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2011年9月 2日 (金)

もうひとつの五稜郭

 川上村に降りると土砂降りの雷雨が嘘のように止んで、夏の陽光が照り付けていました。小海線沿いに国道141号線を北進して佐久方面に向かいます。沿道は高原野菜の畑が広がっていて雄大な景色ですが、バックを飾る八ヶ岳が見えないのが何とも残念です。

 南佐久に臼田という街があります。ここには龍岡城五稜郭という日本には珍しい西洋式星形の縄張を有した城跡があるので、立ち寄ってみることにしました。五稜郭といえば榎本武揚が立て籠もった北海道函館のものが有名ですが、龍岡城は日本で2箇所しかない五稜郭の片方なのです。むしろ我が国に五稜郭がもうひとつあったことが驚きですけどね。

 龍岡城は徳川譜代の三河奥殿藩大給松平氏の松平乗謨(のりかた)が、幕末の1863年に三河の本領から離れてここ臼田に田野口藩を設立し、当時最新の西洋式城塞を構築しました。ちなみに、この松平乗謨、後に老中や陸軍総裁などの幕府要職を勤め、フランス式の軍制を導入して幕府軍の建て直しを図りました。しかし、戊辰戦争が始まると職を辞して龍岡城に退き、新政府軍に恭順して北越征伐に従軍することになります。大身の幕臣としてはちょっと不甲斐ないのですが、これで終わらないのが偉い人。この殿様、明治維新後は大給恒と改名して、西南戦争時には日本赤十字を創設する経歴の持ち主でもあるんです。

P1000450_2 大手口 P1000449 この方が松平乗謨改め大給恒です。

 国道から離れて小海線の踏切を渡った住宅と畑が混在するのどかな地区に龍岡城跡はありました。大手口に架けられた橋を渡ると広々とした本丸?が広がり、草野球の練習をしていました。現在の龍岡城跡は学校になっていますが、グラウンドの片隅に当時の建築物として台所櫓が残されています。元々未完の城で、明治4年には破却されてしまった短命な城ですからそんなものなのでしょう。設置されている遊具で天然児が夢中になっている隙に縄張を見学しました。堀は星形らしく入り組んでいますが、星形を確認するには裏手にある山にでも登らなければならないでしょう。堀の幅は狭く、日本城郭らしい石垣もないので、堀の内側と外側とはほぼ同じ高さですが、防御用に土盛りが施されていました。桜が植えられていてお花見も楽しめそうですね。

P1000457 P1000467 星形城郭らしい折れ曲がる堀

 しばらく踏査を楽しんでいると、天然児の姿が見えません。キョロキョロ見回すと大手口前の資料館(地域交流センター)の前でババが手招きをしています。この資料館には龍岡城やこの地域に関する展示がさえていますが、日本で一番海岸線から遠い地点という場所が、この城の裏手から群馬県方面に抜けていく途中にあるそうです。オモシロスポットですね。天体観測所の大きな電波望遠鏡も山中にあるそうです。天然児は管理人のおじさん、おばさんに愛想を振りまいて麦茶とお新香にありついていました。ババや私にも振舞ってくれて、城の展望スポットや地域のことをいろいろ説明してくれて、地方の人は温かさを実感しました。

P1000461 右奥が唯一現存する台所櫓 P1000464 何やら怪しげな雲行き

 突然ドカン!と物凄い雷鳴が響き渡りました。山の雷雲が下界にも広がってきたようです。車は佐久市内をぬけて上信越道の佐久ICに入る頃には夕立に見舞われました。

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