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2014年2月 6日 (木)

百人一首と百名城!? 埼玉県寄居町

 埼玉県北部、荒川の流れが形成した段丘上に形成された寄居町。この寄居町で有名な史跡は何と言っても鉢形城跡です。鉢形城は荒川と支流の合流地点の段丘上に築かれた中世の城で、山内上杉氏の重臣で後に主君を上野国に追った下克上の先駆者長尾景春(伊玄入道)の居城です。後に後北条氏が北関東に進出したときには、北関東方面軍の総大将である北条氏邦(北条氏康の子、氏政の弟)の居城となり、この時期に整備拡充されましました。

Dsc02369 鉢形城址 Dsc02370 百名城にもノミネートされています。

 1590年豊臣秀吉の小田原征伐では、碓氷峠を越えてきた前田利家、上杉景勝、真田昌幸らの率いる大軍によって、城主北条氏邦が小田原に詰めている留守に攻撃されますが、天然の要害であるためなかなか落城せず和睦開城となりました。その後廃城となりますが、城跡は比較的良好な状態で残されているので、現在では国の史跡に指定されています。

Dsc02371 保存状態は良好 Dsc02373 荒川対岸の向こうに寄居の町

 城跡公園を歩いてみると、保存状態の良さはさることながら、その規模の大きさに驚かされました。八王子城、玉縄城、韮山城と並ぶ後北条氏の支城ネットワークの主要拠点だけのことはあります。主郭から荒川対岸に寄居の町、さらにその向こうには鐘撞堂山が望めます。この山には鉢形城の物見櫓が築かれていて、山向こうの上州方面から侵出してくる敵軍の襲来を知らせたそうです。

Dsc02360 藤田善導寺

 さて、北条氏邦は北武蔵に勢力を有していた武蔵七党のひとつ猪俣党から派生した藤田氏に養子入りしたので、藤田氏邦を名乗っています。寄居市街の鐘撞堂山の麓には、その藤田氏の菩提寺である善導寺があります。開山は鎌倉時代後期1297年で、藤田氏、北条氏の庇護を受けて栄えましたが、後に小田原征伐において兵火で荒廃します。その後徳川時代に再建されて現在に至っています。

Dsc02364 百人一首画格天井 Dsc02365 百人一首好きは必見

 この藤田善導寺に所蔵されている文化財に百人一首画格天井があります。これは何かというと、本堂の天井に百人一首の歌と歌人が描かれた桐の板百枚がはめ込まれているものです。これはなかなか見応えがあるものです。あれが清少納言、これが藤原定家、おや菅原道真にこっちが蝉丸だ・・・百人一首好きは首が痛くなることでしょう。

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