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2011年11月24日 (木)

上州観音巡り その1

 職場の友人は西日本の会社から出向で来ている関西人です。この友人、若いのに(私と同じ子年なのですがひと回りの年齢差)全国の三十三観音の満願成就を目標としている信心深い人です。(いろんな意味で宗教が好き)任期短い関東勤務の間に坂東三十三観音、秩父三十三観音、江戸三十三観音の満願を目論んでいるようです。

 秩父、江戸という集約された地域は本人に任せるとして、坂東は広うござんす。更に札所は交通の不便な場所も多いので、ここは関東にいるうちは一肌脱いでやろうということで、今夏は神奈川県西部の札所(飯山、金目、飯泉)を案内しました。その後本人が東京、埼玉、茨城、千葉北部を巡ったので、今回は群馬と雪が降る前の日光を私が請け負うことにしました。

 群馬県内の坂東三十三観音札所は少なく2箇所で、その2箇所が近い距離に位置しているので、車があれば巡るのは比較的楽です。11月23日(祝)、関越道を北上し前橋ICから30分ほどで最初の札所である坂東第15番札所高崎市の白岩観音長谷寺(ちょうこくじ)に到着しました。高崎市内とは言え、榛名山の山麓にあって、周囲は果樹園や山林が多いのんびりとしたところです。この長谷寺は役ノ行者が文武天皇の御世の建立したといわれていますから、1,300年を経た天台宗の古刹です。本尊の十一面観音様は行基の作と伝えられています。友人夫妻がご記帳をしてもらっている間、同行した天然児は境内のお清め水をいたずらしたり、本堂の鐘を鳴らしたり楽しんでいました。

P1010435 天然児はお寺も遊び場 P1010439 なかなかの細工です。

 次の札所は有名な伊香保の水澤観音です。でも、その前にちょっと気になるスポットに立ち寄ります。箕輪城跡です。箕輪城は16世紀初頭に土地の豪族長野氏によって構築された平山城で、日本百名城にランクインしています。箕輪城を有名にしたのは何といっても名将長野業正でしょう。長野業正は北関東を領有していた関東管領山内上杉氏の重臣ですが、君主上杉憲政が暗愚な人だったため、それを補佐して上杉の勢力を関東から駆逐しようとした小田原の北条氏と度々矛を交えました。

P1010445 箕輪城(ヨダレ) P1010444 空堀 P1010447 本丸は大規模

 箕輪城は北条氏と同盟関係にあった武田信玄が上州に侵攻したときに、武田氏の猛攻にさらされましたが、業正の武勇をもって幾度となく撃退し、信玄をして「業正存命のうちは上野に手が出せない。」と嘆かせたほどです。先述の長谷寺もこのときの兵火で焼失してしまったそうです。(1580年に信玄の後継者勝頼によって再建されているのが面白いですね。)しかし、1561年に業正が死去して若年の業盛が後継すると、武田氏の侵攻が激化し、ついに1566年に落城。業盛は最後まで降伏勧告を拒否して自刃して果てました。このとき長野16槍の1人として武田軍相手に奮戦したのが剣豪上泉信綱です。その後内藤昌豊、北条氏邦、滝川一益、井伊直政と名だたる武将が城主となりましたが、1598年に高崎に城が移され廃城となりました。戦国マニアはついつい足が向いてしまうスポットなのです。

P1010448 公園として整備されてます。(旗には長野氏の家紋檜扇)

P1010442 こんなところで・・・こういう行為は業正を蔑ろにするようなものです!

 城跡は土塁や掘割、郭が明確に残され、公園として整備されていましたが、訪れる人は少ないようでした。猛将長野業正、業盛親子の遺徳を偲ぶ訪問でした。(つづく)

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コメント

>(いろんな意味で宗教が好き)
爆笑wwwww

POA

高校は仏教系、大学は耶蘇教系ですが、自らはカルト系の新興宗教の研究に熱心な人です(笑)でも信者ではありませんので(笑)

宗教好きとか冤罪だよ〜!
おい、秩父は三十四箇所なんだな。
大事なとこだから、もう一回言うぜ!
秩父は三十四箇所なんだ、ね!(某師風口調)

秩父ないがしろにしたらアウツやね!

それは失礼いたしました。
秩父も早いところ満願成就して、某艶吹寺を襲撃しましょう(笑)

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