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2013年4月

2013年4月30日 (火)

GW3日目と4日目

 4月29日(月)昭和の天長節。喉に若干の違和感があるものの、お出かけに支障はなさそうです。天気も良いし、久しぶりに山に行きたかったのですが、さすがに病み上がりでの山登りは自信がないので、天然児を連れて近場を車でブラブラしてみました。

 一昨年もご紹介させていただいた南足柄市の通称「長井さんちの藤」(参照:http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-b750.html)。その後、長年藤を守り続けてきたご主人の死と秋の台風で、一時は存続を危ぶむ声もあったようですが、息子さんが意思を受け継いで満開を迎えておりました。

P1080463 P1080466 P1080462 長井さんちの藤

 人のほおをかすめるように長く垂れ下がった藤の花。その中を歩き回る天然児でしたが、藤の花粉を求めてやってくる熊蜂が、突然耳元でブ~ンと重低音の羽音を響かせて飛び立つと、漫画のシーンのように「ビクッ!」とすることも(笑)

 4月30日(火)、GWの谷間は同僚と交替で休暇をもらいます。子供たちは学校ですが、天然児は登校前に病院の予約が入っています。

 しかし、危険を察知したのか天然児が車内で大噴火。我が老馬は阿鼻叫喚の地獄絵図・・・というより、農家の軽トラと化してしまいました。仕方なく歯医者に遅れる旨を伝えて帰宅し、天然児、衣服、老馬のシートカバーを徹底的に洗浄開始!大量のブツを素手でつかみ、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ・・・私も大量の帰りブツを浴びて、おまけに有毒ガスにより気分が悪くなってしまいました。

2013年4月29日 (月)

城から花巡り? 播但城巡りその5

 出石を満喫した後、東へ向かうと、但馬国の東端ということで但東地区(旧但東町)があります。ここは京都府と県境を接する山間のひなびた農村です。まずは但熊という産物直売所に立ち寄りました。(参照:http://www.eonet.ne.jp/~tankuma/)どでかい但馬の熊が出迎えてくれました。但東は地鶏の赤卵が名物だそうで、卵かけご飯定食(350円也)を提供してくれます。友人夫婦は卵かけご飯を食べるそうですが、私は出石のそば巡りで卵はもういいかなと・・・友人夫婦は20代、若さとは羨ましいものよのう正信。

130412_161202 これが但熊だ!(実はWC女性用) 

 鶏卵で作ったスイーツも目玉のようで、シュークリーム、プリン、シフォンケーキ、ロールケーキを販売しています。喫茶コーナーも併設なので、平日にもかかわらず奥様グループやらスーツ姿のおじさんとOL風の女性(なして?)やら、賑わっておりました。私もシュークリームをお土産で購入しました。

 さて、食事組は未だ出てこないので、道路を挟んで反対側を流れる出石川の河畔でも散歩してみることにしましょう。何でも出石川にはオオサンショウウオも生息しているとか。自然豊かな但東ですね。・・・?!

130412_162032 おや、まあ。

 出石川の河畔というか、川に沿った休耕田には一面チューリップが植えられていて、オレンジ、ピンク、イエロー、ホワイト・・・カラフルに咲いております。この但東はチューリップが名物だそうで、ちょうど本4月29日(月)まで、70万本のチューリップが飾られる「たんとうチューリップ祭が開催されています。チューリップの花言葉は「愛」です。いつかはあなたの住む街へ~行くかもしれません~♪

 さて、卵かけご飯も終わったところで、友人ご推奨の名湯シルク温泉へ向かいます。但熊から5分もしないところです。平日の日があるうちだというのに、入浴客が意外に多いのに人気の温泉であることが窺い知れます。(参照:http://www.silk-yamabiko.co.jp/02silk/index.html)さすが、ご推奨の名湯だけあってお肌がツルツルになりましたよ♪

P1080327 福知山城 P1080329 あのさ、あのさ、そろそろ新幹線の時間が気になるんだよな。

 さて、旅の終わりに、友人が丹波福知山城に寄ってくれました。明智光秀が1579年に丹波平定をした直後に築城した平山城で、その後、豊臣・徳川政権初期までは、京の都を窺う山陰道の要衝ともあってか、城主はめまぐるしく変わって、1669年に朽木氏が城主となると、明治期まで200年間落ち着きました。明治6年の廃城令で、天主以下往時の縄張はほとんど解体されてしまいましたが、昭和61年に三層四階の天守閣などが復元されました。思えば、この福知山城、まず「明智光秀の城」とイメージされることが多いのですが、明智氏の城だったのは築城後2年足らず。それに比して朽木氏は200年ですからね。まあ、歴史上の有名人にはかないませんね。夕方だったので、天主には上がらず太鼓橋前から見上げただけですが、なかなか立派な構えを見せてくれた福知山城で城巡りは幕を閉じました。

 城跡だけでなく、お腹いっぱいの播磨、但馬の旅を満喫できました。アウツな架け橋屋さんありがとう!また行くからよろしくねーbleah

2013年4月28日 (日)

GW2日目

 4月28日(日)連休2日目。何と、朝の体温は37℃に達していない。

 前日医者にかかって、薬を処方してもらったお陰であろう。前日の高い発熱からインフルエンザを懸念したのだが、扁桃腺の腫れが原因だとか。先生から嬉しい一言もあった。「山笑さん、熱が高いね。若い証拠だよ。」ムフフフフ・・・ジオンはあと10年は戦える。

 出遅れたが出陣じゃー!と病み上がりをおして伊豆方面に。しかし、薬持参を忘れて、お昼過ぎから体の節々が痛くなってくる。夕方にはひどい頭痛も再来してきた。こりゃあダメかもわからんね。

 結局、帰宅後寝込んでしまった。天然児が録画した「チャーリーとチョコレート工場」を大音量で視聴しているが、それに負けない大爆笑を続けているのが私にとって地獄だ。それにしても、昨日やっていたのを録画して、もう5回ぐらい見ているが・・・

 明日はどんな日になるのだろうか。

2013年4月27日 (土)

GW初日

 朝起きて頭が痛い。

 体温39℃・・・こりゃ寝連休だわwobbly

2013年4月26日 (金)

GW至るが・・・

 明日から待ちに待った連休です。長期予報も行楽日和が続くとか。花の子ルンルンの如く花を探して出かけようと思っていますが・・・気だるい、節々が痛い。

 早めに帰宅して計測したところ、体温は38℃超。何故なんだちくしょー!

 寝連休の予感です。hospital

2013年4月25日 (木)

出石ぶらぶら 播但城巡りその4

 出石皿そば巡りをしながら出石の城下町を散策します。この出石という街はそれほど広くなくて、派手な観光スポットはないのですが、ぶらぶら街並みを眺めながら歩くにはちょうど良い広さかもしれません。城周辺の武家屋敷、砦のような堅固な寺院、土壁が味わい深い酒蔵・・・

P1080284 見ろー!左手の寺が城のようだー P1080319 酒蔵

 中でも自分的に気に入ったのが、やたらと厚塗りの地蔵さんです。こんな派手な地蔵さんはなかなかお目にかかれませんよ。

P1080285 寂びた地蔵さんも良いのですが・・・ P1080300 このカラーリングが出石流? P1080303

 出石城の大手口、辰鼓楼付近のそば屋をハシゴしていると、出石に所縁のある幕末維新の大物がいることが分かりました。長州藩の桂小五郎です。1864年に京都禁裏の警護を会津、薩摩藩から奪おうと画策した長州藩は、蛤御門の変で両藩に敗れます。桂は敗戦後しばらくは洛中に潜伏していましたが、残党狩りが厳しくなるとこの出石に逃れて潜伏生活を送っていたそうです。

P1080314 桂小五郎潜居跡 P1080287 ハンサム・ウーマン効果ですか

 また、現在NHKで放送中の大河ドラマ「八重の桜」。主人公である山本八重の最初の夫川崎尚之助がこの出石出身でした。偶然にも、ちょうど出石を訪れた週の放送が祝言でしたか。現地でも大河の宣伝効果にあやかろうと、川崎尚之助誕生の地をアピールしていました。山陰の城下町を歩いていて、東北・福島の宣伝部長綾瀬はるかの出現はちょっと意外でしたね。

P1080299 宗鏡寺の門前 P1080290 庭園は一見の価値あり

 街中から少し外れたところに宗鏡寺(すきょうじ)というお寺があります。全国66国のうち11国を治め、六分の一殿といわれた室町時代の守護大名山名氏清が建立し、往時は山陰一の伽藍を有していましたが、山名氏の滅亡と共に荒廃してしまいました。その後、出石城を築城した小出吉英に再興されましたが、この開山に尽力したのが沢庵和尚こと、沢庵宗彭でした。沢庵和尚は、今日私たちの食卓でおなじみ香の物・たくあん漬けを創作した人として有名ですね。

P1080295 沢庵和尚の墓

 そばだけでなく、歴史もお腹いっぱいの出石でした。

2013年4月24日 (水)

山名氏の城下でそば巡り 播但城巡りその3

 天空の城を見送って、播但道の終着である朝来市(あさごし)和田山に至ります。和田山は丹波方面から山陰本線が通じる交通の要衝。その隣町八鹿(ようか)辺りで懐かしいクリーム色に赤ライン国鉄色の特急「こうのとり」とすれ違います。この車両は紀勢本線の特急「くろしお」として使用されていた振子式車両381系で、「くろしお」が新車両287系の導入によって余剰となったものを転用した編成です。

 八鹿を経て豊岡市に入ります。豊岡市といえばもう日本海です。名湯城崎温泉があって、天然記念物のコウノトリがいて、竹野浜海水浴場、但馬牛、松葉ガニ、冒険家植村直己・・・いやいや、播磨から但馬へ兵庫県を南北に横断しました。遠くまで来たものです。今回の目的地は、但馬国の中心地であった城下町出石です。

P1080284 出石街中から有子山城を望む P1080289 マンホール蓋

 室町幕府の有力大名である山名宗全が、但馬の守護として出石の北に位置する此隅山城に拠点を置いていましたが、山名氏衰亡期の1569年に此隅山城は羽柴秀吉の来攻によって落城。城主山名佑豊は堺に逃れました。後に織田家への加勢を条件に但馬に復帰した山名佑豊は、1574年により堅固な有子山城を築き、城下町出石を整備しました。その後、山名四天王の一人、天空の城竹田城主太田垣氏が毛利氏の重臣吉川元春と和睦をしたことによって、1580年に再び羽柴軍の来攻を受け、有子山城は落城し山名宗家は滅亡してしまいました。

P1080316 出石城(山麓)と有子山城(山上) P1080305 出石のシンボル辰鼓楼

 その後、秀吉の臣小出吉政が城主となり、その子吉英が有子山城の麓に出石城を築城したことによって、城下町は繁栄して今日まで街並みが残されています。1706年に信州上田藩の仙石氏が国替えとなって出石に入封すると、信州のそば職人も国主と共に出石にやってきました。挽きたて、打ちたて、茹でたての「三たて」製法がこの地に定着して、土地で焼かれた出石焼の小皿に盛られた出石の皿そばが土地の名物になりました。

P1080311 出石名物皿そばでご在! P1080309 皿そば巡りに挑戦

 出石には数十件ものそば屋が点在し、特に大手町付近にはそば屋が軒を連ねています。出石の観光協会では、1,680円で3店のそばを楽しめる出石皿そば巡りをやっています。そば好きの小生としては、これを利用しない手はありません。小皿に盛られたそばを出汁つゆにつけて食べるのは何処も同じなのですが、そばは黒かったり白かったり、太かったり細かったり、出汁が甘かったり、辛かったりと店ごとのオリジナリティに富んでいるので、飽きることはありません。ただ、生卵と山芋が薬味で添えられているので、お腹がすぐに膨れてしまいます。最後は生卵を辞退しました。(つづく)

2013年4月21日 (日)

ラピュタは本当にあったんだ! 播但城巡りその2

 三木を後にしましてR175を北上します。田園風景に延びる道を快調に飛ばせば気分は「イナゴ」ライダー?その後、山陽道を西進して姫路の北まで行って、さらに播但道を北上。周辺の山々はミツバツツジのピンクで飾られています。それにしてもミツバツツジが多い!私はこの花が好きで、以前購入したものが猫の額にも1本植わっていますが元気がありません。1本しっこ抜いていきたいくらいです。

P1080269 沿道のいたるところにミツバツツジが

 民俗学者柳田邦男先生の故郷福崎町で中国道を跨いで、さらに北上します。中国山地はそれほど高山がないのですが山が深く、驚くべきは古くからその深部まで人の手が及んでいることですね。銀山と幕末の騒乱で有名な生野なんて、田舎町の地名ひとつを見るたびにワクワクしてしまいます。

 しばらく行くと、道路前方にこんもりそびえる山上に石垣が見えてきました。この石垣こそ、近年「天空の城」、「日本のマチュピチュ」などと呼ばれて話題になっている竹田城です。廃城になってから400年以上経過して、天主や郭は存在しないものの、山上には見事な石垣が当時のまま残されていて、特に周囲の盆地に朝霧が立ち込めたときに城が浮かぶ姿は当に天空の城ラピュタだとか。その絶景を求めて多くのカメラマンや観光客が訪れますが、チャンスというものはそう簡単にはないようです。

P1080273 ランランララランランラン、ランランラララ(違うか)

 この竹田城、室町幕府の重臣で、応仁の乱では西軍の総大将になった山名宗全が築城し、山名四天王と呼ばれた家老太田垣氏が居城としていました。戦国期になると山名氏は衰退して、但馬の国は隣国播磨同様に織田・毛利両軍の攻防の地となります。竹田城は羽柴秀吉の弟秀長の軍に陥とされると、秀吉軍に従っていた播磨の龍野城主赤松広秀が城主として入封しまし、広秀はこの城を近代城郭として改築、完成させました。豊臣政権後の関ヶ原の戦いで、城主赤松広秀は西軍のに属し、細川幽斎が籠る丹後田辺城を攻撃します。後に東軍に加わるも、戦後切腹を命ぜられて滅亡してしまいました。同時に竹田城は廃城になってしまいましたが、その立派な石垣遺構は現在まで残されました。国敗れて石垣ありですね。

 某アウツな架け橋屋さんから戴いたカレンダーの1枚を飾っていた、雲海に浮かぶ竹田城を見たとき、いつかはこの地を訪れてみたいと思っていました。そんな思いを知ってか、今回ご厄介になった架け橋屋さんも気を利かせてくれたのですが、ご夫婦で先日訪れたばかりのようでしたので今回は辞退しました。それに今回は目的地が別にありましたので。

P1080277 「ラピュタは本当にあったんだ!」

2013年4月20日 (土)

腹が減っては戦はできぬ 播但城巡りその1

 東京ディズニーランドは開業30周年だそうです。ミッキーといえば(って前回に続き無理のあるこじつけですが)、神戸市の西北に三木市があります。三木周辺は丘陵地帯に田園風景が広がるのどかな地域ですが、今から430年余り昔、ここで戦国史上希に見る悲惨な戦いがありました。有名な三木城干し殺しです。

 元亀4年(改め天正元年、1573年)に足利義昭を追放して室町幕府を滅ぼし、中央政権を掌握した織田信長は、中国の覇者毛利輝元を攻略すべく、羽柴秀吉を総大将とした遠征軍を派遣します。序盤戦では、小寺氏、別所氏、波多野氏ら丹波、播磨の諸勢力は、ことごとく織田軍に帰順して播磨は一時織田色になりました。三木城主の別所氏も織田方の先鋒として主家赤松氏や備前の浦上氏、三好三人衆などと度々干戈を交えました。

 ところが、丹波の波多野氏が毛利方に寝返ったのを皮切りに、播磨の諸氏も次々と毛利側に願えることとなります。この背景には、織田家が形勢が不利になると最前線の小勢力を簡単に切り捨ててしまうのに対して、毛利家は義理堅く援軍を送るという両家の信頼性の相違や織田家と交戦状態にあった一向門徒が播磨一円に多く、総本山本願寺からの意向により世論が反織田に傾いたことがあげられます。

P1080263 何とも凛々しい若武者振りの別所長治公

 三木城主別所長治は若武者だったこともあり、叔父の山城守吉親が采配をとっていましたが、この吉親が中国遠征軍の羽柴秀吉と対立して、天正6年(1578年)3月に別所家は周辺の三木、淡河などの勢力と共に三木城に籠って、毛利方に寝返ることになります。名門赤松氏の筋である別所家を農民上がりの秀吉が軽くあしらったことに、吉親が激怒したといわれています。

 籠城後しばらくは毛利軍の援軍もあって、来攻した秀吉軍と三木周辺で出城の奪い合いを行うなど優勢に戦いを進めましたが、秀吉軍が積極戦から補給路を断って包囲戦に作戦を変更すると、1万近い大軍が籠っていた三木城の兵糧はたちまち尽きてしまいます。籠城すること2年、飢えた城兵たちは、兵馬や犬猫を殺し、土塀に練りこまれた山菜や藁をも食べつくすと、餓死した仲間の死肉にも群がるといった惨状だったといわれます。さすがにこうなると城主別所長治も諦めて、天正8年1月、城主一門の切腹と引換えに城兵の助命を秀吉に願い出て、和平が成ると妻子、弟など一門と共に潔く切腹しました。

 三木城はその後、秀吉の家臣前野将衛門や中川秀政が城主となりましたが、徳川時代の一国一城令により廃城となりました。

P1080267 三木城址(正面に紙芝居調の解説板)

 さて、その三木城にやってきたのですが、戦国史に名高い城にもかかわらず、なかなか本丸まで行き着けません。これだけ日本史ブーム、特に戦国ファンが多いのに、市の観光意識が低いのか今ひとつアピール不足を感じます。神戸電鉄上の丸駅の脇を小高い丘に上がった、幼稚園の脇に三木城の本丸史跡がありました。ここも意外とこじんまりしていて、イマイチぱっとしない場所です。白壁(おそらくコンクリート造)の城壁がありましたが、これはかえって逆効果。土盛りと土壁、板壁であったろう、別所氏時代のイメージはぶち壊しです。

 ぱっとしない城址ですが、その中でも金石だったのは、三木城攻防戦の経緯が分かりやすく紙芝居調に解説された絵看板です。訪れた方は必見ですよ。その他、別所長治公の凛々しい若武者姿を偲ばせる石像やら別所一門の辞世の句が刻まれた石碑があり、歴史、特に戦国好きにはたまらないスポットでした。

P1080264

 辞世の句「今はただ うらみもあらじ 諸人の いのちにかはる 我が身とおもえば」(今となっては恨みなどありはしない。自分の一命で多くの城兵の命が助かるのだから)享年23を思うと、つい目頭が熱くなります。

P1080266 眼下に見下ろす三木市街

 歴史遺構としてはB級な三木城址ですが、小高い城址からは三木市街が一望の下に見下ろせ、ロケーションはなかなか良いものです。市街地の向こうに丘陵地帯が広がって、眼下には美襄川が流れています。その川に架かる鉄橋をガタガタと3両編成のローカル線が渡っていました。これがまた何とものんびりしています。

2013年4月18日 (木)

蝙蝠なき里の鳥

 イソップ童話のなかにとある蝙蝠が登場しますが、動物と鳥が戦争をしたときに、形勢が動物に傾くとこの蝙蝠は「私は動物ですよ。御覧なさい、この牙や毛を」と言って動物勢に加担し、後に形勢が逆転して鳥が有利になると「私は鳥です。御覧なさい、この立派な翼を」といって鳥に加担する。後日動物と鳥が和解すると、二股をかけていた蝙蝠は居場所が無くなって洞窟に逃げ込んだという話です。

 また、鳥なき里の蝙蝠という言葉がありますが、鳥の飛ばない場所では少しでも飛べる蝙蝠が偉そうにしている。文化のない場所ではちょっとかじった者が偉そうにしているという例えです。

 そんな描写をされる気の毒な蝙蝠ですが、何と、鳥の中にも蝙蝠のまねをする変わり者も登場しました。ご覧ください。

075953

2013年4月17日 (水)

山行 あんた天子さんかい? 天子山塊

 あんだって?とんでもねー、私ゃ神様だよ。

 ・・・んーちょっと無理がありましたか。

 朝霧高原を挟んだ富士山の西側に、南北に延びる山々を天子山塊といいます。富士五湖の本栖湖の南からダイヤモンド富士で有名な竜ヶ岳、雨ヶ岳と標高を上げて、最高峰の毛無山は約2千mあります。そこから南に徐々に標高を下げて、最南部には長者ヶ岳、天子ヶ岳と二つの嶺が並びます。ちょうど富士宮市街の西富士道路終点辺りから見上げると、天子ヶ岳がこんもり盛り上がってなかなかの存在感を示しています。

 4月14日(日)、久しぶりの山行は天子山塊南部の二嶺に登ることにしました。新東名富士ICから西富士道路、R139を20分ほど北上すると、名瀑白糸の滝があり、そこから田舎道を左手に入って別荘が点在する樹林の中を走らせると登山口である田貫湖に至ります。この田貫湖は、静かな水面に逆さ富士を映す山中の小さなため池ですが、周囲には散策路やキャンプ場が整備されていて、多くの人が訪れるリゾート地です。また、4月下旬と8月下旬には、富士山山頂から太陽が昇るダイヤモンド富士を見ることができます。自宅から1時間余りの7時過ぎに田貫湖キャンプ場の駐車場に車を入れ支度を整えます。既にヘラブナを狙う釣り人が湖面に糸を垂れ、散策路を歩く人の姿が見られます。

P1080385 田貫湖はヘラブナ釣りのメッカ

 7時20分に出発。最初は田貫湖を見下ろす斜面に建つコテージの間を貫けていきます。キャンプ場裏手の植林帯を登って東海自然歩道にぶつかると、比較的なだらかな尾根道歩きになります。左手には檜の植林帯、右手にはナツツバキやアブラチャン、ヤマツツジなどの自然林が広がっています。

P1080333 キャンプ場の中を登る P1080338 山桜花

 登山口から30分ほどで、休暇村から上がってくる道との合流点に至ります。ここは樹林が切り開かれて、このコース唯一の展望地となっています。眼下に田貫湖を見下ろし、正面に富士山を望むことができます。

P1080341 唯一の展望地

 さらに東海自然歩道を進みます。右手の落葉自然林は枝葉がこれからなので、樹間越しに天子山塊の最高峰毛無山が見えています。長男同伴で職場の仲間と毛無山に登ったのは5年ほど前のこと。山頂で盛大に焼肉パーティーをした楽しい思い出です。

P1080370 バイケイソウやら・・・ P1080376 スミレやら

 標高が1200mを越えると、地面にバイケイソウの大きな葉が目立ってきます。バイケイソウは有毒植物ですが、初秋に美しい花を咲かせます。青や白い小さなスミレの花も目の保養になります。・・・足元の植物に気を取られているうちに、標柱とベンチが設けられた長者ヶ岳の山頂(1336m)に到着しました。東側は樹木が刈られていて、正面には雲海に大富士山が浮かんでいます。また、西側は樹林の切れ間から雪を頂いた南アルプスの山々が並びます。

P1080357 長者ヶ岳山頂 P1080351 東側の展望 P1080352 西側は南アルプス

 長者ヶ岳で一服した後は、南側に下って天子ヶ岳を目指します。少し下ると、西の上佐野地区(富士川方面)への分岐点、東海自然歩道とはここでお別れです。そこから南へ登り返すと、樹林に囲まれた広々としたスペースが開けます。ここが天子ヶ岳山頂(1330m)です。山頂は展望がありませんが、外れのほうに富士見台なる展望場所が切り開かれています。この特等席では、先行のカップリングがお茶を沸かし憩っていたので、お邪魔虫はバイケイソウの群落の脇で小休止を。

P1080360 南へ縦走 P1080364 天子ヶ岳山頂 P1080367 バイケイソウの群落

 さて、天子ヶ岳から東へ下る道は白糸の滝方面に延びていますが、田貫湖畔に置いてある車を取りに戻るのが面倒なので、長者ヶ岳方面のもと来た道を引き返すことにしました。長者ヶ岳から下ると、ゾロゾロガヤガヤ中高年ハイカーのグループが何組も登ってきました。このコースは傾斜もきつくないし、中高年にも優しい山行が楽しめる「ご長寿ヶ岳」ですが、久しぶりの山行であった私にとっても、慣らしにうってつけのコースでした。

P1080381 休暇村からの眺め

 最後は富士山の展望地から田貫湖畔にある休暇村富士の裏手に下って、駐車場まで湖畔遊歩道をのんびり歩きました。が、それにしても遊歩道を歩く人が多い。おまけに自転車も走るのでのんびりもしていられないですが。

★コースタイム:4時間20分(休憩含む)

田貫湖P7:20→7:50展望地→8:35長者ヶ岳8:45→9:00上佐野分岐→9:20天子ヶ岳9:40(軽食)→10:15長者ヶ岳

→11:15休暇村富士11:20→11:40田貫湖P

Photo

2013年4月 9日 (火)

庭木倒れる

 4月6~7日にかけて日本列島を通過した低気圧は、台風並みの風雨をもたらして、各地に少なからず被害を及ぼしましたが、我が家のユキヤナギも折からの大風に倒されてしまいました。このユキヤナギ、10年前に当地に越してきて間もなく、植木屋の特売品として売られていた小さな鉢を植えたものです。

 それが四方八方勢いよく成長して、切っても切っても触手のように枝が延びる元気のよさだったのですが、昨年来どうも勢いがありません。ゴマダラカミキリが枝にとまっていることが多かったことから、どうもこの幼虫に食い荒らされて根腐れをおこしていたようです。

P1080253 解体作業中 P1080255 住処を奪われた居候君

 春に綿毛のような花を枝いっぱいにつけるのが見ものだったのですが、かみに言わせれば枝の剪定をする手間がなくなってよかったとか。解体作業中に根元を観察してみると、路頭に迷ったアリ、ワラジムシ、ムカデ、そしてカミキリの幼虫が状況を把握していないのか、ウニョウニョ、ゾロゾロしていました。庭木1本がこんなに多くの生命を養っていたことに驚きでした。

 やや!?よくよく見れば、ひこばえ(若木)が1本裂けた根元から出ているのを発見。ちゃっかりと跡取りまで残していたとは。脱帽です。

2013年4月 7日 (日)

峡南桜巡りその2 満開編

 南部町から門前町身延町に入って、更にR52の北上を続けると、富士川町に入ります。この富士川町は平成21年に旧増穂町と鰍沢町が合併した新しい町です。国道に沿って流れる富士川は、この辺りにくると広々とした河原が狭まってきて、対岸の岩肌も荒々しく、さすが日本三大急流に数えられるだけはある様相を呈しています。

P1080208 交流センター「塩の華」 P1080198 雨畑硯に興味あり?の天然児

 進行方向左手に土蔵のような建物が見えてきましたが、地域交流センター「塩の華」です。その昔、富士川の水運が華やかなりし頃、駿河から運んだ塩を鰍沢の塩蔵に貯蔵したことに由来したデザインのようです。「塩の華」は、地域の観光案内所、産物直売所となっていますが、その他にも手軽に蕎麦が食べられる食堂や近隣の早川町で産出、制作されている雨畑硯(すずり)の実演販売所などもあります。ここで昼食をとって、食後に塩アイスをいただきましたが、甘さ控えめのなかなか良い味でした。

P1080210 塩アイス気に入りました♪ P1080195 五輪日本代表の赤いブレザーを手掛けた方の出身地だとか。

 富士川町の中心部に入ってすぐの富士川を見下ろす小高い丘大法師山(おおぼしやま)でちょうどさくら祭りが開催されていました。下から歩いて上がるのが良さそうですが、誘導されるがままに山上まで車で上がってしまいました。山上は球場や広場などがある広々とした公園になっていて、山梨県下最大の2千本のソメイヨシノが植えられています。満開の桜花の向こうに富士山や八ヶ岳を遠くに望み、富士川や甲府盆地を見下ろす大法師公園は日本さくらの名所100選にエントリーしている名所なのです。

P1080240 富士川を見下ろす大法師山 P1080236 山上へは車でも上がれます。

 さて、この日は朝から小雨がパラつく肌寒い日でしたが、幸いにして、公園に来ると薄日も差して暖かくなってきました。ご自慢の山並みは残念ながら見えませんでしたが、園内の桜は申し分なく満開で多くの見物客が訪れていました。樹下にブルーシートを広げてのお花見宴会も盛り上がっています。いつもは山に近づくと不快な天然児も、この賑やかさに釣られてウキウキくんで歩き回っていました。

P1080219 満開の花の下は賑やか P1080223 遠くの山は見えませんでした。 P1080230

 お祭メイン会場では、ご当地名産のゆずを利用した加工品やB級グルメなどの出店が並んで、山梨県のご当地ヒーロー「甲州戦記サクライザー」の舞台や握手会も行われていました。外見上もはやちびっ子ともいえない天然児ですが、誰にも負けない声援を送っていました。(甲州戦記サクライザー公式HP:http://sakuraizar.jimdo.com/)今年も新たな名所を訪れてお腹いっぱいお花見をすることができました。

2013年4月 6日 (土)

峡南桜巡りその1 名木編

 南アルプスの天然水に端を発する釜無川、秩父西沢渓谷に端を発する笛吹川。甲府盆地に東西から流れ込むふたつの流れが、盆地の南増穂辺りで合流すると富士川と名が変わって甲駿国境を越えて太平洋に流れ込みます。甲斐の富士川流域は、東に毛無山を主峰とする天子山塊、西に櫛形山や七面山を主峰とする身延山地に挟まれ、富士川の峡谷が深い狭隘な地域で、峡南地域と呼ばれています。

Dsc00816 峡南地域は珍景多し?(H22.9早川町にて)

 年度末3月31日(日)、近隣では早くも桜が散り始めていたため、山梨峡南地域へ桜探しに出かけることにしました。山梨県内への桜巡りは昨年も4月下旬に出かけました(参照http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-56e0.html)が、今年は早咲きとなったため、前年よりも半月以上早い桜巡りです。峡南地域では、日蓮宗の総本山身延山久遠寺のしだれ桜が有名ですが、今回はあえて身延山には行かないで、穴場的なスポットを探してみようと思います。

 さて、新東名の新清水ICから富士川に沿って走るR52を北上すると、すぐに甲駿国境を越えます。この辺りは昨年のGWに天然児と訪れた場所。(参照http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-e69c.html)富士川を右手に空いた国道を快調に走ると、山梨県南端の町、その名も南部町。南部といえば、鉄器で有名な岩手県北部の南部地方をイメージする方も多いと思いますが、かの南部氏は、この南部を領していた甲斐源氏の一族なのです。

P1080176 大浦洞3号かな? P1080177 結構苦労しているようですね。

 道の駅「とみざわ」で休憩をとると、何と巨大ミサイル発見。と思いきや、この辺りは春の味覚竹の子の産地とか。物産店をのぞいてみると、ありました竹の子。1本千円也。何であっても初物はお高いですなぁ。そういえば、富士川下流の静岡県富士市は竹取物語の舞台ですから、昔から富士川流域は竹林が有名だったことでしょう。

P1080189 原間のイトザクラ

 R52をさらに北上して、南部の中心街を右手に見送った後、国道から分かれて左手の集落に入り、段々畑の急斜面を登っていくと桜の名木が2本あります。先ず1本目は原間地区の廃寺の境内にあるイトザクラの巨木です。集落の中にあって目立たないのですが、道標を見落とさなければ行きつくことができるでしょう。このイトザクラは早咲きのようで、残念ながら花は終わっておりました。

P1080178 本郷の千年桜 P1080187 幹に生えた根が見えます。

 さらに山の手に上っていくと、やはり無住となったお寺の境内に2本目の名木を見つけました。本郷の千年桜と呼ばれるエドヒガンザクラで、樹齢は6百年以上といわれ、天然記念物に指定されています。この桜は植物学的に珍しい特徴があって、地上5mにある幹の洞に根を下ろしている点です。確かによく見れば南国密林の樹木のようにウネウネとした根を確認することができます。(つづく)

2013年4月 5日 (金)

新社会人を送り出して

 4月5日(金)、新入社員が5日間の研修を終えて全国に旅立っていった。今日は朝早くから埼玉県内の研修所に詰めて彼らの送り出しに備えていた。日頃の事務仕事では今ひとつモチベが上がらない毎日だが、採用担当として昨年の説明会から入社試験、内定と一連の採用活動を経て、彼らを職場に迎えられたことは、実に嬉しく達成感を得ることができた。ありがとう。

 正直なところちっぽけな職場なので、彼らはこの短期の研修を経て、来週からそれぞれの配属先に赴任することになる。そして、先輩の指導の下、組織の一員としての道を歩み始める。がんばれ!でも、無理はするな!辛いことも少なくない。そんなときは立ち止まって考えてみろ。先輩や同期の仲間に相談してみろ。こんな私でもよければメール1本でも送ってくれ。

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 研修所の周囲には小さな工場や倉庫が混在している。その街中を濁った水路が一筋流れているのだが、水路に沿った桜並木は実に見事である。思えば、この夜桜を見上げながら同期と酒酌み交わした15年前の記憶は、昨夜のことのように甦る。感慨に耽りながら研修所を後にして家路についた。

 この2ヶ月、帰宅時間は日が替わっていたが、今日という日は直帰して日のあるうちに帰宅することができた。何事もメリハリである♪週末は思いっきり遊ぶぞー・・・と、いいたいところだが、爆弾低気圧の到来だとか。無念。

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2013年4月 2日 (火)

サクラダイジェスト

 4月になりました。今年の桜は、3月下旬に暖かい日が続いたので、早咲きが始まったと思ったらすぐに本番のソメイヨシノまで満開になりました。その後、月末から現在まで気温が低い日が続いているので、花持ちが良いため長くお花見が楽しめますね。cherryblossomcherryblossomcherryblossom今回は3月に出会った桜を紹介します。

 先ずは昼休みの散歩中に見つけた都内の早咲きたちです。都内には靖国神社をはじめ、大規模公園などの見所も多いのですが、コンクリートジャングルの中で思いがけず1本咲きに出会うと嬉しくなるものです。

130319_123030 四谷界隈の1本咲き 130319_124654 130321_123855 都心も一斉開花

 地元二宮の吾妻山は菜の花の名所として有名になりましたが、秦野の水無川上流の河原にも菜の花が広がる場所があります。この菜の花の対岸には早咲きのオカメザクラ並木があります。水無川に沿って黄色とピンクの筋が競うように丹沢の山に向かって延びる風景は、なかなか見応えのあるものです。

P1080091 水無川上流の菜の花 P1080093 対岸にはオカメザクラ

 水無川をもう少し下ったところにある運動公園の桜並木も見事で、多くの見物者が訪れます。水無川に沿った遊歩道を歩けば、先述の菜の花、芝桜と併せてお花見を楽しむことができます。この他、秦野市内には弘法山、震生湖など桜の名所がいくつかありますので訪ねてみてはいかがでしょうか。

130324_112136 秦野市内の桜並木 130324_120015 白泉寺のシダレザクラ

 地元二宮を流れる葛川沿いにも桜並木があります。毎年桜の花が見頃を迎えると、夜桜ライトアップのイベントが行われますが、今年も3月30-31日の週末に行われました。少し寒い陽気でしたが、闇夜に浮かび上がった満開の桜を堪能することができました。

130330_194645 葛川の夜桜

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