山行 甲州街道を歩く 高尾山~小仏峠その2
高尾山山頂から少し下った紅葉台で昼食をとり、小仏峠方面へ向かって尾根道を歩く。この尾根道は高尾山から城山-小仏峠-景信山-堂所山-明王峠-陣馬山と続く、なだらかな低山縦走コースで、多くのハイカーが歩く人気の登山道である。
なだらかな尾根道は、前週僅かに降った雪と霜が融け、それが早朝から多くの人に踏まれて泥濘の悪路と化していた。驚いたのは泥のひどい箇所に筵が敷かれていたことである。何ともご丁寧なことである。登山靴はみるみるうちに泥で汚れたが、それに追討ちをかけるように天然児がお構いなしに泥を跳ね上げ、ズボンの裾も泥だらけになってしまった。
途中、一丁平では高尾山山頂と同様に、南西方面の丹沢、富士山の展望が素晴らしく、この景色を前に休憩を楽しむ人で賑わっていた。ここでは火を使って鍋を作ったり、ワインを開けたりと、思い思いの山上パーティーを楽しむグループも多い。高尾山は公園であり、信仰の山域なので、宴会ははばかられるが、ここは穴場的な場所なのかもしれない。
高尾山から小1時間で東面が大きく開けた城山(670m)に到着した。多摩地域の都市部が広がって、中央線がまっすぐ東京都心方面に延びている。山頂には茶屋が設けられていて、飲食ができるほか山麓の産物が販売されていた。城山の名のとおり、この場所には戦国時代に北条氏の山城が築かれて、甲州方面から侵入する武田勢を監視していた。後の太平の世に小仏の関となって引き継がれている。
城山から少し下って樹林に囲まれた小仏峠となる。休業中の茶屋の横には明治天皇行幸記念の石碑が建っていた。「宮さん宮さん御馬の前にひらひらするのは何じゃいな トコンヤレトンヤレナ あれは朝敵征伐せよと錦の御旗じゃ知らないか トコトンヤレトンヤレナ・・・♪」明治の初期まではこの峠を甲州街道が越えていたのだが、明治中期に現在の国道20号線が通っている大垂水峠が街道となった。木々の合間から相模湖が見下ろせて、その向こうに丹沢の山並みと富士山がのぞき、峠越えの叙情を誘っていた。
小仏峠で縦走路と別れ、往年の街道を八王子(浅川)方面に下る。街道とはいえ道は険しく、江戸から下ってきた旅人はさぞ驚いたことであろう。九十九折の峠道を下ると沢に出合い、間もなく車道となった。車道を下って、JRの高尾変電所を過ぎると中央本線の線路が道路に併走する。天然児は大好きな電車が来ないかウキウキくんになっていた。峠から下ってきたハイカーのほとんどは、小仏バス停の行列に入ったが、我が一行はそのまま下って行く。
しばらく下ると、圏央道の高尾山トンネルの工事現場がそびえ立つ裏高尾の集落に至った。高尾山と八王子城跡から延びる北高尾山稜との合間にある裏高尾の集落は、1日中日陰に閉ざされているようで、残雪も残り寒々しい土地であったが、そこに住む人の心はいたって温かいものであった。住宅の合間の電車を眺めていた天然児と私が余りにみすぼらしく写ったのか、お婆ちゃんが家から出てきて、「これから駅まで行くから(車に)乗っていくかい?」とか、すれ違った散歩のお爺ちゃんが、「(天然児に)ボク手が寒かろうよ。」とか声をかけてくれる。
また裏高尾は、夏が終わる頃、北高尾山稜から高尾山に渡ったときに、通過した場所であるが、(http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-48f2.html)湧き水が豊富なことに驚いた。高尾山を貫く圏央道の工事は、当然水の手を脅かすものであり、この集落は満場反対しているようであった。水を利用して豆腐を作る店があったが、ここの豆腐は結構評判のようで、圏央道建設の道路会社の人も密かに買いに来るようである。圏央道の工事がこの豊富な湧き水を枯渇させないことを改めて祈る。
小仏関所の旧跡を過ぎて高尾山口に戻った。
☆メンツ:天然児、ババ、私
★コースタイム:4時間40分(休憩含む)
高尾山駅10:50→薬王院11:20→11:40高尾山山頂11:50→12:00紅葉台(昼食)12:20→
12:40一丁平→13:10城山→13:40小仏峠→14:00車道出合→15:00裏高尾水場→15:30高尾山口駐車場
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