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2013年10月 2日 (水)

天然児、野間大坊で大暴走

 知多半島南部にある美浜町に足を延ばしました。天然児の野望東海版、竹島水族館に続いては、美浜町内にある南知多ビーチランドです。ビーチランドと隣接するおもちゃ王国と抱き合わせのセット料金ですが、それほど高額でない料金設定なので良しとしましょう。ビーチランドは関東人からすれば知名度の低い水族館ですが、中京圏ではちっとは知られた存在で、特に名古屋っ子は1度は遠足で訪れる定番スポットのようです。訪れた日は、連休ともあってかなり混雑していました。イルカショーの観覧席が満席で座れなかったのは初めてです。

P1110231 天然児、よう知多ねー P1110250 ちょっと、なに触ってんのよー!

 ビーチランドネタは置いておいて、同じ美浜町内野間地区にある野間大坊を紹介しましょう。正式名は鶴林山大御堂寺といい、天武帝の御世の開山といいますから、680年代、1330年ほどの歴史がある古刹です。開山以降、行基菩薩、弘法大師空海ら名僧が立ち寄ったといわれ、白河上皇、源頼朝、豊臣秀吉、徳川家康ら権力層からの庇護も厚く、大いに繁栄したといわれています。

P1110213 野間大坊 P1110209 九条将軍寄進の鐘楼

 さて、野間大坊には、かの源氏の棟梁・源義朝の墓があります。1159年、平治の乱で平清盛に敗れて都落ちした源義朝一行は、東国に落ち行く途中この地に立ち寄ります。当時の知多半島は、義朝の一の家人である鎌田政清(政家とも)の舅である長田忠致の領国で、一時の休息を長田邸に求めたのでした。しかし、長田忠致は小心かつ欲深な人間で、平家の脅威と恩賞に動かされて義朝を暗殺することになります。

P1110217 木太刀が絶えない義朝廟と・・・ P1110219 それを見守る鎌田夫妻の墓

 湯殿に通された義朝は、丸腰の状態で殺害されることになりますが、このとき「政清は何処か?我に木太刀一振りでもあれば、むざむざ討たれはしないものを」と嘆いたといわれています。人々は義朝の霊を慰めるため、木太刀に模した木札を墓に供えるようになったそうです。また、鎌田政清ら家臣一同もことごとく長田邸内で殺害され、政清の妻(長田忠致の娘)は、父に夫が殺害されたことを悲しんで川に身を投げたといわれています。

 源義朝の首を平清盛に差し出した長田忠致は、美濃、尾張の二ヶ国を恩賞として求めますが、欲深さと主人を殺害した不忠を清盛に嫌われ、後には源頼朝に従って平家討伐に少なからず活躍することになりますが、根に持つタイプの頼朝が父の敵をはなから許すはずがありません。頼朝は長田父子を捕らえさせて、「恩賞として美濃、尾張(=身の終わり)をくれてやるわ」と吐き捨てて、処刑を命じたそうです。愚者長田はいうに及ばず、陰惨な頼朝もどうも好きになれません。

 さて、史跡に夢中になっている間に天然児の姿はどこにいったのでしょうか?・・・あーーーっ!手水場で一糸まとわぬ姿で行水しているではありませんか!近くのベンチでおにぎりを食べていたおじさん。映画の一シーンのように、アングリ口を開いたまま呆気にとられています。慌てて走り寄る私の心に去来したものは・・・「当に湯殿で殺害された義朝公が光臨したのだ」そう思って心を慰めるしかないバカ親でした。

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