錦鯉の里山古志
10月22日(日)は朝からまとまった雨になりましたが、長岡市山古志地区を訪れました。当日は、ご当地で年に年に数回行われる牛の「角突き」(闘牛)の開催日だったので、それがお目当てだったのですが、台風21号の接近で角突き見物は中止することにしました。それでも山古志の風景だけは見ておこうと訪れた次第です。
山間部の狭隘な地形に人が生活を営む山古志地区は、棚田など風景の他、「角突き」と呼ばれる闘牛や錦鯉の養殖など独特の民俗が形成されてきました。旧山古志村(平成17年に長岡市に吸収合併)といえば、平成16年10月23日に発生した新潟県中越地震で大きな被害を受けた場所として有名です。あれからちょうど11年経ったんですね。
長岡の南に位置する魚沼市小出方面から山古志に通じる国道291号線。今では市境の中山峠を立派なトンネルが通じています。そのトンネル口の脇に小さなトンネルが口を開けています。かつて、山間部の山古志は陸の孤島で、冬期は豪雪地帯であるため峠を越えることは命懸けでした。この状況を打開するべく、昭和8年から足掛け16年の歳月を費やして手掘りで開削されたのが、この旧中山隧道です。全長877m(開削時は922m)の長さは手堀工法の人道隧道では日本最長で、日本土木学会の土木遺産に登録されているそうです。平成10年、平行する新中山トンネルの開通によって役目を終え、現在は往時の住民の苦労を伺わせる史跡として残されています。
中山トンネルから山古志に入って、少し下ったところにあるのが木籠(こごめ)集落です。中越地震の際、この集落の下流で土砂崩れが生じて川がせき止めてしまいました。その災害ダムによって堆積した土砂に埋没してしまった集落を見ることができます。しかし、3年前に訪れたときとかなり状況が違っていました。屋根が波打って倒壊寸前だった埋没家屋は綺麗に補修されていて、完全に倒壊していた家屋や軽自動車などは撤去されてしまったようです。震災の記憶を後世に残す事業なのかもしれませんが、補修された住宅ではイマイチ伝わってきません。
さて、山古志の中心部竹沢地区に来ると車の往来が増えて何やら賑やかです。中越地震の復興住宅の一角に立つ幸福市に寄ってみると…
新潟県は全域で錦鯉の養殖が盛んです。今や世界レベルで人気の錦鯉ですが、錦鯉養殖の発祥地がこの山里山古志や近隣の小千谷地区なのです。山間で物流もままならないこの地域では、食用としての鯉の養殖が行われてきました。その食用鯉の交配の中から突然変異生じた色物を観賞用としての錦鯉として養殖するようになったそうです。今や山古志の集落内では数多くの錦鯉の養殖池が点在しています。
秋は錦鯉の出荷の季節。県内各所で毎週のように錦鯉の品評会が開催され、全国、世界中から愛好家が買い付けに訪れます。前日21日には、山古志でも第64回長岡市錦鯉品評会が行われたそうです。この日は雨模様にも関わらず多くの人が錦鯉の買い付けに来ていました。幼魚が数匹入って数千円の安いものから1尾10万円まで値段は様々。ニコニコ笑顔で高級車のトランクに錦鯉の袋を積み込むおじさんはどこかの社長さんでしょうか?外国人の姿もあって国際的な人気を伺えました。思わず買って帰りたくなりましたが、猫の額ではメダカの飼育がせいぜいで、とても錦鯉の池などは造れません。
小千谷に下って、錦鯉を飼育展示する観光施設「錦鯉の里」を見て帰りました。
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