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2015年3月13日 (金)

仏頭はもう落ちない

 大仏様といえば奈良東大寺または鎌倉高徳院を思い浮かべることが多いのですが、日本全国には数十体の大仏が存在しています。大きな仏像というだけあって、数メートルのものから牛久大仏の120mまで大きさは様々です。これらの大仏の大半は近代になってから建立されたもので、江戸時代以前から存在するものはぐっと少なくなります。その中でも飛鳥大仏と東大寺の大仏の歴史は特出されますが、あれだけ大きな仏像が、天災や戦乱が繰り返された我が国の歴史の中で無事でいられるはずがありません。

 東大寺の大仏をとってみれば、752年の建立後、ちょうど100年ほど経った平安時代に地震で損傷して、源平の争乱期には平重衡の軍勢に焼き討ちにされました。鎌倉時代に再建されるも、戦国時代には三好三人衆と松永弾正の争いに巻き込まれて、再度焼失した歴史があります。現在に至る奈良の大仏は江戸時代に再建されたものです。

150303_124318_2 上野大仏

 さて、散歩コースの上野寛永寺の境内にも一風変わった大仏様があります。上野大仏と呼ばれるこの大仏は、頭部、それも顔面部分しか存在しませんが、かつては6mの釈迦如来坐像でした。江戸寛永年間に越後国村上の大名堀直寄によって建立された上野大仏は、関東大震災で仏頭が落ち、胴体も解体され保管されていましたが、再建を待たずして胴体が大東亜戦争の金属供出で失われて、結果、顔面部分のみが祀られたそうです。

150303_124149 大仏様の近くには雪割草が咲いていました。

 東大寺の大仏にしても上野大仏にしても、大仏はトップヘビーのため、壊れるときに頭部が落ちることが多いのですが、人々は「仏頭が落ちた」と天災を天罰として恐れ、大仏を破壊した者を仏敵として憎んだそうです。でも、上野大仏は発想の転換といいますか、落ちた仏頭を「合格大仏」と称して受験生の信仰を集めています。顔だけになってしまった大仏様は、もうこれ以上仏頭が「落ちない」からですね。

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