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2014年1月16日 (木)

七里ガ浜ウォーキング 前編

 寒い日が続いていますが、素晴らしい冬の青空を見上げると家に籠っているのがもったいなくなります。かといって、山は雪化粧しているのでどうも足が向きません。それでは平地を歩こうと、1月11日(土)に天然児を連れて鎌倉にやってきました。JR横須賀線の鎌倉駅から由比ガ浜、稲村ガ崎、七里ガ浜を経由して江ノ島を目指して歩きます。

Dsc02105 JR鎌倉駅前 Dsc02110 若宮大路

 まだ年明けから10日しか経っていないので、JR鎌倉駅は初詣の参拝客でしょうか、結構な人混みです。でも、多くの人は小町通りや段葛の方に向かって歩いていくので、鶴岡八幡宮への参拝客でしょうか。我々はそれとは逆に若宮大路を歩いて由比ガ浜に向かいます。天然児も行く手が江ノ島方面であることを察しているらしく、ウキウキくんで歩いてくれました。

Dsc02108 畠山重保邸址

 歩き出して間もなく、若宮大路の道端に五輪塔と石碑があります。石碑には「畠山重保邸址」と記されていました。畠山重保は、源頼朝の鎌倉幕府開幕に貢献した武蔵の有力御家人畠山重忠の嫡子ですが、頼朝亡き後の1205年に北条氏との間に諍いを起こし、由比ガ浜で謀殺されてしまいました。子の重保を謀殺した北条氏は、父重忠を所領から呼び寄せて、大軍の討手を繰出して現在の二俣川辺りで殺害してしまいました。源平争乱の折、一の谷鵯越を負傷した愛馬を背負って下ったという伝説は有名ですが、強力無双の猛者として名を知られた重忠を恐れてのことでしょう。横浜にある万騎が原という地名はこのときの事件に由来しています。

Dsc02115 トンビが舞う由比ガ浜 Dsc02118 由比ガ浜

 R134に突き当たって由比ガ浜に出てみると、のどかな冬の海が広がっています。冬の海の光景というと、日本海側の人は暗天の空の下、打ち寄せる荒波をイメージするのでしょうけど、湘南地方は穏やかな海面にキラキラと日光が反射する暖かでのどかなイメージです。ちょうどお昼時、風もないので海辺でお弁当を広げても良いのですが、この辺りの海岸には厄介な悪戯トンビが跳梁跋扈しています。お弁当を広げようものならひとたまりもないでしょうね。

Dsc02133 荒々しい稲村ガ崎の海岸線

 稲村ガ崎は山が海岸線まで迫り出して荒々しい断崖絶壁となっています。現在、R134の切通しが通ってるので有名な観光スポットにもなっていますが、その昔は難所として人馬の通行を許しませんでした。今更ながら、鎌倉は三方を山に。一方を海に囲まれた天然の要害でしたが、外との通行のため「鎌倉七口」と呼ばれた切通しが設けられていました。西に通じる極楽寺口はもう少し北に位置しています。

Dsc02139 天然の要害に挑む天然児!

 1333年に新田義貞が鎌倉幕府を討つために攻め寄せたとき、鎌倉七口は北条氏の守備隊が硬く守っていたためなかなか突破できませんでした。そこで義貞は宝剣を海に投じて神に祈ると、何と驚くべきや、波は沖合いに引いて稲村ガ崎に浜が出現したため、新田軍はここを通過して一気に鎌倉に突入し、鎌倉幕府は滅亡したという伝承はあまりに有名です。唱歌「鎌倉」の唄いだし「七里ガ浜の磯伝い 稲村ガ崎名将の 剣投ぜし古戦場♪」はこの名シーンを歌詞に込めています。でも、昔は砂浜が今より広くて、稲村ガ崎にも砂浜があったんでしょう。引き潮になると砂浜が出現することを新田義貞は知って、ついでに全軍の士気を鼓舞するためにパフォーマンスをしたことでしょう。

 天然児も稲村ガ崎を突破して、目的地江ノ島が間近に見える七里ガ浜の海岸線を歩きます。(つづく)

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