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2015年3月

2015年3月30日 (月)

今では越せる大井川

 箱根八里は馬でも越すが、越すに越せない大井川。江戸時代の言葉ですが、南アルプスに源を発する大河大井川は、徳川政権下、江戸と駿府の防衛上の理由から架橋されず、旅人は川越人足と呼ばれる人たちに担がれて川を渡っていたそうです。大雨が降ったりすると増水して、しばしば川止めが行われて旅人は難儀したそうです。

Dsc00360_2 大河大井川 Dsc00352 ここは日本一のお茶所

Dsc00341 大井川を見下ろす栄西禅師(茶と禅を我が国にもたらしました)

 明治になって、大井川右岸の牧之原台地に入植してお茶の栽培を始めた人々が、対岸の島田宿に生活嗜好品を購入するため、大井川の架橋へを県令に陳情して、明治12年に完成したのが蓬莱橋です。その長さは897mで木造の歩道橋では世界一の長さとして、ギネスブックにも登録されているそうです。

Dsc00365 蓬莱橋

 この蓬莱橋、実際渡ってみると、欄干がなく幅は2.4mしかないので、意外と足がすくんでしまいます。川風が吹いてくると吹き飛ばされるような恐怖感が増してきます。風雨にさらされて橋の床板もかなり傷んでいます。

Dsc00378 行け天然児、未来に向かって!

 こういう場所でも平静なのが天然児。訳も分からず対岸には何かがあると期待しているのでしょうか?テンション高めにどんどん進んで行きました。端の方へ寄っていくと転落しそうで慌ててしまいます。天然児よ、対岸には蓬莱、宝の山があるんだよ。そう言ったのは、牧之原に入植を奨励した最後の駿府藩主で静岡県令徳川家達だそうです。

2015年3月27日 (金)

ソメイヨシノ開花始まる

 年度末も大詰め。仕事に追われて午前様が続き休日出もあったりして、当ブログの更新も疎かになっております。sleepy

 唯一の休息はお昼休みのお散歩。上野公園や不忍池のソメイヨシノはチラホラ開花し始めましたよ。ここ1週間は晴天の日が続いていますので、公園内には気の早い花見客が押し寄せていました。

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 それにしても真昼間から桜を見上げながらビール飲める人たちが羨ましい・・・

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 ここ数日は晴天にもかかわらず寒い日が続きましたが、週末は気温が上昇する予報です。桜の開花も一気に進むことでしょう。ビニシをもって公園にGO!

2015年3月19日 (木)

山行 シンドローム逃避行 高麗山・湘南平

 年度末。仕事が忙しくなるこの時期は、日曜日の午後がかなり憂鬱である。私の場合、家でのんびりしているとそのうち悶々としてくるので、ホームセンターのペットコーナーで愛らしい動物を眺めたり、海岸や田園ぶらついて気を紛らわせている。

 朝が遅い我が家の休日は、1日のスケジュールが全て後ろ倒しになって、昼食を食べ終わると14時近くになっている。温かい西風が吹き込んだ陽気に誘われて、腹ごなしも兼ねて大磯駅裏の低山を歩いた。先ずは高麗山を目指す。

Dsc00288 高来神社

 大磯駅から旧東海道を平塚方面に歩き、町の東端に位置する高来神社に向かう。高来とも高麗ともいい、その昔、朝鮮の高句麗王朝からの渡来人がこの一帯に住んだことに由来しているそうだ。その後、奈良時代にハイパーテクノクラート行基によって高麗寺が建立されると、高麗山の山域は伽藍や僧房が並び大いに繁栄したという。その後、室町の戦乱で寺社は衰退する一方で、相模平野に突出した地形は城塞に利用された。戦国期には小田原征伐に遠征した上杉謙信が本陣を置いたという。江戸時代は東照大権現(=家康)を祀り、参勤交代の大名が立ち寄って参拝したほどの寺勢を取り戻したが、明治当初の廃仏毀釈にはそれが仇となって高麗寺は破壊されたそうだ。

Dsc00293 さ~あ行こう~夢に見た島へと♪

 高来神社の裏から高麗山への登山道が伸びている。直ぐに男坂、女坂の分岐となるが、男だったら力を試せ!男坂に進む。高麗山は丹沢かた伸びた大磯渋沢丘陵の東端に位置し、歌川広重の東海道五十三次の平塚宿にもこんもりとした独特の山容が描かれている。また、相模湾沿岸の温暖な気候が常緑広葉樹の森林を形成して県の森林公園にも指定されている。その豊かな森に多くの野鳥が飛来する。

Dsc00285 コゲラ Dsc00295 山鳩

 男坂は一部岩が露出するような険しい道のりである。春季の例大祭にはこの険しい道を神輿が登っていく。ちなみにこの時下町では植木市が立つ。何だかんだといいながら高麗山の山頂(168m)はあっという間である。小広い山頂には、昭和55年まで高来神社の上社が置かれていたが、今は柱の土台が残るばかりだ。

Dsc00297 高来神社上社跡 Dsc00298 高麗山城砦の遺構

 高麗山から尾根伝いに俵表山、浅間山を経て湘南平を目指す。高麗山から俵表山周辺は高麗山城砦の遺構が色濃く残されている。ここに両杉が争い、北条早雲が籠り、上杉謙信が座したかと思うと感慨深い。

Dsc00301 ヤブツバキ Dsc00318 寒桜 Dsc00322 春の伝令

 湘南平への縦走路は豊かな照葉樹なだけに展望は開けないが、スイセン、ツバキ、寒桜などの花々が歓迎してくれた。住宅街の裏山だけに散歩をする人あり、家族連れのピクニックあり、トレイルランナーあり。多くの人が思い思いに山を楽しんでいる。自分は春の伝令ともいうべき路傍のスミレが大好きだ。

Dsc00316 湘南デーラ

 湘南平(181m)は台地上に開けた場所で電波塔が目印である。戦中はこの場所に高射砲陣地が置かれB29を迎撃した。若かりし頃、モデラーだった私は、平塚の小さな模型屋に入り浸っていたが、そこの年老いた店主が湘南平の高射砲の話をよくしてくれた。砲の威力不足で1万mの高空を飛ぶB29には効果がなかったようだ。「くっぞー届かんかー!」思いは熊本城攻めの村田新八であったろう。

Dsc00309 空にそびえる赤金の塔

 ミニ東京タワーのような電波塔。若人はこの塔に南京錠をかけて永遠の愛を誓うらしいが、数年に一度、メンテが入ってこの錠をバールで切断してしまうらしい。そしたらどうなる・・・いいか、これはひがみではないぞ。

 駅から1、2時間のお手軽散策であるが、盛りだくさんで日曜アフタヌーンシンドロームの解消にはもってこいのコースなのだ。帰宅すりゃ~疲れて寝ちまえ!落ちる彼方に神の罵声が聞こえたような・・・

★コースタイム:1時間40分

大磯駅14:50→15:15高来神社→15:30高麗山→15:55湘南平16:10→16:30大磯駅

2015年3月18日 (水)

ソメイヨシノに先立って

 昨日お伝えした上野公園のサクラ。オオカンザクラというそうです。漢字で書くと「大寒桜」ですから、まだ早咲きということですね。

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 上野公園の入口に満開のオオカンザクラ。誰もが引き込まれてしまいますよね。うまい演出です。その先の桜並木はソメイヨシノですから、まだつぼみが膨らんだ状態です。つぼみの膨らみでも季節感はありますけどね。

2015年3月17日 (火)

甲羅干し始まりました。

 今日は暖かくて今年初めてコートなしで通勤することができました。上野公園も本格的なお花見シーズンに突入したようです。それにしても、上野界隈を訪れている観光客のほとんどが外国人なのは驚きです。

150317_123453 満開のサクラもありました。

 日差しが暖かくなって、不忍池ではカメたちが冬眠から明けたようです。気持ちよさそうに甲羅干しをしている姿を見ることができます。

150317_122800 甲羅干し始まりました。

 沢山のカメたちは、冬の間どこで冬眠していたのでしょう?

2015年3月13日 (金)

仏頭はもう落ちない

 大仏様といえば奈良東大寺または鎌倉高徳院を思い浮かべることが多いのですが、日本全国には数十体の大仏が存在しています。大きな仏像というだけあって、数メートルのものから牛久大仏の120mまで大きさは様々です。これらの大仏の大半は近代になってから建立されたもので、江戸時代以前から存在するものはぐっと少なくなります。その中でも飛鳥大仏と東大寺の大仏の歴史は特出されますが、あれだけ大きな仏像が、天災や戦乱が繰り返された我が国の歴史の中で無事でいられるはずがありません。

 東大寺の大仏をとってみれば、752年の建立後、ちょうど100年ほど経った平安時代に地震で損傷して、源平の争乱期には平重衡の軍勢に焼き討ちにされました。鎌倉時代に再建されるも、戦国時代には三好三人衆と松永弾正の争いに巻き込まれて、再度焼失した歴史があります。現在に至る奈良の大仏は江戸時代に再建されたものです。

150303_124318_2 上野大仏

 さて、散歩コースの上野寛永寺の境内にも一風変わった大仏様があります。上野大仏と呼ばれるこの大仏は、頭部、それも顔面部分しか存在しませんが、かつては6mの釈迦如来坐像でした。江戸寛永年間に越後国村上の大名堀直寄によって建立された上野大仏は、関東大震災で仏頭が落ち、胴体も解体され保管されていましたが、再建を待たずして胴体が大東亜戦争の金属供出で失われて、結果、顔面部分のみが祀られたそうです。

150303_124149 大仏様の近くには雪割草が咲いていました。

 東大寺の大仏にしても上野大仏にしても、大仏はトップヘビーのため、壊れるときに頭部が落ちることが多いのですが、人々は「仏頭が落ちた」と天災を天罰として恐れ、大仏を破壊した者を仏敵として憎んだそうです。でも、上野大仏は発想の転換といいますか、落ちた仏頭を「合格大仏」と称して受験生の信仰を集めています。顔だけになってしまった大仏様は、もうこれ以上仏頭が「落ちない」からですね。

2015年3月 8日 (日)

山行 黒と白の洗礼 鍋割山稜、塔ノ岳

 鍋割山で富士山を眺めたら鍋割山稜を歩いて塔ノ岳まで行ってみる。鍋割山稜は小丸、大丸の小ピークがあり、軽いアップダウンの陽当りの良いルートである。南には秦野市街から相模湾を見下ろし、北には玄倉川上流の渓谷を挟んで蛭ヶ岳など丹沢の主稜線と向き合う。春はマメザクラやヤマツツジ、夏は蝉の声を聞きながら涼しく、秋はブナの紅葉、冬は霧氷や日だまり歩きなど季節を感じながら楽しく歩けるルートである。また、塔ノ岳、鍋割山という丹沢で最も人気の二山を結ぶルートということもあって、歩く人は多い。

Dsc00208 玄倉渓谷の向こうに蛭ヶ岳

Dsc00220 きまぐれホワイトロード

 鍋割山稜に入ると北側の斜面には南陵にはなかった雪が目立つようになる。ピーク間の鞍部にも雪は残っていて、場所によっては雪を踏むことになる。数日前に降った雪は、踏まれて凍りついているので慎重に進まなければならない。しかし、アイゼンを装着するほどのものでもないのだ。

Dsc00211 小丸付近から鍋割を振り返る(右奥は檜洞丸)

 途中、地図を広げながら「あの山は大山か?あそこに林道が見えるから・・・」などと山座同定をしている若者がいた。山座同定は大の得意な山笑。さりげなく近づいて「あれが三ノ塔でしょ。その向こうが大山だよ・・・」などと偉そうに講釈を垂れる。遠くから来たのかと思って聞いてみたら、何と麓の若衆であった。

Dsc00222 下りは特に慎重に

 金冷シで大倉尾根と出合うと、上りも下りも大賑わい。これだけ多くの人が山頂を目指す山だったのかと首を傾げる。これだけの人にこねくり回されて、登山道の泥濘もかなりひどい状況だ。それでいて日陰はしっかりと凍りついているので、歩くペースも慎重になる。それが渋滞となる。上下交換の譲り合いになると、基本は上り優先であるが、ときには下りの人に譲ることもある。譲られた方は慌ててしまうので、下りに譲るときは「ごゆっくり」と一声かけるべきかもしれない。

Dsc00225 今日も賑わってるな Dsc00226 遠くまでよく見えた。

Dsc00234 尊ちゃんと塔ちゃんも皆に交じって嬉しそう

 塔ノ岳山頂はこれまた大賑わい。山頂は風もなく暖かいくらいの陽気だったので、皆思い思いの場所に腰を下ろして展望を楽しんだり、山上クッキングを楽しんでいた。気温が上がっているせいか下界は霞んできたが、遠くの山々は相変わらずよく見えている。特に富士山の右手には聖、赤石、悪沢、塩見、農鳥、間、北、仙丈、鳳凰、甲斐駒と南アルプスの三千メートル峰は全て望めた。

Dsc00242 特等席見っけ♪ Dsc00240 シャケのおにぎり

Dsc00235 大山(左)と三ノ塔

 自分も大山や三ノ塔を見下ろす東側の茂みの影にベンチの様な板を見つけて腰を下ろした。茂みのおかげで山上銀座とは隔離された、ちょっとしたプライベート空間で快適である。

Dsc00244_2 大倉尾根を下る Dsc00249 杉林・・・赤っぽいよ(恐)

 腹を満たしたら下山開始。大倉尾根を堀山まで下って、二俣方面に向かうルートである。花立付近は下りも上りも行列状態。とき折しも花粉の季節。大倉尾根にはくしゃみが絶えず聞こえていた。

★コースタイム:5時間

表丹沢県民の森7:50→8:30櫟山→8:45栗ノ木洞→9:45鍋割山9:50→10:20小丸尾根分岐→10:55塔ノ岳

塔ノ岳11:15→11:55堀山の家→12:35二俣→12:50表丹沢県民の森

2015年3月 7日 (土)

山行 栗もドングリもないけれど 鍋割山南陵

 2月28日(土)、冬も終わるこの日は最高の晴天に恵まれたので、久しぶりに丹沢表尾根を歩くことにした。明るくなる時間も随分早くなってきたのだが、朝はまだまだ寒いのでなかなか布団を出られない。早出して大倉から塔ノ岳を越え蛭ヶ岳方面に残雪を踏むつもりだったが、スロースタートとなってしまい、表丹沢県民の森から鍋割山方面にグダグダ転進した。

 県民の森まで車で入ると鍋割山はお手軽すぎるので、鍋割山稜を歩いて塔ノ岳まで歩くことが多いのだが、たまにはいつも歩かないルートを歩きたいと思い、県民の森を歩いて鍋割山南陵の櫟山(くぬぎやま)に登り、そこから栗ノ木洞を経由して鍋割山を目指すことにした。

 県民の森は丹沢内に東、西、表3箇所あるが、いずれも歩く人は少なく遊歩道も荒廃しつつある。表丹沢県民の森も登山口として車を乗り入れる人が多いものの、県民の森の散策を目的とした人はほとんどいない。奥多摩三頭山の東京都民の森と比較すると、人気の差は歴然たるものだ。

Dsc00176 朝飯中、失礼 Dsc00178 県民の森から見上げる表尾根

 林道を歩いて二俣方面を目指す人を尻目に県民の森に踏み入れると、ニホンジカの群れが出迎えてくれた。野生の動物たちはしたたかだ。人が少なくなった地域にはすぐに浸透してくる。人が開発した林道や遊歩道などちょっと目を離せば瞬く間に自然に還ってしまうだろう。開発が自然を蝕んだ時代は終わり、今は自然への回帰の時代である。

Dsc00183 松が見事な櫟山 Dsc00182 相模湾を見下ろす。

 九十九折の急登を上り詰めていくと樹林が開けて、明るいカヤト野原の櫟山(810m)の山頂である。山名になっているクヌギの木は見当たらず、立派な松の大木が数本そびえている。櫟山は鍋割山から南へ延びる南陵上にあって、南に下れば寄(やどろぎ)に下山するし、北に上れば鍋割山に至る。それにしてもここから見下ろす相模湾は実に素晴らしい。

Dsc00188 栗ノ木洞。次いってみよう! Dsc00187 松に富士

 櫟山から鍋割山南陵を歩いていく。すぐに暗い植林帯に入って、間もなくすると栗ノ木洞(908m)を通過する。立ち止まる価値を見いだせない場所だ。櫟山のクヌギ同様、栗の木などはどこにもなく、檜の森に覆われている。植林以前は栗やクヌギが生えていたのかもしれない。

Dsc00192 左が切れ落ちる後沢乗越 Dsc00195 小丸のピーク

 栗ノ木洞から下降すると後沢乗越の鞍部に至る。ここで二俣方面からのルートと出合う。ここまで誰ひとり会うことはなかったが、二俣方面からワンサカ登ってきて、山頂までは鍋割銀座の賑やかさであった。山頂近くに残雪があるかと思って準備してきたが、鍋割山南稜には雪は皆無であった。

Dsc00196_2 鍋割山荘 Dsc00197 西側の展望

 県民の森駐車場から2時間弱で鍋割山(1273m)に到着した。時間は二俣経由の最短ルートとさほど変わらないが、それならば林道歩きが長い二俣経由よりは、変化に富んだ南稜をお薦めする。

Dsc00199 天晴! Dsc00201 御正体山の先に北岳

 山頂は風もなく、気温も高めであったにもかかわらず、山頂からの富士山ははっきりとしていて、その右手には聖、赤石、荒川、白根三山と南アルプスの名峰が並んでいた。今まで何度も見た展望であるが、良いものは何度見ても良い。(つづく)

2015年3月 1日 (日)

癌の快癒を祈る

 長男の高校受験が終わって一息ついたかと思ったら、今度はババが癌の宣告を受けた。本人は少なからずショックを受けて、毎年恒例の春の花見旅行もキャンセルした。4年も前から下からの出血を町内の医師に相談していたらしいが、ずっと「何でもない」という診断を受けてきたらしい。それがここへ来て大きい病院を紹介してもらって行った途端にこれである。これでは疑義も生じてくる。

 今更過去のことを悔やんでも仕方がないので、現状での最善を尽くしていきたいと思うが、医学的知識が皆無な私も何か力になれないか?とりあえずできることは神様に頼むしかない(汗)どうせ神頼みをするならば、医療、健康にご利益がある神社を探そうと思っていたら、なんと、お昼の散歩コースである上野山の一角に医薬祖神五條天神社なる神社を発見した。

150227_123559 ここが五條天神社かー

 この五條天神社の縁起は、東征に下向した日本武尊がこの地を訪れた折、薬祖神のご加護を得たことに感謝して薬祖神を祀ったことに発し、約1千9百年もの歴史があるそうだ。以来、病気快癒の信仰を集めて、今でも毎月10日には医薬祭という神事が行われ、病気平癒の祈祷が行われているらしい。

150227_123808 菅公が祀られている相殿

 これは早速行ってみようと、不忍池から道路一本隔てた神社を訪れてみた。天神の社名でもわかるように、五條天神社には菅原道真が合祀されているので、境内には梅の木が多く植えられていた。2月も末、ちょうど梅の花が満開を迎え、早咲きの桜も相まってちょっとしたお花見スポットである。花に誘われてか、境内にはチラホラと観光客が訪れてカメラのシャッターを切っていた。

 ババの癌がどれほどのものか、検査の結果はもう少し先であるが、良い方向に向かうことを祈願して手を合わせた。 

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