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2013年9月

2013年9月30日 (月)

ヒデキもコーキもここに眠るよ

 蒲郡市と西隣の西尾市の境界、三河湾を見下ろす山が標高321mの三ヶ根山です。なだらかな稜線と三河湾を一望の下にできるロケーションから、高度成長期に観光化が進んで、名鉄資本で山頂へのロープウェーや回転展望塔が設置されました。また、マイカー時代の到来と共に、稜線を走る三ヶ根山スカイラインも建設されて、爽快なドライブを楽しめる場所になりました。

P1110254 三ヶ根山の往時を偲ぶ

 しかしときは流れて、この手の観光地からは徐々に人足が遠ざかり、今や回転展望塔もロープウェーもありません。スカイラインを走っていても路面状況が悪く、ドライブインやホテルの廃墟ばかり目について、華やかなりし頃の残照を肌で感じられます。山頂に向けて駆け上るワインディングの多い道路は、走る車は少ないものの、ツーリングを楽しむライダーが多いようです。また、いたる所にスリップ痕が残されていて、夜はいわゆる「走り屋」のサーキットと化している模様です。昼間観光客から金を徴収して、夜は無料開放の道路なんですから、愛知県の道路公社は「走り屋」のためにこの道路を維持管理しているようなものです。

P1110256 驚くほど立派な石柱です。

 さて、この三ヶ根山の山頂付近に、「殉国七士廟」という場所があります。国に殉じた七人のお墓ということになりますが、何とここは、大東亜戦争後、極東軍事裁判にてA級戦犯に指定され絞首刑となった東條英機首相以下7人の遺骨が眠る場所なのです。

 昭和23年の暮れに7人の方々は刑場の露と消えましたが、その後遺体は横浜で火葬されました。GHQはこの遺骨を遺族に引き渡すことなく放置したため、この非道に憤りを感じた三文字弁護士他数名の有志の手によって、GHQとの半ば遺骨争奪を経て、熱海伊豆山の興亜観音堂(7人のひとり松井石根大将宅)に移され、更に幡豆町(現西尾市)の好意によって、太平洋を望むこの地に埋葬されたのだそうです。

 このような歴史上重みのある話の割には、この場所がほとんど国民の目に触れることがないのは驚きです。かの戦争を歴史上の汚点として、対外的に低姿勢をとり続け、引け目を負いながら歩んできた戦後の我が国の惨めな思想、教育が浮き彫りにされます。戦時中の我が国の行為を一身に背負って、受容として死に臨んだ人たちを思うと心が痛みます。

P1110272 ヒデキ、アキラ、イワネ、ヘイタロウ、ケンジ、セイシロウ、そしてコーキ。いつまでも安らかに

 スカイラインから脇道を少し入ったところにある殉国七士廟は、衰退著しい三ヶ根山山域の中にあって、唯一それとは反対に荘厳として、地内は管理する有志の手によって清潔に保たれ、墓前には生花が絶えず供えられていました。この志こそ、日本人の心の清さ、美しさであります。遠く太平洋を望むこの地から、かつて日本の国政を主導した人たちは今の日本を見下ろして、何を思っているのでしょうか。

2013年9月29日 (日)

URもびっくり!?人気物件「お魚マンション」

 知多半島と渥美半島に囲まれた内海、三河湾の最奥部に位置する蒲郡は、温暖な気候と西浦、三谷温泉など温泉場を有して、昔から中京圏の避寒地として有名な場所です。ラグーナと呼ばれる干潟が広がっていましたが、近年ではここをを埋め立てて、商工業施設の建設が進んでいます。

P1110188 竹島緑地からの眺め

 蒲郡の沖には三河大島と竹島というふたつの島が浮かんでいますが、このうち竹島は陸に近く、全長400m弱の橋で渡されています。橋のたもとは緑地が整備され、ここから望む三河湾の風景は、穏やかな海上に前景に竹島、中景に大島、遠景に渥美半島と並んで、なかなか良いものです。

P1110185 ゴンズイ玉(触覚には毒あり)

 竹島緑地には竹島水族館という水族館が隣接しています。ここには海獣こぞアシカしかいないミニ水族館ですが、三河湾に生息する近海の魚類の展示は充実していて、また、適度に空いているからゆっくりと魚を眺めていられます。釣り人たるもの、こういうときにこそ魚個別の習性をじっくり観察することが、明日の釣果に結びつくものだと思っております。

P1110180_2 行ってきま~す。

 展示の中で、私が最も気に入ったのがお魚マンションです。海底に建つ真っ赤な物件はちょっと派手ですが、全室入居済みのようで人気の高さが窺えました。入居者はカサゴが多いようで、体色と同じ赤色の物件が落ち着くのかもしれません。

2013年9月28日 (土)

忠義に厚い戦国トライアスリート

 前回に引き続き長篠城籠城戦のお話。天正3年(1575年)5月、武田の大軍に城を包囲された城主奥平貞昌は、岡崎にいた徳川家康に援軍を要請するため、屈強な家臣数名を城から脱出させます。その中の一人が鳥居強右衛門(すねえもん)です。出仕は身分の低い足軽でしたが、水練達者であることを買われた強右衛門は、5月14日夜半、豊川に身を任せて包囲網を脱したそうです。

 武田軍の包囲網を脱した強右衛門は、長篠城から岡崎まで直線距離で約40km(山道なので1.5倍ほどか)を半日で走破して、家康に援軍を要請すると、時折しも岐阜から織田信長が3万の大軍を率いて到着したところで、狂喜した彼は家康が休息を勧めるのを辞して長篠城に戻ります。この往復100km以上の走破は5月15日の1日のうちに行われたといいますから、彼の人並みならぬ強靭な体力がうかがい知れます。

 長篠城に近づいた彼は、城からよく見える山で援軍来援を伝える烽火を上げて、更に詳細を伝えるべく城に潜入しようとしましたが、運尽きて武田軍に捕らわれてしまいます。武田勝頼は織田・徳川の援軍到来を知って、城攻めに決着をつけようと、鳥居強右衛門に助命と高禄で召抱えることを条件に、城に対して、徳川の援軍は来ないので開城して武田に降伏すれば厚遇する旨を呼びかけるよう依頼します。

P1110174 城兵はここから強右衛門の死を見守ったことでしょう。

 武田勝頼の要請を受けて、強右衛門は城の対岸に立って呼びかけました。「あと2、3日もすれば、織田殿、徳川様の大軍が来援する。この目で見たので間違いない。堅く城を守りぬけ!」彼は武田勝頼をまんまと欺いて城内の仲間を励ましたのです。短気な勝頼がこれを許すはずがなく、強右衛門は城兵の目前で磔にされて壮絶な死を遂げるのでした。鳥居強右衛門勝商(かつあき)享年35歳。

P1110177 落合左平次の旗指物を模した看板です。

 鳥居強右衛門の壮絶な死と一命を投げ打った忠節に心打たれた城兵は、その後も武田軍の猛攻を食い止めて、織田・徳川の援軍が長篠の合戦で武田軍を破るまで、見事城を守り抜くのでした。彼の忠節に感銘したのは見方だけでなく、敵方の将兵にも大きな感銘を与えたといわれています。落合左平次という武田の家臣は強右衛門の磔死した姿を武士の手本として、自らの旗指物にデザインし、それは現在まで引き継がれています。

 この一連のドラマを目の当たりにした家康はこう言ったそうです。「武田勝頼は大将の器ではない。鳥居のような忠義者は命を助けて、家臣に忠義のあり方を示すべきである。それをああも無残に殺してしまうとは。いまに見ていろ。譜代の家臣であろうと勝頼を見放して武田は滅亡するであろうさ」家康の予言したとおり、7年後の天正10年(1582年)3月、織田軍の甲斐侵攻を受けた武田勝頼は、木曾義昌、穴山梅雪、小山田信茂など武田一門、譜代衆に裏切られてあっけなく滅亡してしまったのです。さすがは神君家康公。恐れ入りまする。

2013年9月27日 (金)

SOS!こちら長篠城

 引佐からR257で三河国に入ります。なだらかな峠道沿いの田んぼは稲穂で黄金色に染まって、また畦に咲く彼岸花は赤々として、山里は色合い豊かな季節です。峠道を下ったところはJR飯田線沿線の地域で、かの有名な長篠の合戦所縁の土地です。長篠の戦いといえば、織田信長の鉄砲隊が武田勝頼の騎馬隊を散々に打ち破った近代戦の幕開けとして、歴史の教科書には必ず載っている日本史上の名場面です。

P1110169 おなじみの長篠合戦図屏風

 駿河、遠江の今川家の没落後、三河の徳川家康と甲斐の武田信玄は遠江の領有を巡って争うようになりますが、謀略に長けた信玄は信州に隣接する奥三河の小領主を調略するようになります。三方ヶ原の戦いで武田が徳川を撃破するなど武田優勢の中で、旗幟を明らかにしていない奥三河の小領主たちは、次第に武田になびいていきます。作手城の奥平貞能もその一人ですが、1573年に信玄が没すると、今度は逆に家康が奥三河の小領主を調略していきます。

Dsc00023 長篠城本丸址

 家康は自分の長女を奥平貞能の嫡男貞昌に嫁がせ、修築した長篠城を与えることを餌に奥平氏を寝返らせることに成功しました。これに激怒したのが武田信玄の後継者勝頼です。奥平の人質を処刑して、1575年4月に1万5千の大軍を率いて三河に侵入すると長篠城を包囲します。城を守備する兵力は徳川からの援軍も含めて5百余り。武田軍の猛攻の前に落城も時間の問題と思われましたが、徳川は織田の援軍を得て長篠城の後詰に出陣し、城の西方、設楽原に布陣します。これを聞いた勝頼は城の包囲を緩めて、設楽原に軍勢を向けます。こうして歴史に名高い長篠の合戦となるわけです。

P1110176 堀跡くっきり P1110171 城周辺の山々にも武田の軍旗が林立したことでしょう。

 合戦の発端となった長篠城址に寄ってみることにしました。城跡は国の史跡に指定されていて良く整備されています。駐車場の前にはいきなり掘割がはっきりと残っていました。堀を渡るとすぐに本丸址の広い広場になっています。長篠城は小さな平城ですが、大野川と寒狭川が合流して豊川になる位置に建てられていて、周囲は深い渓谷で囲まれている天然の要害なのです。

P1110172 城より電車の天然児

 訪れた日は翌日に月見の宴というイベントがあるそうで、城内は突貫工事で特設会場の設置が行われていて、結構騒々しい中の見学でした。ここに天然の要害あれば、我が一行には天然の子供ありです。天然児は城跡などはそっちのけで、草刈のおじさんにちょっかいを出したり、隣接する飯田線を見たりと、我流で楽しんでおりました。

2013年9月25日 (水)

赤兜猫ヒコニャンのルーツここにあり

 お彼岸の連休は晴天に恵まれたので、墓参りそっちのけで三遠地方を旅しました。三遠とは、旧国名で三河(愛知県東部)と遠江(静岡県西部)のことです。この地域へのアクセスは、御殿場から県境の三ヶ日まで供用されている新東名こと第二東名が便利です。新東名は従来の東名高速より静岡県の山側を貫通しているのですが、山をトンネルで貫き、谷や河川は橋梁で渡しているので、直線的でストレスなく走ることができます。ふと、気がつくと「え、こんなに!」と思うほどスピードが出てしまいます。しかし、ご用心、ご用心。油断していると面パトちゃんの好餌になってしまいますよ。

Dsc00015 そんなこと、どうでも○○○○

 そうはいいつつも、予定より30分遅れての出発が、浜松いなさICを下りたときには予定より30分早かったのですから、それなりに出ていたのでしょう(笑)さて、いなさとは引佐と書きますが、浜名湖の奥部に位置する山に囲まれたのどかな田園風景が広がる地域です。ここに井伊谷(いいのや)という地区がありますが、読んで字のごとく、江戸幕末の重鎮井伊直弼、徳川四天王に名を連ねた猛将井伊直政、滋賀県彦根市のご当地キャラ「ひこにゃん」のモデルになった井伊直孝などを輩出した井伊家発祥の地であります。

P1110162 武田家最強軍団赤備

 井伊家は古く平安時代に起り、南北朝時代には後醍醐帝の皇子、宗良親王をこの地に迎えて足利氏と戦った武門の名家です。戦国時代に井伊直盛が今川義元の揮下として桶狭間の戦いで戦死すると、その養子直親は今川氏から独立した三河の徳川家康との内通を疑われて、今川氏真の命によって討たれてしまいます。この遠州錯乱と呼ばれる争乱で井伊家は衰退しますが、命からがら身一つで逃れた直政が家康に拾われると、武勇をもって活躍し、後に徳川家に吸収された武田家中でも最強をもって知られる赤備を預けられて徳川四天王に名を連ねることになります。

P1110150 龍潭寺参道 P1110156 寺名にちなんだ龍は左甚五郎作

 その井伊家の菩提寺が井伊谷にある龍潭寺です。開祖は本邦初の土木エンジニアとして全国に業績を残した奈良時代のスーパー坊主、行基といわれています。鬱蒼とした杉木立の参道を歩いていくと、一万坪という広大な境内には、城郭のような立派な石垣と土塀が続いています。その奥に本堂庫裏や開山堂など堂塔が並んでいます。

P1110159 井伊家代々の霊位が納められる持仏堂 Dsc00018 名勝の小堀遠州作庭園

 庫裏の中には井伊家所縁の寺宝が並んでいますが、龍潭寺で有名なのは、何と言っても庫裏裏手にある庭園です。作庭は江戸時代初期の茶人であり、作庭家としても有名な小堀遠州だそうで、親交の深かった井伊直孝の依頼によってこの庭園を手掛けたそうです。書院に面して横に広がる庭園には、池と築山があって、これらは西方浄土を表現しているそうです。築山にはサツキの木と相まって多くの石が配されていますが、その中でも、中央、左右と大きな庭石が三つ配されています。三つの石は、中央が守護仏、左右がそれを護る仁王石だそうです。春のサツキ、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪化粧と四季折々の変化を見せてくれる庭園です。書院に腰掛けて庭園を眺めていると、時の経つのを忘れて1日だっていられそうです。でも、我ら一行には天然児がいます!

2013年9月20日 (金)

嵐の前の沼津湾

 9月14日(土)台風18号が接近する沼津湾の風景です。と、いっても、駿河湾の更に奥まった沼津湾ですから、波浪の影響もほとんどない穏やかな海でしたが。

P1110068 大瀬崎

 沼津湾口、ダイバーの聖地大瀬崎を散歩しました。「ダイビングは大瀬に始まり、大瀬に終わる?」とまで言われるかは不明ですが、私も昔潜りました。

P1110074 神池の鯉

 沼津湾に突出した1kmほどの大瀬崎。その真中にある神池は淡水の池です。周囲は海水なのに池は淡水。不思議なものです。池には多くの鯉が生息していますが、餌をせがんで集まる姿はゾンビを彷彿させますね。

P1110088 ビャクシンのご神木

 岬は大きなビャクシンの樹林となっていますが、大瀬崎はビャクシンの北限だそうで、国の天然記念物に指定されています。さて、ご神木を撮った上の写真ですが、ご神木よりも天然児がババより大きく成長しようとしていることに驚きました。伸び行くものと老い行くもの。こういうのは好対照というのでしょうか。

P1110098 オニカマス

 ダイビングショップの前にオニカマス、俗にいうバラキューダが置かれていました。今夜の食卓を飾るのかと思いきや、これは見せ物だそうです。アカカマスやヤマトカマスは美味しいのですけどね。

P1110095 鮮やかな青い生物 P1110124

 目が覚めるような蛍光ブルーのクラゲと魚。伊豆の海ならではの生態系といいましょうか。青い魚たちは、ひょっとしたら黒潮に乗って北上してきて、冬になったら水温の低下で死んでしまう死滅回遊魚かもしれませんね。

P1110100 これぞアメ車

 西浦の魚が美味しいお食事処「やま弥」に寄ったら、古いアメ車を見つけました。当に戦後の日本人が憧れたアメリカンドリームを形にしたその姿は、背景の雲間から覗く富士山の姿も目に入らないほどの存在感でした。

P1110110 アシカショー

 淡島マリンパークのアシカショーです。ピッと決まった倒立姿。その曲線美は背景の沼津アルプスの稜線と非常にマッチングしていました。

P1110128 あ、この光景は・・・

 淡島の桟橋に停泊する遊覧船の上に1羽のサギの姿。それを見て、私は昭和45年に発生した瀬戸内シージャック事件を連想してしまいました。昔のドキュメント番組に見る映像も最近は見なくなりました。

2013年9月18日 (水)

山行 秋の季節感を探して 丹沢表尾根

 9月12日(木)、久しぶりに丹沢を歩いてみた。昼からは運転免許の講習があるので、限られた時間ではあるが、表尾根ぐらいは歩けるだろう。6時30分に大倉を出発して、三ノ塔尾根を歩く。三ノ塔尾根のアイツは元気か?期待を裏切らないのがシカとヤマビル。シカは数頭の群れを何度か見かけたし、中段の牛首でチェックすると、5、6匹のヤマビルが足を這っていた。野生動物とヒルの生息域は一体不可欠なのである。

P1110018 三ノ塔へ延びる林道

 牛首から更に三ノ塔に向かって歩いていくと、何と登山道に平行して林道が建設されていた。丹沢、それも表尾根にまだ林道を造ろうというのか?!理解し得ないのが我が国の林業である。

P1110025 三ノ塔山頂 P1110024 塔ノ岳 P1110026 富士山

 さっさか登って三ノ塔。見上げる青空の色は秋の空である。青空の下に富士山も見えているが、塔ノ岳は山頂がモヤモヤしていて不機嫌だ。平日なので静かな表尾根。この展望を独り占めとは贅沢である。が、どこからともなく呻き声のような・・・恐る恐る斜面を覗き込むと、どっかのおっさんが斜面に屈みこんでいる。えーこんなところで斜面に転落?それとも急病人?ドキドキというより、モヤモヤしていると、何てことはない。大きなフジアザミとバックに山並みをファインダーに収めようと、無理な姿勢をして呻いていたのである。

P1110033 烏尾山荘 P1110046 行者の鎖場 

 気を取り直して三ノ塔を一気に下って、少し登り返して烏尾山へ。三角屋根の小さな山荘が可愛らしい。更に進んで行者の鎖場にさしかかると、雰囲気満点に雲がかかってきた。鎖場を通過して新大日に登り返そうかと思っていると、既にタイムリミットの刻限である。塔ノ岳は諦めてここいらで引き返そう。

P1110052 戸沢林道へ下る道

 戸沢林道へのエスケープルートである政次郎尾根への分岐を探したが、どういう訳か見出せず、行者の鎖場をもう1回乗り越えて烏尾山へ戻った。烏尾山荘前から戸沢林道へのエスケープルートを下ることにした。この道は頻繁に折り返しがあるので、下りはそれほど急ではない。歩きやすい道なので、エスケープルートではなく、登りでも利用価値のありそうなルートである。

P1110031 フジアザミ P1110047 ホトトギス

 戸沢林道に下りて、1時間ほどの林道歩きの後、大倉に帰着した。軽い足慣らし程度であったが、季節感を堪能できた。

★コースタイム:5時間

大倉6:20→7:15牛首→8:20三ノ塔8:25→8:45烏尾山→9:00行者ヶ岳→9:15新大日下→9:40烏尾山→10:30戸沢林道→11:20大倉

2013年9月17日 (火)

宮ヶ瀬で甦った記憶

 9月初め。天然児を連れて宮ヶ瀬にやってきました。宮ヶ瀬湖は渇水でかなり水位が低下していました。対岸を見ると、水没した昔の道路が露出していました。その後、今回の台風18号の降雨によって、貯水率は59→70%に増加したそうです。湖畔の駐車場ではちょうど仏果山から下山してきた一行が、靴や着衣についたヤマビルを一生懸命駆除しておりました。宮ヶ瀬周辺の山はヤマビルの巣窟ですからね。

P1100974 渇水の宮ヶ瀬湖 P1100983 ダムサイトは秋の気配

 宮ヶ瀬ダム周辺を歩いてみました。宮ヶ瀬ダムは相模川水系の中津川を堰き止めた堤高156m、幅400mの重力式コンクリートダムで、全国第6位、首都圏最大級のダムです。治水、飲料水の確保を目的として、昭和44年に国が計画を発表して、用地、補償交渉などを経て昭和62年から本格的に工事が開始されて、平成12年に竣工しました。かすかな記憶なのですが、運転免許を取得して間もない頃に、親の車を借りて宮ヶ瀬に沈む地区の中を走った記憶があったような、なかったような・・・

P1100987 天然児の視線の先には・・・ P1100980 ダム脇を上下するインクライン

 自分にとって、ダムといえば黒四!宮ヶ瀬ダムは新しくて身近な場所なだけに少々侮りがありまして、今日までダムを渡ったことはほとんど無く、宮ヶ瀬湖は道志や相模湖方面への通過点でしかありませんでした。しかし、改めてダムの堤上を歩くとそのスケールに圧倒されます。下を除くとはるか下に中津川の水面が青々としていて、目がくらんできました。

P1100993 天然児歩く P1100997 天然児風になる~

 ダム底まではインクラインというケーブルカーが上下していますが、天然児の運動のため、ダムから県立愛川公園まで歩きました。緑豊かな整備された公園は、つつじ、アジサイ、バラなど季節の花々が楽しめますが、特に春のつつじは一見の価値ありです。トランポリンやアスレチックなど遊具も充実しているので、ファミリーは1日楽しめる場所です。また、公園内にある郷土資料館には愛川町の自然、民俗、歴史が展示されていて、なかなか見応えがあります。その中に、陸軍中津飛行場についての展示もありました。そういえば、以前に小田原田島地区上空の空中戦で戦死した上原中佐の慰霊碑を探して歩いたことがありました。中佐は中津飛行場から迎撃に飛び立って還らぬ人になったのでした。(参照:http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-3cd6.htmlhttp://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-c20c.html

P1110001 民俗に触れる天然児 P1110004 中津渓谷があった石小屋ダム

 山の斜面にある愛川公園を下っていくと、宮ヶ瀬ダム下の中津川に出ます。ここには石小屋ダムという小さなダムがありますが、かつてここは中津渓谷と呼ばれる渓谷美の風景があって、石小屋という旅館があった場所です。ここでまたまたデジャブーが・・・幼い頃、叔父がやっていた絵画教室の写生会で中津渓谷に来たことがありました。その風景は今でもかすかーに浮かんでくるんです。確か高いところに橋があったような・・・渓谷の風景はダム建設によって消えて、目の前には巨大なコンクリート建造物が立ちはだかるばかりです。

P1110007 今はコンクリート塊があるばかり

 ダムっていうのは、以前その場にあった自然や人々の営みを湖底に飲み込んでいて、何か物悲しい気分にさせられますね。

2013年9月16日 (月)

台風襲来!

 台風18号は現在長野県内を北東方向に移動中。直撃は免れたものの、非常に強い風が吹き荒れております。我が家の周辺は山から飛ばされてきた木の葉で迷彩柄になってしまいました。もう一雨来てもらって、せめて車から葉っぱを洗い流して欲しいものです。でも、昨日未明のような大雨が降ると猫の額にいる子めだかが流されてしまうので心配です。蓋をしてはあるのですが。

 夏の間、猫の額で夏野菜を食べてのんびりと暮らしていたクロちゃん。久々の登場ですが、台風を機に家の中に入れることにしました。でも、相変わらず隙間や窪みが好きなようで、すぐに姿が見えなくなってしまいました。

P1110134

 今日は朝から家に籠っておりますが、テスト前なのに勉強しないで漫画を読み漁る子、テレビをカチカチ回している天然児、イライラが募るかみ・・・息が詰まりそうな環境です。bearing「お~い、お昼でも買ってこようか~?」

2013年9月15日 (日)

野辺山のコスモス列車

 八ヶ岳山麓、野辺山といえば、日本の鉄道で最も高所を走るJR小海線ですが、その小海線の鉄道最高地点の近くに知る人ぞ知るミニ鉄道があります。野辺山SLランドという小さな遊園地には、1周350mのナローゲージが敷設されていて、そこを可愛らしいタンク機関車が汽笛を響かせて走っています。

P1100946 野辺山SLランド

 この機関車、戦後間もない1948年、ベルギー製で、台湾の製糖工場でサトウキビの運搬で活躍していましたが工場は閉鎖。昭和61年にこの野辺山にやってきて、第2の人生をスタートしました。太平洋の空遠く輝く南十字星、黒潮しぶく椰子の島。南国台湾から夏でも冷涼な野辺山高原にやって来たSLは、ちょうど野辺山のレタス農家をフィリピンや東南アジアの人たちが担っている現状に似ていますね。

P1100950 コスモスの向こうに奥秩父の山々

 展望車と客車の3両編成のSLは、1時間に2本間隔でゆっくりと園内を周回します。線路沿いには満開のコスモス。窓を開けているとコスモスの花が車内に垂れ込んでくるほど良く咲いています。車窓からは眼下に広がるレタス畑、その先には高原の針葉樹林、飯盛山、遠景には瑞牆山と小川山など奥秩父の山々が望めました。

P1100961 沿線のコスモスをかすめて走ります。

 SLの他にも日によっては木曽の森林鉄道で働いていた小さなディーゼル機関車も走るとか。野辺山SLランドはそんな小さな機関車たちが余生を送る養老院のような気がしました。清里や野辺山にドライブの際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。但し、冬季は休園となるらしいのでご注意ください。

野辺山SLランドHP:http://www.ytg.janis.or.jp/~slland/index.htm

2013年9月13日 (金)

渓谷美と岩峰を訪ねて

 9月になって最初の休日。まだまだ暑いので涼しい場所へドライブしました。中央道須玉ICから増富ラジウムラインを30分ほど走っていくと、山の谷間に増富温泉の小さな温泉街があります。ラジウム温泉とは泉質にラジウムという放射能が含まれていて、入浴で肝臓病や神経痛、通風や湿疹、飲線で胃腸病、呼吸法で喘息と幅広く効能があるそうです。但し、放射能浴は入浴に注意が必要なので、各旅館には指導員がついているとか。この山間の増富温泉は日本有数のラジウム温泉なのです。

P1100924 車道は渓流に近い

 さて、今回は温泉を通過して更に山奥へ進みます。本谷川は道のすぐ脇を流れているので、爽やかな渓谷美を車窓から間近で楽しみながら山奥に入っていきます。この辺りは秋の紅葉が素晴らしいとか。また、川床の石を手にするとキラキラと水晶が多く含まれています。甲府盆地の裏山である奥秩父の山麓は水晶の山地です。その奥秩父の山麓を縫うその名もクリスタルラインと出合う辺りは金山平と呼ばれ、戦国時代には武田信玄の金鉱があった場所だそうです。

 更に山深く道を辿るとカラマツやミズナラの大木が密生する暗い森を通過していきます。峠に山荘が建っていますが、ここは日本百名山の金峰山や瑞牆山といった奥秩父の最深部への登山口である瑞牆山荘です。ここからなら金峰山までは4時間余り、瑞牆山へは3時間弱で山頂を踏むことができるのです。んー、目の前に餌をぶら下げられている気分ですが、残念ながらここも素通りします。

P1100930 残念、瑞牆山はお隠れ

 山荘前から少し下ると、平成13年に行われた全国植樹祭が開催されたみずがき山自然公園があります。公園周辺は奇麗に整備されていて、管理棟周辺はキャンプ場となっています。ここからは花崗岩が天高くそびえる幽玄な瑞牆山の姿を見上げることができますが・・・雲にスッポリ覆われていました。おまけに雨も降ってきたぞ。

P1100935 松平林道を進撃

 公園を後にしてクリスタルラインに戻ろうとしましたが、松平林道なるダートをが口を開けていました。標識にはこの林道が山梨・長野県境である信州峠方面に向っていることを標示していましたので、7月の三国峠越えに続きまたしてもダート路へ突入です。(参照:http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-0541.html)懲りないというよりは、三国の長距離ダートを越えた自信からでしょうか。

P1100940 信州峠付近はシラカバ林 P1100941 川上村のレタス畑

 松平林道は甲信国境線の尾根をトラバースする標高差の少ない林道です。前線ダート路にもかかわらず路面は比較的良いのですが、轍が深くて普通車の車高では所々底を気にしながら走らなければなりませんでした。30分ほど走ると舗装路にぶつかりましたが、この道が信州峠を越える県道でした。信州峠を越えると長野県川上村。そう、一面レタス畑の光景が広がります。

2013年9月 9日 (月)

山行 節刀を賜り鬼退治 御坂中央部その3

 十二ヶ岳から一旦下って、河口湖の北岸に位置する大石地区への道を分けると、再び登って金山(1686m)の三叉路に到達した。金山はピークらしくなく広々していて、カラマツの針葉樹林に覆われた穏やかな山である。右手は節刀ヶ岳、大石峠、新道峠などを経て、黒岳や三ツ峠方面に延びる稜線。左手は富士五湖に沿って鬼ヶ岳、王岳、三方分山への縦走路である。今回の目的地は鬼ヶ岳を経て西湖西岸の根場(ねんば)地区へ下山することであるが、金山から少し来たにある節刀ヶ岳の山頂に寄り道していくことにした。

P1100830 鞍部から観た芙蓉峰 P1100835 金山の分岐 P1100837 カラマツ林を歩く

 カラマツ林とその根元にはオカトラノオの白い花が広がる道を進むと、すぐに節刀ヶ岳(1736m)のピークに到達した。山梨百名山の標示が立つ山頂からは、南に芙蓉峰を中心に据えて、今まで歩いてきた十二ヶ岳の山並みと、逆にこれから向かう鬼ヶ岳。東側には黒岳や三ツ峠など御坂の山並みが良く見える。

P1100846 河口湖~毛無山~十一、十二 P1100843 金山(中)と右手に鬼ヶ岳

 さて、節刀ヶ岳とは不思議な名前であるが、この山は山麓や遠くの山から見ると、穏やかな御坂の山並みの中で一際ピークを持ち上げて存在感を示している。「節刀」とは「せっとう」又は「せっちょう」と呼び、その昔辺境の反乱を鎮定するため天皇が鎮定将軍に渡した刀のことである。起こりは筑紫国造磐井の反乱時で、平安時代には征夷大将軍坂上田村麻呂も桓武帝より賜ったものだ。私も節刀を賜ったので、いざ鬼退治といこうか。

P1100856 ハナイカリ P1100872 ヤマトリカブト P1100873 マツムシソウ

P1100869 オクモミジハグマ P1100887 シラネセンキュウ P1100891 花に寄る昆虫も多い

 金山分岐に戻って鬼ヶ岳へ進む。鬼ヶ岳に近づくと、その名に似合わず花々が足下を飾ってもてなしてくれた。アザミ、キオン、ハナイカリ、トリカブト、マツムシソウ、オクモミジハグマ・・・黄、ピンク、白、青、紫・・・色とりどりの装いである。荒々しい岩稜と健気な花々の組合せは何ともいえない趣である。

P1100861 鬼の角 P1100863 王岳の先に本栖湖、更に毛無山

 やがて荒々しい岩尾根となると、天高く突き上げる当に鬼の角のような岩がランドマークの鬼ヶ岳(1738m)山頂に到達した。山頂からは、いうに及ばず芙蓉峰のほか、西側に連なる縦走路上に王岳、その先に本栖湖と更には天子山塊の盟主毛無山が遠望できた。

P1100868 雪頭ヶ岳へ渡る梯子 P1100874 雪頭ヶ岳南面

 鬼ヶ岳からは縦走路から南に外れて、西湖西岸の根場地区を目指す。まずは鬼ヶ岳の前に立つ雪頭ヶ岳に渡る。雪の頭で「せっとう」とは、白髪頭のことであろうか?毛無山には禿げ頭を当てはめると対照的で面白い。雪頭ヶ岳へは梯子場も含めた険しい箇所を通過するが、南面はススキなど秋草が生い茂るのんびりとした風景である。この辺りにも初秋の花々が数多く咲いていた。

P1100888 ブナ林を下る。 P1100898 山頂は既に雲の中 P1100907 車窓からの西湖

 雪頭ヶ岳からブナ林の中を下っていくと、ポツポツとハイカーが登ってくる。やがてブナ林から植林帯に入って、長い下り坂の下にある大きな堰堤を越えたところで振り返ると、鬼ヶ岳の山頂部は雲に覆われていた。

 その後、根場地区に下山して、西湖の湖畔にある根場入口のバス停に到着。河口湖駅行のバス到着の5分前という絶妙なタイミングであった。湖畔をバスに揺られて10分余りで登山口の文化洞トンネルに戻ることができた。

コースタイム:5時間5分

文化洞トンネル5:00→6:00毛無山6:05→6:50十一ヶ岳→7:15十二ヶ岳7:20→7:50金山→8:05節刀ヶ岳→8:20金山

→8:40鬼ヶ岳8:45→10:05根場入口

2013年9月 8日 (日)

山行 蜂に引かれて十二ヶ岳参り 御坂中央部その2

 毛無山からルートは西に折れて、ブナ、ミズナラ、カラマツなどの樹林に覆われた小ピークを次々と渡っていく。これらは目立たない小ピークなのだが、一ヶ岳から順番に二ヶ岳、三ヶ岳・・・と名称がつけられている。次の目標は十二ヶ岳なので、順に十二まで続くと分かっているから目安になる。その十二ヶ岳といえば、時折木々の間からニョッキリと天に突き出したピークで目立った存在だ。当に修験道の山らしい人心を惹く姿である。

P1100788 十二ヶ岳への岩稜(右奥に節刀ヶ岳) P1100794 ちょっと得した気分だなぁ。

 一から八か九ヶ岳くらいまでは、ヤセ尾根を辿って所々にロープのアシストがついた急上昇、急下降があるものの、いたって楽勝なルートである。七ヶ岳は福島にあるなぁ・・・八ヶ岳は山梨と長野県だ。などとちょっと得した気分になってあるいているが、修験者たちはそれぞれのピークに戒めを持って歩いたのかもしれない。

P1100798 十~十一間のキレット P1100803 ギャップも厳しくなる。 P1100804 十二は目前だ!

P1100805 十一~十二間のキレット P1100806 吊橋

 十ヶ岳から十一ヶ岳辺りはアップダウンのギャップが大きくなって、ピークの突起も鋭くなっているため巻き道がつけられている。ロープを頼りに十一ヶ岳を越えると今度は十二ヶ岳との鞍部への急降下となる。これも手放しでは無理で、ロープを頼って下降する。丹沢にはない厳しいアルペンルートである。鞍部は深く切れ込んだキレットになっていて、金属製の吊橋が架けられていた。しっかりとした吊橋のようだが、私が渡るとギシギシと音を立てて揺れる。静かなキレットに吊橋の悲鳴が不気味に木霊した。

P1100810 十二ヶ岳直下の垂直壁 P1100811 ちょっとひと休み

P1100812 中央に黒岳、左に釈迦 P1100813 三ツ峠と右奥に御正体、丹沢

 吊橋の先は垂直の壁である。この壁は少し長いので慎重にゆっくりと攀じ登っていく。中断で一休みして振り返ると、越えてきた岩稜、その向こうに穏やかな御坂の山並みが延びている。一際大きいのはこの山地の盟主黒岳であろう。その後方には頭に電波塔を乗っけた三ツ峠が霞んでいる。「御坂マッターホルン」こと釈迦ヶ岳も見える。湖面が眩しい河口湖の先には御正体山や丹沢が見えていた。

P1100816 十二ヶ岳山頂 P1100820 芙蓉峰と右に大室山、西湖

 壁を越えると西湖湖畔へのルートを分け、すぐに十二ヶ岳(1683m)の山頂に到達した。狭い山頂ではあるものの、山頂には朱塗りのお堂と石の祠が祀られていた。南面に芙蓉峰(富士山)と対座し、眼下には西湖が見下ろせた。いやいや、この絶景を独り占めとは、何とも贅沢なものだ。ふと、先月常磐ハワイアンセンターでイモ洗い状態だった自分の姿を思い浮かべていた。ムフフ、あれはあれでよいものさ。不惑のオッさんが何を独りで考えているのやら。

P1100824 鬼ヶ岳

 ここまで歩いてきて不思議に思ったのは、小ピークや岩稜の急上昇、急下降の危険箇所に1匹のスズメバチが行く手を飛んでいたことだ。9月のスズメバチは危険な存在であるが、そのハチはこちらを威嚇するわけでもなく、注意を引くように行く手を横切って消えていった。この1匹の小さなハチに何やら偉大なる霊力を感じる山笑であった。今こそ自らを戒めなければならない。でないと、ハチの一刺し、岩稜からの転落があるやもしれない。

P1100827 山頂からの下降 P1100828 十二を振り返る 

 十二ヶ岳山頂で小休止し、邪念を払ったところで先へ進む。十二ヶ岳の外見のとおり、山頂からは急降下となる。ここも手放しでは命取りとなる。それにしても十二ヶ岳周辺の岩稜にはミツバツツジが多く自生している。花期にまた訪れてみたいものだ。樹間からは行く手に今回の最終ピークとなる鬼ヶ岳が見えているが、その前にちょっと北にルートを外れて節刀ヶ岳に寄るつもりである。(つづく)

★コースタイム:2時間15分(十二ヶ岳まで)

文化洞トンネル5:00→6:00毛無山6:05→6:50十一ヶ岳→7:15十二ヶ岳

2013年9月 6日 (金)

山行 世界遺産は眺めて良し 御坂中央部その1

 8月31日(土)2時に起床。この時間なら八ヶ岳辺りまで行けるかもしれない。と、頭は遥か彼方に飛んでいく一方で体がなかなか乗ってこない。歳かな?いやそうではなかろう(と信じたい)悶々としながら1時間を無為に送って3時に出発した。せっかく早出したので、丹沢ではなくもう少し足を延ばそうと東名を西進した。御殿場辺りはどんよりと重たい雲が立ち込めて小雨まで降る始末。富士山御殿場口は諦めた。

 籠坂峠を越えて山梨県内へ。東の空が明るくなってきたので、目標を御坂山地に定めた。御坂山地は甲府盆地と富士五湖地域を隔てる、標高1500~1800mの稜線が東西に延びている。その何れのピークに立ったときにも、正面には堂々と大きな芙蓉峰(富士山)と麓に光る富士五湖という絶景を望むことができるため、展望登山で人気がある山塊である。

 今回はその中央部、富士五湖でいえばちょうど真中に位置する西湖と河口湖を隔てる尾根から入山して、毛無山~十二ヶ岳~節刀ヶ岳~鬼ヶ岳を渡り歩き、西湖の西端に位置する根場いやしの里に下山して、バスで登山口に戻るルートに決定した。

P1100762 ここから始まる山歩き 

 4時半に河口湖と西湖を隔てる尾根下の文化洞トンネルに到着した。トンネル脇の登山口駐車場には1台車が停まっていた。まだ薄暗いのでのんびりと準備をしていると、先着の車の人が入山していった。それに勇気づけられ(というか、初めてのコースなので露払いをさせようという腹黒さも少々あったが)5時を少しまわってこちらも出発した。

P1100765 還ることのない英霊を偲ぶ P1100766 道中の安全を祈る心は昔も今も変わらない

 薄暗い樹林をジグザグ登るとすぐに尾根上に出た。毛無山と足和田山の分岐点である。足和田山は、そのなだらかな山容と御坂山地より更に間近で芙蓉峰を望める眺望を有した人気の山である。右手の毛無山方面に向かうと、すぐに峠道と交差した。文化洞トンネルが開通するまでは、この峠道を人が越えて交易していたことであろう。その峠には大きな忠魂碑と墓標が並んでいた。西湖周辺の集落から赤紙一枚で召集され、二度と故郷の土を踏むことがなかった方々のものであろう。「賞状 陸軍一等兵 何某 昭和19年10月南方にて壮烈なる戦死を遂げ忠を尽くせり 功により上等兵に特進させ 遺骨を故郷に届けると共に本賞状を授与する 陸軍大将山下奉文」こんな場面がその昔、この峠であったのかもしれない。

P1100769 明るく歩き易い尾根道 P1100776 とうちゃーく

 「ば~んだの桜か襟のいろ~ は~なは吉野にあらし~ふく~・・・」思わず軍歌を鼻で鳴らしながら急坂を登っていく。コナラ、アカマツ、モミなどの樹で覆われた尾根道に右手から朝日が差し込んできた。すがすがしい朝の山道。左手の西湖方面からは涼しい風が吹き付けている。勇ましく快調に登っていくと、樹林が開けてカヤトの原となり、間もなく毛無山(1500m)の山頂となった。英霊のご照覧あってか、意外と楽にここまでは来れた。

P1100773 毛無山の山頂。振り返れば・・・ P1100772 芙蓉峰!

 毛無山とは、山頂部に樹木がないことから名付けられた名称であろう。まぎらわしいことに、この御坂山地に程近い富士山の西側に連なる天子山塊の最高峰も同名で、200名山にもエントリーされているため、「毛無山」といえばそちらを指す人が多かろう。南が開けた毛無山山頂からは歩いてきた尾根の先に堂々たる芙蓉峰が望めた。8月最後の週末。天候にも恵まれて多くの登山者が山頂を目指していることであろう。世界遺産は登っても良し、そして眺めるも良し。最高のロケーションである。(つづく)

★コースタイム:1時間(毛無山まで)

文化洞トンネル5:00→6:00毛無山

2013年9月 5日 (木)

山行 夏ダレからの復帰 金時山

 猛暑が厳しかった今夏は丹沢や箱根など近くの低山を歩く気力が起きなかった。8月も終わろうとするとある昼下がり、忘れていたかのように金時山に登った。金時は7月中旬に足柄峠から最短コースを歩いたが、今回はもう少し長く歩きたかったので、地蔵堂から矢倉沢峠まで黒白、明神林道を歩いて、外輪山の稜線を少し歩いて金時山、山頂からはいつもの猪鼻砦に下って夕日の滝経由で地蔵堂に戻る周遊コースを選んだ。

130829_135153 地蔵堂 130829_135717 黒白林道始点付近からの矢倉岳

 14時に地蔵堂を出発。昼下がりの陽射しが眩しいが風が涼しく感じられた。黒白、明神林道は2年前に天然児と歩いた思い出がある。完全舗装路で矢倉沢峠を越えて箱根仙石原まで通じている。木陰を選んで快調に歩いていくが、車の通行が意外と多い。許可車以外は通行禁止のはずなのだが生活道路として定着しているらしい。

130829_150730 金時隧道 130829_150741 矢倉沢峠下 130829_151247 矢倉沢峠

 やがて箱根外輪山の尾根が近くなって、左手後方に明神ヶ岳が見えてくると、林道の最高地点である金時隧道に到着した。隧道を吹き抜ける風は箱根の匂いがする(?)隧道の脇から両側にハコネタケが群生する道を上がっていくと、すぐに矢倉沢峠に至り外輪山の縦走路に出た。所々見渡しがきく明るい尾根道である。振り返れば、南東に連なる火打石岳や明神ヶ岳のなだらかな稜線に一筋縦走路が延びていた。

130829_151801 外輪山の縦走路(右奥が明神) 130829_152404 ○×十字陵のごとき威容

 目の前には天を突くように金時山がそびえている。箱根外輪山の中にあって一際目立つその威風堂々たる姿こそがこの山の人気の要因でもあるが、この山笑、退かぬ!媚びぬ!省みぬ!山頂目指して進撃を開始した。ポツポツと下山してくるグループがあったが時間的に登る人はない。そこへハンミョウが飛んできて先導してくれた。

130829_152242 旦那ここからはあっしがご案内いたしやす。 130829_151750 神山と仙石原

130829_153558 急だ、急 130829_154300 富士はなし・・・

 標高をあげていくと傾斜もきつくなるのは山の常道。一息入れ振り返ると中央火口丘の神山と仙石原が霞んで見えている。更に標高をあげていくと、ハコネタケの道はブナ林となって、間もなく金時山の山頂(1213m)に到達した。富士山は・・・見えない。それどころか、湧き上がる雲で箱根の展望も閉ざされようとしていた。山頂にある2軒の茶屋は既に店じまいしていた。長居は無用である。

130829_160657 さらば金時 130829_165125 夕日の滝 130829_165849 本皮です。

 北側斜面の階段を足早に下り、猪鼻砦から夕日の滝へのなだらかな尾根はトレイルランで時間短縮をはかった。山頂から1時間で夕日の滝。涼感を求めて久しぶりに滝に寄ってみると、ふんどし一丁の兄さんが気合を入れて滝行をしていた。ここも長居は無用のようである。

 17時地蔵堂に戻った。調子を取り戻したところで秋もドンドン登っていくぞ!次行ってみよ~

★コースタイム:3時間10分(休憩含む)

地蔵堂13:50→15:05金時隧道→15:40金時山15:45→16:45夕日の滝16:55→17:00地蔵堂

2013年9月 3日 (火)

あちゃちゃ

 新宿飲み。

 湘南新宿ライン逗子行に乗車。

 大船通過。

 古都鎌倉にてスイッチバックなう(汗)

2013年9月 2日 (月)

晩夏の風景

 残暑厳しい昨今ですが、気がつけば夏も終わってしまいました。夜になると秋の虫鳴き声が賑やかになってきています。過ぎ行く夏を惜しむべく、近場で集めた夏の風景をお贈りいたします。

P1100701 立ち枯れの林

 上高地の大正池ではありません。愛鷹山から流れ落ちる桃沢川の上流です。最近できた堰堤でしょうか、堰き止められた水が従来からの林を枯らしてできた風景です。

P1100690 川霧たちこめる水神社の神域 P1100695

 さらに桃沢川の上流にある愛鷹山水神社です。沢を吹き降ろす風は冷たくて、下界の暑さを忘れさせてくれます。境内は川霧が立ち込めていて霊験というものを感じました。

P1100714 葛葉川で川遊び P1100716 P1100727 子持ちサワガニ

 秦野市葛葉川で沢遊びを楽しみました。以前はヤマビルが多い場所でしたが、今年は姿を見ていません。この沢は沢登りの初心者コースなので、多くの人が沢を遡行していきます。私たちは冷たい沢に浸かってサワガニを探しです。

P1100308 夕暮れの表尾根

 夕暮れ時に渋沢丘陵から見た丹沢表尾根の夕焼けです。明日も暑くなりそうですね。

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