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2016年3月

2016年3月31日 (木)

上野公園 桜開花情報その3

 年度末です。今週は暖かい陽気が続いているので、桜の開花が進む、進む。昨日の情報はもう古いですよ。上野公園はほぼ満開となりました。明日、明後日がピークですね。

Img_1740 前回と同じ場所。進んでるでしょ。

 上野公園よりも開花が遅い不忍池の中道の桜並木ですが、こちらも八分咲きになっていました。朝も早うから外国人観光客が多いのですが、タイミング良く来日できてラッキーですね。皆さん、これが日本人の心ですよ。「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂う山桜花」ですね。

Img_1744 不忍池の中道

 さて、お昼の上野公園は激混みが予想されたので、東大の食堂でランチすることにしました。キャンパス内の桜並木の下でもブルーシートが広げられていました。お花見いいな~いいな~事務職は年度末忙しいんだよね(悲)

Img_1747 天下の学林にて

 年度末のけふも残業。帰りは上野の山で夜桜見物です。

Img_1750 不忍池

Img_1752 清水堂月の松

Img_1754 20時回ってもまだまだ賑やかです!

 いよいよ満開を迎えた上野公園ですが、週末はイマイチ天気が良くないようですね。見れるときに見ておきましょう。チャンスはないぞ!

2016年3月30日 (水)

上野公園 桜開花速報その2

 朝早めに出れたときは、上野駅から上野公園の中を少し歩いて通勤するようにしています。途中、桜の開花状況をチェックしたり水鳥たちを眺めたりしながらも、医薬祖神五條天神社にババの回復祈願のお百度参りは欠かせません。

Img_1710 せっかくの花見で風邪引くなよ~

 3月29日(火)、お百度参り70回目の朝、上野公園では桜の木の下にブルーシートを広げて、お花見宴席の場所取りをする人の姿を見かけました。防寒着に身を包んで丸くなって居眠りをしている人は徹夜組でしょう。組織の下っ端か、お祭屋が志願したのか。さすがは東京きっての桜の名所。場所取り激戦区であります。陽気が暖かくなってきたとはいえ、朝晩の空気はひんやりとしています。場所取りの人にはシコタマ飲ませてあげてくださいね。

Img_1711 並木も色づいてきました。

 さて、上野公園の桜は三部咲きになってきました。週の後半は気温も上がる予報ですので、開花が一気に進むことでしょう。週末は満開ですね♪

Img_1712 水面も賑わってますね。

2016年3月28日 (月)

車窓から見る満開のミツマタ

 関東地方では桜(ソメイヨシノ)が開花し始め、いよいよお花見シーズン到来です。山の上では、この時期ミツマタの花が見頃を迎えています。ミツマタは、その名のとおり枝先が三又に分かれる落葉低木で、花は黄色い小さな花が球状に丸く集まる変わった咲き方をします。山地に生える植物なため、余り見かけることはありませんが、街路樹にもなっているジンチョウゲが近い種なため、イメージはし易いかと思います。

Dsc05808 これがミツマタの花

 現代人には馴染み薄なミツマタですが、古くから和紙の原料としてその樹皮が使用されてきたため、昔はもう少し身近な植物であったことでしょう。丹沢周辺でもミツマタの群生地がいくつかあるようですが、何れも山間部の集落に暮らしていた人の手によって植えられたもので、人の営みが消えた今ではミツマタだけが残ったというわけです。

 ミツマタの群生地の中でも、丹沢湖近くの権現山やミツバ岳周辺は特に大規模なようで、この時期はハイカーで賑わうようです。私も前々からこの時期のミツバ岳に登ってみたいと思っていましたが、未だ実現せず、今年も休日はババが退院後の自宅介護の指導を受けているため実現できそうもありません。

Dsc05801 護摩屋敷の湧水

Dsc05803 安心してください。たっぷり湧いてますよ。

 3月26日(土)、厚木に用があったので、かなり大回りになりますが、秦野から丹沢を縦貫する県道70号(秦野清川線)で宮ヶ瀬を経由していくことにしました。なぜかといいますと、ヤビツ峠の向こう側、札掛周辺にもミツマタの群生地があるので、それを見物していこうというわけです。

 暖かくなって凍結の心配もなくなった県道70号は、チャリダーたちが大挙して押し寄せます。先の見通しが悪いワインディングロードですから、正面衝突にもなりまねません。相手には車のエンジン音が聞こえるでしょうから、少し遠慮して欲しいものですが、目の前に飛び込んできてお互い冷や汗をかくこともしばしば。かっ飛んでくると風音で聞こえないのかもしれませんね。いつもより慎重な運転で札掛を目指しました。

Dsc05805 沿道を飾るミツマタの群落

 ヤビツ峠を越えて、諸戸林業の営林署付近から札掛にかけては、沿道に見事なミツマタの群落を見ることができました。薄暗い植林の中でも黄色がとても鮮やかでした。路肩に車を停車して、下車してみるとほのかな花の香りが辺りに漂っていました。

Dsc05809 植林帯の中に群生するミツマタ

 近づいて花を観察してみると、つぼみも結構残っているので、満開はもう少し先かもしれません。今年は桜の花も長持ちする予報ですが、ミツマタも長期に渡って楽しめそうです。前述のようにミツマタの花はそれほどメジャーな存在ではないので、県道を通過していく人たちは、山深いこの地で突然出くわした黄色い群落に驚いたようで、車や自転車を停めて見入っていました。

2016年3月24日 (木)

思い出横丁が強制撤去

 「思い出横丁」なんていうと、ガード下など大衆居酒屋が集まる場所を思い浮かべますが、我が家にもちょっとした「思い出横丁」があります。

Dsc05791 なにしてんの?シュンちゃん

 キッチンの一角、電子レンジと壁の隙間に文鳥のピーちゃん、シュンちゃんがせわしなく出入りしています。紙切れやテッシュペーパーをせっせ、せっせと運び込んで巣作りをしているようです。2羽ともオスなのにね~(なぜか交尾はよくしていますが(汗))

Img_1642 天然児の「思い出横丁」

 巣作りも度が過ぎて、葉書、観葉植物の葉、ガスや電気の検針票、鼻をかんだゴミ、お札までいろいろなものを運び込んでいますが、何故かお気に入りなのが、天然児が部屋中に散らかしている写真です。ふと覗き込めば、天然児の思い出いっぱいの「思い出横丁」が出現していました。

Dsc05789 警戒するピーちゃん

 鼻をかんだちり紙など衛生上良くないし、入り込んだ鳥は糞をするし、これから暖かくなるとゴキブリが住み着いてしまうかもしれません。苦労して巣作りしたお二人には悪いですが、不法占有と断じて強制撤去を行うこととしました。レンジを叩いたり入口をバタバタ揺すると、ビビリなシュンちゃんは真っ先に逃げ出します。しかし、ピーちゃんは体を大きく膨らませて、口を大きく開けてシューシューを息を吐いて威嚇してきます。

 しかし、緒戦は我が家の居候に過ぎない2羽の小鳥。ピーピー追い出されて悔しそうに遠くから眺めていました。

Img_0046 不貞寝のピーちゃん

Dsc05560 権力の乱用に断固抗議します!

 でも、この光景は今まで何度も繰り返してきましたから、何れまた「思い出横丁」は復活することでしょう。天然児の思い出が続く限りは・・・

2016年3月23日 (水)

上野公園 桜開花速報

 3月21日(月)、気象庁が桜(ソメイヨシノ)の開花を発表しました。開花宣言の基準となる木は靖国神社の境内にあるそうですが、上野公園はどうでしょう?

Img_1669 う~む、開花はまだかな?

 22日のお昼休みに上野公園を散歩してみましたが・・・

Img_1662 おっ、咲いてるじゃん♪

 不忍池の桜並木は1本の木に数輪程度でしたが、上野の山ではもう少し進んでいて、木によっては2、3分咲きのものもありました。

Img_1664 夜桜も始まります。

 いよいよお花見シーズン到来です。上野公園が最も賑わう季節です。

Img_1667_2 心癒されます。

2016年3月18日 (金)

天然児をも魅了した戦国の城

 季節を問わず今まで頻繁に行っていた、ババと天然児、そして私の三世代ドライブ旅行。しかし、昨年の暮れにババが脳溢血で倒れて以降途絶えて、そしてババの半身不随の後遺症と痴呆によって、永遠にその機会は失われてしまいました。その煽りを受けて天然児の生活も一変。休日はもっぱらTVの前で終日ユーチューバー(視聴)になっています。これではいけません。

 私の趣味で景勝地や旧跡を巡っても天然児には何も面白くないだろうし、かと言ってハイキングは全身全霊をもって抵抗するでしょう。天然児の希望を容れて毎回イルカショーというのも・・・親子二人旅ではどうも張り合いがありません。こうなったら誰かを巻き込むしかなーい!

Dsc05772 武田勝頼の菩提寺景徳院

 3月5日(土)、以前から天然児に理解のある友人ファミリーを誘って、山梨東部に歴史ツアーを敢行しました。この春中学生になる友人の子は大の歴史好き。大河ドラマ「真田丸」も逃さず視聴しているとのことなので、甲斐大和天目山にある武田勝頼自害の地景徳院や笹子峠など、武田氏の滅亡にちなんだ史跡を紹介しました。

Dsc05759 山に囲まれた大月のまち

 笹子峠を越えて、やって来たのは大月市。大月は山梨県東部に位置して、広大な市域を有していますが、北西にの大菩薩連嶺、北東に都留三山、南東に道志山塊、南西に御坂山地とその大半が山地で、市街地はそれら山々に囲まれた桂川流域の狭隘な場所です。古来より甲州街道の宿場町で、富士五湖方面への分岐点であり、現在も中央高速、甲州街道(R20)、JR中央線、富士急行が通じる交通の要衝です。

Dsc05761 あ!

Dsc05767 あれは!

Dsc05763 なんだー?

 この天然児の驚き様はどうしたことでしょう!?海なし県の山梨でイルカショーでも始まろうというのでしょうか?

Dsc05760 空にそびえる黒鉄の城~♪
 大月市街を見下ろす巨大な岩山。その名を岩殿山と申します。この険峻な地形を生かして構築された山城が岩殿城です。甲斐武田氏の重臣で、郡内地方を領した国人小山田氏が築城したといわれています。難攻不落の山城として名高く、1582年(天正10年)に織田信長の侵攻を受けた武田勝頼が、落ち延びる先として真田昌幸の上州岩櫃城と天秤にかけたことは、武田滅亡時の有名なエピソードとして知られています。結局武田にとって、外様である真田昌幸よりも譜代の重臣小山田信茂の方が信用できるとして、この城を目指して落ちていきましたが、その信茂が裏切って笹子峠を封鎖してしまったので、武田勝頼は峠の西麓、前述の甲斐大和の天目山で行き場を失い滅亡してしまいました。

 さて、勝頼を裏切った小山田信茂は、織田信長に降伏したものの土壇場で主君を裏切った不忠者として成敗されてしまいます。武田軍団の中の信茂は、武田二十四将に名を連ね、1571年に武田信玄が徳川家康を破った三方ヶ原の戦いでは先陣を務め、更には1575年の長篠の戦いでも主力として奮戦するなど、武田軍の中枢として活躍しました。しかし、甲斐国守護として国中地方(甲府盆地)を治めた武田氏に対して、笹子峠以東と富士山北麓富士五湖地区(いわゆる郡内地方)を治めた小山田氏は独立勢力といっても過言ではなく、武田氏とは姻戚関係にありつつも抗争の時期もありました。小山田氏は武田にとって安心できる間柄では決してなかったのです。

 また、自らの武勇を頼みとする武田勝頼は、自尊心が強く、小山田信茂を含めた先代信玄以来の重臣との間に軋轢が生じていたといわれています。先述の長篠の戦いでは、織田・徳川連合軍の圧倒的な兵力、火力を前に、不理を悟って撤退を主張した重臣たちの進言を勝頼は退け、正面突撃を命じたため、山県、内藤、土屋、馬場ら小山田と轡を並べた戦友たちはことごとく戦死してしまいました。一説には、勝頼が慎重論を唱える重臣たちを臆病者呼ばわりしたため、憤った重臣たちは、集団自殺的に突撃をしていったともいわれています。武田氏が滅亡した大きな要因は、小山田、木曽、穴山ら有力家臣の離反の他に一門衆からもサボタージュが生じるほど、家臣団の大半が主君勝頼を見限っていたことによるもので、穴山梅雪や小山田信茂だけが特出して卑怯者呼ばわりされるのは気の毒な気がします。

Dsc05749 たくましく生きよ!次世代たちよ。

 小山田信茂が武田勝頼を迎えて織田軍を迎え撃っていれば、戦国史に残る大規模な篭城戦が展開されたであろう岩殿城ですが、信茂が武田を裏切って、更に甲府で殺されてしまったため、その後、織田方に組みした北条氏が攻め寄せると、さすがの堅城も主を失っていたため、脆くも自落してしまいました。国破れて山河あり。岩殿山に築かれた城郭は小山田氏とともに歴史から消えてしまいましたが、城の基礎となった大岩壁は今も大月市街を見下ろし、見るものを圧倒しています。そして、天然児をも魅了したのです。

 さて、元々山が大嫌いな天然児。岩殿山の麓にある駐車場に入ったときは、いつものように頑強な抵抗姿勢を見せていました。岩殿城は今回の歴史ツアーの目玉だったので、友人ファミリーには先に行ってもらい、ゆっくり堪能してもらうことにしました。しばらくして、後から満面の笑みで登ってくる天然児に、友人は「よく説得したね」と驚いていました。まあ、何と申しましょうか、料理人のさじ加減、職人技にも通じる、言葉には表現できない彼のお尻の押し方があるんですよ。

2016年3月12日 (土)

雨の池之端にて

 春の息吹を感じながら山行をしたかと思えば、今週に入って一転して冷たい雨となりました。雨の日は昼の散歩は控えて、職場でネットを見たり、忙しい時期なので少しでも仕事を消化したりして過ごすのですが、病床のババの一日も早い回復を願って、傘をさしてお百度参りに出かけました。

Img_1608_3 静かな池は鳥たちの安息の場

 湯島の坂を下り、上野不忍池の畔、池之端に出て、池の中道を歩いて上野の山にある医薬祖神五條天神社までを往復します。晴れた日には散歩やジョギング、観光客で賑わっている上野不忍池ですが、冷たい雨の日にはほとんど人の姿がありません。池の周囲にはビルが立ち並んで車の往来もあるのですが、自然と雨音に消されて不思議と静かな池の畔を歩いていきます。

Img_1596 行き・・・あなたはだあれ?真っ黒くろすけ?

Img_1606 帰り・・・ウさんでしたか

 人の姿が消えた池では鳥たちがのんびりと羽を休めています。でも、いつもの人慣れして餌をねだる都会の鳥の姿とは違って、自然な姿を見せてくれました。

Img_1605_3 コサギも近くで見れました。
 それとは逆に、警戒心の強いサギなどは、人が多いと岸から離れた葦原やボートの上、あるいは樹上に身を隠してなかなか近寄ってこないのですが、人が少ないこのような日には警戒心も薄らぐのでしょうか、身近に観察することができました。

Img_1613 オオバン

 いつもは首を前後に振りながら水面を泳ぎ回る水鳥オオバン。このオオバンが陸上を歩く姿を初めて見ることができました。その姿はどこかヤンバルクイナを彷彿させるものでした。

2016年3月10日 (木)

山行 将来の憂いを思いながら 寄沢沿い

 鍋割山で大きな富士山を遥拝した後は、西尾根を下って雨山峠を目指します。

Dsc05706 鍋割山から富士を遥拝

 北側には玄倉川を挟んで蛭ヶ岳や檜洞丸が間近く見えました。この区間は日当たりの悪い急斜面で、凍結した雪が結構残っていて難儀しました。チェーンスパイクを持参していたのでつければ良いのですが、不精してしまいました。結果、何とかくだりましたが、こういうことを繰り返しているといつか怪我をしそうな気がします。

Dsc05710 山頂直下の急斜面

Dsc05713 蛭ヶ岳

 雪が消える頃、到着したのは鍋割峠です。小さな石仏が立つこの峠には、楽しい思い出と嫌な思い出があります。

楽しい思い出とは⇒http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2014/07/post-6d89.html

嫌な思い出とは⇒http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-2add.html

 鍋割峠から更に西尾根を歩いて雨山峠に出て、そこから寄沢沿いのルートを歩いて寄に戻る予定でしたが、多少危険でも鍋割峠から南のコシバ沢を歩いた方が1時間のショートカットになるので、午後からババの見舞いに行くことを考えると、つい近道を選択してしまいます。

Dsc05724 岩がゴロゴロのコシバ沢

 コシバ沢のルートは、最初は大きく崩壊した沢の源頭部を見下ろしながら樹林の急斜面を下って行きますが、そのうち沢の中を下ることになります。石をピョンピョン下っていくと、周囲の枝沢からゴロゴロと石が転がってくる音が耐えません。結構な恐怖感を覚えました。雪溶けで石が浮いているのでしょう。このルートが一般ルートとして紹介されていないのも頷けます。メットも被らず安易にこんなルートに踏み込んでいるのも、いつかは思わぬアクシデントに遭遇するかもしれません。

Img_1580 人里離れた電話ボックスの意味は・・・

 さて、寄沢沿いのルートを楽しんで寄水源林へくだりますと、突然鼻がムズムズ・・・ヘックショーン!くしゃみ5連発。水源林には植林された杉が多いのを忘れていました。目、目が~~~

Dsc05741 中津川沿いの河津桜

 お目目カキカキ、寄沢が中津川に名を変える頃、自然休養村に帰着しました。暖かい陽気の中、お天気にも恵まれた楽しい山行でした。こういう山行ができると1週間の活力源になりますね。

★コースタイム:4時間50分

寄自然休養村P7:05→7:45三廻部林道→8:15櫟山→8:30栗ノ木洞→8:50後沢乗越→9:35鍋割山

鍋割山9:40→10:00鍋割峠→10:30コシバ沢下→11:25水源林ゲート→11:55寄自然休養村P

2016年3月 6日 (日)

山行 いつもと違う鍋割山 鍋割山南稜

 地元、丹沢山地の中でも最も歩いているのが表尾根ですが、表尾根の中でも鍋割山は塔ノ岳と並んで登っている山です。表尾根の山並みを見上げても、塔ノ岳ほど顕著なピークを持っていませんが、登山口からのアプローチが良いこと、マイナールートも含めて東西南北にルートが通じていること、西に大きな富士山の展望、そして鍋焼きうどん。鍋割山は魅力がいっぱいの山です。

 2月28日(日)。河津桜が咲き誇る松田山の向こう側。松田町寄地区から鍋割山の南稜、櫟山(くぬぎやま)、栗ノ木洞のピークを歩いて鍋割山を目指します。やや遅めの7時に寄自然休養村管理センター前から出発。山に囲まれた寄に朝日が差し込むのはもう少し先のようですが、見上げる鍋割山には朝日が当たって、何やら神々しさを感じさせてくれます。また、秦野盆地から見上げる鍋割山は、今ひとつ目立たない山ですが、ここ寄から見上げる鍋割山は、実に高度感があって堂々たるものです。寄を起点として鍋割山を目指すとき、その姿を見上げるとワクワクとした高揚感を得ることができます。オススメです。

Dsc05670 まだ甘い香りが漂っていました。

 集落からロウバイ園のある高台を目指してしばらく農道を歩きます。今年も年明け早々から咲いて訪れる人々を楽しませてくれた寄のロウバイです。今は花期も終わって色も落ちてしまいましたが、微かに甘い匂いが辺りに残っていました。

Dsc05671 河津桜もありました。

 ロウバイ園の上には河津桜が植樹されていて、松田山同様に満開の見頃でした。陽が入らずちょっと暗かったのが残念です。

Dsc05673 土佐原のシダレ。ひと月先ですね。

 農道の最高点まで上って、土佐原集落が見下ろせる場所まで来ると、そこが鍋割山から延びる南稜ルートの登山口になります。土佐原地区にあるしだれ桜の名木を見下ろせましたが、花が咲くのはもうひと月先です。

Dsc05674 茶畑(対岸に宮地山、後方に高松山も)

Dsc05676 僕が入るとパパが出て、パパが入ると僕出され~たまには一緒に入りたい♪

 農道を離れて最初のうちは茶畑のへりを急登していきますが、農地の最上部にある鹿柵を通過するといよいよ登山道らしくなりました。冬枯れの自然林の中をジグザグと登って行き、稜線に到達すると、あとはひたすら北へ北へと南稜上を歩いていくことになります。

Dsc05682 古くから歩かれていたようです。

 三廻部林道を渡ると左手が檜の植林帯、右手は自然林の明るい尾根上の歩きになります。右手に秦野市外が見下ろせるはずですが、この日は気温が上がって春霞が立ち込めていました。

Dsc05686 カヤトの櫟山山頂

 やがてルートは西丹沢県民の森に入って、しばらく進むとカヤトの原に立派な松の木が立つ櫟山山頂(810m)に到着です。やはり春霞で下界の景色は今ひとつでしたが、秦野市外から湘南の海岸線まで見渡せる好展望の場所です。振り返ると植林帯の上から富士山も頭を出しています。一帯には鹿のフンがあちらこちらに落ちていて、昼間は人間の、夜は鹿たちの憩いの場所になっているようです。

Dsc05692_2 栗ノ木洞山頂北側から見上げる鍋割山

 櫟山から先は、再び植林帯に入って緩やかに登って行きます。すぐに植林の中にある栗ノ木洞(908m)に至ります。ここは県民の森の最高地点になりますが、樹林に覆われて展望もないため、この付近で人を見かけることはめったにありません。

Dsc05695 雪が凍結した下り坂

 栗ノ木洞からは一旦下りとなりますが、日の当たらない北面の斜面には結構雪が残っていて慎重を要します。ふと見上げれば、目の前に鍋割山稜が見えていました。

Dsc05698 賑わう後沢乗越

 北斜面を下っていくと賑やかな声が聞こえてきました。西山林道二俣方面からのルートと出合う後沢乗越に下りました。分岐点では高年ハイカーのグループが小休止していました。お天気にも恵まれたので、多くのハイカーが二俣方面から上がってきているようです。

Dsc05702 鍋焼きうどんの具材を荷上げ?

 後沢乗越からは再び登りになります。ここから先、鍋割山山頂に至る区間は何十回も歩いたおなじみのルートです。でも急な登り下りには要注意です。かく申す、この山笑も元日初日の出暴走・・・もとい、初日の出登山の下山途中、この区間の下りで足を滑らせて捻挫をしました。

Dsc05703 鍋焼き食べようかな~

 快調に汗をかきかき登ること1時間弱。難なく鍋割山に到着しました。思ったよりも人は多くなかったですが、これからお昼にかけてドッと押し寄せてきそうです。今のうちなら待ち時間無しで鍋焼き食べられそうだなぁ・・・

Dsc05704 山頂から南稜を見下ろす。

★コースタイム:2時間30分(往路)

寄自然休養村P7:05→7:45三廻部林道→8:15櫟山→8:30栗ノ木洞→8:50後沢乗越→9:35鍋割山

2016年3月 2日 (水)

お百度参り折り返し

 3月になりました。春を迎えるのは嬉しい半面、年度末、年度初めは仕事が忙しいので喜んでばかりもいられません。

Img_1525 水も温みカメの姿も

 11月の末に脳溢血で倒れてリハビリ治療中のババの快癒を願って、医薬の神様が祀られている上野・五條天神社にお百度参りを続けてきましたが、2月29日にちょうど50回目を達成しました。冬から春へ、季節の変わり目に折り返し点となりました。午後から天気が悪くなる予報があれば、朝、家を出る時間を早めて出勤前に参拝。朝雨が降っていればお昼休みに参拝するなど、毎日継続できるように努力してきました。

Img_1583 境内の寒緋桜は満開です。

 冬期三ヶ月をかけて50回ですから、満願達成してババが元気に家で暮らせるのは初夏の頃でしょうか?でも、現実は・・・なかなか難しいようです。

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