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2015年12月

2015年12月31日 (木)

山行 粛々と登り納め 塔ノ岳

 平成27年も大晦日になりました。今年も周囲の人たちに支えられて、無事に1年乗り切ることができました。ありがとうございます。残念だったのは、ババが春から5回の入退院を繰り返して、年越しの入院になってしまったことです。でも、来年はきっと良い年になるでしょう。

Dsc05214 霜の花咲く(大山と)

 さて、23日に海の方を納めてきましたので、山の方を納めておこうと、27日(日)に1年で最も登っている丹沢塔ノ岳に登ってきました。元旦は大倉尾根を登ったので、締めはヤビツ峠からの表尾根です。ここ数日、かなり冷え込んでいるので、ヤビツ峠の凍結が心配でしたが、軍馬は峠を越えて菩提峠にやってきました。

Dsc05208 お母さん変な人がこっち見てる・・・

Img_1084 子供は好奇心あり

 この日は暖かくなる予報でしたが、そうはいっても朝は寒い。早いところ歩きましょう。7時前に朝日が差し込む菩提峠を出発です。しばらく行くと鹿の親子が餌を探していました。この厳冬期、鹿の餌になるような緑は見当たりませんが、僅かにのぞく木の芽、草の芽を食べているようでした。猟期なので、山麓に下りたらハンターに狙われてしまうでしょう。無事春まで生き延びて欲しいものです。

Dsc05219 三ノ塔からの景色はお気に入りです。

Img_1094 主稜線を見守る冬装備の地蔵さん

 杉や檜の植林以外は冬枯れと落ち葉の世界。足元には霜の花が咲いていました。5cmほどもせり上がっていたでしょうか。二ノ塔、三ノ塔と稜線歩きになると、踏まれた登山道の泥濘がガチンゴチンに凍りついています。転倒には注意したいですね。霜が降りた木道もまた然り。丹沢山に続く主稜線を見守る三ノ塔のお地蔵さん。毛糸に身を包んだ冬装備は、山人の温情ですね。

Dsc05226 行者の大ブナ

 三ノ塔から烏尾山、行者ヶ岳とアップダウンを繰り返して、快調に進んでいきます。ポツリポツリとハイカーが行きかいます。新大日まで上がってくると、稜線に雪が乗っていました。クリスマスの頃降った雪が溶けずに残っているのでしょう。北側斜面は一面の雪で、これは根雪になるかもしれませんね。

Img_1107 しずしずと・・・

Dsc05237 山頂まであと一息

 菩提峠から2時間半で塔ノ岳に到達しました。これぐらいのペースで登れると、まだまだ自分もいけるなと嬉しくなります。山頂には10人ほどのハイカーが富士山や丹沢の山並みを見ながら憩っていましたが、この晴天です。もう少しすれば大倉尾根からドッと上がってくることでしょう。尊ネコの姿がなく残念でしたが、折り返しで下山を開始です。

Dsc05242 元旦もココかな

Img_1110 飛んでいきそう

 さて、下山を開始して間もなく。ニャ~と聞き覚えのある鳴き声が聞こえたと思っているうちに、尊ネコが登山道を登ってきます。あれ?登ってくるときには気づかなかったけど、どこで夜を明かしているのかな?謎多き尊ネコ。相変わらず餌をくれないことが分かると、素っ気なく山頂目指して上がっていきました。真冬でも山上で暮らす尊ネコの逞しさを感じました。

Img_1116 あ、尊ネコだ。 Img_1125
 今年は丹沢を楽しみつつ、白根三山うあ常念山脈も縦走できました。来年はどんな山と出会えるでしょうか。楽しみです。

 では皆さん。良いお年をお迎えください。ありがとうございました。

2015年12月30日 (水)

ひとり寂しく?底物五目で納竿

 ババが脳溢血で倒れて緊急入院したとき、年末に企画していた釣り会は全て中止してしまいました。でも、リハビリに入ると心にゆとりができたらしく、遊び心が復活してきました。年末の恒例行事、納竿をしておかなければと、12月23日にひとり平塚・庄治郎丸のライト五目に乗船しました。

Img_0978 暗い、暗いなぁ・・・

 この日は曇りで午後からは雨の予報。7時の出船時もどんより曇ってとても寒い。前日までは暖かかったのになぁ・・・この寒さで釣り人も少なめで、ライト五目船は片舷2人ずつ。久し振りに大艫に座しての釣りです。

Img_0990 ロングビーチ沖・・・寒!

 船は一路西進して大磯沖へ。水深50mほどのポイントを狙います。船頭の指示では、アマダイを中心にアジが交じるとか。アマダイか~年末年始らしくていいね♪アマダイは水底の砂泥に潜り込んで頭だけを出していて、餌が近くにくると飛び出して捕食する習性なので、仕掛けが着底したら底を切る程度にタナを合わせるのがコツです。

Img_0994 良型アマダイ♪

 水底は起伏があるので、仕掛けが底を離れてしまうと当たらないし、外道が掛かってしまうので、小まめにタナ取りをするのがアマダイ釣りのポイントです。しばらく繰り返すと、コンコンと当たりがありました。巻き上げてくると中層でも絞り込みがある特徴は、まさしく本命だ!予想通り、水面に躍り上がったのは桜色の魚体です。

Img_0998 アマダイとイトヨリ。どちらも美味♪

 この日、外気の冷え込みに対して水温はまだまだ温かく、活発に魚信がありました。本命のアマダイも、やや小型の20~25cmが中心だったものの、中には40cmクラスも混じりました。アマダイ釣りは底物五目と呼ばれるくらい多彩な外道が釣れます。イトヨリ、ヒメコダイ(赤ボラ)やトラギスが定番外道ですが、良型のアジも顔を出して楽しめました。釣れた中で珍しい魚たちを紹介します。

Img_0987 ガンゾウビラメ
Img_0988 ヒメジ

Img_0986 タコちゃんも
 午後になって、雨が降り始めたので納竿。釣果はアマダイが何と21!イトヨリ4、アジ5、レンコダイ6、トラギス3、ガンゾウビラメ2、ヒメコダイ1、ヒメジ1、サバ(キープ)1、ソーダ(キープ)1、タコと五目どころか十目以上達成しました♪ひとり寂しい納竿だったので、魚たちが応援してくれたのかもしれません。ありがとう、来年もよろしくね。

Img_0992 「観音様だ!観音様の御神渡りだ!」

 さて、余談ですが、12月になってしばらく、自由の女神か観音様か。相模湾上に巨大な神らしきお姿が出現しましたよ。夜は光ってクリスマスシーズンらしくて良かったです。二宮の海岸や西湘バイパスからも見えていましたが、先週末には姿を消していました。ババの体も良くなるかもしれませんね。(海洋研究開発機構の地球深部探査船「ちきゅう」だそうです。JAMSTECのHP参照 http://www.jamstec.go.jp/chikyu/j/ )

2015年12月29日 (火)

吾妻山 菜の花始まってます。

 オラが町一番の自慢は吾妻山の菜の花。今年も12月中旬から見頃を迎えたとの情報をキャッチしましたので、12月28、29と朝の散歩がてら見に行ってきました。

Dsc05272 朝、寒っ!

Dsc05280 水仙はもうすぐです。

Dsc05282 紅葉も待ってくれています。

 暖冬と言われてきた今季ですが、ここ数日の朝の冷え込みはとても厳しゅうございます。白い息と鼻水垂らしながら山頂にやってくると・・・

Dsc05257 赤富士との相性良し!

Dsc05266 元旦は雲がなければいいですね。

 とき、日の出の頃、東の空には雲が出てライジングサンは見えませんでしたが、雲の上の富士山には朝日が当たって真っ赤に染まっていました。お目当ての菜の花ですが、8分咲き以上になっているみたいです。ほぼ満開と言っていいでしょう。

Dsc05289 元旦は塔ノ岳かな

Dsc05297 まだまだ箱根は元気なようです。

 もう、何度も紹介していますが、吾妻山は360度の展望が楽しめる山です。南は伊豆半島から湘南、三浦を経て房総半島まで相模湾が広がって、そこに浮かぶ江ノ島や伊豆大島、利島、西には箱根連山、北には丹沢とどちらを見ても最高です。朝は寒いですが、吾妻山は日当たりの良い山頂ですので、日だまりハイキングには最高ですよ。是非お出かけください。

2015年12月26日 (土)

寒いけれど早起きしようよ

 冬の朝は寒さが厳しいけれど、空気が澄んだ朝には素晴らしい特典がありますよ。

Dsc05051 朝焼けに染まる富士山

 山麓まで雪が下りた素晴らしい富士山を見にやって来たのは足柄峠。6時半の気温は-5度と厳しいのですが、朝焼けに朱に染った姿は最高でした。

Img_0920_2 金ちゃんもエリマキ(それ以前に服着ようよ!)

 金時山にも登りましたが、北側斜面には雪が凍結していてかなり危険でした。そんな中でも多くの人が登っていました。スパイク付き長靴が有利のようです。

Dsc05055 金時山へ

Dsc05060 北斜面には雪が残っていました。

2015年12月24日 (木)

天然児 ネコに導かれて

 横須賀観音崎にやってきました。東京湾に突き出た観音崎には、東京湾を出入りする船舶を誘導する灯台が置かれて海上交通の要地となっているほか、かつては東京湾防衛の砲台など軍事施設が置かれていました。今では灯台の周辺は公園になっていて、海を見ながら散策が楽しめる場所です。

Dsc05038 海の向こうは房州でござるよ。

 観音崎公園には猫が沢山います。野良猫が住み着いたのか、飼い主に捨てられたのか、あっちにいたと思えば、こっちにも。このような猫のたまり場には、愛猫家なる人が人目を忍んでやって来て餌を与えます。ここにいれば食べるものに困らないことを覚えた猫たちは、公園に居着いて繁殖し、自然環境は悪化していく悪循環です。世の中猫好きばかりではありません。苦情が出れば猫たちは駆除されてしまうでしょう。

Dsc05036 水仙に囲まれてまったりと

Dsc05035 山茶花の樹下、美声の持ち主が

Dsc05033 我々の世界にようこそ

 そんな社会問題はさておいて、嫌々車から下ろされた天然くん。親としては運動不足な彼を少しでも歩かせたいのですが、少しでも歩きたくないのが彼の本音。少しでも興味を引くことがあると、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ・・・そんな天然児が、公園の猫たちを見過ごす訳がありません。ダミダこりゃぁ~

Dsc05044 猫の世界に旅立った天然児

 するとどうしたことでしょうか?!2匹の猫がやって来て、天然児を先導するように歩き出しました。「牛に引かれて善光寺参り」は有名ですが、私の目の前で「猫に引かれて観音崎巡り」の奇跡が起きたのです。興奮することもなく、静かに猫の後を追う天然児。そのまま猫の世界に連れて行かれてしまうのでは・・・ちょっと不安になる光景でした。

2015年12月22日 (火)

山行 大山8の字歩き 大山

 この1ヶ月、ババの入院でどうも振るいません。当然といえばそれまでなのですが、家で大人しくしていても仕方ないので、たまには気晴らしに山を歩きます。もう2週間前の話ですが、12月上旬の日曜日、大山に最後の紅葉を見に行ってきました。

Img_0708 山燃ゆ
 7時前に大山第2駐車場を出発です。山道から見上げると、朝焼けに山が燃え紅葉したみたいに真っ赤でした。

Img_0709 運行は朝9時からです。
 大山観光電鉄のケーブルカーは今年10月から新型車両が導入されました。ちょっと乗ってみたい気もしましたが、運行時間前でしたし、まあいずれ天然児と訪れたときにでも・・・

Img_0814 大山寺付近の紅葉

Img_0813 最後の赤に間に合った♪

 女坂を歩いていくと、大山寺付近にはモミジの赤が残っていました。12月の上旬はまだまだ暖かい陽気でしたので、多くのハイカーが歩いていました。

Img_0739 初霜

 それでも、阿夫利神社下社から表参道を登っていくと、初霜を見るくらい冷え込んできました。風が冷たい!

Img_0750 山頂から湘南の海岸線
 大山山頂には難なく到達。天気は下り坂の予報だったので、冬空には雲が広がっていましたが、展望は遠くまでよく見えていました。東には朝日に輝く湘南の海岸線。三浦半島の先には東京湾が光り、更に房総半島まで見渡します。

Img_0751 大島と利島

 南に広がる相模湾。その水平線には伊豆大島と更に遠くの伊豆七島の島が見えていました。

Img_0753 箱根の山並み

 後方を振り返ると、秦野盆地、足柄平野の先に箱根の山並みが見えていました。中央にそびえる神山の懐からは大涌谷噴火口の白煙が上がっていました。まだまだ熱い箱根です。

Img_0760 ヤッホ~イ!

 大山の山頂で意外な盲点が西側の展望です。阿夫利神社上社周辺や東側の展望地からは気づきませんが、トイレの裏側に西側の展望ポイントがあります。ここに立つと丹沢の山並みと富士山が最高です。

Img_0762 丹沢三峰の後方には雲取山も

 この日は山頂から北尾根を少し歩いてみました。冬枯れのトンネルが何とも寒々しいのですが、左手に見える丹沢の山並み、更に奥多摩や秩父の山まで見えていました。

Img_0770 ネクタイ尾根 Img_0783 唐沢峠の紅葉

 北尾根を少し歩いていくと札掛方面に下山してしまうので、ネクタイ尾根で東の唐沢峠に向かいます。唐沢峠から大山に登り返します。不動尻や梅ノ木尾根辺りの山を見下ろすと、まだまだ紅葉が見頃のようでした。

Dsc05026 東京都心

 再び大山山頂部まで登り返します。東側展望地からは関東平野を見下ろします。東京都心にはスカイツリーが立ち、その後方には筑波山も何とか。

Img_0787 大山三峰山。その後方には日光連山も

 山頂から東へ下って見晴台経由で下社へ下ります。下社からは再び女坂を下って駐車場へ下山しました。本格的な冬の到来前、大山8の字歩き(詳細には串刺し2個団子か)の山行でした。

2015年12月19日 (土)

年越しリハビリ開始

 12月18日(金)、11月末に脳溢血で倒れたババが平塚の病院から秦野のリハビリ病院へ転院となった。これから先、最長6ヶ月の期間で、右脳の出血による左半身不随のリハビリ治療を行うことになる。平行して軽度の痴呆、精神錯乱の治療も進めていく。とにかくここから先は本人に頑張ってもらうしかない。

Img_0896 大山を見上げる病院

 とはいえ、本人のやる気を長期的に持続させるためには、精神的な家族の支えが必要であろう。リハビリ専門の病院はスタッフの体制も手厚いので、緊急病棟への入院時よりは安心して病院に任せられるのだが、ちょくちょく顔を出して励ましていきたいと思う。弱気になったらカンフル剤的天然児の投入だ。

 入院前の生活に復帰できることが理想ではあるが、そうはいかないだろうから、最終的には自宅に帰宅して、介助を受けてでも生活が営めることが目標である。また、本人には、「春には退院できるだろうから、桜の花を見に行こう」と励ましている。

2015年12月16日 (水)

大河「真田丸」に盛り上がる上田

 平成28年の大河ドラマは「真田丸」。やっぱり大河はコテコテの戦国ものが良いですね。主人公真田幸村ゆかりの地、上田では大河に期待が高まっているようです。

Dsc04985 上田城址にやってきました。

 上田城は天正11年(1583年)に真田昌幸が築城した平山城です。先代の幸隆の時代から甲斐武田氏に従属していた真田氏でしたが、前年に武田氏が滅亡して以来、北の上杉、東の北条、南の徳川と大勢力に囲まれる中、小県から佐久、上州に勢力を伸ばしました。天正13年(1585年)に徳川家康から上杉景勝に属したため、徳川軍7千に攻められますが、2千ほどの寡兵でこれを撃退します。(神川の戦い)

Dsc04992 往時の姿をとどめる西櫓

 慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦では、真田親子が東西それぞれの陣営に分かれて戦います。真田昌幸・幸村父子は西軍に属して3千兵で上田城に籠り、徳川秀忠の率いる3万8千の大軍を局地戦で破りますが、大局では東軍が勝利したため、領地は没収され紀州九度山に追放されてしまいます。東軍に属した長男の信之が上田領を引き継ぎますが、上田城は徳川家の手によって跡形もなく破壊されてしまいます。

Dsc04984 誰だ!堀で野菜作ってんのは。

 やがて昌幸は九度山で死に、幸村は大坂夏の陣で家康を追い詰めながらも戦死。その後、真田家が松代に転封されると、後に入封した仙石氏によって上田城が再建されましたが、上田城に天守閣が建つことは遂にありませんでした。明治期の廃藩置県で上田城は荒廃し、各櫓は解体されて売却されてしまったそうです。戦後になって、市民の再建運動によって現在の上田城の姿となりました。

 今では桜の名所としても名高く、観光地であり、市民憩いの場となった上田城。来年の大河ドラマ「真田丸」が決まると、上田市では大々的に観光アピールが行われて、来年1月の大河スタートに合わせて、城内には観光スポット「信州上田真田丸大河ドラマ館」がオープンします。

Dsc04990 新幹線も停まります。

 天下人徳川家に2度攻められても陥落しなかった堅城上田城と、寡兵で徳川の大軍を破り、大坂冬の陣で真田丸に籠り徳川方を苦しめ、夏の陣では家康を追い詰めた「日本一の兵」真田家こそ上田市民の誇り。今上田市は大いに盛り上がっています。

2015年12月13日 (日)

戦国無双的おっさんここに眠る

 戦国一の兵法家と言われる武田信玄(晴信)。小国甲斐の守護から精力的に信濃、上州、東海へ進出して国土を広げた彼も、2度まで大敗を喫した強敵がいました。信濃小県(ちいさがた)郡の領主で葛尾城主村上義清です。小県とは今の上田市を中心とした地区ですが、諏訪、伊那、佐久方面に勢力を拡大した武田晴信は、佐久の領有をめぐって村上義清と対立します。

 天文17年(1548年)2月に村上氏の本拠小県を突くべく、諏訪を出陣した武田軍8千は大門峠を越えて上田原に進出し、葛尾城や砥石城から迎撃してきた村上軍5千と衝突しました。緒戦は武田軍の先陣である諏訪郡代・板垣駿河守信方が、勇猛さをもって村上軍を押し優勢でしたが、地の利がある村上軍は武田軍を引きつけておいて、一息ついたところを猛攻撃しました。深入りした武田軍の先陣は、この反撃で崩れ、大将板垣信方が戦死してしまいます。勢いに乗った村上軍は総反撃に転じ、武田晴信の本陣に殺到してきました。総大将晴信も負傷する激戦の中、板垣と並ぶ宿老甘利虎泰や初鹿伝右衛門ら侍大将が戦死する大損害を出して、武田軍は諏訪に撤退していきました。この戦いでは、勝利した村上方も小島権兵衛ほか侍大将が戦死する損害を出したため、不完全な追撃に止どまり、武田晴信を討ち取ることができませんでした。

 2年後の天文19年(1550年)9月の武田軍は上田に再度侵攻して砥石城を攻めますが、この時も葛尾城から出撃してきた村上軍に側撃されて敗れ、多くの損害を出して撤退しました。2度に渡って武田軍に手痛い打撃を与えて退けた村上義清ですが、両合戦で国力が疲弊し、以後の武田晴信の謀略により滅亡の一途をたどります。天文22年(1553年)、遂に村上義清は越後国へ落ちて、歴史は川中島の戦いへと続きます。

Dsc04983 背後の山並みに砥石城があります。

 さて、別所温泉から上田市街へ向かう途中、ちょっと寄り道して、千曲川南岸の上田原古戦場をウロウロしてみました。とはいえ、かつての古戦場は今や住宅地と耕作地が混在する地域で、古戦場のコの字も見当たりません。余りウロついていると不審者そのものです(汗)ようやく畑の中に板垣神社なるものを発見しました。この板垣神社こそ、上田原の戦いで戦死した武田軍の先陣板垣信方の墓所なのです。

 板垣信方は、武田信虎-晴信の二代に渡って仕え、甘利虎泰と並んで武田家臣団の筆頭格の地位に就いていました。若い晴信からの信頼も厚く、諏訪攻め、高遠攻め、佐久攻めと信濃侵攻では常に先陣として活躍し、諏訪郡代に任じられました。天文17年の村上攻め(上田原の戦い)でも先陣として出陣しましたが、先述のとおり戦死を遂げています。

 そんな勇将として名高い板垣信方ですから、大河ドラマ「武田信玄」や「風林火山」では、それは華々しく描かれていました。演じたのは、前者が菅原文太さんで後者がJJこと我らが千葉ちゃんです。クライマックスの上田原のシーンでは、殺到する村上勢の雑兵を斬って、斬って、また斬って!槍に突かれてもへし折って、さらに2、3人斬って、しまいには周囲から一斉に槍で突かれて、武蔵坊弁慶さながらの大往生を遂げていました。さながらTVゲームの「戦国無双」の如き、剣劇としては見応え抜群でしたが、史実ではこんなに斬りまくりではなかったことでしょう。敵の奇襲だ!ひるむな返り討ちにせよ!敵の御大将とお見受けした!下郎、何を小癪な!グサッ!終(笑)

Dsc04978 煙草を墓前に供える

 村上方の砥石城に連なる山並みを望む畑の片隅に、小さな五輪塔が祭られていました。周囲には人の姿もなく寂しげです。板垣戦死の地を訪れた人に伝える案内板には、板垣が煙草を嗜んでいたことが書かれていました。これを見た連れは、懐から煙草を取り出して、一服ふかして墓前に供えました。かつての英雄に敬意を表して。勿論、帰るときは水をかけることを忘れません。

2015年12月12日 (土)

信州の鎌倉でミツウロコを見っけ

 上田市の中央に広がる塩田平は、周囲を山に囲まれて、田畑が広がるのどかな風景です。塩田平の南西端に位置する別所温泉は、日本武尊が東征の折に発見し、「七久里の湯」として開湯したといわれ、信州最古の温泉とされています。長い歴史の中で、この地に北向観音を開山した慈覚大師円仁、源平争乱の折信濃一円を有した木曽義仲、上田城の真田一族らに愛された由緒ある温泉でした。中でも池波正太郎の「真田太平記」では、若き日の真田幸村が別所の湯を度々訪れ、女忍のお香との出会いの場面が描かれています。

Dsc04955 北向観音への参道

 また、中世鎌倉時代には塩田の荘を治めた鎌倉北条氏の一族である塩田北条氏によって、鎌倉を模した多くの寺院が建立されて、塩田平や別所温泉は、「信州の鎌倉」とも呼ばれています。別所温泉にも三楽寺(安楽寺、常楽寺、長楽寺)が建立されましたが、長楽寺は後に焼失してしまい、現在に残る常楽寺と安楽寺が往時を偲ばせてくれます。

Dsc04948_2 北向観音境内

Dsc04945 北向きの観音堂は珍しいとか
 別所温泉の中心に建つ北向観音は、平安時代の初期に天台座主である慈覚大師円仁によって建立され、信濃国司平氏によって庇護され大いに栄えました。源平争乱時には木曽義仲の兵火によって消失しましたが、鎌倉時代には先述の塩田北条氏の手によって、常楽寺の別坊として再興されました。北向観音の名は、本尊の千手観音が北を向いていることに由来していますが、長野市にある善光寺の阿弥陀如来が南を向いていて、両仏は向き合っています。よって、善光寺は来世の往生を、北向観音は現世の利益を願う場として、一対として信仰されてきました。善光寺を参拝された方は多いと思いますが、北向観音の存在を知らない人は多いのではないでしょうか。どちらか一方だけでは片手落ちになるそうですので、機会があれば参拝されてはいかがでしょうか。

Dsc04963 安楽寺本堂

 北向観音とは温泉街を挟んで反対側の山裾にあるのが、三楽寺のひとつ安楽寺です。北向観音とともに平安時代初期に建立された寺院ですが、源平争乱期に一時衰退し、鎌倉時代に曹洞宗の寺院として再興されました。鎌倉建長寺を開山した蘭渓道隆の記録によれば、建長寺と並ぶ一大道場として知られ、多くの学僧がこの地で学んだそうです。鎌倉北条氏の庇護を受けて大いに栄えた安楽寺ですが、北条氏の滅亡とともに塩田北条氏も滅び、安楽寺も衰退していったそうです。

Dsc04967 国宝の八角三重塔

 「信州の鎌倉」こと塩田平には、4つの仏塔(三重塔)があるそうですが、信濃国分寺、前山寺、大法寺と並んでこの安楽寺にも三重塔が残っています。この三重塔の特徴は、鎌倉時代の建築様式唐様を用いた八角形のお堂で、我が国に現存する唯一のものだそうです。また、最古の禅宗様建築物として、国宝に指定されています。本堂裏手の山中にあるこの塔を参拝するには拝観料が300円かかりますが、一見の価値はあると思います。

Dsc04972 本堂の屋根にミツウロコが

 さて、三重塔を参拝した一行ですが、突如天然児がお腹を抑えました。これはウ○チのサイン。ゆっくり塔を眺めるどころか、慌てて参道を駆け下りました。その時、気づいたのが本堂の屋根についたミツウロコの紋章です。ミツウロコとは、小さな三角形を3つ組み合わして大きな三角を形成する紋章ですが、北条氏の家紋として知られているものです。安楽寺が塩田北条氏の手厚い庇護を受けていた証なのですが、鎌倉北条氏のお膝元である神奈川の人間としては、非常に親近感を覚えました。

2015年12月 7日 (月)

軍馬に揺られて鹿が教えた温泉へ

 その昔、信州丸子の地に鳥獣を狩って生業とする信仰心の厚い猟師がいました。ある日、いつものように奥山に分け入って獲物を求めていると、1頭の大きな雄鹿を発見したので、矢を放つと見事に命中しました。しかし、矢が命中した雄鹿は、倒れることなくどんどん山奥へ逃げて行きます。猟師もせっかくの獲物を逃してはなるまいと必死に後を追いましたが、遂に見失ってしまいました。

 諦めきれない漁師は、その後も傷ついた雄鹿を求めて山奥深く探し回りました。どれだけの間、山中をさまよったでしょうか。諦めかけたその時、木々の間から泉で水浴びをする矢の刺さった雄鹿を見つけたのです。猟師は神仏に感謝しつつ、とどめを刺そうと矢をつがえ鹿に狙いをさだめました。

 次の瞬間、泉の中の鹿が水煙に隠れたかと思うと、代わって文殊菩薩が現れたそうです。驚く猟師を前に文殊菩薩は「この泉は温泉で傷病の治療に効能がある。日頃信仰心厚い汝にこの温泉を託すので、広く人々に知らしめよ」とおっしゃいました。我に帰った猟師が泉に手を入れると確かにそれは温泉でした。それ以来、この温泉は、鹿が教えた温泉すなわち鹿教湯(かけゆ)と呼ばれて、長く人々の病や傷を癒してきたそうです。

 そんな開湯の言い伝えが残る鹿教湯温泉は、上田市(旧丸子町)の丸子温泉郷のひとつで、国民保養温泉地に指定されています。この国民保養温泉地とは、温泉の効能、湧出量、温泉を利用した施設、交通など利便性、自然景観、環境の健全性などの諸条件が整っている温泉地だそうです。

 今回10年ぶりに鹿教湯温泉を訪れました。温泉にゆっくり浸かり、郷土料理や地酒を味わって心身ともにリフレッシュする温泉旅行本来の楽しみの他に、鹿教湯温泉では、地区内の観光スポットをスタンプラリー形式で散策する「21番名所巡り」を楽しむことができます。前回訪れたとき、当時幼かった長男がこのスタンプラリーにかなり執心だったのが、今は懐かしい思い出です。今回は天然児。しかし、宿をチェックアウトすると駐車場に直行。かの人には、温泉地を散策して雰囲気を楽しもうとは微塵にも思わないようです。21番名所巡りの核心部だけご紹介しましょう。

Dsc04931 五台橋を渡って温泉薬師堂

 温泉街から湯坂を下って、内村川に架かる五台橋を渡ります。五台橋は小さな橋ですが、屋根がついた木造の橋で実に味わいがあります。映画にもなったマディソン郡の橋に似ていることから、「日本のマディソン郡の橋」などとも呼ばれているようです。

Dsc04932 温泉薬師堂

 五台橋を渡って急な石段を登り切ると、茅葺屋根に草が生えた温泉薬師堂が出迎えてくれます。名所巡りの終着点21番の名所です。

Dsc04933 文殊堂

 温泉薬師堂の左手、小さな沢を渡ると鹿教湯温泉開湯伝説にも登場する文殊菩薩が祀られている文殊堂が建っています。ここに安置されている文殊菩薩は、かのスーパー坊主行基が彫ったといわれています。

 鹿教湯温泉は、大きなホテルや旅館はなく、山間のひなびた温泉地ですが、それだけに静かで温泉場をゆっくり堪能することができます。お出かけになってみてください。

2015年12月 5日 (土)

下諏訪から和田峠へ 中山道の風景

 11月22日(日)、中央道を飛ばして諏訪までやってきました。今回、諏訪の街は通過点なので車窓だけでしたが、今秋最後の連休とあって、酒蔵など古い町並みの諏訪の街中は結構な賑わいでした。同行した友人は酒蔵巡りが好きなので、後ろ髪を引かれているようでしたが、この日は和田峠を越えて上田方面まで進出する予定だったので、心を鬼にして通過させてもらいました。

Dsc04905 懐かしい143系郵便車だ!(下諏訪駅付近)

Img_0522 酒造の町

 そうは言っても、関西から来た友人ですから、諏訪の中でもベタベタのベタなスポットだけは紹介しておこうと、旧中山道の入口に位置する下諏訪町の諏訪大社下社秋宮に寄りました。諏訪大社は言わずと知れた諏訪という地名の代名詞ともいうべき神社で、その歴史は古く、創建時期は不明なほどだそうです。信濃国一宮の格式を有し、軍神である建御名方神と八坂刀売神を祀っているため、古来より坂上田村麻呂、武田信玄、徳川家光ら武家を中心に信仰を集めてきました。紅葉は見頃を過ぎていましたが、連休の中日で結構な賑わいでした。

Dsc04911 賑わう下社秋宮

Dsc04908 手水も温泉ですよ♪

 歴史がある神社だけに祭事も多く、中でも数え年7年に一度の御柱祭が最も有名で、諏訪地域に4箇所ある諏訪大社の境内に立てたれる御神木「御柱」を蓼科や霧ヶ峰方面の山から引き下ろす勇壮なものです。近年でも毎回死者や怪我人を出す荒々しい神事にもかかわらず、形を変えず今に受け継がれているのは、諏訪大社に対する人々の信仰の厚さを窺わせます。

Dsc04918 下社秋宮の御柱

 下社秋宮を後にして、旧中山道R142を北上。石器の原料となっていた黒曜石で有名な和田峠を目指します。間もなく国道の右手に丘のような急斜面がありますが、ここが霧ヶ峰の山麓から切り出された御柱が、山出しの際に引き落とされる、祭りの見せ場である木落としが行われる坂です。

Dsc04923 御柱祭の見せ場、木落し坂

 木落し坂から更に和田峠方面に進んで、旧道にそれたところにあるのが水戸浪士の墓です。「水戸浪士がなんでここに?」と首をかしげるところですが、明治を目前にした幕末、元治元年(1864年)に発生した水戸藩内での保守派と攘夷派の派閥抗争から全国規模の内戦に拡大した天狗党の争乱といえば、ピンとくる人が多いのではないでしょうか。攘夷派の天狗党は、内乱では優勢になったものの、幕府の介入を受けたため遂に破れ、当時京都にいた藩の後継者であり幕府の重職にあった徳川慶喜に直訴するため中山道を西進していきました。幕府は天狗党を反乱軍として、各藩に追討を命じますが、実戦経験の豊富な天狗党は、栃木、下仁田で各藩兵を撃破しました。

Dsc04925 天狗党の墓

 ご当地、諏訪の高島藩と応援の松本藩兵も、幕命により中山道上のこの地に防御線を引いて天狗党を待ち受けていました。11月20日に和田峠を越えてきた天狗党と戦闘になりましたが、士気の低い両藩兵は、山腹を迂回した天狗党に側面を突かれると、たちまち総崩れになって峠を落ちていきました。半日の戦闘で双方10名程度の犠牲が出たそうですが、高島藩では勇戦した天狗党に敬意を表し、残していった死者をこの地に手厚く葬ったそうです。それがこの盛土のお墓で今に残ります。

 頃は11月、今から150年前にこの地で起きた昔話ですが、吉村昭の「天狗争乱」を前に読んでいたので、戦闘の場面が蘇りました。嬉しい~♪軍馬は天狗党が辿った中山道を逆行して、標高1400mの和田峠(トンネル)を越えていきます。

2015年12月 2日 (水)

上九一色 上か下か?

 昔、今は亡きキンキンが司会の「人生ゲームハイ&ロー」というクイズ番組がありましたが、サラリーマンの出世を双六形式にしたもので、社長を目指しながらお金を稼いだり商品を獲得する内容だったと思います。商品当ての場面では、上下2段のボックスがあって、「上か、下か、はいどっち?」というキンキンの文句が今でも耳に残っています。当たればハワイ旅行やら豪華家電、宝飾品なのに対して、ハズレがタワシとか洗剤みたいなギャップが大好きでしたね。

Dsc04900 上か?(看板の旧村名がいいですね)

 さて、話は全然変わりますが、かつてオウム真理教の富士山総本部が置かれて、全国的に有名となった上九一色村。この村の北半分は甲府盆地と富士五湖地域を隔てる御坂山地で、南半分は精進湖、本栖湖や青木ヶ原樹海を含む広大な富士山麓(富士ヶ嶺)でした。平成18年に北半分は甲府市に、南半分は富士河口湖町に分割合併されましたが、御坂山地を境に元来交流の深かった地域にそれぞれ吸収された自然体な分割といえるでしょう。

Dsc04901 下か?(R358上九の湯付近)

 11月の連休に静岡県境から甲府盆地に向かって、旧上九一色村を縦断するルートをドライブしてきました。かつてサティアンと呼ばれたオウム教団の本部が置かれた、標高1千メートルを超える南部の富士ヶ嶺地区は、既に冬枯れ一色でした。富士五湖と甲府を結ぶR358の精進湖トンネルを抜けると、甲府盆地へ大きく標高を落としていきますが、周囲の山々の紅葉はまだまだ見頃でした。季節のギャップに前述の「ハイ&ロー」を思い出してしまいました。

2015年12月 1日 (火)

師走 お百度参りスタート

 11月も指折りとなったある日の朝、ババが脳内出血で倒れた。幸いにして同居している弟がすぐ異変に気づいて、速やかな救急搬送となったので、出血量もさほどではなく、意識もあり呼びかけに応答できる。とはいえ、脳の障害は只事では済まないだろう。現状、左半身は動かせない状態である、今後のリハビリでどの程度機能を取り戻せるのか、どの程度の後遺症が残るかを考えると不安である。

 思えば今年「喜寿」の齢を迎え、健康と長寿を祝うべきはずのババであるが、今春のガン摘出手術から始まり、血栓の除去、帯状疱疹と入院が続いて、ようやく落ち着いたかと安心していた矢先、今年4回目の緊急入院と、事実上の厄年となってしまった。今まで健康だけが取り柄だったババだけに、大きな挫折感に打ちひしがれている。特に今回は体の自由が利かなくなっているので、病床ではパニック状態になって泣き叫ぶことも多い。親のそんな姿を見るのは実に辛いものだ。

Img_0684 こうなったら神頼みしかない!

 医学的見地のない私には何もしてあげられないが、手をこまねいている訳にもいかない。いささか古式ではあるが、神頼みのお百度参りをすることにした。上野公園の一角にある五條天神社は、かの日本武尊が東征の折、この地で医薬祖神の加護を受けたことから祀られた神社で、病気快癒、健康祈願にご利益があるとされている。職場に近く、昼休み時間内に往復できるこの神社をおいて他にはあるまい。但し、①出勤の日、②雨天・荒天の日は除く、③お賽銭はなし。この一方的な条件で神様に願いが届くであろうか?自己満足かもしれないが、兎にも角にも、ババのため続けていこう。

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