信州の鎌倉でミツウロコを見っけ
上田市の中央に広がる塩田平は、周囲を山に囲まれて、田畑が広がるのどかな風景です。塩田平の南西端に位置する別所温泉は、日本武尊が東征の折に発見し、「七久里の湯」として開湯したといわれ、信州最古の温泉とされています。長い歴史の中で、この地に北向観音を開山した慈覚大師円仁、源平争乱の折信濃一円を有した木曽義仲、上田城の真田一族らに愛された由緒ある温泉でした。中でも池波正太郎の「真田太平記」では、若き日の真田幸村が別所の湯を度々訪れ、女忍のお香との出会いの場面が描かれています。
また、中世鎌倉時代には塩田の荘を治めた鎌倉北条氏の一族である塩田北条氏によって、鎌倉を模した多くの寺院が建立されて、塩田平や別所温泉は、「信州の鎌倉」とも呼ばれています。別所温泉にも三楽寺(安楽寺、常楽寺、長楽寺)が建立されましたが、長楽寺は後に焼失してしまい、現在に残る常楽寺と安楽寺が往時を偲ばせてくれます。
北向きの観音堂は珍しいとか
別所温泉の中心に建つ北向観音は、平安時代の初期に天台座主である慈覚大師円仁によって建立され、信濃国司平氏によって庇護され大いに栄えました。源平争乱時には木曽義仲の兵火によって消失しましたが、鎌倉時代には先述の塩田北条氏の手によって、常楽寺の別坊として再興されました。北向観音の名は、本尊の千手観音が北を向いていることに由来していますが、長野市にある善光寺の阿弥陀如来が南を向いていて、両仏は向き合っています。よって、善光寺は来世の往生を、北向観音は現世の利益を願う場として、一対として信仰されてきました。善光寺を参拝された方は多いと思いますが、北向観音の存在を知らない人は多いのではないでしょうか。どちらか一方だけでは片手落ちになるそうですので、機会があれば参拝されてはいかがでしょうか。
北向観音とは温泉街を挟んで反対側の山裾にあるのが、三楽寺のひとつ安楽寺です。北向観音とともに平安時代初期に建立された寺院ですが、源平争乱期に一時衰退し、鎌倉時代に曹洞宗の寺院として再興されました。鎌倉建長寺を開山した蘭渓道隆の記録によれば、建長寺と並ぶ一大道場として知られ、多くの学僧がこの地で学んだそうです。鎌倉北条氏の庇護を受けて大いに栄えた安楽寺ですが、北条氏の滅亡とともに塩田北条氏も滅び、安楽寺も衰退していったそうです。
「信州の鎌倉」こと塩田平には、4つの仏塔(三重塔)があるそうですが、信濃国分寺、前山寺、大法寺と並んでこの安楽寺にも三重塔が残っています。この三重塔の特徴は、鎌倉時代の建築様式唐様を用いた八角形のお堂で、我が国に現存する唯一のものだそうです。また、最古の禅宗様建築物として、国宝に指定されています。本堂裏手の山中にあるこの塔を参拝するには拝観料が300円かかりますが、一見の価値はあると思います。
さて、三重塔を参拝した一行ですが、突如天然児がお腹を抑えました。これはウ○チのサイン。ゆっくり塔を眺めるどころか、慌てて参道を駆け下りました。その時、気づいたのが本堂の屋根についたミツウロコの紋章です。ミツウロコとは、小さな三角形を3つ組み合わして大きな三角を形成する紋章ですが、北条氏の家紋として知られているものです。安楽寺が塩田北条氏の手厚い庇護を受けていた証なのですが、鎌倉北条氏のお膝元である神奈川の人間としては、非常に親近感を覚えました。
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