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2016年10月

2016年10月30日 (日)

山行 山座同定と紅葉狩り 乾徳山その3

 乾徳山(2031m)の山頂は、露岩がのコツコツした狭い場所ですが、樹木がないので360度の大展望です。天気は快晴。ここはじっくり腰を据えて山座同定を楽しみたいと思います。月見岩同様、東から南を経て西に、大菩薩連嶺、道志山塊、御坂山地、富士山、天子山塊、南アルプスと並んでいます。

Dsc07595 コンちゃんマークの看板

Dsc07584_2 南東方向に富士山や周囲の山々

Dsc07594 南西に南アルプス

 逆に東から北を経て西には、黒川鶏冠山、奥多摩三山、飛龍山、雲取山、雁坂峠周辺の甲武国境尾根、甲武信ヶ岳から国師ヶ岳、金峰山にかけての甲信国境尾根と遮るものはありません。金峰山の山頂にある五丈岩もはっきり認められました。

Dsc07580 北西に奥多摩方面

Dsc07596 北に奥秩父の甲武国境尾根

Dsc07591 北西に奥秩父の甲信国境尾根

 山頂には、高年のグループが景色を眺めたり、料理をしたりと思い思いの山を楽しんでいましたが、話を聞くと恵林寺の住職に先導されて登ってきたようです。そう言っているうちにお坊さんが登場。かの夢窓国師が100日間座禅修行をしたといわれる岩屋で座禅を組んできたそうです。そういえば、以前NHKの「小さな旅」という番組で乾徳山を放送したとき、恵林寺の古川周賢住職が登山修行をしている姿が出ていました。ということは、この方が恵林寺の住職なのでしょう。ありがたや、ありがたや。

Dsc07582 金峰山の五丈岩だ。

Dsc07597 山麓は紅葉が進んでいます。

 さて、たら腹山座同定を楽しんだので、名残惜しいですが下山しましょう。下山ルートは、一旦北側の黒金山方面に延びる尾根に10分ほど踏み込んだ場所から分岐しています。

Dsc07603 さらば乾徳山

 分岐点からは、ガレた涸れ沢沿いを急降下するルートです。足掛かりも不明瞭で、しばしば尻餅をつきながらの下山です。高年グループはこのルートを登ってきたと言っていましたが、よく登ってきたかと驚きました。

Dsc07613 下山ルートの紅葉

Dsc07616 赤と黄色が美しい

 涸れ沢の下りに辟易した後は、素晴らしい紅葉のご褒美が待っていました♪赤や黄色に紅葉した山腹を西から東へ迂回していきます。しばらく歩いていくと、下の方から熊鈴の音が聞こえてきました。?下から上がってくるルートはないはずですが…そのうち、樹林の間にチラホラと人の姿が見えてきました。私と並行して東に向かっているようですが、キノコ狩りでもしているのでしょうか。このまま行けば、先の高原ヒュッテ辺りで合流しそうです。

Dsc07621 国師ヶ原の紅葉

 やがて前方に往路立ち寄った高原ヒュッテが見えてきました。ふと気づけば、熊鈴も人の姿も消えていました。あれれ?どうしちゃったんだろう。あれは本当に人だったのだろうか?それとも…元人だったのかもしれません。

Dsc07624 これが本当のお別れです。

 黄色く紅葉した国師ヶ原を今度は西から東へ横断していきます。往路は南から北でしたので、今回の山行は八の字コースを辿ったことになります。復路は国師ヶ原を突っ切って、道満尾根から徳和へ下山しました。

 沢沿いあり、カヤトの原あり、紅葉あり、そして岩場ありと変化に富んだ乾徳山。何とも贅沢ではありませんか。登山口から車で10分。笛吹の湯で汗を流して帰宅しました。やはり以前から気になっていただけあって、素晴らしい山行になりました。

★コースタイム:7時間

徳和7:00→7:30乾徳山登山口→8:50国師ヶ原(高原ヒュッテ休憩)9:10→9:40扇平(月見岩)9:50→10:50乾徳山

乾徳山11:10→12:25国師ヶ原十字路→12:50道満尾根分岐13:00→14:00徳和

2016年10月29日 (土)

山行 秋天を突く岩峰に挑む 乾徳山その2

 徳和地区から30分歩いた乾徳山の登山口。ここからは徳和川から離れて、薄暗い植林帯をしばらく歩くことになります。途中古い林道を何度も横断しますが、今では使われなくなって荒廃の一途を辿っていました。これも我が国林業の衰退の一面ですか。

Dsc07525 かつては人の営みがあった。

 歩いて20分ほどで銀晶水と呼ばれる水場です。水場周辺には岩がゴロゴロしていますが、苔むして雰囲気がありますが、よく見ればその中に石を組んだ石垣がいくつもありました。恐らくは清水を利用したわさび田の跡なのでしょう。人の営みは消えて山に飲み込まれようとしています。

 標高を上げていくにつれて、陽が差し込んで明るくなってきました。徳和川対岸の山々は黄色く染まって鮮やかです。時折、フィ~~~~~~ョ、フィ~~~~~~ョと鹿の鳴き声が山々を渡っていきます。仲間と交信しているのでしょうか。地元丹沢でも鹿を見る機会が多いのですが、いつもピーヨ!という警戒声をあげて逃げていきます。この一帯は鹿が安心して暮らせる環境なのでしょう。

Dsc07531 錦晶水

 登山口から1時間余りでもうひとつの水場錦晶水です。美味しそうな清水が湧出していますが、飲むのはやめておきましょう。何故なら、先日の胃の検査でピロリ菌の陽性判定が出たからです。胃炎や胃潰瘍の原因とされるピロリ菌の感染源は、かつては井戸水など生水によるものが多かったそうで、上下水道の整備された現在では大人が感染することは滅多にないそうです。しかし、山などに湧出する清水を煮沸しないで飲むと感染することがあるそうです。胃の検査以前は、当たり前のように清水をカブカブいっていましたから、こりゃあもうダメかもわからんね。

Dsc07537 国師ヶ原から山頂を望む

Dsc07546 ロケーション抜群の高原ヒュッテ

 錦晶水の先は道がなだらかになって、シラカバやカラマツ林の広がる高原になっています。ここは国師ヶ原という場所で、かつての放牧場です。その名から、夢想禅師が修行中に滞在していたのかもしれません。樹林が開けたところからは、乾徳山の岩峰が間近に見上げられました。高原の中程、徳和から山頂へ向かう登山ルートと大平牧場から通じる林道が交差する十字路付近に、高原ヒュッテと呼ばれる無人の山小屋が1件あります。古い小屋のようですが、中は板張りで非常にきれいに整ってています。何より男女別のバイオトイレがあるのがありがたいところです。

Dsc07548_2 国師ヶ原の紅葉 Dsc07540 十字路の道標

 国師ヶ原から山頂方面に向かいます。この辺りから赤や黄色の紅葉が見られるようになりました。しばらく樹林の中を登っていくと、再び樹林が開け、今度はカヤト野原が広がる斜面になりました。振り返れば南面が大きく開けて、甲府盆地を挟んだ正面に富士山と対峙します。その右手に存在感を示している山が。天子山塊の盟主である毛無山です。8年前に職場の仲間と登った懐かしい山です。富士山を間近に山上焼肉。最高でした!

Dsc07560 月見岩からの展望

Dsc07562 山頂を御覧じあれ!

 カヤトの斜面を登って乾徳山の肩の位置に出ると、月見岩という大きな岩があります。ここで徳和からのもう一つのルート道満尾根ルートと出合います。月見岩の上からは、東~南~西にかけての展望が素晴らしく、東に大菩薩連嶺、南に甲府盆地と御坂山地、西に天子山塊と南アルプスが一望できました。勿論、正面には主役の富士山が堂々たるものです。山頂を仰いでみれば、カヤト野原の上に紅葉が混じった森林が盛られて、更にその中から頭頂部の岩峰が秋天を突く、とても見事な姿です。ジオラマ…というよりは、創作料理のような姿というべきでありましょうか。

Dsc07567 扇平付近の紅葉

Img_3736 最高ですかー!最高でーす!

 カヤト野原の上部、扇平から山頂部の樹林に入ります。根元には大きな岩がゴロゴロする急登になり、すぐに岩を攀じ登る腕力勝負のルートになりました。いよいよ乾徳山の核心部です。山頂が近づくにつれて、岩のギャップは大きくなって鎖場も出てきましたので、ストックやカメラをザックに収納し、この先は素手とスマホで勝負です。

Img_3737 いよいよ核心部

Img_3743 秋空と岩峰と紅葉。いい!

 しかし、元来高所恐怖症の山笑。山頂までの岩稜になると大幅にペースが落ちてしまいました。雷岩という巨岩を手に汗かきながらトラバースして、やれやれと思っていると…

Img_3748 鳳岩にキタァ~~~~~~!

 山頂直下に最大最終関門、乾徳山の代名詞ともいえる鳳岩の登場です。鳳岩は高さ20メートルの一枚岩をを攀じ登るクライミングの初歩技術が要求される場所です。幸い中央部に裂け目が延びていて、それと並行に鎖が垂れているので、これを手掛り足掛りにして、攀じ登るのが正攻法のようです。心頭滅却すれば垂直も水平のごとし!とばかりに第一次攻撃開始です。

Img_3749 心頭滅却すれば垂直も水平のごとし!は、ダメでした。

 これまたしかし、体がコチコチのオッさんには実に厳しい。足が次の掛に…と、届かない。そのうち手には汗がじっとりと。あー怖い怖い。第一次攻撃は失敗です。鳳岩に正攻法を挑まなくてもう回路があるのですが、「乾徳山に登りました。でも鳳岩には登りませんでした」ではいかにも格好がつきません。

Img_3753_2 下を見るな~下を見るな~

Img_3755 万歳!万歳!万歳!

 再び下から岩を見上げてルートを見定めます。第二次攻撃は、あえて中央の裂け目と鎖には頼らず、崖際になりますが、左手から岩の中腹まで乗り越えて、中腹の棚を右手にトラバース。最後は右手から岩稜を攀じ登って山頂に挑みました。その甲斐あって、今度は大成功!乾徳山(2031m)の山頂に立つことができました。いやぁ~、結構手強かったな(つづく)

2016年10月26日 (水)

山行 ずっとあなたのこと誤解してた 乾徳山その1

 山梨県内には気になっている山がいくつかあります。長野県にはもっとあると思いますが、遠くて現実的に何度も行くのが難しいので、今のところは気にしないようにしています。そんな山梨の気になる山のひとつが、奥秩父山地にある乾徳山です。

Dsc07648 フルーツラインからの展望

 甲州街道が笹子峠を越えて甲府盆地に下った勝沼から、北の甲州市塩山に通じる広域農道「フルーツライン」は、甲府盆地の東縁に位置する高台を走っているので、空気の澄んだ日には山麓に広がるぶどうやさくらんぼの果樹園を一望に見渡し、更に甲府盆地を取り巻く山々がよく見えるドライブには最高の道です。

Dsc07507 最初これが乾徳山かと思いましたが(×小楢山(右)と大沢ノ頭)

 フルーツラインを塩山近くまで進んで牛奥トンネルを抜けた頃、前方に大きな双耳峰が存在感を示して、その右奥に尖ったピークが一際目を引く高い山が見えます。私は最初、双耳峰が乾徳山と尾根伝いにある黒金山で、尖峰は甲武信ヶ岳かと思い込んでいましたが、よくよく調べてみると、双耳峰は小楢山と大沢ノ頭で、尖峰が乾徳山であることを知りました。こうなるとますます気になる乾徳山です。

Dsc07649 奥の尖峰が乾徳山

 乾徳山の山名の由来は、塩山周辺の山梨県峡東地域から見て北西=乾(いぬい)の方角にそびえる山で、その姿が君主の徳を示す山といわれています。山麓にある甲斐武田氏の菩提寺である恵林寺の山号が乾徳山ですが、鎌倉時代の末期に恵林寺を開山した禅僧夢窓疎石が、乾徳山で座禅を組んで修行したことに由来しているそうです。

Dsc07509 徳和の朝

 フルーツラインから塩山市街に入って、恵林寺の門前を通って、秩父方面に通じる雁坂みち(R140)に入ります。5分も走ったら雁坂みちと分かれて、更に5分ほど入った山間の徳和集落が乾徳山の登山口です。二宮を5時に出て7時前に徳和に到着。徳和川沿いにある登山者用の駐車場には、既に7、8台の車が入っていました。

Dsc07512 徳和の兜造り

 車内で朝食を取って、7時に徳和を出発しました。養蚕業の名残である兜造りの旧家を眺めながら林道を歩いていきます。集落の外れには、イワナやヤマメの養殖場がありました。プールを覗き込もうとすると、優秀な番ワンコに見つかって激しく吠えられてしまいました。Sorry Sorry

Dsc07514 養殖池

 集落から出ると林道は未舗装になって、笛吹川支流の徳和川沿いに延びていきます。徳和川の上流は徳和渓谷と呼ばれて、紅葉の名所だそうです。この地域で紅葉の名所といえば、笛吹川源流の西沢渓谷が余りにも有名なので、徳和渓谷はイマイチ知られていませんが、前述の夢窓疎石禅師がこの地で修行したとき、徳和渓谷の紅葉の美しさに感激して座禅を組んだほどだそうです。後に京都天龍寺など石庭作家として名を馳せは夢窓禅師。ここでの経験も作庭に役立てたことでしょう。

 しばらくすると、散歩のおじさんが下ってきたので、挨拶がてら紅葉の進み具合を聞いてみると、「なになになになに、紅葉だって?」とキョトンとしているので、まだ早いのかと思っていると、「今がちょうど見頃です。素晴らしいですよ」だって。紛らわしい反応だから。聞けば、徳和渓谷の紅葉はちょうど見頃を迎えて、11月に入る頃までの10日間が見頃だそうです。「きっと、乾徳山も上の方は紅葉しているよ」とのこと。別れ際、「山を存分に楽しんできてくださいよ。もう一度言います。存分に山を楽しんできてください」いやぁ、ちょっとくどいけど、人情溢れるおじさんでした。でも、この言い回し…誰かに似ているぞ。

Dsc07520 登山口

 駐車場から林道を30分ほど歩いて、立派な看板の立つ乾徳山登山口に至りました。(つづく)

2016年10月24日 (月)

山行 オバちゃんに感謝 寄沢経由鍋割山

 9月上旬に登った塔ノ岳より早40日が経過して、完全に充電切れ状態でしたので、バッテリーチャージと足慣しに鍋割山へ登ってきました。ちょっと鍋割というときは、表丹沢県民の森まで車で入って、南稜か小丸尾根を歩くのですが、小丸尾根が来年1月まで伐採作業により通行止めなので、松田町寄の奥、水源の森から寄沢を遡行する裏ルートを歩くことにしました。

Dsc07472 寄大橋の十月桜

 スタート地点の寄大橋まで来ると、橋全体が塗装工事中で、橋のたもとのスペースに駐車できません。誘導のオバちゃんに指定されたのは山の際ですが、この辺りは落石が多いので、帰ってきたらルーフがペコリなんてことにならねば良いのですが(汗)オバちゃんの監視下で着替えるのが恥ずかしかったので、ジーパンとTシャツの普段着で出発です。そそくさと出発しようとすると、オバちゃんが愛想良く「これ、桜が咲いているわよ」と教えてくれました。こんな山奥に十月桜があったとは知りませんでした。オバちゃんサンクス。当に樹下美人ですよ。(こんなこと言って、この後オバちゃんに助けられようとは、この時思いもよりませんでした。)

Dsc07498 リュウノウギク

Dsc07505 ホトトギス

 水源の森を歩いていくと、しばらくは橋を塗装するコンプレッサーのシューシューという大きな音が追いかけてきます。秋の花も見頃が終わっているようで、リュウノウギクやホトトギスが僅かに咲く程度でした。

Dsc07476 Bigなカラカサタケ

Dsc07475 タゴガエル

 水源の森から雨山峠に通じるルートは、前半は寄沢沿いに左岸から右岸へ、右岸から左岸へと渡渉を何度か繰り返しながら遡行して、後半は樹林帯を尾根まで上り詰め、沢沿いのスリリングな箇所を通過し、最後はゴルジュのような沢の源頭部を歩く変化に富んだルートで、丹沢の中でもお気に入りのルートです。少しは紅葉が見れるかと思って来たのですが、周囲の山肌は緑が少しくすんできた程度で、紅葉はまだ半月以上先のようです。

Dsc07484 コシバ沢

 この日はスロースタートで時間が限られていたので、雨山峠経由ではなく、手前のコシバ沢を詰めて鍋割峠へ出るショートカットを歩きました。コシバ沢は通常ルートではない涸れ沢のガレ場を歩くルート。倒木も多くてかなり荒れていましたが、目印のテープがしっかり付けられているので、特に迷うようなことはありません。

Dsc07488 少し黄色味が増したかな?

 活気に満ちた夏山も終わって紅葉シーズン前の静かな山。突然の人間の出現に、鹿はピーョ!と警戒音を立てて樹林の中に消え、足元を這うサワガニも岩の間に身を潜めてしまいました。逃げないでおくれ。私は優しいおじさんだよ~(それこそが怪しい)

Dsc07490 鍋割峠の馬頭観世音

Dsc07497 山頂はガッスガス

 小さな馬頭観音さんが迎えてくれる鍋割峠で一服。そこから急登を20分ほど歩いていくと、立ち込めたガスの中から人の声が聞こえてきました。鍋割山(1273m)の山頂です。ガスガスで何も見えない山頂でしたが、10人ほどのハイカーが憩っていました。腹ごしらえに霞でもたら腹いただきましょうか。

Dsc07496 こんな日はコレに限ります♪
 なんてね。仙人じゃあるめえし、定番の鍋焼きうどんを注文しました。小屋主の草野さん。今日はおひとりで忙しそうです。隣のベンチでは、念願の鍋焼きうどんを前にピーピーキャーキャーと煩ったい山女子&彼氏。思ったことがそのまま口から出てくる若さって羨ましいものだと、楽しみながらハフハフ鍋焼きをいただきました。

 鍋割山稜を歩いてきた高年グループは、小丸尾根経由で下山しようとしたところ、分岐点まで行って伐採作業の通行止めを食らったようで、表示もなく不親切だとボヤいていました。そういうことは事前に情報収集をしておくべきですよ。

 腹が膨れたら早々に下山開始です。南稜を少し下って、標高1千m地点から作業道に踏み入り、水源林の遊歩道に出るやや強引なショートカットです。でも、慣れてしまえばこれほど便利なことはありません。目印である「1000m」ペンキ印のブナの木に注意しながら下っていくと、上がってきた可愛らしい女子2人に声をかけられました♪

女子「山頂までどれくらいですか?時間がかかっちゃって、もう引き返そうかと思って」

山笑「そうねー30分くらいかな。ここまでどの位かかったの?上で泊まりなの?」

女子「大倉を10時半にスタートで、日帰りのつもりなんだけど、泊まってもいいかなぁ~」

山笑「お目当ては鍋焼きでしょ?それなら30分で登って、30分で食べて、大倉まで下りが2~3時間。もう2時半だから暗くなっちゃうよね。西山林道まで下っちゃえば暗くても歩けるだろうけど、ランプあるの?」

女子「ない」

山笑「じゃあ、残念だけど引き返した方が良さそうだね。こんな天気だし、天気の良い日にまた来なよ」

女子「今回は初めてシカを見れたから良しとしよう。下ったらその分美味しいもの食べようよ」

山笑「よし!今日はおじさんが美味しいものをご馳走するよ」(←これはここまできて、口から出ませんでした)

 そうそう。この引き返す割り切りこそが山では大切ですね。それにしてもこの2人。かなり若い。女子高生?女子大生?この先山女子として成長するのが楽しみです。「じゃあ悪いけど、おじさんは先に行くよ。気をつけて」後ろ髪を引かれる思いで先に行こうとしたら、目の前を鹿が横切っていきました。優しいシカさん。彼女たちを慰めに来てくれたのでしょうか。

 彼女たちと別れて、姿が見えなくなったのを見計らってルートを脱線。こういう行動は若い人には余り見せたくありませんからね。思いがけない山女子との会話。これだから山はいい♪

 さて、寄大橋まで戻ってくると、例のオバちゃんが待ってたとばかりに近寄ってきました。いやいや、山女子との思い出が覚めちゃうな。なんてバカを思っていると、「あー良かった。ほら、オタクの車の後ろに車がついているでしょ。前の車に近いって注意しても聞かないし、停めたらもう何時間も寝ているみたいだし、変な人なのよ。まだ私たちがいるうちに早く行ったほうがいいわよ」

 確かに、他県ナンバーのウィンカーランプが飛び出した軽自動車が後ろぴったりに停まっています。遠見ではっきりとは見ませんでしたが、運転席のシートを倒して誰か寝ているようです。オバちゃんに手を挙げて早々にその場を離れました。確証はないのでこういう割り切りは良くないかもしれませんが、最近、登山者の車を狙った車上荒らしが多発しているようです。人目のない山奥に車で入るときは要注意ということを実感しました。(車の方、間違いでしたらご容赦ください)

★コースタイム:4時間15分

寄大橋11:20→12:30コシバ沢分岐12:35→13:15鍋割峠13:20→13:40鍋割山14:10→14:30標高1千m14:40

→寄大橋15:35

2016年10月22日 (土)

キミは数奇フェチか?いやいや数奇フェスです。

 朝上野駅のホームに降り立つと、飲んでもいないのに頭がボーッとして、足取りもおぼつかないくらいフラフラです。時には階段を踏み外しそうになります。睡眠十分、朝飯ガッツリのはずなのに…歳のせいか、寝起きが弱くなりましたね。こんなことで1日のお勤めを乗り切れるのでしょうか?でも、上野公園の中を歩いているうちに草木の匂いや冷たい秋風に助けられて、頭がスッキリしてくるんですね。自然の治癒力は偉大なり。

Img_3756 地雷原は慎重に

 さて、秋も深まってくると、上野公園内や街路はちょっとした危険地帯です。そう。銀杏地雷原です。銀杏の実を落とすイチョウの木は、東京都のシンボルツリーですからとにかく街中に多い。朝も早ようから銀杏拾いのオバちゃんを横目に、独特の異臭に辟易しながら地雷原を慎重に歩いていきます。

 不忍池まで来ると…

Img_3760 今度は風船爆弾だ!

 不忍池の弁天堂周辺に大きなバルーンが並んで風に揺れています。すわっ!今度は風船爆弾の番だね。バルーンに触ってみると、これがなかなかしっかりとしたハードな素材で、そう簡単には割れそうもありません。風が強いタイミングを見計らってボイン!と体当たり。風船爆弾ではないようです。

Img_3764 浮遊する、呼応する球体
 この球体の正体は、「浮遊する、呼応する球体」というアート作品だそうです。チームラボというデジタル技術のプロ集団が創作したアート作品で、日没後に球体は発光して、手で触れると色が変わったり音を出すのだそうです。

Img_3766 不忍池にも何やら仕掛けが

 10月21日(金)~23日(日)の3日間、ここ芸術の森、上野公園を会場に「数奇」をテーマとした「数奇フェス」が開催され、アート作品の野外展示、作品あるいは空間と光、音とのコラボ、音楽コンサート、ワークショップが行われます。主催は上野公園周辺にある美術館、博物館、芸大などの機関が連携しているそうです。チームラボの展示のほかにも、日比野克彦、大巻伸嗣、諏訪内晶子などアート、音楽分野で著名な方々の発表もあって、博物館や美術館も夜間まで開館するそうです。

数奇フェスサイト:http://sukifes.tokyo/

 「数奇」とは、室町時代に和歌やわび茶などの文化に通じだ人たち、いわゆる「数奇者」を語源としている風流を愛でる心です。よくある分野に凝った人のことを「好き者」なんて呼びますが、これも「数奇者」と同義です。上野のお山を舞台にした現在の好き者たちのお祭りであります。

Img_3793 こういう仕掛けでしたか

 さて、1日のお勤めを終えたら上野公園へ直行です。日没後が数奇フェスの見どころ、21日は不忍池でファイヤーアート「和火・茶火(わび・さび)」が行われました。18時30分、不忍池をぐるりとひと山が取り巻きました。定刻より15分遅れて水上花火大会がスタート!…う~む。正直なところ、思ったよりも花火としてはショボかったかな。音楽や光線なんかもコラボして欲しかったところです。まあ初回ですから、次回以降の精進を期待しましょう。

Img_3771_2 Memorial Rebirth(光の露地)

Img_3768 舞踊と演奏もコラボ

 例の球体の点灯を期待したのですが、21日は20時からだとか。(22~23日は17時~21時)かみの見えざる手が働いて、モヤモヤと駅に向かいました。今回紹介したのはイベントの一部分です。心に「数奇」を少しても持っている人もそうでない人も、週末は上野公園に足を運んではいかがでしょうか?

2016年10月18日 (火)

おんぶって温かいね

 人が人を背負う。いわゆる「おんぶ」ですが、夕方疲れて寝込んだ子供をお父さんが背負って家路につく光景。最近は見なくなりましたが、お婆ちゃんが孫をねんねこであやす光景。年老いた親を孝行息子が背負っていく光景。どれも見ていて心が温かくなりますよね。

Dsc07457 オンブバッタ

 おんぶをするのは人間だけではありません。昆虫の世界では、固有名称にもなっている「オンブバッタ」がおなじみです。バッタの仲間は、大型のメスにふたまわりほど小型のオスがおんぶしている姿をよく見かけますが、これは交尾をするためで、後尾が終わるとオスはメスの背中から離れていきます。しかし、オンブバッタは例外で、交尾時でなくてもメスがオスを長時間おんぶして生活しているようです。

Img_3697 親ガメが子ガメを背負う

 バッタの他にもおんぶする姿をよく見るのがカメでしょう。親ガメの背中に子ガメを乗せて~子ガメの背中に孫ガメ乗せて~♪なんて歌がありますが、よく晴れた日に、池の端や石の上で折り重なって甲羅干しをするカメの姿は何とものんびりしていて癒されます。

Dsc07455 バッテリーチャージ完了!

 先週末、秋晴れの土曜日。山にも行けず不貞腐れて、猫の額にロシアリクガメのクロちゃんを放してうたた寝をしていました。最初はジッとして太陽エネルギーをチャージするクロちゃんでしたが、体温が上がってくると元気よく猫の額を歩き回って、プチトマトをよく食べて、ついでにプリプリッと快便です。

 しばらくボーッと意識もせずカメの姿を眺めていましたが、何やら甲羅の上に小さな虫を乗せていることに気づきました。

Dsc07460 ショウリョウバッタモドキ

 よく見てみると小さなバッタです。オンブバッタかと思いきや、ショウリョウバッタモドキという小さなバッタでした。クロちゃんがあまりにのんびり歩くものですから、当のバッタは石の上にでもいるつもりなのでしょう。それにバッタの茶色い体色がクロちゃんの黄土色の甲羅にマッチして安心しているのかもしれませんね。

2016年10月17日 (月)

軍師官兵衛もびっくり!水牢と化したメダカ池

 10月も半ばを過ぎました。朝晩は寒さを感じる程になりましたので、そろそろ我が家の居候君たちも冬支度です。夏の間は外飼いしていたリクガメのクロちゃんもリビングの水槽に収まりました。

 猫の額の片隅にいるメダカたちには、冬越えのために餌を沢山与えます。先日もメダカに餌を与えようとしたところ…

Dsc07440

 メダカ池のひとつに何か大きな生物が浮いているではありませんか!

Dsc07441 何やってんだよ~
 がまちゃんことヒキガエルでした。今年の夏は、トンボがメダカ池に産み落としたヤゴによってメダカが散々に食い荒らされてしまったので、トンボの産卵防止柵を置いたのですが、がまちゃんはどうやってか、この柵を突破して池に入り込んだようです。でも、入ったのはいいけど抜け出せなくなってしまったようです。

 このがまちゃんの姿を見て、豊臣秀吉に仕えた名軍師黒田官兵衛を思い出しました。天正6年(1578年)、織田信長の重臣で摂津有岡城主の荒木村重が敵対勢力の石山本願寺に加担して謀反を起こします。信長から多くの使者が派遣されて村重を説得しますが、その中に村重とは旧知の仲だった黒田官兵衛がいました。

 荒木村重はことごとく説得を退けましたが、元来情け深い性格でしたので、使者を殺したり捕らえることはありませんでした。しかし、村重と共に謀反を起こした官兵衛の旧主小寺政職が官兵衛を殺すよう進言したため、村重はやむなく官兵衛を捉えて有岡城内の土牢に閉じ込めてしまいました。この土牢は日当りが悪く水が染み出していて衛生上劣悪だったため、官兵衛は皮膚の感染症におかされ、1年後の有岡城陥落時に救助されたものの、以後歩行障害になってしまったそうです。

Dsc07443 頼むよセンセイ

 ヒキガエルは陸棲のカエルですので、余り長く水に入っているのは体に障ることでしょう。それよりもヒキガエルの土左衛門なんて目も当てられませんし。早々に救助しました。猫の額には黒光りのヤツらが沢山潜んでいます。化学兵器の大量投入は余り気が進みませんので、ヤツらを捕食するがまちゃんの存在意義は大きいです。冬眠前に1匹でも多く退治して欲しいものです。

2016年10月16日 (日)

朝飯前に古城見物 後閑城

 4泊5日の研修中、毎朝1時間ほど研修所の周辺を散歩していたのですが、そのうち2度足を向けたのが後閑城址です。後閑城は、現在の安中市後閑地区、利根川支流のひとつ九十九川と後閑川の合流点付近、丘陵地の末端部分にある戦国期の山城です。室町時代嘉吉年間(1441~1444年)に信濃佐久地方の豪族依田氏によって築城されました。

Img_3675_2 実りの畦道から望む後閑城(左手奥に浅間山)

 戦国時代になると、上野国は国主である管領上杉憲政の勢力が弱まって、南から北条氏、西から武田氏の侵攻を受けるようになります。西上州は最大勢力の箕輪城(高崎市)主長野業盛が武田信玄に攻め滅ぼされ、安中城の安中氏、国峯城の小幡氏など有力国人も武田の軍門に下ることになります。この時期、後閑城は新田氏の後裔である後閑氏が居城としていましたが、後閑氏も他の国人衆同様に武田に属していたそうです。

Img_3574_2 後閑城の縄張り

 天正10年(1582年)に武田氏が滅ぶと後閑氏は北条氏の傘下となりました。その後、天正17年(1589年)に同国の真田領名胡桃城を沼田城の北条方が奪取するいわゆる「名胡桃事件」が生じると、豊臣秀吉は大名間の私戦を禁じていた惣無事令に違反するもとのして、北条氏の討伐を発令します。「豊臣軍来襲す!」北条領内に防衛体制が発令されて、各支城もこの時期に防御力強化のための大幅な改修が行われました。現在残る後閑城の縄張りも、この時期の姿と思われます。

Img_3612 堀切で隔てられた二の丸

 研修所から歩くこと15分ほど。小さな集落を抜けて、裏山に入るとすぐに後閑城の東口があります。階段状の山道を少し歩くと、二の丸と東曲輪群の分岐点です。時計回りに歩いてみることにしましょう。二の丸は本丸から見て東南に迫り出した尾根上にあって、ここには復元された物見櫓が立っています。この城にとっての想定される敵の進入路は、九十九川流域の南方面でしょうから、二の丸は敵を察知する重要な役割を担っています。

Img_3613 堀切に沿って南曲輪へ

Img_3616 南曲輪の野草園(雑草園)

 堀切を歩いて南曲輪へ向かいます。南北に延びる尾根上の南端に位置する後閑城ですが、二の丸~南曲輪にかけての南面(尾根の終端)は傾斜がきついので、天然の要害となっています。南曲輪には野草園らしい標示がありましたが、どう見ても野草というよりは雑草園です。しかし、籠城にあたって重要な薬の原料となる野草園があったことを窺い知れました。

Img_3671 西曲輪群から本丸へ延びる虎口

Img_3586 本丸から西曲輪群を見下ろす。

 後閑城の立つ地形は、西側が緩慢な斜面となっているので、防御上重要となってくるのが西曲輪群です。本丸に向かう虎口に沿って、百人規模の兵力が詰められる規模の大曲輪が三段に設けられています。本丸から西曲輪を見下ろすと、その配置が確認できました。また、本丸から西を望むと、妙義山や浅間山など上信国境の山並みがとても素晴らしく、本丸や西曲輪の桜が咲けば最高のお花見スポットになることでしょう。最初訪れたときは曇り空だったので、2度目で素晴らしい展望を得ることができました。

Img_3666_2 妙義山(左)と浅間山(右奥)

Img_3594 後閑城本丸

 後閑城の本丸には、「百庚申」と呼ばれる庚申塔群が置かれています。庚申講信仰とは、人の体内に住むといわれる「三虫」という虫が、庚申の日の夜に人が寝ると体内から抜け出て、神様に人の悪事を告げ口するといういわれから、庚申の日は夜を徹してお経を唱えたり、宴会をしたりする風習で、江戸時代に全国的に広まったといわれています。講中では、3年間18回の庚申講を行った後に、庚申塔を建てて以後の身の安全を祈願したそうです。安中市内を散歩していると、実に庚申塔が多いのに気づきましたが、この地域の庚申講信仰の厚さが伺えます。

Img_3598 本丸(右)と北曲輪ほ隔てる堀切

Img_3602 北曲輪の縄張りは必見です。

 最後に訪れたのが尾根に連なる北曲輪群です。北曲輪群は、本丸とは大きな堀切で隔てられていて、尾根上の主郭から西に五段ほどの曲輪が構築されています。本丸の西三段の曲輪ほどの規模ではありませんが、北五段曲輪の両側には大規模な堀切も設けられていて、西側の守備だけでなく、尾根伝いに北から敵方が進出してきた場合も想定しているようです。この北曲輪群は、後閑城跡の中でも特異な堅牢さが見られ、ここだけでも独立した城塞の機能を有しています。この辺に北条氏の監督の下に強化された、当時最先端の築城技術を窺い知ることができました。松井田城代だった重臣大道寺政繁あたりが縄張りに関与していたのかもしれません。

Img_3662 北曲輪群を横から

 さて、後閑城を時計回りに紹介してきました。天正18年(1590年)に豊臣秀吉の小田原征伐が行われると、上州方面には、前田利家や上杉景勝、石田三成ほか奉行衆などそうそうたる顔ぶれの別働隊が碓氷峠を越えて進行してきました。この地域の北条方の主拠点であった松井田城も激戦の末に陥落し、城代の大道寺政繁が降伏すると、上州の各拠点も雪崩をうって自落していきました。後閑城も城主後閑氏が小田原に在番中だったため、戦うことなく自落したようです。北条氏が滅亡した後、関東に入府した徳川家重臣井伊直政の支配下になりますが、程なくして廃城となったため、結局本格的な籠城戦を行うことなく現在に城跡が残されました。

 後閑城址は非常によく整備された城址公園ですが、まとまりが良くて短時間で全貌、特徴を捉えることができる城跡巡りの入門編だと思います。また、妙義山や浅間山の展望が素晴らしいのも魅力の一つですね。城好きマニア必見の場所だと実感しました。

2016年10月 8日 (土)

変えてはならぬ温泉記号 磯部温泉にて

 碓氷峠から流れ出る碓氷川の段丘上に、10件ほどの温泉旅館が集まる磯部温泉があります。この磯部温泉には、誰もが知っている昔話「舌切り雀」の伝承があって、舌切り雀のお宿として古くから知られていますが、首都圏からも特急で2時間弱という立地から、古き良き?時代、社員旅行で訪れる温泉場としても賑わいました。

Img_3634 愛妻橋から望む妙義山、碓氷川、温泉旅館

 余談ですが、大磯町のマスコットキャラクターに「いそべぇ・あおみ」というのがいるのですが、このキャラは、町の照ヶ崎海岸に潮水を飲みに来るアオバトをモチーフにしているんですが、最初にこのキャラを見たときには、鳥キャラだし、名前が「いそべぇ」ということもあって、「ああ、磯部温泉の舌切り雀な」と知ったかぶりをしていましたが、その後、大磯町のキャラクーと知って、人に言わないでよかったと思ったことがありました。

Isobeeaomi これが「いそべぇ」と「あおみ」です。(大磯町HPより)

 この磯部温泉、今回の研修所から4kmほどの場所に位置していて、ちょっと遠いのですが、朝のウォーキングで往復してみました。R18(別に怪しいものではありません。国道です)から温泉街に向かうと、碓氷川を渡るのですが、この橋の名前が「愛妻橋」。何とも私にはふさわしくないですね。上州といえば「かかあ天下にからっ風」の風土。群馬県の殿方はレディーファーストですね。まあ、それは置いておいて、この橋の上からは、碓氷川と温泉場を見下ろし、妙義山の雄姿を望める絶景スポットです。

Img_3637 私に渡る資格があるのかどうか…

 橋を渡って、すぐ右手に日帰り温泉「恵みの湯」があります。この日の研修終了後、研修所でチャリを借りて再訪、入浴しましたが、私好みのぬる湯とツルツル感、湯上りのホンワカ感もあって、なかなか良かったですね。3時間までの滞在で500円というのも安い!のんびりしていきたかったのですが、夕食と門限の制限があったので、残念ながら早々に切り上げました。次回はもっとゆっくりしていきたい場所ですね。

Img_3653 恵みの湯。浴場は割と広い入浴施設です。

 「恵みの湯」のすぐ先、磯部交差点を右折すると駅前の狭い商店街に入ります。来る途中の道でも感じたのですが、ご当地群馬県は自動車社会。朝夕の通勤時間帯にはマイカーの往来が激しくて、狭い路地にもどんどん車が入り込んできます。そんな車が脇をかすめる道を通学の子供たちが平然と歩いている光景。神奈川県民としては、ナニコレ珍景というか、かなり危険に感じました。

Img_3638 磯部公園の入口にある赤城神社

 駅前からの道を突きあたると磯部公園があります。温泉街の中心にあるこの公園には、ご当地を愛した若山牧水や北原白秋らの文人たちが詠んだ詩碑があって、別名「詩碑公園」とも呼ばれています。そして、ここにもあった「愛妻の池」石でも投げ込んでおきましょうか。

Img_3642 温泉記号発祥の地(樹間に浅間山)

 そして、この公園で見ておきたいのが「温泉記号発祥の地」の石碑です。何故、この磯部温泉が温泉記号発祥の地かといいますと、今から約350年前の江戸時代・万治年間、この地で農民の土地争いが生じたとき、評定所の裁定が記された地図に磯部温泉の位置を「♨」で印したことが、最古の温泉記号なのだそうです。

 地図記号の温泉記号「♨」は、数ある地図記号の中でも一番特徴をとらえていて、子供からお年寄りまで最も認知されている記号だと思います。その温泉記号を国が変えようとしているっていうんですから、今ちょっとした騒動になっているようですよ。

 話は、経産省が2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックに向けて、現在使用されているJIS規格の地図記号や標識が外国人に分かりづらい、誤認を招きかねないという理由で、ISO規格に大幅修正することを発表したことに端を発します。

Onsen これが新しい温泉マークだそうですが…

 お寺を表すまんじ「卍」がナチスのシンボルマーク「ハーケンクロイツ」に酷似していることなどはその最たるものですが、「♨」記号も、外国人にとっては、暖かい料理を提供する飲食店や喫茶店に誤認されるというのがその理由だそうです。

 Why! Japanese People!従来のJIS規格の地図記号は、日本の歴史や文化に由来して定められた日本人にとっては分かりやすいものなのに、一過性の東京五輪で訪れる外国人の為にわざわざ変更する必要があるんでしょうか?五輪に出場する競技選手はともかくとして、日本を訪れる外国人観光客は、我が国の文化や歴史に興味があるわけですから、地図記号だって当然勉強してくるし、それを解説したガイドだって山のように発行することでしょうよ。

 最初は敗戦国らしい外国への遠慮をまたするのかと憤慨しましたが、地図記号を変更することで、地図・書籍やら標識やらと社会全体に波及する経済効果も狙っているのではないかと、アベノミクスのいやらしい一面を垣間見たような気がしました。ご当地磯部温泉にとって「温泉記号発祥の地」というキャッチコピーが失われてしまうことは、観光にとって死活問題です。安中市も市をあげて、温泉記号の変更に対して反対を表明しているそうです。私も断固として変えてほしくはありません。

2016年10月 7日 (金)

YOUは何しに上州へ?

 今週月曜日から今日まで、上州は安中にて研修を受けてきました。研修所は農地と住宅地が混在する環境の良い場所にあって、施設もきれいで整っていて快適な生活でしたが、周囲には飲食店やスーパーなどはなく、一番近いコンビニまで2kmという、当に勉強するにうってつけの立地でしたね。

 昼間は勉強するしかありませんが、むしろ朝晩の余暇の過ごし方が悩ましいところです。他の受講者たちは、部屋で静かに過ごす人もいれば、連日食堂に集まって懇親を深める人もいます。体を動かしたい人は、体育館で球技をするほか、ジョギングをしたり、自転車を借りてぶらつく人もいたようです。食っちゃ~寝やテレビ、スマホに釘付けというのも芸がないので、朝夕は研修所の周辺を歩いてました。

Img_3630 北側、榛名山の山並み

 来たときは、天気が悪かったのでよく分からなかったのですが、晴れてみてビッくり仰天!研修所からは東西南北、上州の名山が一望でした。東に赤城山、北に榛名山、南に御荷鉾の山並み、西に上信国境の山々。その中でも西の山並みは特筆で、荒々しい岩峰を天に突き上げる妙義山が近く、その右奥には浅間山の雄姿が見えていました。う~む、天気も良いし、山好きにとって、これほどの名山に囲まれて勉強をしなければならないなんて、拷問以外の何物でもありませんよ。

Img_3627 西側、妙義山と浅間山

Img_3628 西側、浅間山と上信国境の山

 とはいえ、山には登れませんでしが、ぐるりと山に囲まれて、山座同定をしながら歩くというのも実に楽しいものでした。睡眠十分、ほどほどの飲食に朝夕の運動、毎日のお通じまで。今回の研修は、規則正しい生活の中で、健康を取り戻したことに成果があったようです。勿論、勉強もしましたよ。…ホント、したってばよー!

2016年10月 2日 (日)

和亀に癒される

 湯島天神さんの男坂の下に湯島聖天こと、天台宗心城院という小さなお寺があります。その昔、神仏習合の時代は、湯島天神を管理する神護寺でしたが、明治期の神仏分離以降は、独立した寺院として現在に至っています。

Img_3542 男坂の下に湯島聖天はあります。

 聖天とは、歓喜天といい、ヒンドゥー教の象の頭をもつ神様ガネーシャに由来しているそうです。本邦では、象頭ではなく、男女2体の神像が向き合って抱擁し合う姿で、その姿から秘仏とされ、夫婦和合、子宝の神様として崇められているそうです。

 さて、今更夫婦和合はどうでも良いのですが、私がこの小さなお寺に足繁く立ち寄る理由は、境内にこれまた小さな池があるからです。その昔は弁天堂が建つ大きな池だったそうですが、今は小さな温泉宿の岩風呂程度の大きさで、水質を保つために循環ろ過装置が設けられているようです。

Img_3532 子亀も順調に成長中

 澄んだ水面には、錦鯉や金魚、メダカが泳いでいる姿を楽しむことができますが、よく見ると結構な数のカメが生息しています。カメといえば、近くの上の不忍池にも沢山のカメが生息しているのですが、ここのカメはニホンイシガメばかりです。なになに?カメなんてどれも同じだろうって。いやいや、馬鹿いっちゃあいけませんよ。

Img_3420 不忍池のカメたち

 本州に生息するカメのほとんどが水棲の種ですが、日本の固有種であるイシガメ、かなり昔に日本に持ち込まれたクサガメ、戦後日本にやってきたミシシッピアカミミガメの似たもの3種と大きく異なる種のスッポンの合計4種が主な種です。その中でも、ミドリガメの名で幼体がペット用として広がったミシシッピアカミミガメが、日本の自然環境に順応して増殖。在来種を圧倒して、生息個体数は過半数となっているようです。

Img_3534 真っ黒な瞳がカワイイ

 その反面、日本固有種のイシガメは、護岸工事などの河川整備により生息環境が狭まって、急速に生息数を減らしているそうです。ミシシッピアカミミガメと比較すると、ひと回りもふた回りも小さく、日米の国力の差を見せつけられているようです。でも、イシガメの魅力は何といっても顔がカワイイこと。真っ黒なつぶらな瞳が何とも癒し系なのです。

Img_3529_2 橋を渡る音に耳を傾ける。

 人口のせせらぎに耳を傾けていると…コトコトとイシガメが太鼓橋を渡る音が聞こえてきます。都会の喧騒の中、何とも贅沢なサウンドではありませんか。

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