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2013年9月25日 (水)

赤兜猫ヒコニャンのルーツここにあり

 お彼岸の連休は晴天に恵まれたので、墓参りそっちのけで三遠地方を旅しました。三遠とは、旧国名で三河(愛知県東部)と遠江(静岡県西部)のことです。この地域へのアクセスは、御殿場から県境の三ヶ日まで供用されている新東名こと第二東名が便利です。新東名は従来の東名高速より静岡県の山側を貫通しているのですが、山をトンネルで貫き、谷や河川は橋梁で渡しているので、直線的でストレスなく走ることができます。ふと、気がつくと「え、こんなに!」と思うほどスピードが出てしまいます。しかし、ご用心、ご用心。油断していると面パトちゃんの好餌になってしまいますよ。

Dsc00015 そんなこと、どうでも○○○○

 そうはいいつつも、予定より30分遅れての出発が、浜松いなさICを下りたときには予定より30分早かったのですから、それなりに出ていたのでしょう(笑)さて、いなさとは引佐と書きますが、浜名湖の奥部に位置する山に囲まれたのどかな田園風景が広がる地域です。ここに井伊谷(いいのや)という地区がありますが、読んで字のごとく、江戸幕末の重鎮井伊直弼、徳川四天王に名を連ねた猛将井伊直政、滋賀県彦根市のご当地キャラ「ひこにゃん」のモデルになった井伊直孝などを輩出した井伊家発祥の地であります。

P1110162 武田家最強軍団赤備

 井伊家は古く平安時代に起り、南北朝時代には後醍醐帝の皇子、宗良親王をこの地に迎えて足利氏と戦った武門の名家です。戦国時代に井伊直盛が今川義元の揮下として桶狭間の戦いで戦死すると、その養子直親は今川氏から独立した三河の徳川家康との内通を疑われて、今川氏真の命によって討たれてしまいます。この遠州錯乱と呼ばれる争乱で井伊家は衰退しますが、命からがら身一つで逃れた直政が家康に拾われると、武勇をもって活躍し、後に徳川家に吸収された武田家中でも最強をもって知られる赤備を預けられて徳川四天王に名を連ねることになります。

P1110150 龍潭寺参道 P1110156 寺名にちなんだ龍は左甚五郎作

 その井伊家の菩提寺が井伊谷にある龍潭寺です。開祖は本邦初の土木エンジニアとして全国に業績を残した奈良時代のスーパー坊主、行基といわれています。鬱蒼とした杉木立の参道を歩いていくと、一万坪という広大な境内には、城郭のような立派な石垣と土塀が続いています。その奥に本堂庫裏や開山堂など堂塔が並んでいます。

P1110159 井伊家代々の霊位が納められる持仏堂 Dsc00018 名勝の小堀遠州作庭園

 庫裏の中には井伊家所縁の寺宝が並んでいますが、龍潭寺で有名なのは、何と言っても庫裏裏手にある庭園です。作庭は江戸時代初期の茶人であり、作庭家としても有名な小堀遠州だそうで、親交の深かった井伊直孝の依頼によってこの庭園を手掛けたそうです。書院に面して横に広がる庭園には、池と築山があって、これらは西方浄土を表現しているそうです。築山にはサツキの木と相まって多くの石が配されていますが、その中でも、中央、左右と大きな庭石が三つ配されています。三つの石は、中央が守護仏、左右がそれを護る仁王石だそうです。春のサツキ、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪化粧と四季折々の変化を見せてくれる庭園です。書院に腰掛けて庭園を眺めていると、時の経つのを忘れて1日だっていられそうです。でも、我ら一行には天然児がいます!

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