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2013年10月

2013年10月30日 (水)

ユーシンの楽しい仲間 その他

 ユーシン渓谷の主役は季節を彩る花々や木々ですが、よくよく観察してみるといろいろと楽しい発見があるものです。

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 林道の側壁からは清水が出ているところがあります。長い道程にはありがたいものです。そんな水場周りを観察してみると・・・

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 小さなヤマアカガエルがいました。紅葉が終われば丹沢にも厳しい冬がやってきます。冬眠前で食いだめしているのかもしれません。

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 一見、人為的に立っている路傍の小石。でも山から転がってきて、バッチリ決まった着地点かもしれませんね。

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 玄倉川の河原に突き出た岩。そこからはたくましくも草木が生長しています。増水したときには島になるのでしょう。

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 うちらは35kmも歩いていませんが、体力の限界を迎えた天然児の励みになったことでしょう。

2013年10月29日 (火)

ユーシンの楽しい仲間 植物編

 前回紹介したユーシン渓谷。半日の林道ハイキングでは、見所以外にも小さな発見、出会いがありました。

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 スタート早々から強烈な個性をアピールしてくれたのが、このマムシグサです。真っ赤に実生して一足早い紅葉?です。

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 何だかよくわかりませんが、真っ赤な実が鈴生りです。あまりに美味しそうなので、ひとつふたつもいで口に入れてみましたが・・・うーん、微かな甘味を感じつつも、草っぽい青臭さがそれに勝っています。ダミだごりゃ~。

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 これもよくわからない種の植物ですが、新芽が整然と並んでいてユニークです。

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 いやぁ・・・見せつけてくれますね。白昼堂々、リュウノウギクとリンドウの絡みシーンです。ふたりの愛は種族の垣根を越えたのですね。感動です。

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 これは・・・ユーシンロッジ前の芝広場に生えていたマッシュルーム?のようなキノコです。いかにも美味しそうですが、キノコは玄人のみが食せるもの。うかつに手を出すと命取りです。

2013年10月28日 (月)

山行 台風一過の林道歩き ユーシン渓谷

 今年の10月は次々とやってくる台風の進路を気にする日々でした。幸いにして今月最後となる台風27号は、沖を通過したので影響はほとんどありませんでした。翌10月27日(日)は台風一過の快晴の秋空となりました。歩くには良い季節ですし、久しぶりに天然児と歩いてみることにしました。

Dsc00643 丹沢の奥深く流れる玄倉川

 丹沢湖東端の玄倉から玄倉林道に乗り入れます。雨上がりの林道は水溜りや路肩から水が出ていたので、通行止のゲートまで行くと軍馬は泥んこになってしまいました。ゲート脇に駐車すると、天然児はお決まりでギャーギャー暴れていましたが、無視して支度をしているとニヤニヤして下りてきました。これ幸いと手を引いてゲートを通過します。

Dsc00614 荒れた林道を進む

 ゲートからしばらく行くと、路肩に積もった土砂をパワーショベルで除去しています。この林道は周辺の地質がもろい閃緑岩のため、いたる所で土砂が流入したり崩落しています。付近も沢から大量の土砂が流入したようで、法面整備や洞門工事が進められています。ダンプが往来してこねくりまわされた路面はドロドロで、靴を汚した天然児は不機嫌になっていました。

Dsc00623 全軍、突入セヨ! Dsc00690 手掘り感が良い

 玄倉林道は隧道が多い林道で、長さは短いものが多いのですが、唯一青崩隧道だけはトンネルが大きく曲がっているため光が届かず、しばらく行くと漆黒の闇に閉ざされます。人は闇に恐怖するもの。天然児もババも恐れおののいて、ヘッデンを持つ私のザックの紐にババが捕まって、ババが天然児の手を引いて進みました。天然児が恐怖と疲労で雄叫びをあげていたので、トンネルの中を対向してきた単独行の方は、ちょっと不安そうな面持ちでした。決してあの世の者ではござんせん。

Dsc00634 玄倉ダム放流中 Dsc00642 玄倉川に流れ込む滝

 玄倉川に沿って林道は丹沢の奥地に延びています。玄倉川は丹沢の山々から雨水を集める川なので、水量多くゴウゴウと音を立てて流れています。隧道先の玄倉ダムは、いつもは青々としたきれいな水をたたえているのですが、推量が多くて水門全開で放流していました。林道も水溜りが多くて、側壁や沢から水が流れ込んで川のようになっている箇所もありました。

Dsc00617 イワシャジン Dsc00651 リュウノウギク Dsc00664 リンドウ

 少しは紅葉しているだろうと期待してきたものの、玄倉川流域の山肌は緑が深く、紅葉まではまだひと月先のようです。山陰の路肩には、青く可愛らしい釣鐘風のイワシャジンの花が多く、日当りの良い場所はリンドウや白い野菊リュウノウギクが咲き乱れていました。紅葉の代わりに秋の花々を楽しむことができました。

Dsc00652 ユーシン渓谷

 谷底深くを流れていた玄倉川の流れが随分近くなってくると、広々とした明るい場所になって、林相はヒノキやモミの植林が交じります。この辺りは明治、大正より林業が営まれた場所。ユーシンとは、この一帯に入植した人々が、水が湧き谷深いところを称して「涌深」と名付けたことが語源となっています。

Dsc00677 ユーシンロッジ Dsc00676 ユーシン沢は少し紅葉

 熊木沢方面に直進する林道ゲートから分かれて玄倉川を渡ると、鬱蒼とした静かな植林の中にたたずむユーシンロッジに至ります。県営のロッジは青崩隧道の工事以来、長期の休業が続いていますが、避難小屋として一部開放されています。営業再開の目途はたっていないようですが、ここまで休業が長引くのは、県が経営が厳しいロッジの運営を継続する意思がないと思われます。利用者を増やすためには、玄倉林道の整備を進めて、以前のように一般の車両に開放することなのでしょうけど、それではこの静かな環境は保てないでしょうし・・・

 ユーシンロッジまで約7kmの林道を2時間半ほどかけて歩いてきました。復路も同じ時間をかけて3時過ぎにゲートに戻りました。天然児にとっては久しぶりの歩行で、それが往復14kmの行程でしたから、最後の方は疲れて座り込む場面もありました。しかし、よく歩いてくれましたよ。お疲れ様。

2013年10月25日 (金)

カメの池で心リフレッシュ

 職場周辺の新宿区荒木町。交通量の多い新宿通りから1歩入ると、小料理屋などが集まる一角があります。その路地裏を歩くと奥まったところに小さな池があります。水神が祀られて、鯉や金魚がのんびりと泳ぐ都会のオアシスとでもいいましょうか。

130906_124847 一人ぼっちでいるとちょっぴり寂しい・・・

 この池にはミドリガメことミシシッピアカミミガメが数匹住んでいるのですが、そのカメたちより二回りくらい大きなスッポンも住み着いています。飼っていたものが逃げ出したのか、食用にされるのが不憫になって、心優しい料理人が逃がしたのかわかりませんが、この池の主的存在感があります。

130924_123800 そんなときこう言うのカメを見つめて・・・

 職場で嫌なことがあると、昼休みに散歩がてらこの池にやってきて、甲羅干しするカメたちを眺めていると、心癒されて「がんばって午後を乗り切ろう!」と頭を切り換えます。

2013年10月23日 (水)

行き先不明?謎の都バス

 夕方、退社して都内を歩いていると、バスが走ってきました。bus行き先には都営バスと表示されていました。回送かと思いきや、結構お客さんが乗っています。そのときは「しょうもねーなー。表示を間違えていらぁ」と思ったのですが、しばらくすると、そんなバスが何台も連なって走ってきました。「何かイベントでもやっているのかな??」bus bus car bus rvcar

 帰宅後、テレビでニュースを見ていると、週末の台風の接近にともなって、前回の台風で甚大な被害を被った大島から、高齢者の方々が都内に避難してきたとのこと。映像では都営バスで避難場所へ移動する方々の姿が映っていましたので、夕方の疑問が解消されました。flair

 ちょうど1週間前の台風では、地元二宮でも小学生が高波にさらわれる悲しい事件がありました。今週末、大型台風がまたやってきそうです。typhoon皆さん用心して備えましょう。

2013年10月22日 (火)

クロちゃんの温浴

 ここ1、2週間で陽気はすっかり肌寒くなって秋めいてまいりました。この寒さですっかり元気をなくしたのが我が家のクロちゃんです。朝から晩まで植木鉢に頭を突っ込んで尻隠さず状態です。1週間も餌を口にしないので、もはや半冬眠状態です。

P1110410 フーッ、いい湯だな~♪

 見ていられないので、ポリ容器にお湯をはって温浴をさせると、フーッと鼻息1発を発して、しばらくすると容器の中を元気良く歩き回ります。15分くらい運動させると、容器の中で放尿、脱糞しますので、きれいに洗い流して吹き上げます。そしてお野菜を食べさせます。

P1110415 ピーちゃんは冷水でがんばってます!

 これから春まで、クロちゃんにとっては辛く長い季節が到来します。

2013年10月21日 (月)

タマシイヒルズ

 夫の家系の墓参りは、彼岸や盆暮れなどちょくちょく出かけるものですが、妻の家系の墓参りというのはなかなか気づかなかったりします。夫の家に入ったのだから・・・と、古風な考え方もありますが、意外と妻は寂しい思いをしているかもしれませんね。我が家のかみも、たまに思い出したように実家の墓参りを要求することがあるので、そんなときはドライブがてらに出かけます。

 かみの実家のお墓は、横浜の保土ヶ谷駅近くの高台にあって、そこは広大な墓地にお寺、火葬場、斎場、御茶屋と呼ばれる墓地の管理業など、こと死者に関する施設が集合している霊界ゾーン?タマシイヒルズです。

 たまにしか訪れないので場所がうる覚えなものですから、御茶屋さんに寄って台帳で調べてもらうことになります。ついでにお花と水桶、お線香のセットが2千円也。自分の実家と比べるとこれは高い!土地柄でしょうか。手ぶらで行くのも何だし、たまにしか訪れないので、「郷に入っては郷に従え」とばかりにお願いします。

P1110288 タマシイヒルズ・・・そこは先人たちに出会えるところ。

 お墓は日当りの良い東向きの斜面にあって、そこからは横浜みなとみらい地区を望むことができます。秋空の下、丘全体に広がる墓地の向こうにランドマークタワーが建っている光景はなかなか爽快なものです。浜っ子たちは、あの世に行っても港の風景を見下ろしていたいのでしょう。

2013年10月20日 (日)

山行 奇岩の仙人郷 金峰・瑞牆山その4 

 金峰山から下った足でそのまま瑞牆山へ歩いている。天鳥川を渡った桃太郎岩の脇からいよいよ登りである!・・・が、足はガクガクである。ストックを取り出して足を庇いながら登ることにした。山頂への道は小さな沢に沿って真っすぐ延びる岩場中心の急登である。既に下りのハイカーが次々と対向してくる。登り優先のルールなのでその都度譲られるが、疲労困憊で逆に先行してもらった。

Dsc00530 登山道の紅葉 Dsc00533 Dsc00569

 瑞牆山は遠くから遠望すると、我が国では特異な花崗岩が林立する奇妙かつ勇壮な姿をしている。黒い森が鬱蒼としている隣の小川山とは対照的である。その岩峰に雲がかかったりすれば、仙人郷のような幽玄なる姿を見せてくれる。また、その「みずがき」という名前が素人にはピンと来ない。みずがき=瑞垣ならば、神社など神域を囲む垣根を指す。先述のとおり、昔の人々は金峰山を神々の居所として崇めていたことから、その周囲を囲む垣根が当にこの瑞牆山なのである。

Dsc00595 自然公園からの瑞牆山 Dsc00535 気持ちはわかるけど・・・

Dsc00539 正直者だけが通り抜けられる?

 沢の源頭部は紅葉で彩られて、我々ハイカーの目を楽しませてくれた。樹林越しには先に登ってきた金峰山の五丈岩が見えている。沢の上部はいよいよ花崗岩の岩峰に挑んでいく。登山道は露出した岩を攀じ登っていく感じだ。やがて左手に仰ぎ見るような巨大な一枚岩がニョッキリ出現するが、これがこの山で最も有名な大ヤスリ岩である。この岩の右下を回りこんで、さらにゴロ岩の急坂を赤いペンキの矢印を頼りに渡っていく。

Dsc00540 山頂直下の急登 Dsc00541 大ヤスリ岩を見上げる Dsc00567

 大ヤスリ岩の上部でみずがき山自然公園からの道と出合い、そこから右手にシャクナゲの生い茂る道を進むと、間もなく瑞牆山の山頂(2230m)に到達した。山麓から見上げると到底登ることは不可能のように見える山でも、頂に立つことはできるものである。登山ルートを開拓した先人には改めて畏敬の念が生じる。この山も日本百名山の1峰なので、山頂には多くの人が憩っていた。私のような単独行から老若男女20名以上のグループもいる。

Dsc00548 賑わう瑞牆山山頂 Dsc00552 小川山(左)と金峰山(右)は雲の中

 展望はというと、あいにく金峰山や小川山は雲で隠れ始めていた。花崗岩の集合体である瑞牆山自身を改めて山頂から見下ろすと、春の若竹が競うが如く一斉に天を目指すように、大岩が生きているが如く天に延びていて、とても奇異な光景である。山頂の鋸岩、先述の大ヤスリ岩を始め、大日如来を意味する梵字カンマンボロン、鶏冠、七面、富士など色々な名称を与えられた岩が眼下に広がっていた。

Dsc00597 帰路、金山平から金峰を望む

 さて、山頂でしばらく小休止して、元気百倍アンパンマン!(惜別やなせ先生)ゴロ岩の急な下りもものとせず、年齢を忘れたようにピョンピョンと軽快に下山した。15時過ぎに登山口の瑞牆山荘に下山した。9時間半近いロングトレイルで金峰山、瑞牆山と名高い2峰を踏破することができた。増富の湯源泉の温い湯に浸かりながら、達成感を噛み締めた。さて、湯から上がったら家までドライブが待っている。三連休の最終日の夕刻、悲惨な大渋滞は覚悟の上である。と、気張ってみたものの、中央道も渋滞の手前御坂一宮ICで回避し、東名道の渋滞も足柄峠越えで回避したため、渋滞知らずで帰宅することができた。

★コースタイム:9時間25分

瑞牆山荘5:50→6:15富士見平小屋6:25→7:00大日小屋→7:25大日岩→8:10砂払ノ頭8:15→8:55金峰山9:05

→9:25金峰山小屋9:40→10:30大日岩→10:50大日小屋10:55→11:30富士見平小屋11:40→12:10天鳥川

→13:25瑞牆山13:45→14:30天鳥川→14:45富士見平小屋14:55→15:15瑞牆山荘

2013年10月18日 (金)

山行 次ぎ瑞牆いってみよー! 金峰、瑞牆山その3

 四半世紀ぶりの金峰山山頂で360度の展望をお腹いっぱい堪能した。奥秩父の盟主であり、甲斐国の北鎮である金峰山は、古来より山岳信仰の山として人々から崇拝されてきた。その「金峰」という名は、いかにも黄金郷甲斐らしい名称である。確かに山麓の金山平は、金山千軒と呼ばれるほど繁栄した金鉱があったらしいが、それとは別で、美しい峰を例えて「金峰」と名付けられたらしい。国側に九つもの登山口を有していたというが、奥秩父の中央を南北に横断する川上牧丘林道、瑞牆山荘のある里宮平まで本谷釜瀬林道が開通したことにより、比較的容易にアクセスできるようになって、山麓から延々と歩かねばならないルートは廃れていった。また、深田久弥の日本百名山にもエントリーされて、近年の百名山ブームではピークハンターが殺到する俗人的な山となった。

Dsc00467 金峰山小屋への下り道(右に小川山、左に瑞牆山。その手前に飯盛山、大日岩)

Dsc00468 展望レストラン Dsc00469 小屋のラブちゃん

 展望でお腹はいっぱいになったが、やはり腹にものは入れなければ体力がもたない。山頂直下にある金峰山小屋に下って、朝食と昼食の中間食をとることにした。大石をピョンピョン渡って北西斜面を下っていくと、正面には黒々した森の小川山、その左手に花崗岩の林立する奇異な姿の瑞牆山、その向こうには八ヶ岳連峰と素晴らしい展望である。巨岩の上に立つケルンが目印の金峰山小屋は、宿泊客は既に朝立ち後で静かであった。黒いラブラドールレトリバーが炊事場の前でのんびり日向ぼっこしていた。かまって欲しそうな視線を感じたが、ゴメン、先を急いだ。

Dsc00481 雲上がる金峰 Dsc00492 大日小屋付近の紅葉 Dsc00494

 腹が満たされたので、山小屋から山を巻く道を辿って、千代ノ吹上の尾根道へ戻った。改めて五丈岩を拝すると、甲州側から雲が上がっていた。連休は晴天に恵まれたが、明けるとあの台風26号がやってくる。砂払ノ頭から大日小屋までは、登ってくる人、下る人入り混じって登山道は賑やかだ。陽もすっかり昇って、大日小屋から富士見平にかけては、朝とは違って紅葉の美しさが際立っていた。

Dsc00512 富士見平小屋 Dsc00517 樹間から瑞牆山を見上げる。

 お昼前に富士見平小屋に到達した。さすがに金峰山へのピストンは疲れた。瑞牆山方面からも続々とハイカーが下山してきて、小屋の前は休憩の人で賑わっていた。そのまま瑞牆山荘へ下りたい気もしてきたが、せっかくここまで来たのだから、瑞牆山には登っておきたい。1泊2日で金峰山、瑞牆山を2日間かけて楽しむ人も多いと聞くが、そんな人はこの富士見平に幕営するのであろう。

Dsc00582 桃太郎岩

 意を決して富士見平から北に延びる瑞牆山へのルートにひーこらと踏み出した。しばらく山を巻いていくと、小川山方面への道を分けて、天鳥川に一気に下る急坂となった。川・・・というか、涸れ沢を渡ると目の前に巨大な岩が立ちはだかっている。その姿は割れた桃で、今にも桃太郎が飛び出してきそうである。桃じゃないから桃太郎ではなかろう。ドラクエのゴーレム?岩崎弥太郎?桃太郎岩の傍らには階段があって、ここからいよいよ瑞牆山山頂への急登となる。(つづく)

★コースタイム:6時間20分(金峰山ピストン後、瑞牆山口まで)

瑞牆山荘5:50→6:15富士見平小屋6:25→7:00大日小屋→7:25大日岩→8:10砂払ノ頭8:15→8:55金峰山9:05

→9:25金峰山小屋9:40→10:30大日岩→10:50大日小屋10:55→11:30富士見平小屋11:40→12:10天鳥川

2013年10月17日 (木)

山行 甲斐の北鎮に立つ 金峰・瑞牆山その2

 富士見山荘前を直進して金峰山へ向かう。カエデやシラカバの紅葉が美しい坂道をしばらく登ると、鬱蒼としたカラマツ林の道となって、飯盛山を右手に巻いていく。山の向こう側には小川山への登山路がやはり巻いている。やや下り加減となって大日小屋のある鞍部に至ると、明るく視界が開けて、目の前には頂に大日岩がそびえる急斜面が立ちはだかった。

Dsc00375 紅葉の道を歩く Dsc00385 大日岩を見上げる Dsc00387 大日小屋

 シャクナゲの生い茂る急坂を登ることになった。この辺りまで来ると、先行者の姿はなくなり、代わりにポツポツとハイカーが下山してくる。金峰山小屋に宿泊した人たちのようで、聞いてみると昨夜は宿泊者で満員状態だったそうである。小川山方面へ延びるルートの分岐点でもある大日岩の基部に到達すると、辺りは平坦となっていて、樹林の中にテントがひとつ張られていた。カップリングの山行ならば星空がきれいで最高の夜だろうが、たった一人一夜を明かすのはよっぽど肝が太い方なのだろう。

Dsc00391 シャクナゲの中を行く Dsc00401 大日岩 Dsc00403

 大日岩を後にして、再び樹林の中を登っていく。だんだんと傾斜がきつくなってきたと思ったとき、突然視界が開けて大展望が広がった。ここは砂払ノ頭と呼ばれる場所で、正面には南アルプスや遠く富士山が望め、振り返ると瑞牆山、小川山、その向こうに八ヶ岳連峰の展望が素晴らしい。山頂へのルートを見上げると、北面(長野県側)は穏やかなハイマツ帯なのに対して、南面(山梨県側)は千代ノ吹上と呼ばれる荒々しい崖が切れ落ちている。長野県側から見上げる金峰山(きんぽうさん)は、黒々と大きな山容にポツンと五丈岩が乗っている姿に対して、山梨県側から見上げる金峰山(きんぷさん)は、山頂一帯が雪を被ったように花崗岩の目立つ姿が対照的であるが、こういうことだったか。

Dsc00410 富士山 Dsc00415 瑞牆山と八ヶ岳連峰 Dsc00416 小川山

 五丈岩を目標に山頂へのヤセ尾根ルートを歩く。岩の乗越え、跳び越え、小ピークを次々と越えていくと、五丈岩は少しずつ大きくなってきた。五丈岩は周辺の山々から、あるいは山麓からでも確認できる金峰山の目印のようなものである。基部まで到達して見上げるとさすがに巨大である。五丈岩周辺は花崗岩の山上庭園である。その最上部に金峰山の山頂(2599m)がある。

Dsc00420 県境の対比が面白い Dsc00423 千代ノ吹上 Dsc00445 五丈岩

 山頂周辺は多くのハイカーで賑わっている。大半は山小屋泊の人たちだが、中にはとんでもなく大荷物を背負って渡ってくる人もいる。恐らくは連休を通して奥秩父を縦走する人であろう。縦走ハイカーの背後には国師ヶ岳と奥秩父の最高峰北奥千丈岳が見えた。狭い山頂の岩の上に順番を待って上がってみると360度の大パノラマを楽しめた。四半世紀前、当時少年だった私もこの展望を眺めたのであろう。金峰よ私は帰ってきた!(つづく)

Dsc00446 山頂の右手に国師、北奥千丈 Dsc00451 標柱と八ヶ岳  Dsc00455 歩いてきたルート

★コースタイム:3時間5分(金峰山まで)

瑞牆山荘5:50→6:15富士見平小屋6:25→7:00大日小屋→7:25大日岩→8:10砂払ノ頭8:15→8:55金峰山

2013年10月16日 (水)

山行 思い出の金山に焦がれて 金峰・瑞牆山その1

 奥秩父と一口にいっても埼玉県ではない。その名のとおり、秩父地方の更に奥山を意味するが、明確な範囲を示すことはなかなか難しい。イメージとして、東は都下最高峰の雲取山辺りから雁坂嶺を経て、甲武信ヶ岳、国師ヶ岳、金峰山とスターが並び、西に小川山、瑞牆山で裾を下ろす。北は武信国境の十文字峠から甲武信ヶ岳、国師ヶ岳を経て、乾徳山、乙女高原、小楢山といった甲府盆地の裏山までが奥秩父なのである。

 その奥秩父の西に位置する金峰山は、遠くから見上げる、あるいは遠望すると、実に大らかな姿にもかかわらず、頂に五丈岩という巨岩をのせているので判別が容易である。奥秩父の最高峰の座は、大弛峠を挟んだ東に位置する北奥千丈岳に僅か2m譲っているが、名実ともに奥秩父の盟主であることは今更言うまでもない。

 この金峰山は、私にとって実に思い出深い山である。今から四半世紀前、ボーイスカウトのキャンプで信濃川上の廻目平に幕営したとき、1日の行事がこの山の登山だった。仲間たちと喘ぎながら登った山だ。廻目平から見上げる水墨画のような屋根岩、水晶が多く含まれる河原の石、そして山頂の天高くそびえる五丈岩が印象に残っている。

 連休最終日10月14日(月)、山梨県側の北杜市増富ラジウムラインの奥部、瑞牆山荘から金峰山と瑞牆山の分岐点富士見平を経て、金峰山を一旦目指し、復路余力があれば瑞牆山も登ってしまおうという、日本百名山をハシゴする欲張りな・・・というより、己の限界を無視した無茶な作戦を決行してみた。

 3時に自宅を出発。いつもの御殿場~河口湖~御坂を経由して中央道須玉ICに4時30分。道中、御殿場ICを下りて、真夜中のR138を走っていると自衛隊の車列を抜いた。その中にトレーラーが何台か含まれていたが、荷台には巨大な戦車が積載されていた。90式?あるいは最新の10式だろうか??ボディカバーがかかっていてよく分からない。我が防人の諸士にとっては、連休はおろか昼夜を問わず臨戦態勢である。遊びのためには昼夜をいとわない我が身を思うと少々恐縮した。

 須玉ICから増富ラジウムラインを北上して登山口を目指す。数台の車が夜明け前の道を山奥へ向かっていくが、やはり瑞牆山荘の登山口を目指しているのだろう。車列の大半は塩川ダムで右折し、増富ラジウム温泉、金山平経由で登山口に向かったが、私は左折して県境の信州峠方面に向かい、黒森地区経由で登山口を目指した。

 5時過ぎに瑞牆山荘前を少し入った駐車場に到着。既に駐車場には結構な数の車が入っているが、連休なので、前日以前から山に入っている人たちの車もあろう。折りしも薄明るくなってきたので、ポツポツと早出組が出発している。車外に出てみると「さ、寒い!」気温は10度もあるのだろうか?

Dsc00359 瑞牆山荘 Dsc00363 巨石が点在する森

 瑞牆山荘前の登山口を6時に出発。シラカバやミズナラの樹林を歩いていくと、森の中には苔むした巨石が点在しているが、いかにもこの山域らしい光景である。歩くにしたがってざれた傾斜が増していく。かつての金峰山登拝の名残であろう里宮への参道を左に分けると、直後に尾根道に出た。正面には、薄っすらと紅葉の気配を見せるカラマツ林越しに、猛々しい岩峰の瑞牆山が垣間見えている。

Dsc00366 瑞牆山を垣間見 Dsc00367 カエデの紅葉

Dsc00368 富士見平の水場 Dsc00371 富士見平小屋 Dsc00373 賑やかな天場

 右手に折れたなだらかな尾根道をしばらく行くと、ちょっと外れたところにこんこんと清水が湧き出す水場があるので、ここで持参した空のボトルに水を補給する。この水場は富士見平小屋と天場にはなくてはならない存在だ。水場の上部にある富士見平小屋では、ちょうど宿泊客が出発する時間帯で、小屋前の天場にはカラフルなテントが並び朝食をとる人も相まって、実に活気に溢れる場所である。ここから北に向かえば瑞牆山、東に向かえば金峰山である。(つづく)

2013年10月15日 (火)

晴天の連休(海編)

 連休の中日は、親戚を訪ねたついでに熱海市多賀地区の「ながはま特設市」に寄ってきました。この市は波穏やかな長浜海水浴場の一角にある長浜海浜公園で、各月1~2回開催されていて、魚介類、干物などの加工品、イカメンチなどのB級グルメ、みかんなどの農産物の販売が行われています。

Dsc00355 目の前は海水浴場 Dsc00354 腹を満たしてお土産も♪

 我が家のお気に入りはアジの浜寿司です。握りご飯にアジ酢が半身乗っかって、何個でもいけてしまいます。

 R135上多賀は付近は、休日ともなると上下線で渋滞します。渋滞するとついつい気が急いてくるのですが、会場内には目の前に海を臨みながら浸かれる足湯もありますし、運転疲れの解消にはちょうど良い立ち寄りスポットです。伊豆にお出かけの際は、ぜひ立ち寄ってみてください。(参照:多賀観光協会HPhttp://izutaga.jp/menu.php?obj=153&now=1079

晴天の連休(山編)

 10月の連休は素晴らしい晴天に恵まれ、青空の下、山に海に繰り出しました。前半は残暑も厳しかったのが、後半は一転して涼しくなって、風邪をひきそうですね。かく申す私も鼻水が止まらない状態です。

Dsc00317 八ヶ岳PAより Dsc00322 天女山

 夏場、麓から見上げる八ヶ岳はいつも雲をかぶっていて、なかなか姿を見せてくれなかったのですが、久しぶりにスッキリとした姿を見上げることができました。権現岳への登山口にもなっている八ヶ岳山麓の天女山。その昔、八百万の神々が美しの森に集ったとき、巫女がこの天女山で舞を奉納したといういわれからその名がついたそうです。小学生の頃、家族で美しの森から天女山にかけて、八ヶ岳の山麓を歩き回った記憶がかすかにありますが、山頂まで車で来てもイマイチピンとこないものです。

Dsc00335 三分一湧水

 戦国時代の甲斐国主武田信玄といえば、戦略家としては言うに及ばず、暴れ川釜無川の築堤で有名な治水に手腕を発揮した人でもあります。信玄の治水家としての面をうかがわせる遺構が、小淵沢ICの近くの南アルプスを望む高台にある三分一湧水です。八ヶ岳の伏流水が日8千トンも湧出するこの場所は、昔から山麓の田畑を潤す貴重な水源でしたが、この湧水の利権を巡って村々が水争いを起こすようになりました。それを危惧した信玄公が、山麓の村々に公平に水が落ちるようにこの三分一湧水を構築したといわれています。湧水の近くには地元の物産館があって、ここでは湧水を利用した蕎麦も食べることができます。

2013年10月13日 (日)

ラブ・ピオーネ

 勝沼で買ってきた巨峰・ピオーネ。最近のぶどうは種がないので、子供と競い合ってパクパク行っちゃいます。天然児は皮ごといっちゃってますが、よく洗って皮ごと食べると適度な渋みも加わって大人の味。君には未だ早いぞ!

 さて、そんなぶどうの中で変わった粒を発見しました。

P1110318 ハート様です。

 2個の粒がひとつにくっついた奇形ですが、何とも愛らしい姿です。早速頂いてご利益に与りましょう・・・あ、これ種なしなんだよね。御後がよろしいようで。

2013年10月11日 (金)

勝沼ぶどうと武道の達人

 芦川からどんべえ峠を越えて甲府盆地に下り、勝沼にやってきました。甲府盆地の東端に位置する勝沼は、言わずと知れた甲州ぶどうの里。フルーツラインを走ると、沿道にはズラリとぶどうの直売所が並んでいますが、我が家のお気に入りのお店は笹子峠から下った柏尾甲州街道沿いの柏尾という地区にあります。

Dsc00289 ぶどう寺大善寺

 この柏尾にぶどう寺と呼ばれる柏尾山大善寺があります。このお寺の開山縁起には、何とあの奈良時代のスーパー坊さん行基が登場します。行基がこの地で修行し満願を達成した折、薬師如来がぶどうを持って夢中に現れたことから、行基は薬としてのぶどう栽培をこの地に残し、それが今日の勝沼ぶどうの発祥となっているそうです。いやぁ~行基って、ほんと、すごいお方ですね。それでは来週お会いしましょう。

Dsc00294 行基が残した勝沼ぶどう

 さて、柏尾地区には戊辰戦争の古戦場もあります。慶応4年(1868年)初頭、朝敵となった徳川幕府を征伐するべく、東征軍が各方面から下向しますが、土佐藩の板垣退助に率いられた討幕軍の一隊は甲州に入ります。これに対して、幕臣勝海舟の命令で新選組を中心とした幕府軍「甲陽鎮撫隊」が派遣されました。一般的には、江戸城無血開城を決めていた勝が、主戦派であった新選組を江戸城から出すために鼻から勝算のない派兵だったといわれています。

 討幕軍が甲府に入城すると、新選組局長近藤勇に率いられた甲陽鎮撫隊は、進撃を止めて甲府盆地を見下ろす柏尾に布陣します。しかし、士気の低い幕府軍は兵の脱走が相次いで、兵力は僅かに百余り。3月6日、この寡兵に討幕軍3千が攻撃を開始し、柏尾の戦いが始まります。近藤ほか永倉新八、原田左之助ら新選組隊士の奮迅の戦いぶりも虚しく、勝敗は1日で決して幕府軍は敗走しました。

Dsc00300 甲州街道を見据える近藤局長

 そんな近藤の勇戦を讃えて、今も甲州街道沿いに近藤の勇ましい姿が残されています。新選組ファン必見のスポットです。ちなみに、この近藤像のある信号を入ったところに、以前紹介した勝沼トンネルワインカーヴがあります。(参照:http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-bfd0.html

2013年10月 9日 (水)

秋の味覚が並ぶ芦川

 今年、我が家が最も足繁く通った場所が、御坂山地の懐深い笛吹市芦川地区の農産物直売所ではないでしょうか。そもそも、陸の孤島のような山間の芦川にこうも容易く通えるようになったのは、平成22に供用された若彦トンネルのお蔭といえるでしょう。河口湖畔大石地区から、御坂山地を貫くトンネルを通れば、僅か10分で直売所まで行くことが可能になりました。

Dsc00255 芦川農産物直売所

 さて、芦川といえば、すずらんの群生地が有名で、花期である5~6月にかけては多くの人で賑わいますが、この直売所も季節を問わず地域の農産物が手に入る穴場です。農産物に加えて、春の山菜、夏の果物、秋のきのこなどが彩りを添えてくれます。お腹がすいたら手打ちうどんや手作りの田舎巻、おこわ、ぼた餅などを食べることができます。

Dsc00261 甘そうな八代産ぶどう

 10月6日(日)甲州にぶどうの買出しに出かけたついでに、またもや直売所に立ち寄ることになりました。ここにも粒の大きい立派なぶどうが並んでいましたが、山向こうの笛吹市八代町のぶどうだそうです。

Dsc00258 いろいろなきのこ Dsc00259 Dsc00262 これは茹でて

 店頭で目を引いたのは、秋の味覚きのこです。山野に生えるきのこは、素人には手が出しづらいものですが、ここには採りたてのきのこが多種多彩に並んでいます。採ってきたおじさんに聞いてみると、汁物にして喉越しを楽しむもの、焼いて香りを楽しむもの、茹でたら酢味噌につけて歯ごたえを楽しみながら食べるものと、個々に違った食べ方があって興味をそそられました。

Dsc00285 水ヶ沢林道終点 Dsc00269 絶景をご覧あれ

 直売所のある上芦川地区からすずらんの群生地を経て、水ヶ沢林道のどん詰まりまで行くと、数台の駐車スペースがあります。ここに駐車して登山道を10分もあるくと、御坂山地を東西に貫く縦走路に出ます。新道峠と呼ばれるその場所からは、南正面に富士山が大きく裾を広げ、眼下には河口湖を見下ろすことができます。この日は比較的雲が多い空模様でしたが、富士と雲が創出する絶妙な風景は、カメラ愛好家たちを惹きつけるものがあるのでしょう。その瞬間的チャンスを捉えようと、数人の愛好家が三脚を据えて自動撮影をしていました。

2013年10月 8日 (火)

肉汁ならぬ雲のナイアガラや~!

 八ヶ岳の帰路、中央道を走っていると何やら幻覚でしょうか?前方にナイアガラの滝が見えています。「そんなbanana~!?」既に我が身は冥界入りしているのでしょうか。慌てて双葉SAで休憩をとることにしました。

 でも、もしかしてのもしかしてで、SA内の展望の効く場所で甲府盆地の向こうに横たわる御坂山地を見てみますと・・・

Dsc00251 御坂山地の向こうから大水が!

 よくよく見てみると、あたかもナイアガラ瀑布のような雲が御坂山地に覆いかぶさっています。日本沈没をも彷彿とさせる何とも摩訶不思議な光景でありました。

Dsc00245 電線が邪魔していますが、もう少し雲がはっきりしています。

2013年10月 7日 (月)

山行 七千余尺紅葉中 南八ヶ岳その3

 雲上がる、雲上がる権現岳。東側から這い上がってきた雲は、赤岳ほか八ヶ岳のスターたちをすっかり覆ってしまった。権現岳山頂付近の岩場を登ったり下りたりした後、東側の尾根を下り始める。先行のトレランさんは既に三ツ頭の登り辺りまで行っている。滑りやすい砂礫の急坂を下り、たまにズルッと滑ってハイマツをつかむと、手にベトベト感が。ハイマツも立派な松の仲間である。稜線にはハイマツの他、丈の低いシャクナゲも多い。個人的にシャクナゲが好きなので、雪解けの頃歩いてみたいものだ。

Dsc00210 権現岳を振り返る Dsc00216 霞む三ツ頭

 三ツ頭に向かう尾根道。南斜面に広がる紅葉は素晴らしい。ちょうどお昼時なので、腰を下ろしてランチタイムとした。黄色い紅葉を這い上がってくる雲がかすめる風景は、カキ氷にレモンシロップを溶かしたような感動?を覚える。菓子パン、おにぎりと簡素なランチの食後はカキ氷付きだ。

Dsc00217 南に下る尾根の紅葉

 三ツ頭(2580m)の小ピークを通過するとすぐに、右手に甲斐小泉、木戸山方面のルートを分ける分岐点である。このまま真っすぐ尾根を下ると天女山に向かうが、老馬を観音台らに置いてあるので右手の尾根に入る。三ツ頭の山頂から見下ろした南に延びるこの尾根は、赤や黄色の色をまとって素晴らしい。期待感が膨らんだ。

Dsc00219 赤と Dsc00214 黄色 Dsc00221 立ち枯れ箇所周辺の見事な紅葉

 さて、南に延びる尾根に入ると、すぐに樹林帯に入ってしまう。ジグザグと標高を下ろしていくが、比較的しっかりとした道である。針葉樹と紅葉する広葉樹が混在する植生なので、今ひとつ紅葉は目立たないが、時折緑をバックに強烈な赤の紅葉が見れた。北八ツに良く見られるシラビソの縞枯れ現象であろうか、樹木がまとまって立ち枯れいる場所があって、そういう場所の周辺は紅葉がよく見えていた。

Dsc00222 樹林の木戸山 Dsc00226 カラマツ林 Dsc00238 トリカブトの花

 紅葉の尾根を楽しみながらしばらく下っていくと、道はやや緩くなって、樹林に覆われた木戸山を通過した。木戸山の下部はカラマツの樹林である。カラマツは松の仲間では珍しく黄色く紅葉する種だが、時季はもう少し遅いようだ。カラマツの根元は笹原が広がっている。その中でヤマトリカブトの青い花が群生していた。美しい花には毒がある。トリカブトの毒は言うまでもあるまい。

Dsc00236 遊歩道を歩いて・・・ Dsc00241 観音平に帰着

 標高差約1千mの下りはさすがに長い。2時間ほど下ってようやく八ヶ岳横断遊歩道にぶつかった。このまま真っすぐ下れば甲斐小泉駅方面だが、遊歩道を右に折れて観音平に戻る。山を横に巻く遊歩道は実に整備されて歩きやすい。いつか天然児を連れてあるいてみたくなった。観音平手前の登りは少々堪えたが、15時になる少し前に観音平に戻ってきた。

★コースタイム:6時間55分

7:55観音平→8:25雲海展望台→8:50押手川→9:50編笠山(休憩)10:15→10:30青年小屋10:35→11:50権現岳(休憩)12:10

→(昼食)→12:50三ツ頭分岐→13:30木戸山→14:30八ヶ岳横断道→14:50観音平

2013年10月 6日 (日)

山行 編笠山から権現岳へ 南八ヶ岳その2

 編笠山の山頂で大展望を楽しんだ後、ハイマツの中の道を北に下る。正面には権現岳、いや、むしろその兄弟分であるギボシが正面にそびえている。権現が落ち着きある兄貴分としたら、ギボシは一面荒々しい岩肌を晒したワル弟分といったところか。さしずめ、サンダとガイラのようなものである。ギボシの下には鞍部に建つ青年小屋が見下ろせる。

Dsc00143 権現(右)とギボシ Dsc00145 ヒカリゴケ Dsc00148 編笠を見上げる青年小屋

 青年小屋とは何と素敵な名称であろうか。中年になって久しい我が身ながらもそう思ってしまうのは、心は今だに心は青年の若さを失っていない証拠であろう。小屋の手前は巨石の密集地帯で、そこを義経の八艘飛びのようにピョンピョン渡り歩いていく。小屋のテラスに高年の5、6人のグループがいて、何やら賑やかに談笑している。青年、中年、高年と世代差の分け隔てないハイカー憩いの場が青年小屋である。

Dsc00154 ノロシバから西の展望(蓼科山(右)と北ア(遠景))

 青年小屋周辺の鞍部はシラビソ、カラマツの樹林帯になっていて、少し登り返すと樹林帯を抜けて、ガレた登山道となった。しばらく登ると、西の展望が大きく開ける崖っぷちに着いた。ここはノロシバと呼ばれる場所で、深く切れ落ちた崖の先には遠く北アルプスの山々が見渡せる。ノロシバ=烽火場で、戦国時代に武田信玄の重臣高坂弾正が烽火場を設けて、信州方面の急事を甲斐に知らせたのだろうか?そうすると今の青年小屋の辺りに詰所があったのだろうか?疑問は尽きない。

Dsc00159 ノロシバ東側の紅葉 Dsc00152_2 良いではないか、良いではないか・・・

 ノロシバ周辺はダケカンバの紅葉が見頃を迎えていた。針葉樹も多い植生なので緑も多いのだが、かえって緑が黄色を引き立たせてくれるというものだ。

Dsc00166 ギボシの岩峰 Dsc00174 Dsc00176 青年小屋が小さくなった。

 ギボシ正面に挑みかかる。ガレたルートはやがて岩場となって、登りながらも南面から東へとトラバースしていく。少々高度感がある場所であるが、鎖がしっかり張られているので、高所恐怖症の我が身でもそれほど臆することなく進むことができた。それにしても頭上には荒々しい岩峰がそびえ立っていて、場所によっては庇のように迫り出している。落石のひとつやふたつはありそうなものだ。ヒヤヒヤしながら岩を攀じ登った。

Dsc00187 役者は揃った! Dsc00182 権現岳はもうすぐだ。

 ギボシの東肩に到達すると、ギボシに隠れていた八ヶ岳の主峰群が姿を現した。キレットの向こうに八ヶ岳の盟主赤岳がヌウッと頭をもたげている。その左には阿弥陀岳が赤岳と対称的に並んでいる。対称的に並ぶものの、男性的な赤岳に対して、どこか女性的でもある阿弥陀岳であった。右手に目を移すと、鞍部の権現小屋とその背後に権現岳の鶏冠のような山頂が目と鼻の先である。

Dsc00189 登ってきたルートを振り返る。 Dsc00197 三叉路から権現岳の山頂

 権現小屋を経て権現岳の山頂脇の三叉路に到達した。ここから北には赤岳方面の縦走路が延びている。東には三ツ頭を経て天女山へ下るルートが下っている。天女山方面から来たという初老の紳士に写真を撮影していただいた。久しぶりに山を背景にした写真が残った。間もなく私の後からトレイルランナーが追いついてきた。私と同じルートを走るとは脱帽であるが、岩峰はトレラン向きではなさそうである。

Dsc00203 権現山頂の祠と剣 Dsc00207

 お二人ともひと足先に東に向かって下っていった。私はとりあえず彼らを見送って、権現岳の山頂(2715m)を踏むことにした。鶏冠のような岩峰には小さな祠と鉄剣が祀られていた。山梨、長野県境付近の山麓からは、権現岳や編笠山が大きく、赤岳や阿弥陀岳を隠している。祠や剣は、山麓の住人たちから信仰の対象となってきた証なのであろう。岩峰の向こう側を覗き込むと、目も眩むような断崖絶壁であった。そんな私の恐怖心を和らげるが如く、崖を雲が這い上がってきた。(つづく)

★コースタイム:3時間55分(往路)

観音平7:55→8:25雲海展望台→8:50押手川→9:50編笠山(休憩)10:15→10:30青年小屋10:35→11:50権現岳12:10

2013年10月 5日 (土)

山行 山上の晴天を祈る 南八ヶ岳その1

 奥秩父の金峰山と瑞牆山に登ろうと出てきたが、御殿場から富士五湖周辺にかけては雨。甲府盆地に下ると雨は止んだが、周囲の山は雲に隠れて何も見えない。天気予報では長野県はときどき晴といっているので、奥秩父をやめて長野県内まで足を延ばすか。とはいえ、既に7時になっているので、長野県内の高山は日帰り山行が難しそうだ。行く手にはやはり山頂が雲で隠れた八ヶ岳の裾野が見えている。

 中央道小淵沢ICから車で15分ほどの場所に観音平登山口がある。観音平は標高が1560mあり、八ヶ岳連峰の最南端編笠山の南斜面に位置しているため、南八ヶ岳へのアプローチが良く、八ヶ岳縦走にも便利な登山口である。夏休みは車で溢れる駐車場には15台ほどの車が停まっていた。とき10月初旬、紅葉登山には未だ早いだろうし、下界の天気が悪いから山に入る人も少ないのだろう。今回は観音平から編笠山、権現岳に登って、三ツ頭から観音平に戻る周回ルートを歩くことに決めた。

 今更この場で八ヶ岳を語ることもないだろうが、八つの峰を言える人はどれだけいるだろうか。深田久弥の「日本百名山」では、西岳、編笠山、権現岳、赤岳、阿弥陀岳、横岳、硫黄岳、峰ノ松目の南八ヶ岳の八峰を指しているが、峰ノ松目と西岳が外れて、北八ヶ岳の天狗岳や北横岳が入ったり、三ツ頭が入ることもある。恐らく見上げる場所から見えたり見えなかったりで変わってくるのだろう。細かい話は同でもよいが、三千m級の山々がこじんまりとまとまっているため、比較的縦走も楽に楽しめる人気の山域なのである。

Dsc00096 観音平周辺 Dsc00099 ザックの赤に負けてるなぁ

 登山口を8時に出発。シラカバやミズナラ、カラマツの樹林を登っていく。まだ緑の多い季節ではあるものの、黄色や赤の紅葉も所々始まっている。樹林の中は一面ササが広がっていて、所々巨岩が点在している。シカの鳴き声が何度も聞こえているが、その姿を認めることはなかった。動物に会いたければ朝一番の出発が必要である。雲海展望台までは何グループかの先行者がいたが、その先は一人歩きとなった。

Dsc00106 押手川の風景 Dsc00107 ゴロ岩の急坂になる

 やがて、編笠山を迂回して青年小屋のある乙女平に向かう巻き道を分ける。標高2100m。シラビソやモミなど針葉樹が鬱蒼としているこの辺りは押手川と呼ばれる場所で、根元には苔むした石が広がっていた。登山者が広がる苔を手で除けると、その下から清水が湧き出た場所であることがその名の由来となっている。

Dsc00114 南の展望(南アと富士) Dsc00121 孤島のような芙蓉峰

 押手川の先は傾斜がきつくなっていく。ルート上には岩が多く転がっていて、その上を渡っていくような感じだ。ふと、樹海を抜けた場所には、大きな岩がゴロゴロと広がる斜面で、振り返ると雲海が広がっていて、甲斐駒ケ岳、仙丈ケ岳、北岳、鳳凰三山など南アルプスの峰々が雲から突き出ていた。その遥か東には芙蓉峰(富士)が絶海の孤島のように浮かんでいた。

Dsc00122 編笠山の山頂 Dsc00126 突然の大パノラマ

 山頂直下の傾斜は増すばかりで、岩場を攀じ登っているようだ。森林限界を越えて周囲はハイマツが広がるばかりである。ハイマツの中、石を積み上げたようになった場所が、編笠山(2524m)の山頂であった。山頂の向こう側に隠れていた八ヶ岳連峰のパノラマが突然広がった。その何れもが険しい峰を天高く突き上げる姿は圧巻である。手前に権現岳とキボシの双耳に並び、その左向こうには主峰赤岳と阿弥陀岳が並んでいる。更に左手奥には蓼科山が目立っていた。

Dsc00127 西には北アルプスが一望 Dsc00120 木曽の御嶽山

 先述の南アルプス、芙蓉峰の展望に加えて、西側の展望はどうであろう。晴れ渡る青空の下、中央アルプス、木曽御嶽山、乗鞍、北ア穂高連峰、後立山連峰と列島中央構造線に沿った山々が見渡せている。日本の三千m峰を全て掌中にした爽快感を得ることができた。やはり北アルプスに近いだけあって、穂高、大キレット、槍、立山などの存在も肉眼でしっかり捉えることができた。

Dsc00133 乗鞍に行ったのはちょうど1年前 Dsc00137 穂高~大キレット~槍

 山頂に独り、高年の域に達した(といっては失礼だろうが)登山者が1人山頂で休憩していた。松本から来られたというこの方は、月曜日まで山中3泊、行ける所まで行くゆったり山行だそうだ。聞けば実に山に精通された方で、本邦のみならずキリマンジャロやニュージーランドの山行話も聞かせてくださった。丹沢日帰りばかりの我が身とは山行のスタイルを一線も二線も隔している。何とも羨ましいではないか。(つづく)

2013年10月 3日 (木)

野間大坊に眠るもう一人の人物

 源義朝公の墓所の傍らには、それを見守るように鎌田政清夫妻の墓があることは前回紹介したところですが、鎌田夫妻と同じようにもう一人、歴史の闇に葬られた人のお墓が建てられています。織田信長の三男、三七信孝公です。私は信孝の墓が野間大坊にあることを知っていて訪れたのですが、不思議と寺内の案内板にもパンフレットにも標示がありません。あれあれ・・・と不審に思っていると、義朝の墓前まで来て、ふと脇にひっそりと建つ墓を見つけました。「あーやっぱり」と同時に「しかしまた何故?」という感じです。

P1110216 陽の当たらない信孝公の墓所

 織田信孝は、二人の兄信忠、信雄とは生母が異なるものの、才気にあふれ、容貌は父信長の生き写しであったといわれています。伊勢の名族神戸氏の養子となって神戸信孝と名乗り、父信長に従って一向一揆討伐など各戦線で武功をあげて、1582年には四国方面軍の総大将を任せられることになりますが、渡海準備中に本能寺の変が発生し、兵の逃亡によって軍勢は瓦解して大阪で身動きがとれない状況となります。

 明智光秀討伐のため中国から大返しをしてきた羽柴秀吉に担がれて、父信長の弔い合戦となる山崎の合戦では名目上の総大将になりますが、織田家後継者を決定する清洲会議では、筆頭家老の柴田勝家の推挙を受けるものの、羽柴秀吉や丹羽長秀、池田恒興の反対にあって、織田家の後継者は兄信忠の子三法師に決定してしまいます。

 怒った信孝は柴田勝家と組んで、賤ヶ岳の合戦では柴田軍の南下に呼応して岐阜城で挙兵します。しかし、秀吉軍の電撃戦で岐阜城を包囲され呆気なく降伏。知多半島大御堂寺(野間大坊)に幽閉されて、最後は秀吉の意を受けた兄信雄の軍勢に包囲されて切腹して果てました。信孝が残した辞世の句がまた何とも生々しいものですので紹介しておきます。

 昔より あるじ内海の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前

 (昔より主人が討たれている野間で私も死に面している。今にこの報いを受けるであろう、羽柴秀吉よ) 

2013年10月 2日 (水)

天然児、野間大坊で大暴走

 知多半島南部にある美浜町に足を延ばしました。天然児の野望東海版、竹島水族館に続いては、美浜町内にある南知多ビーチランドです。ビーチランドと隣接するおもちゃ王国と抱き合わせのセット料金ですが、それほど高額でない料金設定なので良しとしましょう。ビーチランドは関東人からすれば知名度の低い水族館ですが、中京圏ではちっとは知られた存在で、特に名古屋っ子は1度は遠足で訪れる定番スポットのようです。訪れた日は、連休ともあってかなり混雑していました。イルカショーの観覧席が満席で座れなかったのは初めてです。

P1110231 天然児、よう知多ねー P1110250 ちょっと、なに触ってんのよー!

 ビーチランドネタは置いておいて、同じ美浜町内野間地区にある野間大坊を紹介しましょう。正式名は鶴林山大御堂寺といい、天武帝の御世の開山といいますから、680年代、1330年ほどの歴史がある古刹です。開山以降、行基菩薩、弘法大師空海ら名僧が立ち寄ったといわれ、白河上皇、源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康ら権力層からの庇護も厚く、大いに繁栄したといわれています。

P1110213 野間大坊 P1110209 九条将軍寄進の鐘楼

 さて、野間大坊には、かの源氏の棟梁・源義朝の墓があります。1159年、平治の乱で平清盛に敗れて都落ちした源義朝一行は、東国に落ち行く途中この地に立ち寄ります。当時の知多半島は、義朝の一の家人である鎌田政清(政家とも)の舅である長田忠致の領国で、一時の休息を長田邸に求めたのでした。しかし、長田忠致は小心かつ欲深な人間で、平家の脅威と恩賞に動かされて義朝を暗殺することになります。

P1110217 木太刀が絶えない義朝廟と・・・ P1110219 それを見守る鎌田夫妻の墓

 湯殿に通された義朝は、丸腰の状態で殺害されることになりますが、このとき「政清は何処か?我に木太刀一振りでもあれば、むざむざ討たれはしないものを」と嘆いたといわれています。人々は義朝の霊を慰めるため、木太刀に模した木札を墓に供えるようになったそうです。また、鎌田政清ら家臣一同もことごとく長田邸内で殺害され、政清の妻(長田忠致の娘)は、父に夫が殺害されたことを悲しんで川に身を投げたといわれています。

 源義朝の首を平清盛に差し出した長田忠致は、美濃、尾張の二ヶ国を恩賞として求めますが、欲深さと主人を殺害した不忠を清盛に嫌われ、後には源頼朝に従って平家討伐に少なからず活躍することになりますが、根に持つタイプの頼朝が父の敵をはなから許すはずがありません。頼朝は長田父子を捕らえさせて、「恩賞として美濃、尾張(=身の終わり)をくれてやるわ」と吐き捨てて、処刑を命じたそうです。愚者長田はいうに及ばず、陰惨な頼朝もどうも好きになれません。

 さて、史跡に夢中になっている間に天然児の姿はどこにいったのでしょうか?・・・あーーーっ!手水場で一糸まとわぬ姿で行水しているではありませんか!近くのベンチでおにぎりを食べていたおじさん。映画の一シーンのように、アングリ口を開いたまま呆気にとられています。慌てて走り寄る私の心に去来したものは・・・「当に湯殿で殺害された義朝公が光臨したのだ」そう思って心を慰めるしかないバカ親でした。

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