ヒデキもコーキもここに眠るよ
蒲郡市と西隣の西尾市の境界、三河湾を見下ろす山が標高321mの三ヶ根山です。なだらかな稜線と三河湾を一望の下にできるロケーションから、高度成長期に観光化が進んで、名鉄資本で山頂へのロープウェーや回転展望塔が設置されました。また、マイカー時代の到来と共に、稜線を走る三ヶ根山スカイラインも建設されて、爽快なドライブを楽しめる場所になりました。
しかしときは流れて、この手の観光地からは徐々に人足が遠ざかり、今や回転展望塔もロープウェーもありません。スカイラインを走っていても路面状況が悪く、ドライブインやホテルの廃墟ばかり目について、華やかなりし頃の残照を肌で感じられます。山頂に向けて駆け上るワインディングの多い道路は、走る車は少ないものの、ツーリングを楽しむライダーが多いようです。また、いたる所にスリップ痕が残されていて、夜はいわゆる「走り屋」のサーキットと化している模様です。昼間観光客から金を徴収して、夜は無料開放の道路なんですから、愛知県の道路公社は「走り屋」のためにこの道路を維持管理しているようなものです。
さて、この三ヶ根山の山頂付近に、「殉国七士廟」という場所があります。国に殉じた七人のお墓ということになりますが、何とここは、大東亜戦争後、極東軍事裁判にてA級戦犯に指定され絞首刑となった東條英機首相以下7人の遺骨が眠る場所なのです。
昭和23年の暮れに7人の方々は刑場の露と消えましたが、その後遺体は横浜で火葬されました。GHQはこの遺骨を遺族に引き渡すことなく放置したため、この非道に憤りを感じた三文字弁護士他数名の有志の手によって、GHQとの半ば遺骨争奪を経て、熱海伊豆山の興亜観音堂(7人のひとり松井石根大将宅)に移され、更に幡豆町(現西尾市)の好意によって、太平洋を望むこの地に埋葬されたのだそうです。
このような歴史上重みのある話の割には、この場所がほとんど国民の目に触れることがないのは驚きです。かの戦争を歴史上の汚点として、対外的に低姿勢をとり続け、引け目を負いながら歩んできた戦後の我が国の惨めな思想、教育が浮き彫りにされます。戦時中の我が国の行為を一身に背負って、受容として死に臨んだ人たちを思うと心が痛みます。
ヒデキ、アキラ、イワネ、ヘイタロウ、ケンジ、セイシロウ、そしてコーキ。いつまでも安らかに
スカイラインから脇道を少し入ったところにある殉国七士廟は、衰退著しい三ヶ根山山域の中にあって、唯一それとは反対に荘厳として、地内は管理する有志の手によって清潔に保たれ、墓前には生花が絶えず供えられていました。この志こそ、日本人の心の清さ、美しさであります。遠く太平洋を望むこの地から、かつて日本の国政を主導した人たちは今の日本を見下ろして、何を思っているのでしょうか。
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