山行 蛭ヶ岳に眠る米魂 丹沢主脈周回その3
蛭ヶ岳の山頂(1673m)に到達しました。鬼ヶ岩から見たときにはかかっていた雲も晴れて周囲の山々を見渡せました。山荘前から振り返れば、不動ノ峰、丹沢山、塔ノ岳と歩いてきた丹沢主脈の縦走路が見渡せました。蛭ヶ岳は遠いよなぁ。前述の紳士が言ったように山頂は自分ひとりで鳥のさえずりだけが聞こえていました。しばし静けさを楽しみます。
ベンチに腰を下ろして、おにぎりを食べながら西側の展望を楽しみます。丹沢の主稜線は、ここ蛭ヶ岳から臼ヶ岳、神ノ川乗越を経て檜洞丸に延びていきます。神ノ川源流部を挟んで対峙する檜洞丸は、左手に同角ノ頭、右手に熊笹ノ峰を従えてなかなかの布陣です。その背後には西丹沢の山並みが連なりますが、富士山は厚い雲の中で見えません。
おやおや、よく見れば檜洞丸の左奥に白く光る湖面が見えているではありませんか。地図で確認すると、確かに蛭ヶ岳から西に檜洞丸、畦ケ丸、菰釣山と並ぶ丹沢の山並みの先には山中湖があります。いつかはのんびりと丹沢を横断して山中湖まで歩いていきたいものです。
今回、蛭ヶ岳に来て見ておきたかったのが、山荘裏手の草むらにひっそりと立つ小さな慰霊碑です。何の慰霊碑かと申しますと、昭和25年4月21日に発生した米軍機の墜落事故で亡くなった乗員のものです。
その日、沖縄から立川の米軍基地に向かっていた米軍の輸送機が消息を絶って、翌々日蛭ヶ岳南面の原生林に墜落しているのが発見されました。登山道が整備されていなかった時代の蛭ヶ岳ですから、人跡未踏のこの山を目指して宮ケ瀬、玄倉、表尾根と各方面から日米合わせて1千人もの捜索隊が悪戦苦闘したそうです。残念ながら乗員と兵士35人全員が死亡した痛ましい丹沢史上に残る大事故として記録されていますが、山麓に航空基地を擁する丹沢には戦中、戦後を通じて多くの軍用機が墜落したそうです。
慰霊碑はこの事故で亡くなった事故機の操縦士の子息が蛭ヶ岳山荘の協力で平成18年に立てたものだそうです。丹沢昔話のひとつですね。(つづく)
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