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2013年4月24日 (水)

山名氏の城下でそば巡り 播但城巡りその3

 天空の城を見送って、播但道の終着である朝来市(あさごし)和田山に至ります。和田山は丹波方面から山陰本線が通じる交通の要衝。その隣町八鹿(ようか)辺りで懐かしいクリーム色に赤ライン国鉄色の特急「こうのとり」とすれ違います。この車両は紀勢本線の特急「くろしお」として使用されていた振子式車両381系で、「くろしお」が新車両287系の導入によって余剰となったものを転用した編成です。

 八鹿を経て豊岡市に入ります。豊岡市といえばもう日本海です。名湯城崎温泉があって、天然記念物のコウノトリがいて、竹野浜海水浴場、但馬牛、松葉ガニ、冒険家植村直己・・・いやいや、播磨から但馬へ兵庫県を南北に横断しました。遠くまで来たものです。今回の目的地は、但馬国の中心地であった城下町出石です。

P1080284 出石街中から有子山城を望む P1080289 マンホール蓋

 室町幕府の有力大名である山名宗全が、但馬の守護として出石の北に位置する此隅山城に拠点を置いていましたが、山名氏衰亡期の1569年に此隅山城は羽柴秀吉の来攻によって落城。城主山名佑豊は堺に逃れました。後に織田家への加勢を条件に但馬に復帰した山名佑豊は、1574年により堅固な有子山城を築き、城下町出石を整備しました。その後、山名四天王の一人、天空の城竹田城主太田垣氏が毛利氏の重臣吉川元春と和睦をしたことによって、1580年に再び羽柴軍の来攻を受け、有子山城は落城し山名宗家は滅亡してしまいました。

P1080316 出石城(山麓)と有子山城(山上) P1080305 出石のシンボル辰鼓楼

 その後、秀吉の臣小出吉政が城主となり、その子吉英が有子山城の麓に出石城を築城したことによって、城下町は繁栄して今日まで街並みが残されています。1706年に信州上田藩の仙石氏が国替えとなって出石に入封すると、信州のそば職人も国主と共に出石にやってきました。挽きたて、打ちたて、茹でたての「三たて」製法がこの地に定着して、土地で焼かれた出石焼の小皿に盛られた出石の皿そばが土地の名物になりました。

P1080311 出石名物皿そばでご在! P1080309 皿そば巡りに挑戦

 出石には数十件ものそば屋が点在し、特に大手町付近にはそば屋が軒を連ねています。出石の観光協会では、1,680円で3店のそばを楽しめる出石皿そば巡りをやっています。そば好きの小生としては、これを利用しない手はありません。小皿に盛られたそばを出汁つゆにつけて食べるのは何処も同じなのですが、そばは黒かったり白かったり、太かったり細かったり、出汁が甘かったり、辛かったりと店ごとのオリジナリティに富んでいるので、飽きることはありません。ただ、生卵と山芋が薬味で添えられているので、お腹がすぐに膨れてしまいます。最後は生卵を辞退しました。(つづく)

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コメント

をぉ、蕎麦好きなのか。
俺も蕎麦好き~。

わんこそば食べたい今日この頃w

おーし!
海月を探して信州にそば食いにいこ!?
あ、今は越後か。

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