羽黒山は庄内平野の東外れ、月山から北に延びる稜線の裾に位置する標高414mの低山です。今から1,400年余の昔、蜂子皇子が羽黒山に修験道の道場を開山して、出羽三山信仰が始まったといわれています。蜂子皇子といってもハッチのようにミツバチの皇子ではなく、歴とした皇統のお方。崇峻天皇の皇子です。参考までに、崇峻天皇はときの権力者蘇我馬子の推挙によって即位したものの、政治に口をはさむことも叶わず蔑ろにされたことに不満を抱いたため、馬子の命で暗殺されたといわれる悲劇の帝です。古来より出羽三山信仰は、西日本のお伊勢参りと並んで、東の奥参りと称されるほど全国レベルの信仰を集めていて、歴代の天皇や武家の信仰を集めてきました。
山頂の三神合祭殿
現在では山頂へ道路が通じていて、バスやマイカーで楽々アクセスが可能なため、老若男女差別なく参拝が可能なありがたい神社です。また、羽黒山山頂には三神合祭殿が置かれて、羽黒山と併せて冬季の積雪により参拝が不可能となる月山、湯殿山の神が祭られています。ここを参拝すれば三山クリア!というお得スポットであります。
しかし、羽黒山に来た以上は、やはり表参道を歩いて山頂に詣でることこそ意義があると思います。羽黒山の表参道は、樹齢数百年の杉の大木が鬱蒼と茂る中、国宝の五重塔をはじめとする数々の社殿に参拝しながら、山頂を目指す霊気あふれる道です。東京の高尾山同様にミシュランガイドで三ツ星の認定を受けています。参道といっても生易しいものではありません。2,446段に及ぶ石段を踏破しなければなりません。
さあ、出発だ!
さて、9時に表参道の入口である随神門をスタートします。ババは気合充分!一方天然児はバス旅行のつもりだったのが、10分で終わってしまいやや不機嫌模様。それでも観光客が三々五々参道を歩き始めるのに釣られて、順調なスタートとなりました。山頂の駐車場にバスが11時に迎えに来る予定なので、2時間1本勝負です!
祓川と須賀滝
爺杉
参道序盤はやや下り加減で、鬱蒼とする杉の大木の中を月山から湧出する祓川の沢音を聞きながら歩きます。祓川に架かる神橋を渡ると右手に見えるのが須賀滝で、参拝者はここで身を清めた場所であります。橋を渡るとすぐ左手に樹齢1千年といわれる杉の大木がありますが、これは爺杉と呼ばれるもので、かつては婆杉と一対していたらしいのですが、婆は今から百年以上前の嵐で倒れてしまったそうです。女性優位の人間の寿命とは逆ですね。
国宝・五重塔
ババに引かれて羽黒山詣
最初の石段である一の坂の手前に、杉の巨木に囲まれて建つのが国宝の五重塔。かの平将門創建といわれ、東北地方最古の塔です。その高さは約30m。三間五層の均整のとれた美しい姿です。現在の塔は室町時代に庄内を治めた武藤氏によって修復されたものだそうです。羽黒山の象徴ともいえる五重塔ですが、参道はこれからが本番。勇む婆杉、もとい、ババに急かされて一の坂へ進みます。
え、行っちゃうの?
二の坂茶屋
紅葉もありました。
参道の石段は幅が広く高さが低いので、階段登りは得意なはずの天然児も、いつもとは勝手が違う状況にペースをつかめず苦戦します。少し歩いてはつまずいて恐れおののきます。一の坂を上りきって、二の坂にかかる場所には茶屋があって、名物力餅などがいただけます。また、天気が良い日はここから庄内平野が見下ろせるそうです。残念ながらこの日はちょっと霞んでいました。
ラウント2 GO!
「体力の限界!」
テケテケ歩き
二の坂になると傾斜はかなり急になって、天然児はギャーギャー叫んで、過呼吸で嘔吐したりと苦戦の度合いがましていきます。遂には座り込んだりするので、励ましたり抱き起こしたりしてこっちも疲れてきてしまいます。気がつけば少しずつ先行していたババの姿は消えていました。婆杉の木霊が憑依したのでしょうか?羽黒山は修験道の山。参道の杉並木には法螺貝の音が似合いそうですが、この日はそれに代わって天然児のおののく叫び声が渡るばかり。石段を下ってくる人、後から抜いていく人が天然児を姿を見て「あー」という表情をするので、かなり広範囲に叫びが聞こえたのでしょうか。
気力で立ち上がって・・・
キタァーーーッ!
ご加護も3倍でおねげーしますだ。
三の坂の取りつきには、松尾芭蕉所縁の南谷への分岐路がありますが、ゆとりのない我々はこれをスルーして三の坂に突入しました。天然児もウルフ張りに「体力の限界!」となっていたところに、前方に朱塗りの鳥居が見えてきました。これぞ天佑神助。何とか2,446段を上りきって、10時半に山頂の三神合祭殿にたどり着きました。天然児がんばりました。合祭殿には出羽神社、月山神社、湯殿神社の三神が祀られ、それぞれにお賽銭を奮発してきました。さて、お次は・・・(つづく)