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2015年11月

2015年11月29日 (日)

生まれ変わった聖地

 11月22日(日)、富士宮にある盲導犬の里「富士ハーネス」を見学に行ってきました。この施設は、日本盲導犬総合センターとして、盲導犬希望待機者ゼロを目的とした盲導犬の繁殖・飼育、介助犬としての訓練、引退した盲導犬のケアなど、盲導犬のトータルケアを行うほか、施設を一般公開して盲導犬に関する理解を深める場ともなっています。

Dsc04889 笠雲・・・お天気は下り坂

 日当たりの良い南向きの窓辺に横たわってのんびり余生を送る引退犬。現役時代、慌ただしい人間社会の中に身を置いて人の目となってきた犬たちは、想像以上のストレスを背負ってしまうため、通常の犬より寿命が短いそうです。ご苦労様。せめて残りの日々は富士山に見守られて穏やかに暮らして欲しいものです。

Dsc04892 よく寝て・・・

 集団で元気に跳ね回る姿や固まって寝る姿が愛らしい子犬たち。望むも望まざるも、無邪気なこの子たちが、将来人の目となって人間社会に貢献していくことは、とても誇らしく思えましたが、反面、一般の愛玩犬と違って、彼らたちが背負う責任の重さに少し悲しくも思えました。

Dsc04896 よく遊べ

 実家で飼育していた愛犬が死んでそろそろ6年経ちます。その後、我が家でも実家でも犬を飼っていませんが、犬を愛する心は失ってはいません。何れまた飼いたいとは思ってはいるのですが、何より手の係る天然くんがいるので、なかなか実行に移せません。しばらくは、ホームセンターのペットコーナーや動物保護センター、そしてたまには富士ハーネスに足を運んでワンコを思う存分眺めて癒されることにしましょう。

Img_0508 団結の碑

 さて、この地を訪れるときに忘れてはいけないのが、駐車場の脇にひっそりと立つ記念碑「団結の碑」です。富士ハーネスがある場所は、かつてオウム真理教富士宮総本部が置かれていた場所で、オウム退去を求めて富士宮市民が団結し、念願を果たしたことを敬称する記念碑であります。霊峰富士を間近に望むこの地は、かつて人々を不安と恐怖に陥れたカルト集団の聖地でしたが、今や人を助け、癒しを与えてくれるワンコたちの聖地に生まれ変わったことは、何とも喜ばしいものです。

2015年11月28日 (土)

ケイキさんの墓参り

 徳川幕府第15代将軍慶喜は、政権を朝廷に返上して260年余り続いた江戸幕府に終止符を打った、いわゆる大政奉還を行った人物として有名な人物です。将軍としては、慶応2年(1866年)12月から翌慶応3年(1867年)10月までの1年にも満たない在位でしたが、それ以前の将軍後見職、禁裏御守衛総督時代に政治的手腕を発揮して、初代家康以来の傑物と評され、坂本龍馬ですら、倒幕後の新政権の舵取り役と考えていたほどです。

 でも、私個人的には、慶喜という人物は冷徹な判断が過ぎて薄情という印象が強く、余り好きではありません。1864年に慶喜の出身母体である水戸藩の政争に敗れ、在京していた慶喜を頼って上京してきた天狗党一派をあしざまに見殺しにしました。また、頭が切れる割には粘りがなく、大政奉還後の鳥羽・伏見の戦いでは、寡兵の薩長軍に緒戦で敗れると、まだ士気旺盛で巻き返しを狙う幕府軍を大阪に残して、一部側近と共にさっさと江戸に逃げ帰ってしまいました。

 徳川家追討の錦旗を頂いた東征軍に対しては恭順の意を示し、江戸城を明け渡して水戸に退去して謹慎し、江戸の町を戦火から救ったのは良しとして、その後の上野における彰義隊の暴発、長岡や会津、庄内、函館へと継続する旧幕府残党軍の抵抗には無関心で、積極的な停戦を働きかけることもなく、戊辰戦争は熾烈化して多くの犠牲者が出ました。まあ謹慎の身分で何ができるかと言えばそこまでですが、将軍から積極的に停戦を呼びかければ違った結果になったことでしょう。

 戊辰戦争終結後に謹慎が解かれると、駿府(静岡市)に移って隠棲し、狩猟、写真、囲碁、サイクリングなど多彩な趣味を楽しんだそうです。隠居した元将軍を駿府の人々は親しみを込めて「ケイキ様」と呼んだそうですが、断髪廃刀後、武士の身分を解かれて苦労した一般の武士階層とは違って、元将軍ですから華族として遊んで暮らせるほどの食い扶持を与えられていたんですね。これでは戊辰戦争で死んだ旧幕臣たちが浮かばれないような気がします。

Img_0419 ケイキここに眠る

 さて、徳川歴代将軍一の77歳で天寿を全うした慶喜ですが、そのお墓は東京、谷中墓地の一角にあります。徳川将軍の墓所は東照宮と寛永寺か芝増上寺に集約されているのかとばかり思っていましたが、慶喜の墓だけは谷中の一般墓地にあります。それを知った以上は一度訪ねてみようと、先日上野山から寛永寺を経て谷中墓地まで歩いてきました。広い谷中墓地のちょっと奥まった場所にあり、目立った案内もないので、少し迷いましたが、無事お参りすることができました。

 他の将軍と違って庶民のお墓に並ぶ将軍慶喜の墓を見ていると、心ならず庶流から徳川将軍として国政を司ることになったものの、本当は趣味に生きる貴公子でありたかった彼の本心を垣間見たような気がしました。

2015年11月25日 (水)

銀杏色づく都心の秋

 秋も深まりまして、東京都心の紅葉も見頃となりました。都心の紅葉といえば都のシンボルツリーである銀杏です。先週末に上野界隈を歩いた折、出会った銀杏の紅葉をご紹介します。

Img_0411 西郷さん

Img_0456 根津神社

Img_0425 谷中墓地

 銀杏の葉が落ちる頃、いよいよ冬が到来します。それにしても今日は寒い~~~

2015年11月18日 (水)

さりげなく魅せてくれます。

 11月になって週末になると天気が悪いので、ネタの収集に窮しておりますが、毎日の散歩コースでも意外な場面に出くわすことがあります。本日拾ってきた我ながらツボを刺激された場面をご紹介します。

Img_0395 甲羅干しのカメさんが

 桜並木が紅葉した不忍池の畔をあるいていると、水面に浮かぶブイの上に1匹のカメの姿を見つけました。何気ない甲羅干しの風景ですが・・・

Img_0396 おやおや

 凹凸のないブイの上によく登ったと思いませんか?カメを飼育してきた経験からですが、カメって鈍重なイメージと違って、意外とアスリートな一面があるんです。愛亀家の皆さん、油断しているとすぐに見失ってしまいますのでご用心!ご用心!

2015年11月17日 (火)

お昼の30分 心は高原に

 お昼休みの散歩コースは、もっぱら上野公園や不忍池周辺を歩くことが多いのですが、たまには別ルートを開拓しようと、職場を中心に四方八方未知の世界へ繰り出します。時には深入りしすぎて、お昼休みをタイムオーバーしてしまうことも(笑)

Img_0337 北八ツ?とも思えてしまう風景

 そんな中で出会った風景です。樹林に囲まれた池は、周囲をのんびり歩いても10分ほどの小さな池です。都心のど真ん中にも関わらず周辺は人気も疎らで、聞こえてくるのは風で揺れる木々と野鳥の鳴き声だけです。

 暫し高原散策をしているような錯覚にとらわれますが、そんな都心の異世界に身を置くことが、散歩の気分転換効果なりますね。さて、この風景はどこなんでしょうか?

Img_0195 The University of Tokyo

 答えは東京大学本郷キャンパス内の三四郎池でした。天下の東大に踏み入るのは、最初は敷居が高い感がありましたが、今では縦横無尽に闊歩しています。

2015年11月14日 (土)

ショートストーリー 晩秋鯉の乱

 頃は晩秋、都内のとある池では、水面を渡る風も冷たくなって、公園の樹木も色づいてきた。暖かい頃は、池に暮らす鯉、カメ、水鳥など、多様な生物が生き生きと暮らしていたものだが、陽気が寒くなってくると亀はポツリポツリと地に潜り、水鳥たちは1羽、また1羽と南の空に飛び立っていった。そして、気がつけば鯉の姿ばかりが多くなっていた。

Img_0192 晩秋鯉の乱勃発!

 好機到来とばかりに、鯉勢がこの豊かなる池の専有を狙って蜂起した。広大な池の各所で鯉たちは餌場を独占し、他の生物は窮地に立たされてしまった。こうなったら戦うしかない!他の生物たちは連合し、各所で戦いが繰り返された。

Img_0315 大軍を前に奮戦する鵜(右)大将

Img_0080 亀(奇)兵隊も戦うぞ!
 鳥は機動力をもって空を制するも、カメは鎧をまとい持ち前の忍耐をもって奮戦するも、やはり多勢に無勢。それに水の中ではやはり魚類には敵わない。連合軍は劣勢を余儀なくされていった。「もはやこれまで」殿を務める老亀三人衆が覚悟を決めた。その時・・・

Img_0089 そこへ飛来する1羽のサギ

 次々と連合軍が池から逃れていく中、どこからともなく1羽のサギが飛来した。その純白のサギは、全軍を鼓舞するとともに、老亀三人衆に一計を授けた。それは・・・

Img_0304 鉄壁の守り!

 サギは池の要衝に砦を築いて、老亀三人衆と共に守りを固めたのだ。その鉄壁の守りに鯉勢は攻あぐみ、遂に池の専有を断念するに至った。ここに晩秋鯉の乱は鎮定された。救われた者たちは、四英雄を称えるとともに、彼らが籠った砦を「白鷺城」と呼んだという。信じる信じないはあなた次第。

2015年11月12日 (木)

箱根は紅葉真っ盛り

 明神林道を辿って箱根の紅葉を見に行きました。箱根外輪山の外側は専ら植林なので紅葉は今一つですが、林道が箱根外輪山の稜線を越える矢倉沢峠のトンネルを抜けると、金時山の麓の紅葉は見事なものでした。

Dsc04823_2 金時山山麓の紅葉

 明神林道から仙石原に出て、湖尻~姥子~大涌谷~強羅を走りましたが、箱根の高所は紅葉が見頃を迎えたようです。宮ノ下から下、箱根湯本にかけてはまだですが、これから紅葉は山を下っていくことでしょう。

2015年11月11日 (水)

空の魔王

 飛行船という響きは現代人には馴染みがないかと思います。飛行船の代名詞が、20世紀初頭に大型飛行船を開発したドイツのツェッペリン伯爵です。第1次世界大戦では、ツエッペリン飛行船がロンドンやパリ上空に進空して空襲を行いました。これは戦略爆撃の走りといえるものです。突如、音もなくやってきて、頭上から爆弾を投下するツェッペリンをロンドン市民は「空の魔王」と恐れたそうです。

Img_0310_3 不忍上空に空の魔王出現!

 第1次大戦から100年を経た今日。ふと大空を見上げると、飛行船が浮かんでいて、「すわ、マーズアタックか!」と驚くことがあります。今日では兵器としては当然時代遅れですが、大きな船体を利用して、ラッピング広告に活躍しています。また、エコな乗り物としても見直されているそうですよ。

 世界1周飛行で名を馳せたグラーフ・ツェッペリン号や大西洋横断旅客飛行のヒンデンブルグ号を再現する飛行船での優雅な世界旅行が実現するかもしれませんね。

2015年11月10日 (火)

矢倉沢ざる菊まつり

 前回に引き続いて菊の花の話題です。最近は農家の庭先や離農で余剰となった休耕田や畑にざる菊を植えて、一般に公開している場所が秋のホットスポットになっています。ざる菊とは、1株に数百の花が付く小菊を半球状に成育し、それがざるを伏せたように見えることから、そのように呼ばれているそうです。

Dsc04751 矢倉岳の山麓

 南足柄市の奥座敷。金時山や矢倉岳といった足柄の山に抱かれた矢倉沢集落も、地元の方々の努力によってざる菊の名所のひとつになっています。今年も10月末から11月にかけての1週間、「矢倉沢ざる菊まつり」が開催されました。今年で7回目を数える矢倉沢のざる菊まつりですが、ここ数年は矢倉沢集落全体を会場として、4千株のざる菊、コスモス、赤そば、リンドウなどの花々と色づく山の紅葉を巡る「里山さんぽ」というテーマになっています。

Img_0249 山の紅葉も進んでいますが、この色彩の前には・・・

 11月7日(土)、たまたま足柄峠下の地蔵堂にうどんを食べに行こうということで、矢倉沢を通りかかったところ、このイベントに出くわして、急遽目的を変更した次第です。矢倉沢公民館前のメイン会場には、地場産の農作物や足柄茶、うどんなどの模擬店が並んで多くの人で賑わっていました。いつもは車から出てこない天然児も賑わいに釣られて会場に突入です。

Dsc04756 菊には興味なしの天然くん

 でも、ざる菊には全く興味がない天然児。幸いにして、子供太鼓の公演が始まって、会場は大いに盛り上がってきました。子供太鼓かと思いきや、華やかな装束の人たちが踊りを始めました。これは岩手県三陸地方の岩泉に江戸時代天保年間から伝わる「中野七頭舞」というお神楽で、この地区の有志が現地で神楽の伝授を受けてお披露目されているそうです。

Dsc04781 中野七頭舞の披露

 七頭舞の由来ですが、「先打」、「谷地払」、「薙刀」、「太刀」、「杵」、「小鳥」、「ササラ」の七つ道具を持って踊ることからとも、七種の舞踊を踊ることからなど諸説があるようです。五穀豊穣、大漁祈願、家内安全、無病息災など人々の祈願を込めた神楽が秋の里山に渡っていきました。

Dsc04789 天然児も乱入寸前(汗)

 今年のイベント期間は終了となりましたが、ざる菊の見頃はまだ続いていますし、周囲の山々の紅葉はこれからです。矢倉岳へのハイキングと兼ねてもいいですね。お出かけになってみてはいかがでしょうか。

2015年11月 8日 (日)

湯島天神菊まつり

 秋花の代表が菊の花ですね。古くから春の桜と並んで、日本人にとって身近な存在として親しまれてきたのが菊の花です。どこか物寂しい秋の道端に咲いて、行き交う人の心を癒してきた一方で、多くの花弁によって形成されたボリュームのある改良種は、観賞用として見る人を魅了してきました。その花言葉は「高貴」であって、皇室の御紋にも用いられているほか、奥ゆかしき日本人女性のイメージは菊花と重なるところがあります。

Img_0169_2 湯島天神宮

 この時期、城址公園や神社仏閣など各地の観光名所で菊まつりが開催されますが、職場近くの湯島天神で今年も菊まつりが始まりました。愛好家が手塩にかけた大輪の菊が境内いっぱいに並んで、どれも見事なものです。

Img_0190 どれも見事な大菊ばかり

 大輪の大菊も見事ですが、私のような素人にはどれも同じに見えてしまいます。自分的には小菊を使った創作展示を楽しんでいます。11月に入って間もない頃は今ひとつの咲きでしたが、1週間もすると咲きそろってきて見ごたえが出てきましたよ。

Img_0174 小菊の創作展示

Img_0171 菊を松に?変なの~

Img_0185 花道ですな

 毎年恒例のNHK大河ドラマをテーマにした菊人形の展示もありました。今年の大河「花燃ゆ」は不評なようですが、久坂玄瑞と杉文さんが並んだ婚礼と高杉晋作、伊藤利助(博文)、杉文の三人が並んだ松下村塾のシーンを再現していました。おにぎり持った杉文さんが愛らしかったですね。来年は真田幸村かぁ~当然「赤備え」になるのでしょうけど、どんな飾りつけになるか楽しみです。

Img_0179 大河菊人形

 さて、今回の展示の中で、密かに私が見守っている展示が、小菊のダルマさんです。展示当初はつぼみばかりで緑のダルマさんだったのが、今では赤い小菊をまとって綺麗な赤いダルマさんに変身しましたよ。

Img_0025 スタート直後。ちと寂しいね。

Img_0095 黄色に負けてますね。

Img_0173 これでこそダルマさんだ。

 菊まつりは11月23日(月、祝)まで開催されています。お近くにお出かけの際は、都心のオアシス湯島天神にお立ち寄りください。

2015年11月 6日 (金)

松姫の悲話を偲んで峠越え

 大月市街からR139を北上して奥多摩方面を目指します。この辺りは大菩薩連嶺、都留三山、奥多摩の山々に囲まれた自然豊かな地域である一方で、東京からも近いため、古くから山奥まで人の手が入っていたようです。また、多摩川源流部の丹波山、小菅の両村は、東京都の水源林ということで、治山、森林保全に東京都の予算が投入されていて、カラマツなどの美しい森林が保たれています。

Dsc04729 色づく山深く延びる道

 葛野川の渓谷に沿ったR139は、民家も疎らな山奥にもかかわらず、とても走りやすく整備された道路です。いつも疑問に思ってしまいますが、利用者の数に見合う整備なのでしょうか?地域の事情を知らない外野ですから何とも言えませんけどね。現在もこの区間では道路の改良工事が続いていますが、最大の目玉は昨年11月に開通した松姫峠のトンネル化でしょう。

 松姫峠は、大月から奥多摩方面に通じるR139が大菩薩峠から東に延びる稜線を越える標高1250mの地点で、大月市と小菅村の境界に位置しています。その昔、1582年に甲斐の武田勝頼が織田信長の侵攻を受けて滅亡した折、武田信玄の娘松姫が織田軍の追っ手を逃れて、この峠を越えて武蔵に落ちていったという伝説が残されていて、峠名の由来にもなっています。

 武田信玄と側室油川氏の間に生まれた六女・松姫は、当主勝頼とは異腹の兄妹で、名将として名高い仁科五郎盛信と同腹の兄妹になります。武田家と織田家が同盟を結んだ折、盟約として信長の長男信忠との婚姻が約束されて、信州伊那郡で嫁入りの準備をしていましたが、織田家と同盟関係にあった徳川家康と信玄が遠江国の領有をめぐって争うと、松姫と信忠の婚姻は破談となってしまいました。

 甲斐脱出後、北条氏の庇護を受けて八王子に落ち着いた松姫のところに、思いもしない使者が訪れます。武田家を滅ぼした織田信忠から一度は破断した婚姻を復活し、妻として迎える旨の知らせだったのです。父信長と違って、信忠は人格者であったと言われていますが、それを窺わせるエピソードです。

 良い話で終わることがないのが戦国時代。上京途上の松姫に更なる悲報が飛び込んできました。明智光秀の謀反で織田信長が殺された本能寺の変の報です。この事件で、まだ見ぬ夫信忠が二条城で明智軍の攻撃により戦死してしまったのです。激動の歴史に翻弄され続けた松姫。その後は八王子に戻り、尼となって武田家や夫信忠の霊を弔ったといいます。

Dsc04736 モミジと赤を競う峠越えの軍馬

 そんな松姫の悲話を今に伝える松姫峠を越える旧道は、峠の直下を貫く松姫トンネルの開通に伴って、大月側の入口が閉鎖されたため廃道となってしまいましたが、小菅側から峠までは入ることができます。峠からは、富士山の展望の良い奈良倉山などへの登山道が整備されているので、何れ歩いてみたい場所であります。

 トンネルの開通によって、1時間ほどかかっていた峠越えは10分ほどで小菅村に抜けることができるようになりました。陸の孤島といわれる場所は、このように日々消えていくのでしょう。

Dsc04742 この紅は・・・

 葛野川上流域の山々は、ちょうど紅葉が見頃を迎えていました。松姫が命からがら峠を越えていったのは新緑の頃。彼女がこの山々の見事な紅葉を見ることはなかったのでしょう。しかし、紅葉したモミジは、燃える炎、あるいは流れた血を写しているかのように紅に染まり、この地に伝わる戦乱の時代の秘話に色を添えているように思われてならないのです。

2015年11月 4日 (水)

名橋、奇橋の猿橋を渡る

 10月最後の日。天然児にババの三世代編成で、山梨県東部の紅葉見物に出かけました。月に1度は山梨に出かける山笑ですが、訪れたことのない場所はまだまだあります。今回は有名な観光地にもかかわらずノーチェックだった大月市の猿橋を訪れました。

Dsc04721 色づき始めた猿橋

 猿橋は大月市内を東西に流れる桂川に架けられた全長30m余の刎橋(はねばし)ですが、刎橋とは桁橋や吊り橋とは異なって、渓谷など狭隘な川の両側の岩盤に基礎を打ち込んで、これに刎ね木と呼ばれる橋の基礎部分を何段か積み上げて、その上に橋を渡す珍しい架橋方式です。桁橋と違って洪水の影響を受けないという利点がありました。

Dsc04722_2 桂川の深い渓谷に架けられています。
 猿橋は現存する唯一の木造刎橋として、国の名勝に指定されていますが、岩国の錦帯橋、徳島のかずら橋と共に日本三大奇橋の一つとしても有名なところです。その歴史は古く、江戸時代にはこの橋上を甲州街道が通じ、更に遡って室町時代中期の軍記にも猿橋の地名が登場しています。起源は明らかではないのですが、この地に定住した渡来人が、サルの群れが数頭の体を組み合わせて渓谷を渡る光景にヒントを得て架橋したという伝説が残されていて、橋の名前にもなっています。

Dsc04726 東電八ッ沢発電所第1号水道橋

 現在、猿橋が架かる付近には、国道20号線、県道、発電所の水道橋など複数の橋が平行して架けられていて、橋マニアにはたまらないスポットです。周囲の野山の紅葉はまだまだ先のようですが、猿橋の周辺は川風が冷たいせいか、木々が色づき始めていました。

2015年11月 3日 (火)

山行 あの金時を越えるのだ! 箱根外輪山縦走その2

 明神ヶ岳からの縦走路は緩やかな下りが続いていきます。次の目標である金時山は稜線の遥か先です。明るく気持ちの良い尾根道を歩いていくと、リンドウやリュウノウギク、マツムシソウなどの花々が道を飾ってくれいました。秋空の下、多くのハイカーが対向してきますが、高年や女性のグループが多いのは観光地箱根の山らしいところでしょうか。

Dsc04642 金時に向かって

Dsc04633 寄せ植えみたい

 仙石原が見下ろせるようになってくると、火打石岳(989m)の表示がある地点に至ります。その昔、この地では火打石が産出されたとか。ここから尾根上から外れて、しばらくは樹林の中を歩いていきます。

Dsc04655 ハコネタケのトンネル
 広葉樹林を抜けると背丈以上に伸びたハコネタケの群生地を歩いていきます。明神ヶ岳~矢倉沢峠間の中盤は、小ピークのアップダウンが続いて結構体力を消耗してきました。疲れてくると徐々に高度を下げていく縦走路に嫌気が差してきます。

Dsc04662 矢倉沢峠付近

 明神ヶ岳から約2時間。縦走路の最低鞍部である矢倉沢峠辺りまで来ると、金時山が目の前に堂々たる姿でそびえています。これからの登り返しが思いやられ、メンバー皆ため息がこぼれます。この辺りまで来ると、メンバー個々の体力の差が明確になってきたので、小隊は一旦解散し、個々のペースで金時山を目指すことにしました。

Dsc04669 ヤマトリカブトの花

Dsc04688 山頂下の紅葉

 金時山への登り返し。いつの間にか山頂には雲がかかってきて、居場所を失ったのか、多くのハイカーが下ってきます。箱根観光のついでなのか、外国人らしき軽装の観光客も結構見られましたが、中には袖なしに短パンの元気なお姉ちゃんの姿も。都内でも、真冬にもかかわらずTシャツ・短パン姿で出歩く外国人の姿に驚かされることがあるのですが、お国柄寒さに強いのでしょうか?

Dsc04681 金時山は白い世界

 30分ほどの登り返しで、雲中白一色の金時山(1213m)の山頂に到達しました。楽しみにしていた山頂からの富士山は望むべくもありません。長居は無用。時間的に地蔵堂のバスの時間が気になる頃なので、小休止の後出発しました。

Dsc04682 山頂に憩うつがいのポッポ

 金時山の北斜面を階段で下っていくと、なかなかの紅葉ぶりです。この山行最後の見せ場となりました。猪鼻砦を経て地蔵堂に下山したのは16時過ぎ。周囲は薄暗くなり始めていました。当初の目算では、15時には地蔵堂に下山して、ご当地名物の万葉うどんで山行の打ち上げをして帰るつもりだったのですが、なかなか思うようにはいきませんね。

Dsc04704 大雄山線

 地蔵堂からの関本(大雄山)に下るバスは、大所帯の学生サークルも乗っていて満員状態。偶然隣に座った女子大生とバスに揺られて、最後はウキウキの幕引きであります♪

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