« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015年4月

2015年4月28日 (火)

煮魚にならなかった金魚

 金魚ついでに我が家の金魚をご紹介しましょう。子供が地区の夏祭りでもらってきたのか、それともかみの実家からもらってきたのか・・・今となっては定かではないシンプルな和金、それも「駄金」などと揶揄される一番お手軽な小赤なのですが、コイツが5年も10年も生きているとなかなか貫禄が出てきます。

150424_182503 すっかりデブ金

 我が家では、数年来3尾の小赤を飼ってきたのですが、そのうち2尾をこの冬死なせてしまいました。我が家の事件史に残る悪名高き「煮魚事件」が発生したのです。そもそも、水温の低下によって活性が下がったのを見かねて、物置に眠っていた熱帯魚用のヒーターを入れてやったのが運の尽き。サーモスタットが壊れていてみるみる水温が上昇。夜中にトイレに立ったとき、水槽がボコッボコッと不気味な音を立てていたので点灯してみると・・・あ~~~!水槽の水はお湯になっていて、一番小さい1尾は既に事切れていました。中ぐらいも数日生きていましたが、体調を崩して昇天。生き残ったのは一番大きな今の1尾です。

150424_182446 餌くれ

 いつも水槽の底でじっとしていて、人の顔を見たときだけ水面に上がってきて餌をねだる呑気な金魚ですが、オウム信者もびっくりの温熱地獄を耐えた超越魚力。死地をくぐり抜けて生き延びたたくましいヤツなのです。もう煮魚事件のことは忘れたかな?どうか忘れて、仲間の分も長生きしておくれ。

2015年4月27日 (月)

天然児 玉手箱をあける

 緑まぶしい水郷・田名にある相模川ふれあい科学館で開催中の、リニューアルオープン1周年記念の特別展「金魚・玉手箱」を観に行きました。科学館は神奈川県の中央を南北に流れる大河相模川の豊かな自然と生体を紹介する水族館です。

Dsc01029 1周年おめでとうございます。 Dsc01032 涼しくて可愛い金魚

 特別展「金魚・玉手箱」の会場は、東錦、丹頂、獅子頭など色鮮やかな珍しい金魚が展示されていますが、展示の演出も金魚の魅力を引き立たせる工夫がなされていましたよ。さすがえのすいの運営会社だけのことはあります。

Dsc01038 東錦かな?

Dsc01061 ネコガシラという珍種だそうで

Dsc01036 何やら祀られているらしい・・・ Dsc01035 出た!ジャンボオランダ

 さて、水族館といえば、天然児の野望全国版です。ワクワクさんで館内に突入して、お得意のファシスト式敬礼(イルカのジャンプサインらしい)を振りかざしてイルカを探していました。残念ながら相模川にイルカはいません。カワイルカでもいてくれれば良いのですが・・・

Dsc01044 いるか? Dsc01043 オレだい
 今日は今年初の夏日になりました。金魚鑑賞は江戸時代から続く夏の風物詩。皆さんも涼感たっぷりの玉手箱を開けに訪れてみてはいかがでしょうか?

2015年4月26日 (日)

朝飯前にちょっと1千米

 夜明けが早くなると体が自然と早起きになってきます(休日限定)お茶!飯!と言いたいところですが、「春眠暁を覚えず」の家族の起床時間までは3時間待たねばならないこともあります。そんなときは朝飯前に身近な山に登って一汗かいてきます。母ちゃん達には内緒だぞ~♪

Dsc00956 新緑色のヤビツ峠 Dsc00991 笠を頂いた富士山

 5時にお目目パッチリ!寝起きは抜群。10分後には軍馬をかっ飛ばしています。コンビニであんまんとお茶買ってお腹を黙らせ、県道70号のワインディングを右へ左へ・・・ヤビツ峠周辺は休日はチャリダーで溢れていますが、早朝は1台も走っていません。チャリはバイクと違って音もなく来るから怖いですよ。菜の花台からは富士山が見えていましたが、二重笠雲を頂いているので天気は下降でしょう。

Dsc00954 大和魂です!

 さあ!ヤビツ峠を6時に出発です。イタツミ尾根を歩いて大山を目指します。このルートか足柄峠から金時山が早朝歩きの定番です。歩き始めてしばらくはマメザクラが目を楽しませてくれました。本居宣長の「朝日に匂う山桜花」ですね。ハナバチが朝っぱらからセッセカと蜜を集めていました。働き者だなぁ。標高が上がるとまだ冬枯れの様相ですが、足元にはスミレの花が咲いて春の到来を告げています。

Dsc00972 表尾根方面の眺望

 イタツミ尾根は、標高760mのヤビツ峠から1252mの大山山頂まで真っすぐ登っていく直登ルートなので、上りでも1時間もかかりません。この日は時折日が差す薄曇りの天気でしたが、山頂からは丹沢の山並みや富士山を眺めることができました。霞む湘南の海岸線を見下ろすと二宮の吾妻山が見えました。1千メートル下で眠る我が家とおはようライナーのオヤジ。家族なんてそんなもんさ~ラララ♪

Dsc00979 チッ、もう登ってきたか

 山頂西面にシカの小隊がウロウロしていましたが、人の顔を見るなり大パニックになって、鹿柴に体当りしてひっくり返る慌てものも。オイオイ、とって食うわけでなし、そんなに嫌わなくてもよいだろうに(汗)山の家族にも見放されたようです。

 寂しくなってイタツミ尾根を駆け下って帰りました。ヤビツ峠まで上がってくるバスが5台編成。どのバスもハイカーで満員状態です。いよいよ丹沢の春山シーズン到来ですね。

2015年4月22日 (水)

渋田川の芝桜

 関東周辺では既に桜は終わってしまいました。代わってGW前後は芝桜が話題になります。芝桜は小さな可愛らしい花ですが、富士五湖の本栖や秩父の羊山公園など、ピンクや白、紫の色鮮やかな芝桜が大地を一面に彩る様は見事なものです。これに富士山や武甲山が借景で入れば無敵ですね。

P1030606 羊山公園と武甲山 Dsc00945 渋田川の芝桜

 伊勢原を南北に流れる渋田川。田園風景の広がる上谷、下谷地区付近では、川岸の土手に芝桜が植えられていて、今ほど芝桜がもてはやされる以前から地元では名所として知られています。近くには牧場直営のアイスクリーム屋さんもあるので、これを片手に花見をしたら、これまた無敵ですよ。

2015年4月20日 (月)

爽やか新緑ドライブ

 癌の手術を終えたババが3週間ぶりに退院してきました。無事癌を摘出したとはいえ、食が細ってすっかり衰えているので、しばらくは要介護です。そんなババが新緑を見たいというので、ヤビツ峠を越えて宮ケ瀬まで県道70号を走りました。札掛周辺はミツマタやマメザクラがまだ見れるので、たいそう喜んでおりました。

Dsc00934 宮ケ瀬湖(対岸に鍋嵐と右奥に大山)

 新緑の季節は風も爽やかでドライブやツーリングを楽しむ人が増えてきます。県道70号も車、バイク、チャリの往来が多くなってきました。近年はチャリダーの人口が増えているので運転は慎重に慎重を期さねばなりません。

Dsc00940_3 虹の大橋の背後にそびえるのは本間ノ頭(丹沢三峰東峰)

 宮ケ瀬湖畔の鳥居原園地ではミツバツツジが満開でした。ミツバツツジはヤマツツジの中では一番早く開花する種です。丹沢もこれから初夏にかけてヤマツツジに彩られていきます。

Dsc00938_2 鳥居原園地のミツバツツジ Dsc00941 湖底の集落に延びる道

2015年4月18日 (土)

山行 ツツジのつぼみはまだ固い 丹沢山

 弁天尾根を詰めて丹沢三峰山縦走ルートに出合う。丹沢三峰山は丹沢山から宮ヶ瀬に落ちる尾根上にある三つのピークで、大山山頂付近から丹沢山の右手に目立っている。西峰(太礼ノ頭1352m)、中峰(円山木ノ頭1360m)、東峰(本間ノ頭1345m)とほぼ同じ高さのピークが三つ並んでいるのが特徴である。でも、これは机上(地図上)の空論。実際に三峰を眺めてみると、西峰は丹沢山の肩に溶け込んでいて目立たず、三つ並んでいるのは中峰、東峰とその中間に位置する無名ノ頭のピークである。三峰縦走ルートは丹沢きっての男坂。宮ヶ瀬から丹沢山を目指して延々と登ってきた登山者は、三峰のアップダウンで地獄の苦しみを味わうことになる。

Dsc08146 丹沢山と三峰(白い線=弁天尾根を登る)

 ちょうど中峰(円山木ノ頭)のピークに出てくるはずが、少しずれて中峰を登り返す。尾根上は北からの風が強く肌寒かった。残雪もチラホラ残っていた。アセビの茂みに囲まれた中峰を通過すると一気に標高を落とした。丹沢山は目と鼻の先に見えているというのに何とも口惜しいことだ。右手には蛭ヶ岳も大きく見えている。

Dsc00868 残雪あり Dsc00862 おおらかな丹沢山

 西峰に登り返し丹沢山が近づくにつれて、ブナ林の中にシロヤシオやトウゴクミツバツツジの木が目立ってきた。三峰山周辺は西丹沢檜洞丸と並んでヤマツツジの多い場所である。あと1ヶ月もすれば濃いピンクのトウゴクミツバツツジが咲き、それを追うようにシロヤシオが咲く。花が賑わう季節は、それ以上に人も賑わう。普段は静かな三峰にも多くのハイカーが押し寄せるだろう。

Dsc00876 ヤマツツジのつぼみはまだ固い Dsc00863 白馬尾根を挟んで蛭ヶ岳

 丹沢山の広い山頂には3人ほどのハイカーが休んでいた。塔ノ岳とは違って静かだ。丹沢山の山頂に到着する頃、ちょうど雲が上がってきて展望を妨げてきた。蛭ヶ岳や塔ノ岳など丹沢主脈を覆い隠していく。しかし、玄倉川の向こうに富士山だけはよく見えていた。このまま塔ノ岳を経由して長尾尾根経由で塩水橋に戻るつもりでいたが、長尾尾根なども雲の中だったので、最短ルートの天王寺尾根を下って帰ることにした。

Dsc00881 富士山よし! Dsc00889 塔ノ岳だめ!

 天王寺尾根を快調に下って塩水橋に戻った。雪は消えたがツツジや新緑にはまだ早く、割と人出の少ないタイミングだったと思う。今日は決算で朝帰り。朝の電車からの丹沢は春霞に浮かんで味わいがあった。天気も快晴。皆さん、いざ丹沢へ!

Dsc00901 天王寺尾根からの三峰 Dsc00900 ハイキック炸裂!

★コースタイム:5時間20分

塩水橋6:00→6:40ワサビ沢分岐→8:05円山木ノ頭→8:30太礼ノ頭→9:15丹沢山9:30→9:55堂平分岐

→11:00本間林道→11:20塩水橋

2015年4月14日 (火)

山行 東丹沢のパワースポットを訪ねて 丹沢弁天杉

 4月12日(日)は久しぶりに晴天ということで丹沢へ登ることにした。とは言っても、午後は入院中のババの見舞いに行く予定なので朝駆けである。4時に起床。遊びにかけては体内時計は完璧だ。5時前に出発。前日まで雨模様で寒かったので、朝の空気はひんやりしている。県道70号のヤビツ峠の凍結を心配したが、難なく越えることができた。

Dsc00831 朝もや立ち込める県道70号 

 誰もいない護摩屋敷の湧水で水を補給。ついでに自宅用にポリタンクを3つほど。札掛周辺はミツマタの花が見事なほどに満開であった。軍馬を路肩に駐車してしばし花見を楽しんだ。周囲の山にはポツポツ山桜も咲いている。朝もやに霞む花々。「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花」本居宣長の詠んだ歌が浮かんだ。日本人の感性って素晴らしい!

Dsc00925 札掛付近のミツマタ Dsc00834 塩水川(塩水ではありません)

 丹沢の山懐、塩水橋に到着。既に10台ほどの車が路肩に駐車していた。橋のたもとの特等席に軍馬を入れて出発した。塩水林道を詰めて堂平経由で丹沢山を目指すルートは、丹沢山に向かう最もお手軽なルートである。最短ルートとなると、並行する天王寺尾根のルートだが、林道歩きの長さも含めて堂平経由は楽である。

Dsc00838 朝日に匂う山桜花 Dsc00842 蛍光色鮮やかなミツバツツジ

 塩水川沿いの山々は木々が芽吹き始めて、その中にマメザクラやミツバツツジの花が彩を添えている。ふと、対岸の尾根上に一際存在感を示している大木が目に付いた。この大木こそ、今回のお目当てである弁天杉である。樹齢は1千年といわれ、西丹沢中川の名木箒杉ほどではないが、東西丹沢を代表する大樹なのである。完全に通常のルートからは外れた位置にあるのだが、近年のパワースポットブームで訪ねる人は多いという。

Dsc00840 ややや! Dsc00846 新芽が輝く踏み跡を辿る

 林道を3kmほどあるいて、道が大きく左に曲がったところから右手の草むらに入っていくと、塩水川の最上流ワサビ沢に入る道がある。これから更に暖かくなると、ヤマビルがワンサカうごめく恐ろしい場所であるが、幸い未だ活動していないようだ。

Dsc00855 明るい弁天尾根 Dsc00850 競うように伸びるモミと杉

 ワサビ沢の対岸にテープが垂れている。沢を渡渉して植林帯に延びる九十九折の坂道を登っていく。マイナールートではあるが、よく踏まれた分かり易い道である。しかし、登って行くにつれて、踏み跡は不明瞭となっていった。しかし、植林帯を抜けてモミや杉の大木の尾根道に出ると、明るくなって目印のピンクのテープを確認しながら登っていった。・・・しかし、いくら登っても弁天杉には行き着かない。おかしいぞ?どうやら随分下の方で右手に分岐する道があったが、それが弁天杉へのルートだったらしい。トラロープに遮られていたので素通りしてしまったのだ。

Dsc00851 大山だ。

 仕方なく弁天杉は諦め、このまま弁天尾根を登りきった丹沢三峰山に向かう。弁天杉には及ばないものの、この弁天尾根上には杉やモミの大木が多い。標高を上げていくとブナ林になる。南向きの尾根上は日当たりがよく広々している。小さな天幕を背負ってひっそりと幕営したいものだ。振り返ると雲海上に大山が見えていた。

Dsc00857 無名ノ頭(左)と本間ノ頭(東峰)

 やがて右手に三峰の東峰と呼ばれる本間ノ頭のピークが近くなった。宮ヶ瀬から丹沢山に延びる丹沢三峰山縦走ルートまで間もないだろうと思っていたそのとき、右手下方からガラガラと大規模な崩落らしい土砂の音が聞こえてきた。最近雨が続いていたので地盤が緩んでいたのかもしれない。弁天杉に寄っていたらこの崩落に巻き込まれていたりして(汗)崩落に怯えたのか、鹿の群れが前方を横切っていった。(つづく)

2015年4月 9日 (木)

桜ダイジェスト

 花冷えの昨今。今日は気温が真冬並みで、みぞれ混じりの冷たい雨でした。宮ヶ瀬辺りでは雪になったようで、明日は雪化粧した丹沢が見上げられるかと思います。今季最後の雪化粧でしょうか。

 さて、この春は仕事が忙しかったり、ババの入院や子供の進学などで慌ただしく、例年に比して桜見物があまりできなかったように思いましたが、デジカメのデータを整理するとポツポツと桜が写っておりましたので、ご紹介いたします。

Dsc00807 高麗山麓の桜並木
 歌川広重の東海道五十三次にも描かれた大磯の高麗山。その山裾を流れる花水川沿いに咲く桜並木です。大磯町と平塚市の境界となっている花水川は、上流では水無川、中流では金目川と名前が変わって、下流では花水川と呼ばれていますが、きっとこんな春の風景から名付けられたことでしょうね。

Dsc00793 文命堤の桜並木 Dsc00801

 酒匂川上流の文命堤の桜並木は足柄平野随一のお花見スポットです。川沿いということもあって、晴れた日にはお花見を兼ねたバーベキューを楽しむ人で賑わいます。文命堤は、小田原藩初代藩主大久保忠世とその子忠隣が、暴れ川として名高かった酒匂川の洪水対策として構築を命じたもので、宝永の富士山大噴火の土石流で被災し、その後農政家として名高い田中丘隅によって復旧、拡張されました。

Dsc00713 富士見塚の桜

 偶然出会った大井町富士見塚付近の桜の木。名木でもない1本の桜ですが、菜の花とマッチした風景が最高でした。生憎の曇り空でしたが、青空の下ではもっと色彩が映えることでしょう。

 来年はどんな桜と出会えるか楽しみです。

2015年4月 6日 (月)

今年は撮り鉄スポットでお花見

 今年の桜は早かったですね。この土日は最後のチャンスと思っていたのですが、ドロ~ンとした曇り空でした(泣)ソメイヨシノの花は白っぽいから曇り空だと空に溶けてしまうんで映えませんね。

 毎年ババと天然児の三世代編成で桜の名所を訪れるのですが、只今ババは癌の手術で入院中。今年のお花見は見送りになりそうです。天然児と二人、お花見を楽しめる場所を探して軍馬を走らせるました。花はあちらこちらに咲いているのですが、天然児はなかなか降りてきてくれません。それじゃあ意味がないんだよなぁ。

Dsc00789 春満開、SLもどこか嬉しそう

 徒然なるままにやってきたのは山北町。街中を走る旧東海道JR御殿場線は、山北駅を出ると桜並木のトンネルを抜けて行きます。桜が満開のこの時期は撮り鉄スポットとして多くのカメラマンがやってくるのです。4月4日(土)は山北桜まつりの最終日。駅裏のさくらの湯周辺に模擬店も並んで賑わっていました。

Dsc00782 天然児も調子よくスタート♪ Dsc00774 御殿場線も快調!

 天然児もお祭り開場の賑わいと鉄路にひかれて歩き出しました。沿線の桜はチラホラと散り始めていますが、それでもほぼ満開といえるでしょう。シャッタースポットは鉄路を跨ぐ跨線橋の上です。御殿場線は本数が少ないのですが、単線のため山北駅で列車交換をするので、1度にチャンスは2回あります。

Dsc00749 春の~うら~ら~の御殿場線。上り~下り~の~鉄人が~

 それにしても山北駅を出て谷峨に向かう勾配は結構なものです。御殿場線は箱根の山を迂回する線ですが、それでも標高110mの山北から3つ先の標高450mの御殿場までの区間は標高差もあって、かつては東海道本線の難所といわれた区間です。山北駅には峠越えの補助機関車の機関庫があって、鉄道員の街として賑わったそうですが、今ではその面影はありません。

Dsc00740 いきなりこの勾配 GalaxyExpress999でも降りてきそう

 駅裏のさくらの湯に隣接する鉄道公園には、かつて東海道の大動脈を担って、峠越えでも活躍した大型機関車D52が静態保存されていますが、その横を小田急60000系ロマンスカーあさぎりが桜吹雪を浴びながら整然と通過していきました。技術の進歩と山北の今昔物語を感じました。

Dsc00737 御殿場今昔物語

 さて、花もいいけど団子もね。近隣のお宅で猟師仲間が集まってBBQパーチー。鹿肉スペアリブをご馳走になりました。天然児には歯が立たなかったので、ホットドック、たこ焼き、ソフトクリームを模擬店で購入して、お腹いっぱいの桜見物でした。

2015年4月 5日 (日)

我が国の油田

 日本は世界有数の資源消費国家ですが、消費量の足元にも及ばないものの僅かな資源を産出しています。日本に油田!?と言われてもピンときませんが、北海道、秋田、新潟など主に北日本の日本海側で採掘されています。

Dsc00401_2 相良油田の里公園。点在するのは油井ではなくバーベキューのかまどです(笑)

 今回訪れたのは、静岡県牧之原市。牧之原といえばお茶の産地として全国的に有名なのですが、この西南部に位置する菅ヶ谷という地区に相良油田という、太平洋側唯一の油田がありました。学生時代に地図上で油田という文字を発見して以来、ずっと訪れてみたいと思っていた場所です。

 そもそも油らしき燃える水が染み出しているという話が土地に伝わっていて、明治5年に徳川家に使える村上正局という人によって原油として確認されると、翌年から採掘が始まりました。最盛期には600人もの人が採掘に携わり、年間700kl以上という当時としては我が国最大の採掘量だったそうです。トンあたり2グラムのマ・クベのウラン鉱山より良いかもしれません(笑)そういえばザクはガソリンで動いているのかな?

 明治後半から大正にかけては、菅ヶ谷の一帯に150もの油井が掘られて、大隈重信ほか時の政府要人もこの地に足を運んだといいますから、石炭と並んで我が国の鉱物資源として期待されたことでしょう。

 相良油田で産出される原油は、非常に軽質でガソリンや灯油の比率が高いのが特徴で、精製しなくても軽く濾すだけで自動車や機械の燃料として使用できたそうです。

Dsc00400 資料館で学んでいってくださいね。

 その後、産出量の減少と安価な原油の輸入によって、昭和25年に閉坑となりましたが、その遺構は静岡県の天然記念物に指定されて、現在では相良油田の里という観光施設として一般に公開されています。バーベキュー場や遊具なども整備されていますので、休日を楽しみながらかつての油田の遺構を体験されてはいかがでしょうか。

2015年4月 3日 (金)

Castle Takatenjin

 今から15年ほど前のこと。ローマのホテルに宿泊したとき、退屈なので何気なくテレビのチャンネルを回していると、日本の時代劇がやっていた。よくよく見れば黒澤明監督の「影武者」だった。「影武者」は、武田信玄の影武者を務めた男と甲斐武田家の衰亡を描いた作品だが、その劇中で、徳川家康の軍が武田勢力下の遠州高天神城に攻め寄せるシーンがあった。外国語の台詞は聞いてもチンプンカンプンだったが、「Castle Takatenjin!」というところは心に残っている。

Dsc00419_2 後方の小高い山が本丸

 「高天神城を制する者が遠江を制する」とまで言われた高天神城は、掛川市の南部、遠州灘沿岸の平野部に小高くせり上がった高天神山に築かれた山城です。鎌倉時代には小規模ながら砦が築かれたそうですが、室町、戦国の戦乱を経て規模が拡大していきました。応仁の乱の頃、駿河国主今川義忠が遠江斯波氏との抗争の拠点として拡張し、重臣福島正成が城主となった時期もありました。

Dsc00417_2 往時を偲ぶ

 今川家の後継者争い花倉の乱で福島氏が滅亡すると、土豪の小笠原氏が城主となって今川義元の傘下として活躍しました。1560年の今川義元の死後、暗愚な義元の子氏真に見切りをつけた小笠原長忠は、遠江に進出してきた徳川家康に寝返って、氏真が籠る掛川城攻めにも加わっています。1569年に氏真が遠江から退去すると、翌70年には徳川家の旗下で近江姉川の戦いに参戦。浅井朝倉連合軍VS織田徳川連合軍のこの戦いでは、越前朝倉勢との戦いで大いに活躍しました。

Dsc00411 井戸曲輪付近。狛牛といえば・・・

 小笠原氏に休まる暇はありません。翌1571年、旧今川家の領土を分割する武田・徳川の協定が崩れて、武田信玄の率いる2万5千の大軍が遠江に侵入して高天神城を包囲します。小笠原長忠は武田方の降伏勧告に応じず籠城を続けると、信玄は包囲を解いて浜松の家康を攻めて、これを三方ヶ原で撃破しました。1573年に信玄は死没しましたが、後継者の武田勝頼は以前にも増して遠江の侵略に執心で、諏訪原城や小山城を拠点として、徳川との攻防戦が激化しました。

Dsc00412 そう、天神様です。「高天神」ですから

 1574年5月に武田勝頼は2万の大軍で高天神城に猛攻撃をかけました。小笠原長忠は家康に援軍を要請しましたが、家康に余力がなく、2ヶ月間の籠城戦の末、高天神城は降伏開城しました。この時の降伏条件は寛大で、降伏した城兵は武田につくか(東退)徳川につくか(西退)を選択することができたそうです。城主小笠原長忠は、武田勝頼に降伏して厚遇されましたが、後に武田家が滅亡すると小田原北条氏に逃亡して匿われ、更に1590年豊臣秀吉による小田原征伐の後、遂に家康に囚われて切腹させられました。家康は高天神城に援軍を送らなかったくせに、酷い仕打ちですね。

Dsc00414 掘割なんかも見れます。

 さて、武田の勢力下になった高天神城。城代として横田甚五郎尹松という武田の将が入城します。この人は武田信玄の数少ない負け戦、1550年の砥石崩れで殿を務めて戦死した横田高松の孫にあたり、赤備えで有名な武田家筆頭の重臣山県昌景の娘を妻に迎えています。

Dsc00418_2 籠城戦はシモの処理に困ったことでしょう

 1575年に有名な長篠の戦いで武田軍が大敗すると、徳川軍の遠江への反攻が著しくなります。この窮地に武田方は、今川家の旧臣で、家中一の猛将と言われた岡部丹波守真幸(元信)を高天神城の城将に据え、横田尹松を軍監としました。既に齢70の老将岡部でしたが、勝頼の期待に応えて、家康の軍をことごとく跳ね返していきました。

Dsc00406_2 ときは夕刻。霊気が満ちてきました。

 1580年になると、家康は正攻法を諦めて、高天神城の周囲に6箇所の付城を構築して、高天神城の包囲網を築く戦術に変更しました。包囲網が完成すると、武田方からの兵糧や弾薬の搬入が途絶え、さすがの高天神城も疲弊していきます。城方は甲斐に援軍を要請しますが、今度は武田方が高天神城を見捨てることになります。

Dsc00408 兵どもが夢の跡。遠州灘が望めました。

 そしてその時。1581年3月22日。深夜、万策尽きた城方は城門を開いて徳川軍に突撃し、城将岡部真幸以下約800名の残兵は玉砕しました。敗残兵のうち一部が西の尾根を伝って落ちのびましたが、その中に軍監横田尹松の姿がありました。彼は見事脱出に成功して、信濃経由で甲斐にたどり着き、落城の報を武田勝頼に伝えたといわれています。武田家滅亡後、家康に召し出された横田は、徳川家の旗本として厚遇されたそうです。

 落城時のドラマがもう一つ。高天神城には、今川の旧臣孕石(はらみいし)主水元泰という武将が籠城していましたが、かつて家康が今川義元の人質で駿府に住んでいた頃、徳川邸の隣人がこの孕石主水でした。子供の頃から鷹狩りを好んだ家康ですが、鷹や獲物が隣家に落ちることもしばしばあったようです。ある日家康が落ちた鷹を回収するため孕石邸を訪れると、主水は「三河の小倅には飽き飽きした」と嫌味を吐き捨てたそうです。根に持つタイプの家康。落城時に囚われた孕石主水の顔を見るなり、かつての記憶が甦り直ちに切腹に処したそうです。家康らしい陰湿さです。

 陥落後、家康は高天神城を廃城として、遠江の戦乱を象徴する名城は血塗られた歴史を閉じました。陽が西に傾き、夕闇迫る山域には何やら霊気が満ちてきたようです。これ以上長居したら亡者たちの虜になってしまうでしょう。足早に山を下りました。

2015年4月 1日 (水)

新年度は満開の桜で幕明け

 新年度を迎えました。進学、就職、隠居・・・新たなるスタートを迎える人も多いことでしょう。事務職の私は、しばらくは決算事務で前年度の残務整理で悩まされることになりますが。

150328_114600 3月28日(土)

 先週末、不忍池の桜並木はちらほら開花し始めて、見頃は1週間先かと思いきや・・・

150330_124516 3月30日(月)
 あっという間に咲きそろって週明けには満開を迎えました。なんという速さでしょう。速い!シャアか?ここ数日は最高気温も20度を超えて、歩いていると汗ばむような陽気ですから、桜の開花も一気に進んだのでしょうね。

150331_122748 水上からの花見も 150331_124059 月から桜を眺めましょう
 上野公園には多くの花見客が押し寄せています。散歩をしていてもさながらイベント会場にいるような混雑ぶりです。

150331_123732 酒だ、酒~!

 今週後半は天気が崩れる模様です。咲くのが早ければ散るのも早い桜花です。入学式の頃までもってくれれば良いですね。

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »