« 北信実りの秋 | トップページ | 山行 秋草と虫、そして神も降臨 塔ノ岳 »

2015年10月 2日 (金)

田舎のお寺は歴史の宝石箱やー!

 栗の里小布施の郊外、志賀高原から延びる雁田山の山裾に梅洞山岩松院という曹洞宗のお寺があります。応仁の乱の頃、この地を治めていた荻野氏が開山した歴史あるお寺です。田舎ののどかなお寺ですが、3人もの歴史上の有名人に所縁のあるお寺なのです。盛り沢山の歴史ネタが詰まった当に「歴史の宝石箱やー!」

Dsc04262_2 雁田山の裾にたたずむ岩松院

 このお寺の本堂内を拝観するには300円の拝観料がかかりますが、このお寺の目玉とも言える、本堂の天井に描かれた「八方睨み鳳凰図」を見るためと言っても過言ではありません。天井に描かれた色彩豊かな鳳凰の絵を描いたのは、江戸時代後期の「富嶽三十六景」などで有名な絵師葛飾北斎であります。江戸で活躍した北斎ですが、小布施の豪商で文化人の高井鴻山に招かれて83歳の高齢をおして小布施を訪れました。北斎は小布施の風土を気に入り、4回度この地を踏みましたが、最後の4度目、88歳の時にこの絵を描いたそうです。畳21畳分の大きな天井画は、12分割で地上で描かれた後、天井に取り付けられたそうです。顔料絵具と金箔で描かれた鮮やかな鳳凰は、本堂のどこから見ても睨んでいるように見えるためその名がついたそうです。この絵を完成させた翌年、北斎は90歳で大往生しました。残念ながら本堂内は撮影禁止なので、以下岩松院HPをご参照ください。

参照:岩松院HPhttp://www.gansho-in.or.jp/gansho-in.html

Dsc04265 ベビーフェイスの仁王様が迎えてくれます。

Dsc04276 立派な屋根ですね。

 本堂の裏庭には、山から水が引かれた小さな池があります。毎年桜が咲く頃、裏山から大きなヒキガエルがこの池に集まってきて産卵をします。その時、メスを奪い合ってオスたちが戦う「蛙合戦」が数日間繰り広げられ、静かな山寺は賑やかになるのです。この蛙合戦を見た江戸時代後期の俳人小林一茶は、「やせ蛙負けるな一茶これにあり」というあまりにも有名な句を詠みました。今でいう年の差婚で高齢期になって第一子を授かった一茶ですが、その子は病弱で、その子への思いをカエルになぞらえて詠んだ句といわれています。残念ながら、一茶の思いも虚しく、その子は早世してしまったそうです。私も一茶にあやかりまして・・・「天然児負けるな山笑ここにあり」頼りねぇー

Dsc04273 蛙合戦の池

 本堂の裏山は墓地になっていますが、その中で一際大きな霊廟が置かれていますが、これはかの戦国大名福島正則のお墓であります。福島正則を今更語るまでもないのですが、幼い頃から武勇に秀でていた市松こと正則は、豊臣秀吉に目をかけられて、特に織田信長亡き後の秀吉と柴田勝家との後継者争い賤ヶ岳の合戦では、一番槍の武功を挙げて「賤ヶ岳七本槍」の筆頭として名を馳せました。秀吉亡き後、関ヶ原の戦いでは、徳川家康の東軍に味方して先鋒として活躍し、安芸広島50万石の大大名に出世しました。

Dsc04271 無念だったろうね、正則公

 さて、ここまでは秀吉子飼の家臣らしい出世物語ですが、後半はどうでしょうか?関ヶ原では徳川方について勝利に貢献した正則ですが、戦後は豊家の後継者秀頼を加藤清正とともに庇護して、家康に睨みをきかせていました。しかし、清正が亡くなり、その後発生した大坂の陣では、豊家に味方することもできず大阪城の落城を傍観していました。家康亡き後の1619年、水害で破損した広島城を幕府に無断で修築したことを幕府に咎められて、広島から遠く信州川中島の僅か4万石に転封されてしまいます。失意の正則は5年後にこの地でなくなるのですが、話はこれで終わらず、正則は夏の盛りに亡くなったので、福島家では正則の遺体を荼毘に伏せたところ、幕府の検死役の到着前に遺体を焼いたことをまたもや幕府に咎められて、福島家は改易されてしまったのです。この一連の事件は、明らかに豊家温故の福島家を排除するための幕府の謀略です。

 福島家改易事件にちなんだこんな話があります。家康の後継者である二代将軍徳川秀忠は、福島家を含めた多くの外様大名を改易したことで知られていますが、かつて関ヶ原の戦いの折、秀忠は東海道を西進する家康の本体とは別に、中山道を進む別働隊を率いました。途中、信州上田城に籠る西軍の真田昌幸を攻撃しましたが、散々な負け戦で予想外の時間を浪費してしまい、関ヶ原の本戦には間に合わず、家康が近江大津城に入場した時にようやく追いつきました。この時、先鋒を務めて功労を誇った正則は、酒に酔った勢いで秀忠を散々コケにしたそうです。秀忠はそれを後日まで根に持っていて、福島家をあの信州上田の真田家(昌幸の長男で東軍についた信之)の隣国に流し、福島家を取り潰した後は、今度は真田家から長年住み慣れた上田の地を取り上げて、福島家の旧領川中島(松代城)に転封します。何とも秀忠らしい陰湿なエピソードですね。

 さて、お寺巡りとなった北信の旅。これにて終了であります。

« 北信実りの秋 | トップページ | 山行 秋草と虫、そして神も降臨 塔ノ岳 »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1468968/61872243

この記事へのトラックバック一覧です: 田舎のお寺は歴史の宝石箱やー!:

« 北信実りの秋 | トップページ | 山行 秋草と虫、そして神も降臨 塔ノ岳 »