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2017年4月20日 (木)

今日はマムシ忌

 僧籍から油売り商人として身代を築き、得意先である美濃の守護大名土岐氏の家中に取り入って武家に転身し、果ては主を国外に追放して国主の座に就いた戦国の梟雄斎藤道三。松波→西村→永井→斎藤と美濃の名門を次々と乗っ取っていきますが、その出世劇の裏側では、政敵は勿論のこと、主人や恩人ですらなりふり構わず手にかける悪逆非道ぶりで、「美濃のマムシ」と仇名された人物です。

 彼の悪業ストーリーの中で最も有名なのが、自分を重用してくれた旧国主土岐頼芸を国外追放し、絶世の美女として名高かった愛妾深芳野を手篭めにしたことですが、(実は頼芸より下賜されたらしい)道三と深芳野の間には長男義龍が誕生しました。天文23年(1554年)に義龍を後継者として隠居しましたが、この頃から実は義龍が道三の種ではなく、前国主頼芸のご落胤だという噂が広まり、親子の溝が急速に深まりました。

 弘治2年(1556年)、義龍は道三の寵愛する二人の弟を殺害。これを期に親子は戦闘状態に突入し、4月20日、長良川の畔で合戦となりました。美濃守護土岐家の正統を名乗る義龍の下に2万の兵力が集まったのに対して、悪逆非道をもって成り上がった道三の下に集まった兵は僅かに2千。「美濃のマムシ」と恐れられた下克上の代名詞斎藤道三は、長良川の畔で呆気なく骸を晒す羽目になりました。当にカルマ返しですね。

 話は変わって、先週末、ババや天然児と秦野の里山から松田町寄地区にかけて、桜を求めてドライブしました。寄のさらに山奥に虫沢という集落がありまして、この集落近くの林道に軍馬を乗り入れていたとき、道路の前方に横たわる一尾の蛇を認めました。近づいて確認してみるとこれが毒蝮三太夫です。

Img_4931 「この死に損ないのババア」とは言いませんでした。

 なかなか動かず轢いてしまうわけにもいかず。穏便に路上からご退去いただこうと棒で突っついてみると、たちまちファイティングポーズのマムシさんです。「この死に損ないのクソババアめ!」なんて悪態こそつきませんでしたが、頭をもたげ、ななんとガラガラヘビのように尾を震わせて威嚇してきました。同じクサリヘビ科ですから納得の行動です。これにはちょっと怯みましたが、なんとか路外にお引取りいただきました。

 昔から身近に存在する毒蛇として恐れられてきたマムシですが、生息域は山林や湿地帯で、そういった場所に不用意に踏み込まなければ、マムシから襲って来ることはまずないようです。それどころか、人の手によって生息域が狭められて、生息数もかなり減ってきているようです。こんなに面と向かってお目にかかれたのは、子供の頃尾瀬に通じる山道で出会って以来でしょうか。

 美濃のマムシ斎藤道三が討ち死にした「マムシ忌」の頃、珍しいマムシにお目にかかれたのは、何とも奇遇なことだと思われました。

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