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2013年9月27日 (金)

SOS!こちら長篠城

 引佐からR257で三河国に入ります。なだらかな峠道沿いの田んぼは稲穂で黄金色に染まって、また畦に咲く彼岸花は赤々として、山里は色合い豊かな季節です。峠道を下ったところはJR飯田線沿線の地域で、かの有名な長篠の合戦所縁の土地です。長篠の戦いといえば、織田信長の鉄砲隊が武田勝頼の騎馬隊を散々に打ち破った近代戦の幕開けとして、歴史の教科書には必ず載っている日本史上の名場面です。

P1110169 おなじみの長篠合戦図屏風

 駿河、遠江の今川家の没落後、三河の徳川家康と甲斐の武田信玄は遠江の領有を巡って争うようになりますが、謀略に長けた信玄は信州に隣接する奥三河の小領主を調略するようになります。三方ヶ原の戦いで武田が徳川を撃破するなど武田優勢の中で、旗幟を明らかにしていない奥三河の小領主たちは、次第に武田になびいていきます。作手城の奥平貞能もその一人ですが、1573年に信玄が没すると、今度は逆に家康が奥三河の小領主を調略していきます。

Dsc00023 長篠城本丸址

 家康は自分の長女を奥平貞能の嫡男貞昌に嫁がせ、修築した長篠城を与えることを餌に奥平氏を寝返らせることに成功しました。これに激怒したのが武田信玄の後継者勝頼です。奥平の人質を処刑して、1575年4月に1万5千の大軍を率いて三河に侵入すると長篠城を包囲します。城を守備する兵力は徳川からの援軍も含めて5百余り。武田軍の猛攻の前に落城も時間の問題と思われましたが、徳川は織田の援軍を得て長篠城の後詰に出陣し、城の西方、設楽原に布陣します。これを聞いた勝頼は城の包囲を緩めて、設楽原に軍勢を向けます。こうして歴史に名高い長篠の合戦となるわけです。

P1110176 堀跡くっきり P1110171 城周辺の山々にも武田の軍旗が林立したことでしょう。

 合戦の発端となった長篠城址に寄ってみることにしました。城跡は国の史跡に指定されていて良く整備されています。駐車場の前にはいきなり掘割がはっきりと残っていました。堀を渡るとすぐに本丸址の広い広場になっています。長篠城は小さな平城ですが、大野川と寒狭川が合流して豊川になる位置に建てられていて、周囲は深い渓谷で囲まれている天然の要害なのです。

P1110172 城より電車の天然児

 訪れた日は翌日に月見の宴というイベントがあるそうで、城内は突貫工事で特設会場の設置が行われていて、結構騒々しい中の見学でした。ここに天然の要害あれば、我が一行には天然の子供ありです。天然児は城跡などはそっちのけで、草刈のおじさんにちょっかいを出したり、隣接する飯田線を見たりと、我流で楽しんでおりました。

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