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2016年3月18日 (金)

天然児をも魅了した戦国の城

 季節を問わず今まで頻繁に行っていた、ババと天然児、そして私の三世代ドライブ旅行。しかし、昨年の暮れにババが脳溢血で倒れて以降途絶えて、そしてババの半身不随の後遺症と痴呆によって、永遠にその機会は失われてしまいました。その煽りを受けて天然児の生活も一変。休日はもっぱらTVの前で終日ユーチューバー(視聴)になっています。これではいけません。

 私の趣味で景勝地や旧跡を巡っても天然児には何も面白くないだろうし、かと言ってハイキングは全身全霊をもって抵抗するでしょう。天然児の希望を容れて毎回イルカショーというのも・・・親子二人旅ではどうも張り合いがありません。こうなったら誰かを巻き込むしかなーい!

Dsc05772 武田勝頼の菩提寺景徳院

 3月5日(土)、以前から天然児に理解のある友人ファミリーを誘って、山梨東部に歴史ツアーを敢行しました。この春中学生になる友人の子は大の歴史好き。大河ドラマ「真田丸」も逃さず視聴しているとのことなので、甲斐大和天目山にある武田勝頼自害の地景徳院や笹子峠など、武田氏の滅亡にちなんだ史跡を紹介しました。

Dsc05759 山に囲まれた大月のまち

 笹子峠を越えて、やって来たのは大月市。大月は山梨県東部に位置して、広大な市域を有していますが、北西にの大菩薩連嶺、北東に都留三山、南東に道志山塊、南西に御坂山地とその大半が山地で、市街地はそれら山々に囲まれた桂川流域の狭隘な場所です。古来より甲州街道の宿場町で、富士五湖方面への分岐点であり、現在も中央高速、甲州街道(R20)、JR中央線、富士急行が通じる交通の要衝です。

Dsc05761 あ!

Dsc05767 あれは!

Dsc05763 なんだー?

 この天然児の驚き様はどうしたことでしょう!?海なし県の山梨でイルカショーでも始まろうというのでしょうか?

Dsc05760 空にそびえる黒鉄の城~♪
 大月市街を見下ろす巨大な岩山。その名を岩殿山と申します。この険峻な地形を生かして構築された山城が岩殿城です。甲斐武田氏の重臣で、郡内地方を領した国人小山田氏が築城したといわれています。難攻不落の山城として名高く、1582年(天正10年)に織田信長の侵攻を受けた武田勝頼が、落ち延びる先として真田昌幸の上州岩櫃城と天秤にかけたことは、武田滅亡時の有名なエピソードとして知られています。結局武田にとって、外様である真田昌幸よりも譜代の重臣小山田信茂の方が信用できるとして、この城を目指して落ちていきましたが、その信茂が裏切って笹子峠を封鎖してしまったので、武田勝頼は峠の西麓、前述の甲斐大和の天目山で行き場を失い滅亡してしまいました。

 さて、勝頼を裏切った小山田信茂は、織田信長に降伏したものの土壇場で主君を裏切った不忠者として成敗されてしまいます。武田軍団の中の信茂は、武田二十四将に名を連ね、1571年に武田信玄が徳川家康を破った三方ヶ原の戦いでは先陣を務め、更には1575年の長篠の戦いでも主力として奮戦するなど、武田軍の中枢として活躍しました。しかし、甲斐国守護として国中地方(甲府盆地)を治めた武田氏に対して、笹子峠以東と富士山北麓富士五湖地区(いわゆる郡内地方)を治めた小山田氏は独立勢力といっても過言ではなく、武田氏とは姻戚関係にありつつも抗争の時期もありました。小山田氏は武田にとって安心できる間柄では決してなかったのです。

 また、自らの武勇を頼みとする武田勝頼は、自尊心が強く、小山田信茂を含めた先代信玄以来の重臣との間に軋轢が生じていたといわれています。先述の長篠の戦いでは、織田・徳川連合軍の圧倒的な兵力、火力を前に、不理を悟って撤退を主張した重臣たちの進言を勝頼は退け、正面突撃を命じたため、山県、内藤、土屋、馬場ら小山田と轡を並べた戦友たちはことごとく戦死してしまいました。一説には、勝頼が慎重論を唱える重臣たちを臆病者呼ばわりしたため、憤った重臣たちは、集団自殺的に突撃をしていったともいわれています。武田氏が滅亡した大きな要因は、小山田、木曽、穴山ら有力家臣の離反の他に一門衆からもサボタージュが生じるほど、家臣団の大半が主君勝頼を見限っていたことによるもので、穴山梅雪や小山田信茂だけが特出して卑怯者呼ばわりされるのは気の毒な気がします。

Dsc05749 たくましく生きよ!次世代たちよ。

 小山田信茂が武田勝頼を迎えて織田軍を迎え撃っていれば、戦国史に残る大規模な篭城戦が展開されたであろう岩殿城ですが、信茂が武田を裏切って、更に甲府で殺されてしまったため、その後、織田方に組みした北条氏が攻め寄せると、さすがの堅城も主を失っていたため、脆くも自落してしまいました。国破れて山河あり。岩殿山に築かれた城郭は小山田氏とともに歴史から消えてしまいましたが、城の基礎となった大岩壁は今も大月市街を見下ろし、見るものを圧倒しています。そして、天然児をも魅了したのです。

 さて、元々山が大嫌いな天然児。岩殿山の麓にある駐車場に入ったときは、いつものように頑強な抵抗姿勢を見せていました。岩殿城は今回の歴史ツアーの目玉だったので、友人ファミリーには先に行ってもらい、ゆっくり堪能してもらうことにしました。しばらくして、後から満面の笑みで登ってくる天然児に、友人は「よく説得したね」と驚いていました。まあ、何と申しましょうか、料理人のさじ加減、職人技にも通じる、言葉には表現できない彼のお尻の押し方があるんですよ。

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