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2013年3月17日 (日)

古城と廃線 つくばの旅その1

 東日本大震災から2年目を迎えようとしている3月10日(日)。i茨城県下館と栃木県茂木を結ぶローカル線真岡鉄道で、「震災復興応援号」と称してSL重連運行が行われるとの情報を得て、見物に出かけることにしました。せっかく常総地方まで行くのだから、かねてから行ってみたかった筑波山にも登ってみようと思います。

 常磐道を下りると、車は昭和60年に開催された科学万博EXPO85の会場跡地、万博記念公園の前を通過します。コスモ星丸は何処へ行ったのでしょうか・・・秋葉原からやってくるTX(つくばエクスプレス)の高架に沿って走ってみると、学園都市駅周辺は市役所からマンション、ショッピングモールまで何もが全て新しい街です。陸の孤島と呼ばれたつくばはもはや一昔前の話のようです。

 賑やかな駅前を折れて北上すると、筑波大学を中心とした研究機関の集まる地区です。地理院、土研、建研、国総研と国土交通省の外郭団体が並んでいます。あの人は元気かな?あの人には世話になったなぁ・・・懐かしい顔が浮かんできます。

 研究学園都市を過ぎると田園風景が広がって何とものどかです。正面には白く霞んだ筑波嶺が見えてきました。ここで、ナビ画面に気になる地名が目に留まりました。「小田」です。小田といえば、常陸南部の水郷、筑波地方に勢力を広げた戦国大名小田氏治がちょっと有名なんです。私は彼を指すときには法名である天庵を好ん使いますが、この人は佐竹、北条、上杉という関東の大勢力を向こうに回して、何度も居城を追われながらもその度に奪い返す何ともしぶとい人物です。

 同音姓の織田信長が尾張を統一を進めて名を知られるようになる弘治、永禄年間に、常総では小田氏治が下総の結城晴朝や下妻の多賀谷重経など隣接する小領主と領土争いをしていました。やがて、周囲の勢力が常陸の有力大名佐竹義昭になびくと、小田は小田原の北条氏と結んでこれに対抗します。佐竹や親佐竹勢力の真壁久幹、太田三楽斎などと度々戦い、仕舞いには越山してきた上杉謙信に小田城を奪われますが、その度に筑波山麓の支城や水郷土浦方面に逃れて、隙を見て小田城を奪還しています。何度も奪われた居城をすぐに取り返す手腕は「常陸の不死鳥」などと賞賛する人もいますが、それ以上に、鎌倉時代の御家人八田知家を祖として350年もの間筑波地域を治めてきた小田家と在の人々の絆のお陰なのでしょう。

 そんな小田天庵も1569年、1573年の手這坂の戦いで真壁、太田軍に破れて多くの家臣を失うなど戦力を減退させると、親佐竹勢力には抗しきれなくなって、1580年には人質を出して降伏に近い和議を結びます。最後は豊臣秀吉の小田原征伐に参陣しなかったことを咎められて、領土を没収されてしまいましたが、天庵の娘が徳川家康の次男結城秀康に嫁いだ縁で、小田家は結城氏の配下となったそうです。

P1080015 小田集落の中に城跡があります。 P1070997 なかなか重厚な構えですね。

 さて、その小田城跡はつくば市北東部、筑波山の麓にある小田集落の中にあります。ちょうど良い駐車スペースを見つけて、真っすぐに延びる「つくばりんりんロード」なるサイクリングロード歩いてみますと、すぐに感じるものがあります。この直線具合はぁ・・・来てます。来てます!

P1080002 つくばりんりんロードは・・・ P1080001 この直線具合は・・・

 間違いありません。この道は廃線です。後で調べてみると、常磐線土浦駅と水戸線岩瀬駅間40kmを結んでいて、昭和62年に廃止となったローカル線筑波鉄道の軌道跡がつくばりんりんロードになったそうです。駐車した場所はかつて常陸小田駅のあった場所。確かに今でもプラットホームがはっきりと残っています。思わぬ廃線との遭遇に萌えです。

P1080003 確かにホームだこりゃ。 P1080007 小田城本丸跡

 さて、駅から100mほど離れたところに小田城址がありました。ちょうど復元工事が行われていて、本丸の跡には入れなかったのですが、周囲をぐるりと歩いてみると、堀やら土塁、升形などが奇麗に復元されて、往時の縄張が復活するのは来年平成26年だとか。かつての筑波鉄道の軌道は、本丸跡を貫通するように真っすぐ延びていますが、ここは埋め戻されてサイクリングロードは本丸の外郭を迂回してつけられていました。

P1080009 本丸を迂回する道 P1080011 外郭もしっかり復元中

 常陸最大の激戦地として戦いが繰り返された小田城をひと回り。オプショナルツアーとしては最高の出来といえるでしょう。そういえば、この城に関して歴史的重大事項がもうひとつ。南北朝の世に夢破れた北畠親房卿が、かの「神皇正統記」を記したのはこの城中であったそうな。(つづく)

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