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2015年11月 6日 (金)

松姫の悲話を偲んで峠越え

 大月市街からR139を北上して奥多摩方面を目指します。この辺りは大菩薩連嶺、都留三山、奥多摩の山々に囲まれた自然豊かな地域である一方で、東京からも近いため、古くから山奥まで人の手が入っていたようです。また、多摩川源流部の丹波山、小菅の両村は、東京都の水源林ということで、治山、森林保全に東京都の予算が投入されていて、カラマツなどの美しい森林が保たれています。

Dsc04729 色づく山深く延びる道

 葛野川の渓谷に沿ったR139は、民家も疎らな山奥にもかかわらず、とても走りやすく整備された道路です。いつも疑問に思ってしまいますが、利用者の数に見合う整備なのでしょうか?地域の事情を知らない外野ですから何とも言えませんけどね。現在もこの区間では道路の改良工事が続いていますが、最大の目玉は昨年11月に開通した松姫峠のトンネル化でしょう。

 松姫峠は、大月から奥多摩方面に通じるR139が大菩薩峠から東に延びる稜線を越える標高1250mの地点で、大月市と小菅村の境界に位置しています。その昔、1582年に甲斐の武田勝頼が織田信長の侵攻を受けて滅亡した折、武田信玄の娘松姫が織田軍の追っ手を逃れて、この峠を越えて武蔵に落ちていったという伝説が残されていて、峠名の由来にもなっています。

 武田信玄と側室油川氏の間に生まれた六女・松姫は、当主勝頼とは異腹の兄妹で、名将として名高い仁科五郎盛信と同腹の兄妹になります。武田家と織田家が同盟を結んだ折、盟約として信長の長男信忠との婚姻が約束されて、信州伊那郡で嫁入りの準備をしていましたが、織田家と同盟関係にあった徳川家康と信玄が遠江国の領有をめぐって争うと、松姫と信忠の婚姻は破談となってしまいました。

 甲斐脱出後、北条氏の庇護を受けて八王子に落ち着いた松姫のところに、思いもしない使者が訪れます。武田家を滅ぼした織田信忠から一度は破断した婚姻を復活し、妻として迎える旨の知らせだったのです。父信長と違って、信忠は人格者であったと言われていますが、それを窺わせるエピソードです。

 良い話で終わることがないのが戦国時代。上京途上の松姫に更なる悲報が飛び込んできました。明智光秀の謀反で織田信長が殺された本能寺の変の報です。この事件で、まだ見ぬ夫信忠が二条城で明智軍の攻撃により戦死してしまったのです。激動の歴史に翻弄され続けた松姫。その後は八王子に戻り、尼となって武田家や夫信忠の霊を弔ったといいます。

Dsc04736 モミジと赤を競う峠越えの軍馬

 そんな松姫の悲話を今に伝える松姫峠を越える旧道は、峠の直下を貫く松姫トンネルの開通に伴って、大月側の入口が閉鎖されたため廃道となってしまいましたが、小菅側から峠までは入ることができます。峠からは、富士山の展望の良い奈良倉山などへの登山道が整備されているので、何れ歩いてみたい場所であります。

 トンネルの開通によって、1時間ほどかかっていた峠越えは10分ほどで小菅村に抜けることができるようになりました。陸の孤島といわれる場所は、このように日々消えていくのでしょう。

Dsc04742 この紅は・・・

 葛野川上流域の山々は、ちょうど紅葉が見頃を迎えていました。松姫が命からがら峠を越えていったのは新緑の頃。彼女がこの山々の見事な紅葉を見ることはなかったのでしょう。しかし、紅葉したモミジは、燃える炎、あるいは流れた血を写しているかのように紅に染まり、この地に伝わる戦乱の時代の秘話に色を添えているように思われてならないのです。

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