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2015年11月28日 (土)

ケイキさんの墓参り

 徳川幕府第15代将軍慶喜は、政権を朝廷に返上して260年余り続いた江戸幕府に終止符を打った、いわゆる大政奉還を行った人物として有名な人物です。将軍としては、慶応2年(1866年)12月から翌慶応3年(1867年)10月までの1年にも満たない在位でしたが、それ以前の将軍後見職、禁裏御守衛総督時代に政治的手腕を発揮して、初代家康以来の傑物と評され、坂本龍馬ですら、倒幕後の新政権の舵取り役と考えていたほどです。

 でも、私個人的には、慶喜という人物は冷徹な判断が過ぎて薄情という印象が強く、余り好きではありません。1864年に慶喜の出身母体である水戸藩の政争に敗れ、在京していた慶喜を頼って上京してきた天狗党一派をあしざまに見殺しにしました。また、頭が切れる割には粘りがなく、大政奉還後の鳥羽・伏見の戦いでは、寡兵の薩長軍に緒戦で敗れると、まだ士気旺盛で巻き返しを狙う幕府軍を大阪に残して、一部側近と共にさっさと江戸に逃げ帰ってしまいました。

 徳川家追討の錦旗を頂いた東征軍に対しては恭順の意を示し、江戸城を明け渡して水戸に退去して謹慎し、江戸の町を戦火から救ったのは良しとして、その後の上野における彰義隊の暴発、長岡や会津、庄内、函館へと継続する旧幕府残党軍の抵抗には無関心で、積極的な停戦を働きかけることもなく、戊辰戦争は熾烈化して多くの犠牲者が出ました。まあ謹慎の身分で何ができるかと言えばそこまでですが、将軍から積極的に停戦を呼びかければ違った結果になったことでしょう。

 戊辰戦争終結後に謹慎が解かれると、駿府(静岡市)に移って隠棲し、狩猟、写真、囲碁、サイクリングなど多彩な趣味を楽しんだそうです。隠居した元将軍を駿府の人々は親しみを込めて「ケイキ様」と呼んだそうですが、断髪廃刀後、武士の身分を解かれて苦労した一般の武士階層とは違って、元将軍ですから華族として遊んで暮らせるほどの食い扶持を与えられていたんですね。これでは戊辰戦争で死んだ旧幕臣たちが浮かばれないような気がします。

Img_0419 ケイキここに眠る

 さて、徳川歴代将軍一の77歳で天寿を全うした慶喜ですが、そのお墓は東京、谷中墓地の一角にあります。徳川将軍の墓所は東照宮と寛永寺か芝増上寺に集約されているのかとばかり思っていましたが、慶喜の墓だけは谷中の一般墓地にあります。それを知った以上は一度訪ねてみようと、先日上野山から寛永寺を経て谷中墓地まで歩いてきました。広い谷中墓地のちょっと奥まった場所にあり、目立った案内もないので、少し迷いましたが、無事お参りすることができました。

 他の将軍と違って庶民のお墓に並ぶ将軍慶喜の墓を見ていると、心ならず庶流から徳川将軍として国政を司ることになったものの、本当は趣味に生きる貴公子でありたかった彼の本心を垣間見たような気がしました。

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