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2011年9月20日 (火)

山行 ああ壮烈八王子城 北高尾山稜その1

 八王子城は小田原北条氏4代氏政の次弟氏照が、名城として名高い滝山城(八王子市)から天正15年(1587年)頃居城を移し、天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐時に落城するまで、僅か3年という短命な城でした。八王子城の縄張は、標高445mの深沢山山頂に築かれた本丸と東に伸びる尾根に松木曲輪、小宮曲輪、金子曲輪などの砦が設けられ、本丸西の高台には天守閣が存在した戦国期山城の集大成ともいえる城塞と、山麓の城山川沿いに政庁としての大規模な御主殿が築かれていました。北条氏といえば、障子空掘など独特の築城技術を有する築城巧者なので、八王子城も中央政権に対抗するために最先端の築城技術が注ぎ込まれたことでしょう。また、城主北条氏照は、永禄12年(1569年)武田信玄の滝山城来攻時の教訓を反映した縄張にしたともいわれています。

 しかし、氏照が精魂込めて築城した八王子城は、碓氷峠から南下してきた秀吉傘下の上杉、前田ら大軍の猛攻を受けて1日で落城してしまいます。豊臣軍来攻時、北条氏照は小田原城に詰めていたので、八王子城には横地監物や狩野一庵ら家臣が城を守備していましたが、広大な山城を守備するための兵力が不足し、大量の鉄砲を集中投入した攻城軍の人海戦術により、奮戦虚しく玉砕しました。

P1000668 御主殿の滝

 北条氏滅亡以降、関東に入封した徳川時代は天領となり、その後国有林となったことから、落城時から手付かずの状態が残され、現代の発掘調査で遺構や多くの出土品が確認されました。それと共に、守将がはことごとく討ち死にし、氏照夫人ら婦女子は御主殿近くの滝に身を投じたと語り継がれていることから、不入の地はいつしか禁断の地として、今日まで全国的に有名な心霊スポットとして語り継がれてきました。

110916_085939 懐かしい115系横須賀線カラー

110916_090606 マンションと対照的な高尾駅

 9月16日(金)中央線高尾駅で下車。高尾周辺は霊園が多く、石屋や花屋が多いのに驚きました。仏閣を模した高尾駅舎の前で友人を待っていると、小仏峠方面に向かうバスが出て行きましたが、バスは中高年ハイカーで満員状態でした。友人と合流後、バスで八王子城方面に向かいます。霊園前バス停から住宅地を15分ほど歩くと八王子城跡に到着しました。

110916_094907 八王子城跡入口 110916_094353 これは「氏照くん」

 入口でウロウロしていると、管理事務所からガイドのおじさんが出てきて、城跡を案内してくれると言うので、せっかくの機会なのでお願いしました。ガイドさんは御主殿と隣接するあしだ曲郭を中心に説明してくれましたが、やぶ蚊が多く、私ばかり狙われるのにはまいりました。話の中で、御主殿跡の発掘調査で当時のものとしては我が国唯一のヴェネツィアン・レースグラスが出土し、現在、六本木ミッドタウンのサントリー美術館で展示されている話は驚きでした。北条氏照も信長のようにギヤマンのグラスでぶどう酒を嗜好していたのかもしれませんね。1時間ほど案内をいただいて入口に戻り、いよいよ山城エリアに向かいます。(つづく)

P1000656 P1000663 P1000665 P1000671 御主殿周辺

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