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2015年1月26日 (月)

首塚で蕎麦はいかが?

 秦野市東田原地区。丹沢から延びる丘陵地帯には田畑が広がって、何とものんびりとした里山風景です。この田畑の一角にあるのが、鎌倉幕府三代将軍源実朝公の首塚といわれる五輪塔です。

Dsc09572 実朝公首塚

 源実朝は頼朝の次男(頼朝と政子間。実は三男)で、1203年に兄の二代将軍頼家が出家し北条氏の手により伊豆修善寺に幽閉されると、三代将軍に擁立されました。将軍になったとはいえ、若い将軍をさしおいて、行政や司法は北条氏を中心とした有力御家人によって行われたため、実朝は興味は政治を離れて京文化に傾倒していきました。特に和歌の才能が特出で、新古今和歌集の選者藤原定家と親交を持ち、自らも金槐和歌集を編集したのは有名です。小倉百人一首には、右大臣実朝の詠んだ「世の中は つねにもがもな なぎさごく 天の小舟の 綱手かなしも」がエントリーしています。

 京文化に傾倒していく実朝。鎌倉幕府では完全にアウェイ状態です。これに目をつけたのが幕府から政権を奪還しようとしていた後鳥羽上皇です。実朝に対して文化面の援助をすると共に、高い官位に任官させて朝廷に取り込もうとしたようです。毎年のように昇任した実朝は、1218年には右大臣に任官しました。

 しかし、その翌年1月27日。右大臣任官を鶴岡八幡宮に参賀したところ、兄頼家の子で鶴岡八幡宮の別当であった公暁に暗殺されてしまいました。(ちょうど没後796年)公暁は修善寺で暗殺された父頼家の敵と信じていたようですが、それを彼に言い含めたのは北条義時あるいは三浦義村ともいわれています。実朝暗殺の真犯人というのは、小説やTV番組など歴史研究の好材料になってきましたが、朝廷になびいていった自らの首領、将軍実朝を暗殺することで、鎌倉武士たちは朝廷の介入を防ぎ断固とした態度を示したということでしょう。

 さて、実朝を殺害した公暁は実朝の首をもって逃亡しますが、間もなく謀叛人として殺害されてしまいます。しかし、実朝の首は行方不明になり、胴体が鎌倉寿福寺に埋葬されました。(胴塚)その後、三浦義村の命で御印の探索に当たっていた三浦武村の住人武常晴によって実朝の首が発見されましたが、祟りを恐れる御家人衆の意向によって鎌倉には戻されず、武常晴は親交のあった波多野氏を頼ってこの地に埋葬し、実朝の菩提を弔ったといわれています。

Dsc09570 豊富な湧水。そば粉は水車でひかれます。

 さて、実朝公の首塚に隣接するふるさと伝承館には、地場産の野菜や惣菜などを販売する直売所のほか、手打ちそば処東雲があります。地場産のそば粉と豊富な湧水で作られたそばはお薦めですよ。

Dsc09575_2 腹へったぁ~そば食いてぇ~

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