になっていますが、グラウンドの片隅に当時の建築物として台所櫓が残されています。元々未完の城で、明治4年には破却されてしまった短命な城ですからそんなものなのでしょう。設置されている遊具で天然児が夢中になっている隙に縄張を見学しました。堀は星形らしく入り組んでいますが、星形を確認するには裏手にある山にでも登らなければならないでしょう。堀の幅は狭く、日本城郭らしい石垣もないので、堀の内側と外側とはほぼ同じ高さですが、防御用に土盛りが施されていました。桜が植えられていてお花見も楽しめそうですね。

P1000457 P1000467 星形城郭らしい折れ曲がる堀

 しばらく踏査を楽しんでいると、天然児の姿が見えません。キョロキョロ見回すと大手口前の資料館(地域交流センター)の前でババが手招きをしています。この資料館には龍岡城やこの地域に関する展示がさえていますが、日本で一番海岸線から遠い地点という場所が、この城の裏手から群馬県方面に抜けていく途中にあるそうです。オモシロスポットですね。天体観測所の大きな電波望遠鏡も山中にあるそうです。天然児は管理人のおじさん、おばさんに愛想を振りまいて麦茶とお新香にありついていました。ババや私にも振舞ってくれて、城の展望スポットや地域のことをいろいろ説明してくれて、地方の人は温かさを実感しました。

P1000461 右奥が唯一現存する台所櫓 P1000464 何やら怪しげな雲行き

 突然ドカン!と物凄い雷鳴が響き渡りました。山の雷雲が下界にも広がってきたようです。車は佐久市内をぬけて上信越道の佐久ICに入る頃には夕立に見舞われました。

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