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2011年9月23日 (金)

山行 ああ壮烈八王子城 北高尾山稜その2

 八王子城の御主殿を見学後、本丸のある深沢山、天守閣跡を経て北高尾山稜を富士見台まで登ります。管理事務所の裏手に鳥居があり、尾根に沿って階段の付けられた登山道に入ります。歩き易い道を40分ほどで本丸に至りますが、所々、金子曲輪のような尾根を平たくした砦跡が見られました。

 深沢山の山頂周辺には本丸、松木曲輪(二の丸)、小宮曲輪(三の丸)など防御施設が集中しています。八王子城の守将である横地監物が本丸、中山勘解由が二の丸、狩野一庵が三の丸にそれぞれ籠っていました。ちなみに八王子城代の横地監物は伊豆の豪族で北条家の老臣、中山勘解由は滝山城代で槍の名手、狩野一庵は元小田原評定衆筆頭と何れも北条家で重きを成す家臣でした。彼らの他にも武蔵守護代滝山城主大石氏(氏照夫人の実家)の家臣や八王子周辺の支城から援兵が詰めていました。八王子落城時、多くの兵が逃亡してしまいましたが、これら守将らは北条家譜代、武蔵衆何れも攻撃軍の降伏勧告を拒んで戦死しました。この主家に対する忠誠心は、武士道を感じると共に、北条家の領国経営が根付いていた証拠であると思います。

 それにしても、名城である八王子城は何故1日で落城してしまったのでしょうか?説として、豊臣軍来攻時に霧が深く立ち込め、豊臣軍が城下に浸透する状況が把握できなかったとも、八王子城築城時の設計担当者が豊臣軍に降伏していて、城の縄張を知られてしまったともいわれています。

 山頂には八王子神社が祀られています。平安時代、華厳菩薩と呼ばれた人が深沢山で修行中、牛頭天王と8人の王子が出現したといわれ、この由縁を知った北条氏照が城を八王子城と命名し、八王子の地名になったといわれています。

P1000680 スカイツリーわかりますか?

 山頂東南部は木が払われて多摩丘陵の眺望が素晴らしく、遠く新宿の高層ビル群やスカイツリーも見えていました。ここで友人の奥さんが作ってきてくれたおにぎりをいただきます。炊き込みご飯のおにぎりは秋らしく、風景がおかずになって最高の味でした。

P1000684 石垣は今も残ります。 P1000685 天守閣跡

 山頂からは尾根からそれて、山腹をしばらくトラバースすると天守閣跡への急登になりました。友人の奥さんはクロックスサンダル履きという山を侮ったスタイルですが、なかなか体力があるらしく後に続いてきますが、友人の方は早くもバテ気味です。天守閣跡は庭付き一戸建てが1件建つほどの狭いスペースでした。天守閣といっても戦国期の山城ですから松本城や小田原城のような天守閣ではなく、物見櫓程度の掘立小屋だったのでしょうね。それでも石垣の名残が残っています。このような山上に石を運び上げた先人の苦労と真面目さが偲ばれます。

P1000686 天守閣下の空堀 P1000691 富士は見えず・・・

 天守閣から空堀を越えると急な尾根道に戻り、富士見台という分岐点に到達しました。ベンチが置かれ、富士山の方角は樹木が払われていましたが、この日は雲が多く、富士山の展望は得られませんでした。ここで一休み。友人は高校時代以来という山登りですっかり疲れ果てていました。北高尾山稜はここから更に西へ陣馬山まで延びていますが、我々は分岐する南側の尾根を下り八王子ジャンクション付近を通過し、高尾山蛇滝口からケーブルカーの駅が目標です。(つづく)

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