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2015年12月 5日 (土)

下諏訪から和田峠へ 中山道の風景

 11月22日(日)、中央道を飛ばして諏訪までやってきました。今回、諏訪の街は通過点なので車窓だけでしたが、今秋最後の連休とあって、酒蔵など古い町並みの諏訪の街中は結構な賑わいでした。同行した友人は酒蔵巡りが好きなので、後ろ髪を引かれているようでしたが、この日は和田峠を越えて上田方面まで進出する予定だったので、心を鬼にして通過させてもらいました。

Dsc04905 懐かしい143系郵便車だ!(下諏訪駅付近)

Img_0522 酒造の町

 そうは言っても、関西から来た友人ですから、諏訪の中でもベタベタのベタなスポットだけは紹介しておこうと、旧中山道の入口に位置する下諏訪町の諏訪大社下社秋宮に寄りました。諏訪大社は言わずと知れた諏訪という地名の代名詞ともいうべき神社で、その歴史は古く、創建時期は不明なほどだそうです。信濃国一宮の格式を有し、軍神である建御名方神と八坂刀売神を祀っているため、古来より坂上田村麻呂、武田信玄、徳川家光ら武家を中心に信仰を集めてきました。紅葉は見頃を過ぎていましたが、連休の中日で結構な賑わいでした。

Dsc04911 賑わう下社秋宮

Dsc04908 手水も温泉ですよ♪

 歴史がある神社だけに祭事も多く、中でも数え年7年に一度の御柱祭が最も有名で、諏訪地域に4箇所ある諏訪大社の境内に立てたれる御神木「御柱」を蓼科や霧ヶ峰方面の山から引き下ろす勇壮なものです。近年でも毎回死者や怪我人を出す荒々しい神事にもかかわらず、形を変えず今に受け継がれているのは、諏訪大社に対する人々の信仰の厚さを窺わせます。

Dsc04918 下社秋宮の御柱

 下社秋宮を後にして、旧中山道R142を北上。石器の原料となっていた黒曜石で有名な和田峠を目指します。間もなく国道の右手に丘のような急斜面がありますが、ここが霧ヶ峰の山麓から切り出された御柱が、山出しの際に引き落とされる、祭りの見せ場である木落としが行われる坂です。

Dsc04923 御柱祭の見せ場、木落し坂

 木落し坂から更に和田峠方面に進んで、旧道にそれたところにあるのが水戸浪士の墓です。「水戸浪士がなんでここに?」と首をかしげるところですが、明治を目前にした幕末、元治元年(1864年)に発生した水戸藩内での保守派と攘夷派の派閥抗争から全国規模の内戦に拡大した天狗党の争乱といえば、ピンとくる人が多いのではないでしょうか。攘夷派の天狗党は、内乱では優勢になったものの、幕府の介入を受けたため遂に破れ、当時京都にいた藩の後継者であり幕府の重職にあった徳川慶喜に直訴するため中山道を西進していきました。幕府は天狗党を反乱軍として、各藩に追討を命じますが、実戦経験の豊富な天狗党は、栃木、下仁田で各藩兵を撃破しました。

Dsc04925 天狗党の墓

 ご当地、諏訪の高島藩と応援の松本藩兵も、幕命により中山道上のこの地に防御線を引いて天狗党を待ち受けていました。11月20日に和田峠を越えてきた天狗党と戦闘になりましたが、士気の低い両藩兵は、山腹を迂回した天狗党に側面を突かれると、たちまち総崩れになって峠を落ちていきました。半日の戦闘で双方10名程度の犠牲が出たそうですが、高島藩では勇戦した天狗党に敬意を表し、残していった死者をこの地に手厚く葬ったそうです。それがこの盛土のお墓で今に残ります。

 頃は11月、今から150年前にこの地で起きた昔話ですが、吉村昭の「天狗争乱」を前に読んでいたので、戦闘の場面が蘇りました。嬉しい~♪軍馬は天狗党が辿った中山道を逆行して、標高1400mの和田峠(トンネル)を越えていきます。

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