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2012年10月 3日 (水)

甲斐源氏ココニ滅セリ

 大月から甲州街道を辿って、笹子トンネルをくぐれば甲府盆地に入ります。笹子峠を越えた西側が甲州市大和(旧大和村)。道の駅甲斐大和の少し先で、甲州街道から大菩薩ラインに入るとすぐに田野という集落があります。

 天正10年(1582年)2月、南信州木曽、伊那の両方面から織田信忠の大軍が侵攻して、伊那、諏訪が制圧されると、3月初旬、武田勝頼は新築したばかりの新府城(韮崎市)を焼却して、重臣小山田信茂の岩殿城(大月市)を目指して落ちていきます。戦国最強を誇った武田騎馬軍は信玄亡き後、長篠の合戦で老臣の大半を失い、さらに外征を繰り返す勝頼は民心をも失って、従う者僅かに3百人だったといわれています。

 西から織田軍の先鋒滝川一益と河尻秀隆の軍が迫り、恩賞目当ての土民蜂起に脅かされながら、甲府盆地の東端である大和まで到達した勝頼一行に対し、突然岩殿城に勝頼を匿うはずの小山田が叛意し、笹子峠の関を固めて勝頼一行を阻んでしまいます。勝頼一行は絶対絶命、袋のネズミとなってしまいます。

P1050911 片手千人斬の四郎作古戦場 P1050902 女従は日川に投身した悲話も伝わる。

 唯一の脱出路は、大和から日川沿いに北上する現在の大菩薩ラインを辿って、武蔵、上野方面に逃れて、上州の忠臣真田昌幸を頼ることですが、女子供を伴った一行はすぐに追っ手に追いつかれてしまいます。田野の四郎作、鳥居畑の小戦闘で「片手千人斬」といわれた土屋昌恒や勝頼に追放されたにも関わらず一命をなげうった小宮山内膳らの奮戦により、勝頼、嫡男信勝、北条夫人らは田野山中で静かに自害し、鎌倉以来の名門甲斐源氏は滅亡しました。

P1050903 景徳院(右の道は大菩薩連峰に) P1050907 春は桜がきれいな山門

 勝頼主従が自害した田野の地に、後に領主となった徳川家康は景徳院を建立して菩提を弔いました。その景徳院を雁ヶ腹摺山下山後に訪れました。歴史好きなので今までも何度も訪れた場所ですが、この一帯はいつも物寂しさに包まれているようです。

P1050904 勝頼親子の供養塔 P1050906 根元の石に座して生害したとのこと

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