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2011年12月

2011年12月31日 (土)

小さな軌道には日本一盛り沢山! 大井川鉄道の旅その2

 大井川鉄道の第2ラウンドは、本線終点である井川駅から南アルプスの玄関口である井川へ延びるトロッコ列車井川線である。この鉄道は大井川の水力発電用ダムの建設資材運搬用として、戦前に区間半ばの市代まで建設され、昭和29年に井川の先まで開通し、その後井川ダム完成後に中部電力から大井川鉄道に営業譲渡されて旅客鉄道となった。

P1010870 千頭駅で出発を待つ井川線

 13時48分に千頭駅を出発。4両編成のトロッコ客車の後ろに連結されたディーゼルカーが唸りを上げて客車を押していく。井川行きは客車の一番前に置かれた運転台から一番後ろのディーゼルカーを遠隔操作する「プッシュプル運転」という珍しい方法である。我々は客車の一番後方=ディーゼル機関車の前に座ったので、天然児は大きく開いた窓から身を乗り出して、後から唸りを上げて追いかけてくる機関車を眺めていた。楽しい鉄道の旅は寒さも忘れてしまう。

P1010881_2 川根茶の産地 P1010877 窓全開でも寒さを忘れる楽しさ♪

 千頭を出発してしばらくは、大井川をバックにした銘茶川根茶の畑を車窓に眺めながら平均時速2、30kmでのんびりと進んでいく。3つ目の土本駅は、付近の4世帯のための駅であるが、姓が皆「土本さん」であるのが面白い。昔は井川線と並行して走る道路が通じていなかったので、住民唯一の足でもあった線である。5つ目の奥泉駅は数少ない駅員在中の駅であるが、寸又峡温泉への玄関口でもある。この日は時間に限りもあるため、途中の長島ダム駅まで行って、上り線でここまで戻ってくるのだ。「もよおした」お客さんがいたので奥泉で暫しのトイレ休憩(笑)何とも親切な鉄道である。

P1010890 奥泉の先にある泉大橋 P1010891 だんだん大井川が低くなる。

 山間の鉄道にトンネルが多いのは当たり前の話だが、25km余りの井川線全線には61箇所ものトンネルがあるとのことだ。トンネルに入るとブレーキの金属音やディーゼル機関の音が一際大きくなり、天然児も思わず耳を押さえる。

P1010887 トンネルも多い

 6つ目の駅がアプトいちしろ駅。井川線発祥の当初は、この付近の市代駅までの区間であったが、平成14年に完成した長島ダムが建設されると、市代から接岨峡温泉間が水没することになったため、大井川右岸の高所に新たに線路を建設することになった。そして、アプトいちしろ-長島ダム駅が現在我が国唯一のアプト式区間となっているのだ。アプト式とは、急勾配を上り下りするために、通常の軌道間にギザギザ凹凸のついた第3のラックレールが敷設され、ピニオンと呼ばれる歯車のついた電気機関車を連結して運行を補助する方式である。その昔、上信国境の碓氷峠を在来線が越えていた頃、アプト式電気機関車が補助をしていた時代があったが、現在はこの井川線のみである。その勾配は90‰(1千m進む間に90mの高低差を生じる。)という国内鉄道では最大の勾配だそうだ。

P1010907 ラックレール P1010894 ピニオン(歯車)

 アプトいちしろ駅では牽引作業を車外で見学することができる。乗務員が旗を振って誘導すると、ディーゼル機関車よりひと回り大きなED90形電気機関車が後方から迫ってくる。勇ましい姿にカメラが向けられる。無論、天然児はフルテンションである。連結され制動テストが終わると出発。国内最大勾配といえども、電気機関車が力強く押し上げていくためグイグイと登っていく。高所に付けられた区間だけあって、大井川の水面は遥か下方になり、前方に巨大な長島ダムが迫ってくると長島ダム駅である。今回は目的地が寸又峡温泉であるため、この長島ダム駅で行き違う千頭行きの上り列車に乗り換える。電気機関車は井川行きの下り列車から離れると、今度は上り列車に連結されて坂を下るのだ。

P1010908 電気機関車の雄姿 P1010895 いざ!日本一の勾配 P1010899 長島ダム

 この先も井川までの区間には、長島ダムによってできた接岨湖上にある奥大井湖上駅、秘湯接岨峡温泉があり、その先は赤石山脈が迫る大井川の峡谷に沿って、トンネルと鉄橋の連続する区間となり、高さ70m日本最高の関の沢橋梁など魅力あふれる鉄道である。何れ全線制覇したいものだ。

 奥泉駅に戻り、縄文遺跡のモニュメント前で寸又峡温泉行きのバスを待っていると、山間の寒さがひしひしと戻ってきた。

2011年12月30日 (金)

納竿は静かに終わる。

 12月29日(木)、1年の釣行の締めくくりは、仲間の企画で地元近くの平塚庄治郎丸のライトタックル五目(LT五目)となった。ここ数日、現地のアジは低調で推移しているのが不安要素ではあったが、そこは儀式としての納竿会と割り切ってのこと。しかし、不安要素がもうひとつ。年末の飲み会続きでお腹がP状態なのだ。

111229_060857 オーロラかな??

 朝焼けの相模川の河口。東の空にオーロラのような不思議な雲が浮かんでいた。自然て本当に面白い。昨日で御用納めの企業も多かったようで、船宿はマダイ、アマダイ、カマスなどを狙う愛好家で賑わっていた。アマダイは2船出船体制だ。正月前とあって、赤いお魚を狙う人が多いのかもしれない。この日のLT船は我々一行4人を含めて11人。片舷5人でちょうど良い具合である。私は左舷ミヨシ(一番前)に陣取った。

111229_072324 朝だ朝だよ~朝日が~昇る~空に真っ赤な陽が昇る♪

 7時出船。気温は低いが温熱下着とウィンドブレーカーのお陰でそれほど寒さは感じない。冬の厳寒期は登山でもそうだが、空気が澄んで景色が素晴らしい。海上から望む丹沢、箱根、天城、そして富士山の連なりは最高である。

111229_072314 箱根と富士の山々

 船は西に進路をとった。LT五目では朝一で鯛や根魚を狙うことが多いので、最初のポイントは大磯・吉田茂首相邸沖の根回りである。水深は40m、タナは下から3m。何投目かで竿が心地よくしなって心ときめく。釣りの醍醐味は①海底の状況を探りながら魚信を求める。②針掛りして竿が絞り込まれる。③魚との駆引きの末、水面に銀鱗がひらめく。この3点である。最初の獲物なので慎重に巻き上げていくと、最初の絞込み、中層の引き込み、最後の抵抗と、鯛特有の三段引きである。水面に鮮やかな桜色がひらめき、25cmほどの良型ハナダイを取り込んだ。周囲では小型のマハタがポツポツあがっていたようだ。

111229_072125 赤いお魚GET!

 根魚の次はアジである。ロングビーチ沖から二宮沖に少しずつポイントを移動しながら探っているようだ。すると、二宮インターの真沖、水深80~90mの深場で30cmほどの良型アジが当たり始めた。初めは手巻きリールでやろうと思ったのだが、今までの経験上冬場のLTでのアジはかなり深場を狙っていたので、電動リールを持参してきて良かった。釣れたマアジは幅広で美味しそうだ。しばらくテンポ良くアジが釣れ続いたが、時折PPで船尾の個室に駆け込むことに・・・ポンプで一気に大海原へファイアー!

 いい加減釣ると、再び大磯沖に移動して、水深5、60mほどのポイントで根魚やアマダイ狙いとなったが、反応はほとんどなく、大き目のトラギスや煮ても焼いても食えない(?)がサクラダイが満艦飾で釣れただけだったが、仲間は中、小型のアマダイやイトヨリ、大きいカサゴを釣り上げていた。そのうちシコイワシやサバの大群が中層~底に入り込んで、妨害を始めたので祭る祭る!お祭り一色で、左舷と右舷で同時に4人がお祭りして解くのに悪戦苦闘したり、道糸が高切れする人もいて、船上は退廃ムードになってきた。

 14時に沖上がり。釣果はアジ9、サバ8、トラギス2、ハナダイ1と控えめであったが、静かな釣り納めで良かったのではないか。また来年、良いお年をお迎えください。

2011年12月27日 (火)

走る鉄博!大井川鉄道の旅その1

 我が家では鉄道大好き天然児へのご褒美として、数年に1度SLが現役で活躍する大井川鉄道沿線の旅を楽しんでいる。近年同鉄道では、冬季に沿線の名湯寸又峡温泉の宿泊費と往復の交通費が格安のパックになった「冬のスマタ」を提供している。新金谷-千頭間の鉄道と寸又峡温泉までのバス、温泉民宿1泊2食で8千円(12月)というお手軽さは利用しない手はない。

 12月17日(土)東名吉田ICから茶畑が広がる牧之原台地を通り抜けて、島田市にある新金谷駅にやってきた。SL急行の始発駅である新金谷駅前に広い駐車場が設けられていて、大井川鉄道沿線の旅の拠点となっている。駅前には券売所兼待合所のプラザロゴがあり、古い車両や駅舎、鉄道模型などが展示されている。売店もあってご当地名産であるお茶のほか、鉄道グッズなどが豊富にそろえられているので、旅の前からお土産に気をとられてしまう。11時48分発のSL急行「かわね路」号を待っている間、天然児は展示車両で大はしゃぎ。多くの家族連れの姿があったが、ハイテンションな天然児は他を寄せ付けない困り者である。

P1010814 旧京阪電鉄と南海電鉄の旧車たち

P1010825 レトロ感漂うプラザロゴの展示 P1010822

 出発時刻のかなり前にSL急行編成はホームに入線し、罐の温度を上げて蒸気圧を調整していた。大井川鉄道運行80周年の記念ヘッドマークが輝いている。待ちに待ったSLなので、いち早く間近で見て写真やビデオに雄姿を収めたいのはその場にいる人たち共通の思いであるが、ホーム周辺が混雑すると上り電車の入線もあるため、安全上ホームへの立ち入りができない。線路沿いのフェンス前には待ち遠しそうに人だかりができていた。この日、SL・C11形が牽く客車は4両編成で、一番後には補助の電気機関車E10形が連結されている。

P1010833 SL急行「かわね路」号入線。でもまだ入っちゃダメ!

 出発10分前に改札が始まると、SLの周辺は記念撮影をする人で大賑わい。そのうち満足した乗客が客車に納まると、11時48分に汽笛一声、定刻の出発となった。ゴトン!と牽引力が客車に伝わり、ゆっくりと新金谷駅のホームを滑り出す。ホームや駅舎から駅務員や同社の事務員が手を振って見送るサービス振りである。これから千頭まで約35kmを1時間余りかけてのんびりとした鉄道の旅が始まる。

P1010839 さあ出発だ! P1010845 日本一のお茶の産地

 金谷の市街地を抜けるとお茶畑が広がる田園風景の中を走る。車窓からでは分からないが、さぞ撮り鉄の心を揺さぶる光景であろう。第二東名の高架をくぐると進行方向の左右から山が近づいてくる。やがて右手に広大な河原を擁する大井川が車窓に飛び込んできた。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と謡われた大井川は、その昔、徳川幕府の防衛戦略上架橋されず、渡船も禁止され、旅人は浅瀬を自ら歩いて渡るか、川越人足に頼るのみであった。思えば数日前に箱根神山に登っているのだが、レジャーとして昔の難所をいとも簡単に往来できる時代なのだ。

 車窓左手の山と右手の大井川に挟まれた狭隘な地形をSLは走る。車内放送では名物車掌の「SLおばさん」が名調子で沿線の名所やSLのプロフィールを語る。「左手、山の斜面をご覧になってください。可愛らしいタヌキたちが見送ってくれていますよー。あっという間に過ぎてしまいますので、注意して見てくださいね。」とアナウンス。すると線路脇の斜面に信楽焼のタヌキの群れが見送ってくれた。

P1010843 神尾駅手前の狸たち P1010982 大井川を見ながらのんびりと・・・

 12時15分、SL急行唯一の途中停車駅である家山駅に8分ほど停車。乗客はそろぞろとホームに出てSLの撮影をしたり、趣きある家山の駅舎を眺めたり。家山を出発して隣の抜里駅を通過すると、大井川に架かる橋梁を渡り右岸から左岸に渡る。このとき、「右手をご覧になってください。裸のおじさんが手を振っていますよー」とアナウンス。のどかな田園風景にそぐわない露出狂の出現か!?さにあらず。橋を渡った右にあるのが「川根温泉ふれあいの泉」という温泉施設で、その露天風呂から裸のおじさんたちが手を振っていたのだ。

P1010850 家山駅で休憩 P1010855 懐かしいアイテムたち P1010857

 沿線はひたすらお茶畑が続いているが、この辺りは「川根茶」というブランドものである。その中で、俗に日本一短いトンネルといわれる全長10mほどの地名トンネルや、対照的に大井川に架かる全長220mの塩郷つり橋が乗客の目を楽しませてくれる。車内販売では車内限定グッズのハーモニカやSLのおもちゃ、SL弁当などを販売している。「SLおばさん」の十八番ハーモニカ演奏もこのタイミングである。

P1010867 9600形SLとE10形電気機関車 P1010872 人力転車台

 13時5分に終点の千頭駅に到着。向かいには上りの旧南海電鉄21000系電車が待機中であった。(実はこの電車、この直前に椎茸栽培の人が伐採した木が衝突して、破損していたことを夕方のニュースで知った。)千頭駅港内には静態保存の9600形SLやE10形、E31形などの珍しい車両が出迎えてくれた。転車台など珍しい施設にも注目である。(つづく)

2011年12月25日 (日)

山行 霧氷広がる天下の険 箱根駒ヶ岳~神山

 箱根の山は天下の険、函谷関も物ならず・・・滝廉太郎作曲の箱根八里に謡われるように、箱根の山は東海道の難所とされてきたが、高さとしては標高1,438mの神山を主峰に、駒ヶ岳(1,356m)、金時山(1,213m)、明神ヶ岳(1,169m)など1千mほどの低山の集合で、何より豊富な温泉を有する一大レジャースポットであり、登山後に温泉で汗も流せて、初心者、ファミリー向けの山といえる。しかし、富士山と相模湾、駿河湾の中間に位置しているため、夏は濃霧が立ち込め、冬は降雪が多い。強風の日も多く、箱根のもつ気候の厳しい一面に驚かされることもある。

 箱根全山は40万年ほど前から活動を始めたひとつの火山で、東に鷹巣山~浅間山~明星ヶ岳~明神ヶ岳、北に金時山~長尾山~丸岳、西に三国山、南に鞍掛山~大観山~白銀山と東西約10km、南北約13kmの外輪山が囲む。その内側には仙石原や宮城野・強羅などのカルデラとカルデラ湖の芦ノ湖が広がる。そして中央火口丘の神山、駒ヶ岳、二子山がそびえる構造になっている。

 12月中旬、中央火口丘、最高峰の神山に登ってみた。神山へのルートは北に位置する大涌谷から南の駒ヶ岳に抜けるものだが、大涌谷は標高約1千mに位置しているため、物足りない気がしたので、東側、ケーブルカーとロープウェーの乗継駅である早雲山駅(標高約760m)前に駐車場があることを思い出したので、そこへ向かうことにした。・・・が、早雲山駅前には20台分ほどの駐車スペースがあるのだが、「お客様専用駐車場」の表示が掲げられている。さすがに長時間ここに駐車して登山できる状況ではなさそうなので、大涌谷の駐車場に向かった。

P1010732 大涌谷の大ガレ P1010736 ここは地獄でございます・・・

 まだ観光客もほとんどいない大涌谷を9時に出発した。大涌谷の噴煙地への観光ルートとは別に神山方面への登山道に入った。登山口の鉄扉には「火山ガスの噴出に注意。立ち止まらないでください。」と表示が出ているが、折から風が強いので少しは安心である。正面にそびえ立つ冠岳に向かって、噴煙があちこちで吹き上がる斜面の中に延びる登山道を登っていく。立ち枯れの樹木や黄色っぽい土砂が露出し、地獄に落とされた亡者のような気分である。硫黄の臭気が鼻を衝くのでいつもよりは息苦しさも感じる。

P1010737 ガス検知器? P1010808 大ガレの向こうに明神ヶ岳、更に丹沢も・・・

 噴煙地を抜けると、まっすぐ神山への直登コースと、左手に神山を迂回して駒ヶ岳方面に向かう「お中道」と呼ばれるルートに分岐する。この日は晴れていたのだが、中央火口丘の山は今ひとつ雲が晴れない。ここは後々晴れることを期待して、まず時間稼ぎも兼ねてお中道を迂回し、晴れた頃合に神山に登ろうと思い左折した。山陰になる迂回路は、1度降った雪が路面の岩にこびりつき凍結していて危なっかしい。間もなく早雲山駅方面への分岐を分かれると、樹林が深くなり道が安定してきた。時折眼下に強羅温泉郷が見下ろせ、その向こうに明神、明星の外輪山尾根が見えている。こっちの寒々しさに比べて、外輪山は日が当たっていて暖かそうである。

P1010740 凍っていて歩きづらい P1010742 外輪山は良さそうだ・・・

 お中道を40分ほど歩くと、神山と駒ヶ岳の中間にある十字路に到達した。この頃は晴れるどころか雲がかかって、冷たい西風がビュービューと吹き付けていた。十字路を右折して駒ヶ岳山頂を目指す。駒ヶ岳の山腹に一歩踏み出すと、霧が樹木に付着し凍りつく霧氷に一面覆われていた。箱根の霧氷は噂で聞いたことがあったが、お目にかかるのは初めてである。春は花の彩り、夏の深緑、秋の紅葉、そして冬は白銀の世界だが、樹氷というものは蔵王など雪深い地方の遠いイメージであったが、意外と身近に楽しめるものだ。

P1010747 駒ヶ岳下 P1010749 霧氷の世界 P1010755

 駒ヶ岳の山頂は、普段は丈の低い箱根竹に覆われた明るい広々とした場所で、ハイカーで賑わう場所であるが、この日は冷たい突風が吹く荒れる地獄のような様相で、人気は全く皆無であった。絶え間なく吹き付ける冷たい突風の直撃を受けていると、急激に体温を奪われる。新田次郎の山岳作品「聖職の碑」では、木曽駒ヶ岳登山中の中学児童と引率の教師らが台風の直撃を受けて遭難した史実を題材にしているのだが、その中で冷たい突風の直撃を受けた児童が一瞬にしてバタバタと倒れるシーンがあるのだが、「あれは本当なんだ!」という実感が込み上げて、偶然同じ駒ヶ岳ということもあり少々恐怖を覚えた。

P1010757 駒ヶ岳山頂へ P1010760 氷の花が咲いていました。P1010766 駒ヶ岳神社

 駒ヶ岳山頂(1,356m)の神社で折り返して、今度は十字路を直進して神山にとり付いた。神山はアセビ、ウツギ、ブナ、ツツジなどの樹木に覆われ、余り展望はきかない山であるが、標高を上げるにつれてこちらも霧氷が見られ、時折雲間から覗く青空とのコントラストが最高である。駒ヶ岳山頂から小1時間ほどで神山の山頂(1,438m)である。神の名のとおり、山岳信仰上この山は神として崇められ、駒ヶ岳神社で祭事が行われるという関係である。山頂は樹木に覆われているが、東や北の方角が少し開けて駒ヶ岳や冠岳が望めた。駒ヶ岳の山頂は今更ながら雲が晴れて、相模湾に浮かぶ初島まで望めたのが悔しい。山の天気は読めないものだ。

P1010769 芦ノ湖がちょこっと P1010777 神山山頂 P1010778 天照大神

P1010779 駒ヶ岳が晴れてきている。

 正面に真っ白な冠岳を眺めながら神山北面を下る。間もなく冠岳方面に分岐するので、ちょっと寄り道。今度は霧氷に覆われた神山が美しい。

P1010780 神山から冠岳方面 P1010782 白銀の冠岳

 霧氷地帯が終わると、大涌谷方面に急降下し、やがて噴煙地が眼下に広がってきた。多くの観光客が訪れているのが見え、その向こうに金時山、長尾山など外輪山北側、更に愛鷹山や雲に隠れた富士山も見えた。駐車場に近づいた頃、正午の時報である「箱根八里」が聞こえてきた。

P1010796 外輪山の向こうに富士山 P1010800 冠岳を振り返る。

 お土産に名物「黒たまご」を買って帰った。子どもたちはなぜか大喜びであった。

P1010812 1つ食べると寿命が10年延びる!?P1010813

☆メンツ:単独

★コースタイム:3時間5分(休憩含む)

大涌谷駐車場9:00→9:20早雲山分岐→10:00駒ヶ岳下十字路→10:20駒ヶ岳山頂10:25→

10:40駒ヶ岳下十字路→11:10神山山頂11:15→11:25冠岳山頂→11:45早雲山分岐→12:05大涌谷駐車場

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2011年12月22日 (木)

湯の花トンネルの悲劇

 高尾山~小仏ハイキングの帰路、裏高尾の集落を歩いているときに、気になる看板を発見した。「いのはな慰霊の碑入り口」とある。看板に導かれて畑の中の坂道を登っていくと、中央線の踏み切りがある。その踏み切りの左手にトンネルが見えている。逆に踏み切り右手の畑の中に石碑が建っているのが見られたが、天然児が踏み切りに釘付けとなってしまったので近づけなかった。

P1010723 いのはな慰霊の碑とは?

 後日調べてみると、終戦直前の昭和20年8月5日正午過ぎ、浅川駅(高尾駅)を出発した新宿発長野行きの列車が当地に差し掛かったとき、にわかに高尾山上空から複数の米軍P-51戦闘機が来襲し、機銃掃射やロケット弾攻撃を反復して行った。列車は湯の花(いのはな)トンネルに入って停車したが、電気機関車と8両編成の客車のうち、トンネルに入ったのは機関車と前2両の客車のみであったために、後部の車両が格好の目標となってしまった。また、3日前に大規模な八王子空襲があり、中央本線は久しぶりの復旧だったため、車内は立つ余地もなく、デッキや窓に身を乗り出す乗客もあったほど混雑しており、犠牲者は50余名とも65名ともいわれ、負傷者も数百人にのぼる大惨事となった。これは我が国が受けた列車攻撃では、最大の被害と記録されている。

 戦後、遺族や土地の人たちが、この非人道的な戦争犯罪の記録を風化させないと共に、犠牲となった人たちの霊を弔うために慰霊碑を建立して、毎年8月5日には慰霊祭が行われているとのことだ。そんな悲劇の舞台を今日も中央本線の電車が通過して、湯の花トンネルに入っていくと、天然児は大興奮ではしゃいでいた。

P1010724 右端の生垣の中に慰霊碑がありました。(後方は中央道)

2011年12月19日 (月)

山行 甲州街道を歩く 高尾山~小仏峠その2

 高尾山山頂から少し下った紅葉台で昼食をとり、小仏峠方面へ向かって尾根道を歩く。この尾根道は高尾山から城山-小仏峠-景信山-堂所山-明王峠-陣馬山と続く、なだらかな低山縦走コースで、多くのハイカーが歩く人気の登山道である。

P1010681 天然児、縦走路へ踏み入る。

 なだらかな尾根道は、前週僅かに降った雪と霜が融け、それが早朝から多くの人に踏まれて泥濘の悪路と化していた。驚いたのは泥のひどい箇所に筵が敷かれていたことである。何ともご丁寧なことである。登山靴はみるみるうちに泥で汚れたが、それに追討ちをかけるように天然児がお構いなしに泥を跳ね上げ、ズボンの裾も泥だらけになってしまった。

 途中、一丁平では高尾山山頂と同様に、南西方面の丹沢、富士山の展望が素晴らしく、この景色を前に休憩を楽しむ人で賑わっていた。ここでは火を使って鍋を作ったり、ワインを開けたりと、思い思いの山上パーティーを楽しむグループも多い。高尾山は公園であり、信仰の山域なので、宴会ははばかられるが、ここは穴場的な場所なのかもしれない。

P1010684 一丁平 P1010687 大山と東丹沢 P1010686 丹沢と富士山

 高尾山から小1時間で東面が大きく開けた城山(670m)に到着した。多摩地域の都市部が広がって、中央線がまっすぐ東京都心方面に延びている。山頂には茶屋が設けられていて、飲食ができるほか山麓の産物が販売されていた。城山の名のとおり、この場所には戦国時代に北条氏の山城が築かれて、甲州方面から侵入する武田勢を監視していた。後の太平の世に小仏の関となって引き継がれている。

P1010689 城山の茶屋 P1010693 中央線を見つけたか?

 城山から少し下って樹林に囲まれた小仏峠となる。休業中の茶屋の横には明治天皇行幸記念の石碑が建っていた。「宮さん宮さん御馬の前にひらひらするのは何じゃいな トコンヤレトンヤレナ あれは朝敵征伐せよと錦の御旗じゃ知らないか トコトンヤレトンヤレナ・・・♪」明治の初期まではこの峠を甲州街道が越えていたのだが、明治中期に現在の国道20号線が通っている大垂水峠が街道となった。木々の合間から相模湖が見下ろせて、その向こうに丹沢の山並みと富士山がのぞき、峠越えの叙情を誘っていた。

P1010698 相模湖を見下ろす。 P1010702 明治帝行幸記念碑 P1010703 小仏峠

 小仏峠で縦走路と別れ、往年の街道を八王子(浅川)方面に下る。街道とはいえ道は険しく、江戸から下ってきた旅人はさぞ驚いたことであろう。九十九折の峠道を下ると沢に出合い、間もなく車道となった。車道を下って、JRの高尾変電所を過ぎると中央本線の線路が道路に併走する。天然児は大好きな電車が来ないかウキウキくんになっていた。峠から下ってきたハイカーのほとんどは、小仏バス停の行列に入ったが、我が一行はそのまま下って行く。

P1010705 甲州街道を歩く P1010709 水源もあり P1010711 紅葉もある

P1010713 電車来ないかな・・・ P1010714 鉄道史跡 P1010715 スーパーあずさ

 しばらく下ると、圏央道の高尾山トンネルの工事現場がそびえ立つ裏高尾の集落に至った。高尾山と八王子城跡から延びる北高尾山稜との合間にある裏高尾の集落は、1日中日陰に閉ざされているようで、残雪も残り寒々しい土地であったが、そこに住む人の心はいたって温かいものであった。住宅の合間の電車を眺めていた天然児と私が余りにみすぼらしく写ったのか、お婆ちゃんが家から出てきて、「これから駅まで行くから(車に)乗っていくかい?」とか、すれ違った散歩のお爺ちゃんが、「(天然児に)ボク手が寒かろうよ。」とか声をかけてくれる。

P1010717 極寒零下の地 P1010719 橙実る

 また裏高尾は、夏が終わる頃、北高尾山稜から高尾山に渡ったときに、通過した場所であるが、(http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-48f2.html)湧き水が豊富なことに驚いた。高尾山を貫く圏央道の工事は、当然水の手を脅かすものであり、この集落は満場反対しているようであった。水を利用して豆腐を作る店があったが、ここの豆腐は結構評判のようで、圏央道建設の道路会社の人も密かに買いに来るようである。圏央道の工事がこの豊富な湧き水を枯渇させないことを改めて祈る。

P1010726 湧き水 P1010728 わしの目の黒いうちは許さんぞ!

 小仏関所の旧跡を過ぎて高尾山口に戻った。

P1010729 小仏の関の旧跡

☆メンツ:天然児、ババ、私

★コースタイム:4時間40分(休憩含む)

高尾山駅10:50→薬王院11:20→11:40高尾山山頂11:50→12:00紅葉台(昼食)12:20→

12:40一丁平→13:10城山→13:40小仏峠→14:00車道出合→15:00裏高尾水場→15:30高尾山口駐車場

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2011年12月17日 (土)

山行 親子ダイエット作戦開始! 高尾山~小仏峠その1

 天然児が学校の健診で「太りすぎ」のらく印を押されてしまった。本人自身ではどうしようもない子なので、こりゃどげんかせにゃいかん!ということで、積極的に山歩きに連れて行くことになった。とはいえ、私が普段通っている丹沢では険しすぎる。前衛の山や箱根は以前苦労しながら登らせたが、登山道が整備され、手をつないで歩ける幅広い登山道の山はないかと模索していると、どうやら多摩方面の山は結構いけそうなので、早速12月11日(日)高尾山に行ってみることにした。

 R412を北上し、津久井経由で高尾山口へ向かった。紅葉も終わりとなる時期なので、空いているかと思いきや、駐車場は結構な混み具合で、住宅地の奥まった駐車場に誘導された。準備を整えて高尾登山鉄道(ケーブルカー)の清滝駅に向かった。途中、京王線高尾山口駅からも多くのハイカーが出てきて高尾山に向かい、世界的観光地にノミネートされた高尾山の人気の高さをうかがい知ることができる。

P1010638 清滝駅 P1010640 勾配日本一を誇るケーブルカー

 我々はケーブルカーを利用したが登山道を歩く人も多い。ケーブルカー沿いのもみじは紅葉が残っていて、車内から感動の声が上がる。しかし、日本一の勾配を誇るケーブルカーは乗り心地が悪い。私も含めて、斜面に背を向けた席の乗客は座席からずり落ちそうになるほどである。10分ほどで高尾山駅に到着した。

P1010646 紅葉も残っていました♪ P1010647 たこ杉に天然児も注目!

 駅からすぐの浄心門をくぐり、高尾山薬王院へ向かう舗装された参道を歩く。薬王院への参道は数ある高尾山登山道のメインルートであり、多くの人が歩いている。時折、東南に東京都心や多摩丘陵、北に奥多摩の山々が垣間見えたが、遠く筑波山が見えたのには驚いた。天然児は大の山嫌いで登山口の攻防が名物であるが、賑やかなところは大好きなので、人に釣られてよく歩く。たまに山ガール一行に手を振ったり、ボディランゲージで外人さんに抱きついたりしていた。「お、お父ちゃんも真似していいかなぁ・・・」

P1010655 筑波山わかりますか? P1010660 四天王門

 高尾山薬王院は聖武天皇の御世に行基が開山したといわれ、その後、真言宗山岳修行の道場となり発展し、北条氏照や徳川家康など支配者層亜からも手厚い信仰を受けた。四天王門を抜けると境内となり、本堂、本社、奥の院と登山道は境内を貫いている。本堂周辺には修験道の象徴である天狗の銅像や面が祀られ、本社は色彩豊かな木工細工で飾られていた。

P1010669 薬王院本社 P1010670 天狗さんがいっぱい! P1010664

 奥の院を抜けると山頂へのなだらかな尾根道で、道沿いには広葉樹の他にナラやブナなどの落葉樹や杉やモミの大木なども見られ、植生の豊かさを実感した。もみじの紅が意外と残っていて嬉しい限りである。そうしているうちに広々とした高尾山山頂(599m)に到着した。ここまで、薬王院の境内をブラブラしながらでも、ケーブルカー高尾山駅からわずか50分というお手軽さである。都心からの身近さ、交通アクセスの良さと相まってハイカーや観光客が集中する訳である。

P1010673 高尾山山頂 P1010677 大室山は「富士隠し」とも呼ばれています。

 山頂南西は大きく開け、丹沢のほぼ全域が見渡せた他、大室山を従えた富士山も美しく最高の展望を得られた。この絶景をおかずに多くのハイカーが昼食をとっている。良さそうなところは空いていないので、我々は少し先の紅葉台で昼食をとった。(つづく)

2011年12月15日 (木)

月食の夜

 12月10日(土)の夕方、地元堤防の釣況を見物に行きました。ルアーを投げる人、メジナを狙う人、チョイ投げの人などがいましたが、それほど釣れていないようでした。この時期はカマスが寄るかと思ったのですが・・・

P1010621 地元の堤防

 日没の西空は赤く染まり、箱根や伊豆の山々のシルエットが黒く浮かびあがっていました。相模湾の沖には伊豆大島が大きく見えていました。大島良かったなぁ・・・

P1010625 箱根連山のシルエット P1010624 伊豆大島

 振り返ると東の空にまん丸のお月様が昇っていました。あー今夜は月食だったなぁ。

P1010626 満月が昇ります。

 日が変わる深夜頃、自宅の前で月食を観測してみました。食が始まる23時過ぎは予報に反して雲が広がっていたのですが、0時に近づくと晴れて美しい夜空の天体ショーを見上げることができました。

P1010629 P1010634 P1010637 P1010636 P1010635

2011年12月14日 (水)

山行 ボッカの真似事してみました。 鍋割山

 天然児送迎時間調整登山4時間1本勝負。12月10日(土)は表丹沢の鍋割山を目指します。鍋割山はちょうど1年前に初登頂を果たしてから、塔ノ岳と組合わせたり、訓練所尾根からアプローチしたりといろいろ楽しんでいる山です。今回は初登頂のときに歩いた後沢乗越経由で往復してみることにしました。

 この週の後半は冷たい雨となって、丹沢周辺の山は雪化粧をしたとの情報を得ていましたので少々心配だったのですが、菩提辺りから見上げてみると二ノ塔や三ノ塔の標高1千m以上の稜線が薄っすらと白くなっている程度だったので、アイゼンの必要もなかろうと判断し、お決まりの表丹沢県民の森へ向かいました。快晴の天気ともあって、県民の森の駐車場周辺は30台ほどの車が停車していました。私も三廻部林道の分岐点辺りに路肩駐車をして10時20分にやや遅い出発となりました。

P1010612 二俣付近の紅葉 P1010614 今季も見納めでしょうか P1010616

 大倉方面から延びる西山林道に合流すると、多くのハイカーが往来し、早い人は下山してきたようです。二俣辺りは紅葉が所々残っていたので、写真を楽しむ人の姿も見られました。林道の終点がミズヒ沢で、ここには鍋割山山頂に建つ鍋割山荘の水場があって、水が満たされたペットボトルが集積されています。余裕があるハイカーはペットボトルを山荘まで荷揚げしてあげるのですが、今回はこの荷揚げに挑戦してみようと思いました。愛用の36ℓザックに2ℓペットボトルを6本を収めると、ズッシリと重さが伝わってきました。さあ頑張るぞ ー!

P1010591 ミズヒ沢付近 P1010593 鍋割山荘の水場

 なだらかな杉の植林帯をぬけると、寄方面からの尾根道が合流する後沢乗越です。ここからはやや険しい尾根道を登っていきます。後沢乗越より上の尾根周辺の広葉樹は既に落葉しきっていて、おまけに雪が少しのこっているので冬山の様相ですが、南向きの斜面は日差しが暖かです。このルートは鍋割山への最短ルートなので、多くのハイカーが山頂を目指していました。親子孫三世代のファミリー総出、ピチパチとおしゃべりが楽しい山ガール、「係長はなんちゃら・・・」という会話は会社の山会でしょうか。とにかく賑やかです。

P1010611 右手に大山と三ノ塔が見える。 P1010602 雪がだんだん多くなり・・・

 標高があがるにつれて雪が目立ってきましたが、登山道は完全に溶けていて、多くのハイカーに踏まれてかなりぬかっていました。鍋割山はニセピークのような前衛が手前にあって、そこを通過するとややなだらかになって展望が開けてきます。左手に檜岳山稜が大きく広がり、右手には塔ノ岳大倉尾根が平行しています。どちらも稜線には薄っすらと雪化粧をしていました。

P1010604 賑わう鍋割山荘 P1010608 檜洞丸(右)と同角ノ頭

 鍋割山(1,273m)の山頂は100人を越えるような人出で賑わっていました。南と西に開けた広々した斜面ではハイカーが思い思いの山上ランチを楽しんでいます。私は鍋割山荘で名物「鍋焼うどん」を食べようと思ったのですが、行列を前に断念せざるを得ませんでした。仕方ないので背負ってきたペットボトルを山小屋に置いて、しばし山頂からの展望を楽しみます。西側の展望は素晴らしく、遮るものがない富士山が正面で、手前に檜岳山稜、左手に愛鷹連峰、右手には西丹沢の山々が広がって、遠くには道志山塊の御正体山や11月に登った杓子、鹿留山、石割山などが見えていました。やはり展望を楽しむのは冬が一番ですね。

P1010605 山頂西側の大展望

☆メンツ:単独

★コースタイム:3時間30分(休憩含む)

表丹沢県民の森10:20→10:40二俣→11:00ミズヒ沢→11:15後沢乗越→12:15鍋割山

鍋割山12:25→13:00後沢乗越→13:15ミズヒ沢→13:30二俣→13:50県民の森

Photo

2011年12月10日 (土)

奇襲は日本のお家芸

 「トラ・トラ・トラ ワレ奇襲ニ成功セリ」真珠湾奇襲攻撃成功の暗号電文は、大東亜戦争開戦劈頭の日本軍の大勝利を象徴するものです。そもそも「奇襲」とは、敵の予期せぬ時期、方向、速度で攻撃をかけ、敵の混乱に乗じて、あるいは対応行動に入る前に撃破してしまうハイレベルな速攻性をもった戦術といえます。この戦術は歴史上、しばしば小勢力が大勢力を撃破する場面で用いられたことから、小兵をもって大兵を打ち倒す巧妙さを好む日本人に奇襲はもてはやされ、明治以降の軍隊教育においても奇襲攻撃を重視する傾向がありました。

 日本戦史において、奇襲戦術は武家の登場以来しばしば用いられ、古くは源平合戦において、源九郎義経による一ノ谷鵯越や屋島御所襲撃に見られましたが、この時代は敵味方が名乗りを上げて正面決戦をすることが常道で、敵の裏をかく一種の騙し討ち的な奇襲は、夜討ち朝駆けと共に武士の道にもとる卑怯な戦術とされました。しかし、後世の人々は義経の戦巧者振りと悲劇的な結末に同情し、判官贔屓に象徴されるように彼の戦術は華々しく語り継がれました。

 下って戦国時代、下克上の横行と足軽の登場によって、戦いの古式が崩壊すると、奇襲は弱小勢力の常套手段として当たり前の戦術となって、しばしば歴史を動かす場面が見られました。有名なものだけでも…

1546年 河越城を囲んだ山内・扇谷上杉氏、古河公方足利氏の大軍を北条氏康が撃破した河越夜戦→扇谷上杉氏滅亡。両上杉氏に代わって北条氏が関東の覇者に。

1555年 毛利元就が陶隆房の大軍を小さな宮島に誘き出して、海山から攻め立て撃破した厳島の戦い→陶隆房が戦死し、毛利元就が中国に勢力を伸張。

1560年 織田信長が領内に侵攻した今川軍の本陣を突いて、大将今川義元を討った桶狭間の戦い→今川家衰退し、信長は濃尾、畿内に勢力を伸張。

1570年 佐賀城を包囲した大友軍の本陣を籠城方の龍造寺軍が奇襲し、大将大友親貞を討った今山の戦い(実行部隊は鍋島直茂)→龍造寺氏拡大し、九州三国時代鼎立。

1584年 有馬晴信を討伐するため島原半島に侵攻した龍造寺隆信の大軍に対し、援軍の島津家久が山と海の隘路で撃破した沖田畷の戦い→龍造寺氏衰退し、島津氏伸張。

などが有名ですが、大体これらは天候、地形、敵情などの諸条件が揃い、さらに敵を凌駕する諜報力と隠密性が必須となり、一種賭け的な要素が強ので、勝者たちはその後奇襲を用いなかったといわれています。また、乾坤一擲の勝利は敵の中枢を消滅させるほどの完全勝利でないと、強弱の絶対的勢力差は変わらないので、後に来るであろう復讐戦で敗れる可能性が強くなるわけです。先述の戦国の例についても、敵に与えた打撃は何れも総大将が戦死するレベルの完全勝利でした。

 近代になり、日露戦争の開戦時においても、日本海軍はロシアとの国交断絶と同時に国際港であった朝鮮半島仁川港に停泊するロシア巡洋艦と砲艦を撃破し、旅順港深く侵入した水雷艇が魚雷攻撃を仕掛けて、在泊するロシア戦艦に損傷を与えました。日露戦争は結果として、小国日本が大国ロシアを陸海で破り勝利したため、発展途上であった日本人を自信過剰にし、敢闘精神と巧妙な作戦をもってすれば、大国といえども恐れるに足らずという誤った世界観が生じてしまったのです。その巧妙な作戦の中で、奇襲は第1のお約束のようなものでした。

 大東亜戦争開戦時の真珠湾攻撃やマレー上陸も、奇襲攻撃=宣戦布告という日本のお家芸だったわけです。

2011年12月 8日 (木)

ワレ奇襲ニ成功セリ

 今日は12月8日。今年は米太平洋艦隊への蜂の一刺しである真珠湾攻撃によって、大東亜戦争が開戦してから70年という節目の年であります。

見よ檣頭(マスト)に思い出の Z旗高く翻り 時こそ来たれ令一下 ああ十二月八日朝 星条旗まず破れたり 巨艦裂けたり沈みたり♪(大東亜戦争海軍の歌より)

 真珠湾攻撃は「奇襲攻撃」と表現され、アジアの貧国日本が大国アメリカを倒すための戦法としては、先制攻撃によって太平洋艦隊の主力を撃滅し戦意を喪失させることこそ、この上ないものにも思われますが、国際法が整いつつあった20世紀の戦争としては余りに乱暴で、アメリカの国力を蔑ろにしたお粗末な戦術と言わざるを得ません。実際、真珠湾攻撃では米太平洋艦隊の主力戦艦群を撃沈破し、多数の航空機を地上撃破し、大戦果は華々しく宣伝されて、国民の士気を高揚させ、12月8日は「大詔奉戴日」という戦勝記念日になりました。その反面、アメリカの国民感情は戦意喪失どころか、奇襲という騙し討ちに激高し、「真珠湾(の屈辱)を忘れるな!」のスローガンは対日戦反撃の原動力になったのです。

 そもそも、日本の戦争指導者たちが考えていた大東亜戦争の初期完遂目標は、日露戦争同様に、敵国米英の国家を消滅させることではなく、中部太平洋方面において戦線を構築し、局地戦に次々と勝利を得てた後、早期に優位な状況下で和平交渉を進めることにありました。真珠湾攻撃を立案した山本五十六連合艦隊司令長官の「海軍は緒戦半年、1年は思う存分暴れてみせる。しかし、2年、3年となると保障できない。」の言葉はそれを象徴するものです。もっとも、山本長官のこの発言は、対米戦争を危ぶむ本心から出たものなのですが、「やるとなったらとことんやる!」という彼の軍人としての気概も窺えるものではないでしょうか。

 しかし、戦争は指導者たちの思惑を超えて泥沼化し、真珠湾攻撃で時代の主力となりつつあった航空母艦を討ち漏らしてしまったことが、珊瑚海、ミッドウェー、ソロモンの諸海戦で手痛いしっぺ返しとなっていきます。山本GF長官の言葉のとおり、半年で日本の太平洋域での戦略は頓挫し、国力の脆弱な日本はソロモン諸島、ニューギニア、フィリピンの消耗戦でたちまち乾上って、悲惨な末路を辿ることとなります。

 今月23日に映画「山本五十六」が全国で封切られます。また、NHKをはじめ、日米開戦に関するTV番組の特集も多い時期です。これらを参考に、70年前に日本が勝算の低い戦争に何故突入したのか、日本人として考えてみる機会であると思います。

2011年12月 5日 (月)

お久しぶりね~船酔いするなんて・・・

 12月4日(日)、職場の釣り会が金沢八景・蒲谷丸で行われました。とはいえ、今回はメンバーが揃わず僅か4人の釣行で、仕立ではなく乗合船となってしまいました。狙いはライトタックルのアジ釣りです。金沢八景沖のアジは、脂ののった金アジとして知る人ぞ知るブランド物。fish楽しみであります。通常当会では丸1日の釣行ですが、東京湾に面した金沢八景、走水、鴨居などの船宿では、乗合船は午前と午後の半日船で出しています。まず午前船に乗ってみて、釣況に応じてお昼解散するか午後まで通しでやるかを決めることになりました。

 7時30分に10名ほどのお客を乗せて出船。ポイントは八景正面の正味10分ほど出たところですが・・・この日は沖堤を出ると北風が強く、typhoon物凄い波浪が立っています。wave東京湾は北風に弱く、これからの時期はしばしば波浪に悩まされます。船は波風に翻弄されてなかなかポイントに到達できません。舷側にいると波を被ってしまうので、船首の方へ避難すると波を乗越える度に突き上げを食らいます。この突き上げが要注意!腰を痛めてしまうことがあります。

111204_072444 富士山がクッキリ見えるのは風が強い証拠です!

 何とかポイントに到達してスタートです。水深35mほどですが、タナは底から2mとの指示が出ます。しばらくはひたすらコマセをまいて魚を寄せます。しかしなかなか食いが立たず、何人かがポツポツと25cmほどの食べごろサイズを上げて、「いよいよ本番!」と思っても後が続きません。モヤモヤとした気分に横のローリングがかかってだんだんと気分が悪くなってきました。sad

 当たりが続かない割りに波浪が厳しいので、船頭さんは一旦沖堤の内側にポイントを変更して、急場を凌ぎます。ここでも小振りのアジがポツリポツリと釣れましたが、後が続きません。状況は好転しないならば、せめて型の良いアジを釣らせようという配慮か、再び堤防の外に船は出ますが、再び大揺れ・・・shipwaveこの頃には私かなりグロッキー状態。船釣り歴十数年、最近では外房の大ウネリでも酔わないのですが、小刻みの揺れに弱いようで久しぶりの船酔いです。付け餌の青イソメやコマセをつめていると「ウェ~~~プ」と来るので、虚空を青いで深呼吸や溜息を吐きます。この繰り返しですが、隙をみて仕掛けを下ろし、ポツリポツリと拾い釣りをします。

 ククッ、ククッとアジの魚信、ゴツゴツとしたイシモチの魚信を記憶の片隅に感じながら、もうろうとした時間が過ぎていきますが、長いのなんのってbearing早く釣りをやめたいと思ったのは久しぶりです。手返しも鈍ってバラシも連発fish♪ですが、悔しい思いも湧いてきません。もうこれはダメかもわからんね。

 「それでは今下ろしているので最後になります。上げた人から道具を片付けてください。お疲れ様でした。」いつもは残念な船頭さんのアナウンスが、これほど嬉しく思えたことはありません。11時30分に帰港。釣果はアジ8とイシモチが2とお寒いものですが、半日の船酔い釣行では良しとしましょう。陸に上がるとすぐに回復しましたが、さすがに午後船に乗りたがるメンバーはいませんでした。船宿で上がりのアツアツうどんnoodleをご馳走になって帰り、午後はのんびりしていました。

 アジを実家と半分に分け合ってタタキにしたのですが、いつもより少なかったので、かみさんがビールのつまみで平らげてしまいました。翌朝、それに気付いた長男が激怒!「パパは今月もう1回行くから大丈夫だよ。」と説得していました。ウヒヒ・・・言質GET!もう1回行くぜ~good

2011年12月 3日 (土)

ベジタリアン

 12月になりましたね。xmas

 途端に寒くなりましたが、我が家のクロちゃんは主食のリクガメフード以上に季節の野菜が大好物です。キャベツは基本。夏はトマトやキュウリなど夏野菜のほか、ゴーヤや果物も食べまくりました!

Dsc01914 白菜どーそ

 冬はポカポカの鍋料理が美味しいですよね。鍋といえば白菜は欠かせません。寒くなって元気が衰えたクロちゃんではありますが、暖房の効いた室内で白菜をパクパク食べています。しんのところよりは青菜の部分がお好みのようです。

Dsc01913 どれどれ~? Dsc01911 モグモグ・・・

Dsc01912 うまいよこれ♪

 雨も止んだようですし、午後はペット屋にでも行ってカメを見てこようかな~~catface

2011年12月 2日 (金)

山行 富士が絶えない山歩き 杓子山、鹿留山

 11月27日(日)、何とか拝み倒して、子どもがバスケの試合に出かける11時までの条件付きで山行を認めてもらえた。この時期は明るくなるのが6時頃なので、10時頃まで4時間程度の軽いハイキングである。大山、鍋割山、三ノ塔・・・金時山、明神ヶ岳、神山・・・愛鷹越前岳・・・といろいろ考えたあげく・・・

 5時に家を出て、秦野中井ICから東名高道を下る。ICの合流ループを通過時、前方を2匹のタヌキが横切っていた。何とか対向車線も渡りきれたが、タヌキの生息域は人の生活と隣り合わせ。今後も車に轢かれないように祈るばかりである。東名をカッ飛ばして御殿場ICで下り、東富士五湖道路経由で山中湖方面へ。山中湖ICから10分ほどで、忍野八海で有名な忍野村である。忍野村内野という集落の外れから東へ延びる鹿留林道へ入り、6時過ぎに稜線上の二十曲峠に到着した。鹿留林道はこの峠からマス釣り場で有名な鹿留川沿いに都留市方面に延びているが、峠から先はゲートで閉鎖されている。

 二十曲峠は富士山の撮影スポットとしてカメラ愛好家の間では知られた場所らしく、夜明け前から正面に大きい富士山に向かって多くのカメラマンが三脚を並べていた。中にはキャンピングカーや寒空の下幕営してチャンスを狙う人もいる。お陰で駐車場は満車状態。林道脇のスペースに駐車して支度を整えた。

P1010509 二十曲峠からの富士山

 6時25分に二十曲峠を出発し、北に延びる尾根に入った。今回は道志山塊の西端、杓子山(1,598m)と鹿留山(1,632m)を目指す。標高1,500m以上の山名を2つ並べるとロングトレイルを彷彿させるが、この2山は大きな山の東と西に出たピークで、1つの双耳峰である。二十曲峠は標高1,200m程あり、しばらくはなだらかな尾根をアップダウンしながら北に向かい、立ノ塚峠(たちんづか)から一気に400mのアップで最高地点の子ノ神(ねのかみ)に到達し、西に杓子、東へ鹿留と、それぞれ稜線を往復する。とはいえ、登山ガイドでは往復5時間30分はかかりそうなので、「どこまで行けるか?」という強行斥候的な無計画振りである。

P1010514 二十曲峠~立ノ塚峠間 P1010516 道志山塊の盟主御正体山

 北に延びる尾根はミズナラが中心の落葉樹林で、既に落葉を終えて明るい。たまに見事な赤松が生えていて、左手後方に薄紅色に染まる赤富士とマッチングしている。立ノ塚峠までは小さなアップダウンを繰り返し、加瀬山と名のつくピークを過ぎて下降すると、カヤト野原となって、右手にこの道志山塊の最高峰御正体山(1,682m)がゆったりと座している。更に下って立ノ塚峠と出合う。二十曲峠とは違い未舗装の砂利道が横切っているが、ここまで車で到達するのは難しそうである。

P1010518 立ノ塚峠 P1010521 立ノ塚峠~子ノ神間の岩場 P1010526

 立ノ塚峠を通過すると登り一辺倒のルートとなる。いよいよ杓子山本体に取り付いたことになる。尾根沿いのルートは折り返しがなく、進むにつれて傾斜はきつくなっていき、ついには岩登りの鎖場(ロープ)の連続となった。杓子山の名称は飯を盛る杓子に由来したものかと思いきや、崖のことを「シャクレ」とか「シャクシ」と呼ばれることから杓子山となっているそうだ。南面の忍野から見上げた杓子山は岩場が目立つ。最初の岩場を越えたところで富士山の好展望地があり、カメラマンが2人シャッターチャンスを待っていた。話を聞くと、4時から登り始めて暗いうちに到着し、既に頃合は過ぎたそうで、下山の準備をしているとのことであった。

P1010527 富士山展望地 P1010530 子ノ神分岐点

 更に岩場を登っていくと、右手の東向き斜面から動物の足音が聞こえてくる。立ノ塚峠に「熊出没注意!」の看板が立っていたことを思い出し警戒するが、姿は見えなかった。群れではなさそうなので、カモシカだろうか・・・

 立ノ塚峠から1時間ほどで、山頂の稜線である子ノ神に到達した。右手が鹿留山で、左手が杓子山となるが、地図を見るとこの山体の最高地点は子ノ神のようである。ガイドによると鹿留山の方が標高が高いが、山頂は樹林の中で展望がなく、それに対して杓子山は開けて好展望が得られるとのことなので、まずは優先度の高い杓子山を目指す。

P1010531 明るい稜線の道 P1010535 杓子山と御坂山塊(中景)、南アルプス

 杓子山へ続く稜線はブナやミズナラ、カラマツの樹林で覆われているが、この時期は落葉して左手(南面)に富士山が、右手(北面)には頂に電波塔が立つ三ツ峠が樹林越しに見えている。ルートはなだらかにアップダウンを繰り返しているが、所々岩場があって向かい合う富士山の展望が素晴らしい。8時になると富士山麓から砲声が聞こえてくる。この辺りではおなじみの自衛隊の始業タイムである。今季初めての霜柱をサクサクと踏みながら杓子山を目指した。

P1010559 サクサク感がたまらない♪ P1010550 杓子山山頂

 子ノ神から20分ほどで南面が開けた杓子山山頂(1,598m)に到達した。富士山は言うに及ばず正面に大きく、その左に愛鷹連峰、伊豆天城山、箱根連山が並び、僅かに丹沢方面が見えているが鹿留山がそれを隠している。富士山から右手に毛無山、御坂山塊が並び、後方に白く雪化粧した南アルプスが並ぶ。下界にはのんびりとした忍野村の田園風景が広がって、その左手に石割山へ続くなだらかな稜線。その向こうに山中湖が見えた。

P1010547 富士と対面す。

P1010543 遠景左から箱根連山、天城連山、愛鷹連峰、中景に山中湖

 杓子山の展望を楽しんだ後、子ノ神を経て鹿留山へ向かった。小笹の小道を10分も行くとブナ林の鹿留山(1,632m)の地味な山頂に至る。ここは正直杓子山のオマケ程度のものである。

 時間制限付きの強行斥候のつもりが、結局杓子、鹿留の両ピークまで楽しんでしまった。11時までに帰宅することが大前提なので、遅くとも10時には二十曲峠を出発しなければならない。岩場の下りは慎重に、立ノ塚峠から二十曲峠までのアップダウンはトレイルランニングで大返しして、10時15分に二十曲峠に下山した。もはや11時には間にあわないだろうが、焦って無茶な運転をしては交通事故の原因である。そう思うと、余裕が生まれて、二十曲峠の清水を汲んで帰ることにした。

P1010566 地味な鹿留山 P1010574 トレラン向けのなだらかな尾根

P1010581 富士で始まり富士で終わる。 P1010582 忍野からの杓子・鹿留山

☆メンツ:単独

★コースタイム:3時間50分(休憩含む)

二十曲峠6:25→6:50加瀬山→7:00立ノ塚峠→7:35富士山展望地(休憩)7:40→

8:00子ノ神分岐→8:20杓子山(休憩)8:40→9:00子ノ神→9:05鹿留山→9:15子ノ神

→9:40立ノ塚峠→9:55加瀬山→10:15二十曲峠

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