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2015年9月28日 (月)

温泉駅に流れる昭和のメロディー

 善光寺参りの後、長野市街から北進して、黄金色の稲穂が一面に広がる水田や真っ赤に染まったりんご畑を車窓に見ながら、北信下高井郡山ノ内町にある湯田中温泉にやってきました。湯田中温泉は、同町内の新湯田中、星川、穂波、安代、渋、地獄谷、沓野、角間、上林の各温泉と一括りで湯田中渋温泉郷を形成しています。豊富な湯量で温泉旅館の他に外湯も多く、外湯番付では、西の道後と並んで東の湯田中は横綱にランク付けされているほどです。

Dsc04203 湯田中駅前

Dsc04232 外湯「白樺の湯」

 湯田中渋温泉郷の中でも、湯田中、渋両温泉の開湯の歴史は古く、天智天皇の御代まで遡るといわれています。長い歴史の中では、蓮如、武田信玄、真田藩歴代藩主、小林一茶、横山大観、昭和天皇、満州国皇帝溥儀ら、多くの政治家、文化人たちに愛されてきました。近年では、地獄谷温泉にある野猿公苑の露天温泉に野生のサルが入浴する光景が紹介されて、「スノーモンキー」として世界中から注目される観光地となりました。

Dsc04233 夜の温泉地

Dsc04247 お湯は生活にも利用されています。
 また、湯田中温泉は、スキーリゾートとして開発された志賀高原の玄関口として、長野駅から長野電鉄が通じています。長野電鉄は、大正時代に河東鉄道(木島~信州中野~須坂~屋代)と長野電気鉄道(権堂~須坂)が合併して設立され、昭和初期には国鉄長野駅まで延伸され、信州中野~湯田中間が開通して、長野~湯田中間の本線が開業しました。しかし、平成14年には木島線が、平成24年には屋代線が廃止となって、旧河東線区間は消滅して、現在では本線のみの営業となっています。

Dsc04223 湯田中駅に停車中の3500系

 長野電鉄で運用されている車両は、長野~信州中野間に東急田園都市線で活躍していた8500系が、信州中野~湯田中間に営団地下鉄日比谷線で活躍していた3500系の2種類です。後から投入された大型の8500系は、勾配抑制ブレーキを搭載しておらず、急勾配区間の信州中野~湯田中間に乗り入れることができないため、長野~湯田中間の直通運行はしていないそうです。

Dsc04238 スノーモンキー Dsc04239

 特急電車も2種類が運行されていて、小田急線ロマンスカー10000系として活躍していた「ゆけむり」とJR成田エクスプレス253系で活躍していた「スノーモンキー」があります。かつて自分の身近に走っていた車両が、第二の活躍の場を与えられて、今でも元気に走る姿を見れるのは嬉しいですね。

Dsc04201 右手が旧駅舎、左手が現駅舎

 長野電鉄の終点湯田中駅は温泉街の中心にある単線一面ホームの小さな駅です。現在の駅舎の裏手には、レトロな佇まいの旧駅舎があり、現在は湯田中駅前温泉「楓の湯」として利用されています。駅前には足湯もあります。夕方天然児と散歩しているとき、ちょうど3500系普通列車が到着しました。すると、(知らないけど)どこか懐かしい昭和の音色が聞こえてきました。バラ色のあの尾根は遥かな未来 あなたと見つめた高原ホテル 白樺の木立の中を バスが行く行く歌声乗せて ああ麗しの志賀高原~♪列車到着時に流れるこの曲は、西沢爽作詞、古賀政男作曲、唄霧島昇の「美わしの志賀高原」(昭和32年)という曲ですが、志賀高原に向かう人で賑わった往時の湯田中駅が偲ばれます。

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