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2011年12月22日 (木)

湯の花トンネルの悲劇

 高尾山~小仏ハイキングの帰路、裏高尾の集落を歩いているときに、気になる看板を発見した。「いのはな慰霊の碑入り口」とある。看板に導かれて畑の中の坂道を登っていくと、中央線の踏み切りがある。その踏み切りの左手にトンネルが見えている。逆に踏み切り右手の畑の中に石碑が建っているのが見られたが、天然児が踏み切りに釘付けとなってしまったので近づけなかった。

P1010723 いのはな慰霊の碑とは?

 後日調べてみると、終戦直前の昭和20年8月5日正午過ぎ、浅川駅(高尾駅)を出発した新宿発長野行きの列車が当地に差し掛かったとき、にわかに高尾山上空から複数の米軍P-51戦闘機が来襲し、機銃掃射やロケット弾攻撃を反復して行った。列車は湯の花(いのはな)トンネルに入って停車したが、電気機関車と8両編成の客車のうち、トンネルに入ったのは機関車と前2両の客車のみであったために、後部の車両が格好の目標となってしまった。また、3日前に大規模な八王子空襲があり、中央本線は久しぶりの復旧だったため、車内は立つ余地もなく、デッキや窓に身を乗り出す乗客もあったほど混雑しており、犠牲者は50余名とも65名ともいわれ、負傷者も数百人にのぼる大惨事となった。これは我が国が受けた列車攻撃では、最大の被害と記録されている。

 戦後、遺族や土地の人たちが、この非人道的な戦争犯罪の記録を風化させないと共に、犠牲となった人たちの霊を弔うために慰霊碑を建立して、毎年8月5日には慰霊祭が行われているとのことだ。そんな悲劇の舞台を今日も中央本線の電車が通過して、湯の花トンネルに入っていくと、天然児は大興奮ではしゃいでいた。

P1010724 右端の生垣の中に慰霊碑がありました。(後方は中央道)

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