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2016年2月 1日 (月)

健康元年もひと月が過ぎ・・・

 早いもので今年もひと月が過ぎてしまいました。先週末にもう一ネタ、ブログを更新しようと思ったんですが、天然児と向き合いながら長男の試合の応援に行くかみの送迎やら、ババの見舞いやらと忙しくて、気がついたらジーパンのまま寝てしまい、月が回っていました。

 思えば初日の出登山で足を痛めて以来、山も遠のき、折からの寒波到来で海も遠のき、控えめな1月でした。怪我や寒さ以上に私を引き止めたのは、やはり入院しているババの存在がありました。

 昨年は入退院を繰り返して、病床で年を越したババ。今年こそは健康の元年でありたいという祈りも虚しく、1月の下旬は感染症にかかって高熱が続き、リハビリも停滞気味でした。麻痺した半身を回復させる大切な時期が無為に過ぎて行き、痴呆の気が強くなる本人を見ていると、身内としてはかなり焦りを感じます。それ以上に、日々リハビリに取り組んでいただいている病院スタッフもそうでしょうし、本人も半ぼけながらもそう感じていることでしょう。

 そんな日々を送りながら思うのは、昨年の春先に癌が見つかって以来、今日に至るまでの経過です。癌自体の切除手術は成功して、転移も認められなかったものの、退院直後に血管に血栓ができてすぐに再入院。血栓を除去するカテーテル手術を2度受けた後、一旦落ち着いて退院したのは夏を迎えた頃でした。真夏に体調を崩して2週間ほど入院したものの、秋口に血栓のフィルタを外して、やれやれ一段落。と思いきや、11月末に脳溢血で倒れてしまいました。

 高齢な身を押して手術を急ぐ必要があったのだろうか?いや、癌を抱えて不安な日々を遅らせる方が本人には苦痛なんだ。最初に血栓ができて左下肢が膨張した時に何ですぐに病院に行かなかったのか?いやいや、癌の手術を無事終えてやっと帰宅したので、すぐに別の症状が生じるとは信じ難かったのだろう。・・・自問自答を繰り返すばかりですが、ことここに至っては、結果は結果として受け入れるしかないんです。

 また、病気や医療の知識が乏しい身としては、疑心暗鬼も生じてきます。退院直後に静脈血栓ができて、左下肢がリンパ液でパンパンに腫れ上がったのは何故なのか?施術は本当に成功したのか?退院の判断は正しかったのか?脳溢血は血栓のフィルタを外して「血液をサラサラにする薬」を続けた結果の副作用ではなかったのだろうか?当然、そのことは事前に想定はされていたのに、それ以外に手段はなかったのだろうか・・・

 癌や血栓の治療を担当した病院の若い医師たち。入院時は忙しい中、日夜BESTを尽くしていただき神様のように見えました。しかし、脳溢血になったことを連絡して以降、連絡もありません。脳溢血で救急搬送された病院や今の病院に情報提供もありません。継続して通院していた患者なのに、別の病院に入院した途端、関係は途絶えてしまうのでしょうか?責任は感じないのでしょうか?個人情報は守っても個人生命は守らないのか!いやいやいや、冷静に考えれば、多くの患者と向き合う医師が、一人の患者の経過を追い続けることなんて、到底かなわないことでしょうし、病院の垣根を越えて干渉することも非現実的なことだと思います。それが今日の医療システムと受け入れるしかないのでしょう。

Img_1398 クラゲのようにケセラセラ・・・

 「聖職」という言葉があります。元来、神と人とを繋ぐ神父や神主など宗教上の職に携わる人たちのことでしたが、現代では、人の命を預かる医師を始め、医療に携わる人たちも「聖職」と呼ばれているようです。医療の分野は学識、技術の両面において高度であるため、知識に乏しい私たちは、医師から聞いた患者の病状や対処法を「それが正しいもの」と黙って受け入れるしかありません。しかし、宣告される病状が受け容れがたいものであればあるほど、「あのとき、医師の判断は本当に正しかったのか?」という、モヤモヤとした疑心暗鬼が湧いてくるのです。

 私はこう思うことがあります。かつて教育水準が低い時代、教壇に立つ教師たちは「聖職」と呼ばれていました。情報もなく価値観に乏しい時代にあって、教師は子供たちの手本であり目標とする将来像でした。教師の言うことは絶対であって、それに従えない者に対しては、容赦ない体罰が加えられることもしばしばでした。時代は変わり、高度な情報化は子供たちに多様な価値観を与えて、子供たちは教師の発言に抵抗感を抱いたり、眼差も随分冷ややかになったようです。同様に親たちの教育水準も高くなって、学校に向けられる視線も厳しく、モンスターペアレンツに例えられるような学校教育への干渉も聞かれるようになりました。(このような学校を取り巻く状況が良いとは思えませんが)今や教師は「聖職」の地位を完全に失ってしまいました。

 今後、更に医療分野が進歩して、現在では難病とされている病気が克服されていくことでしょう。しかし、医療が高度かつ専門的な分野として留まれば、いつまで経っても患者サイドのモヤモヤが晴れることがありません。今まで以上に発展していくであろう情報化によって、医療分野が広く大衆化することを期待しています。患者やその身内と医療スタッフがあーじゃ、こーじゃ、言い合いながら病気と向き合っていく。患者サイドと病院サイドの両方が、気軽に相談できる医療コンサルタントのような第三者機関が出現するかもしれません。それによって、医師や医療スタッフも「聖職」の地位を失うかもしれませんが、近い存在となってこそ、信頼関係が構築できると私は思うのです。

 我が家にとって健康の元年、それ以上に介護元年となろう今年。今回のような雑感が増えそうな予感ですが、どうぞご笑覧くださいませ。

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