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2018年6月

2018年6月30日 (土)

夏の使者が来訪

 昨日、関東地方の梅雨明け宣言がありましたが、それを聞いたかのように、その夜、我が家の玄関先に夏の使者がやって来ました。

Img_8342 ノコギリクワガタです。

 赤味がかかったボディと大顎が特徴のノコギリクワガタです。いくつになってもカブ、クワを見ると夏の訪れを実感して嬉しいものです。

2018年6月29日 (金)

本日、梅雨明け

 まだ6月も終わらないのに関東地方の梅雨明け宣言が出されました。どうりでここ数日朝から猛暑が続くわけです。

Img_8333 湯島天神の茅の輪

 夏本番を前に神社の境内には暑気払いの茅の輪くぐりの茅の輪が設置されています。私も朝は上野公園の五條天神社で1回、お昼か帰りに湯島天神でもう1回、蚊帳の輪くぐりをやっています。

 これから2ヶ月もこの暑さが続くと思うと気が遠くなりますが、皆さんくれぐれもお体お大事に暑い夏をお過ごし下さい。

2018年6月28日 (木)

ウオノエ、タイノエ

 釣り上げたアジやタイの口から針を外していると、口内から不思議な顔が覗いていることがあります。白くフナムシの様で気持ちわるいけど、何故か可愛らしさを感じるその生物はなんでしょう?最初は魚に食べられたフナムシが口の中で頑張っていたのかと思っていましたが、何と魚に寄生しているウオノエという寄生虫なのだそうです。

Img_8302 1尾に2匹ずつ(大がメスで小がオス)

 ウオノエとは等脚目といって、見た目のとおり、陸上のワラジムシやフナムシ、深海の人気者ダイオウグソクムシの仲間に分類されています。漢字では「魚の餌」と表記されるそうですが、魚の餌だと思ったら大間違いです。幼生のうち海中を漂っているウオノエは、魚が餌とともに体内に取り込むと、口内やエラに寄生して魚の体液を吸って生きるそうです。寄生部位は口内、エラ、体側と様々ですが、その中でも口内に寄生するケースが多いようです。

 ウオノエのウオノエたらん生態を示すのが口内に寄生するケースです。口内に留まることに成功したウオノエは、魚の舌に食いついて舌を壊死させます。すると何と!ウオノエは壊死した舌に代わってそのポジションに寄生して、魚の体液を吸って暮らすのだそうです。タガメの様に捕えた魚の体液を吸い尽くしてしまうほどではありませんが、チビチビと栄養分をかすめ取って一生の居候になるというんですから、厭らしいやつですね。

 ウオノエは雌雄転換が可能で、最初に寄生した個体がメスとして5cmほどに成長すると、次に寄生する個体はオスになるんだそうです。ちなみにオスはメスの半分位の大きさです。こうして都合よく雌雄がそろったところで繁殖をしていくそうです。お魚たちもたまったものではありませんね。

 見た目といい、生体といい、キモいウオノエですが、ここまで知ってしまうと、食べた魚を介して、あるいは海で泳いでいる人の体内に寄生するのではないかと心配になってしまいますよね。でも大丈夫。人には寄生しないそうですよ。それどころか、このウオノエは食べてエビのように香ばしく、なかなか美味しいそうです。中でもタイの体内に宿るウオノエは、「タイノエ」と呼ばれて珍重する地域もあるそうです。親分格のダイオウグソクムシの味もエビ・カニなど甲殻類に似ているそうで、料理を提供するお店もあるくらいですからね。

 このまま人類が繁栄し続けると、先々地球上は食糧難になって、動植物や魚類だけでは不足してしまうそうです。その時になって人類の食料になることが予想されているのが、昆虫などいわゆる「ムシ」の類です。今回の釣りでも複数のウオノエを確認しましたが、残念ながら余りのキモさに生ゴミにして命を無駄にしてしまいました。しかし、来るべきその時に備えて次回は是非チャレンジしてみたいと考えています。

2018年6月25日 (月)

丸干が煮付けになっちゃった。

 今回、数釣りしたウルメイワシ。型も良いので人にあげてもたいそう喜ばれました。手元に残ったのは10本足らずでしたが、これを丸干にして食べることにしました。

Img_8300 傷みやすいので手早く調理しましょう。
 先ず、内蔵を取ったイワシを海水よりちょっと塩っぱい塩水に1時間ほどつけておきます。

Img_8301 塩水に1時間
 風通しの良い場所に陰干しにしようと思いましたが魚の干し網が見当たりません。洗濯物を干す洗濯バサミのいっぱい付いているのにぶら下げて天日干しにしたところ、かみの逆鱗に触れてしまいました。ということで・・・

Img_8315 こういうことになりました。

 最初は丸々肥えたハエがブンブカ飛んできましたが、どういうわけかしばらくすると見向きもされなくなりました。魚を干したらお出かけしましょう♪

Img_8324 酒のつまみになりそうです♪

 半日ほど天日に干したら丸干の完成です。ラップに包んで冷蔵庫で保管します。炙って食べたら美味しそうだ。と、思ったら・・・

Img_8330 な、なんじゃごりゃ~!?

 翌日、仕事から帰ったら、冷蔵庫の中に入れたはずの丸干のイワシの姿がありません。普段見慣れない圧力釜がレンジに置かれているので蓋を開けてみると、丸干イワシたちは刻みネギと梅干を加えた煮付けになっていました。あ~やられた。

 でも圧力釜で調理されたイワシは、頭から尻尾まで柔らかくなっていて跡形もなく腹の中に収まりました。普段焼き魚などをめんどくさがる長男も、喜んで食べていたのが嬉しかったですね。

2018年6月24日 (日)

タイを煮付けて食べるたい

 さて、釣れたマタイを料理して食べることにしましょう。今までマダイを釣ったことはあっても、さばくのがメンドくてなかなか我が家で食べなかったのですが、そろそろ魚料理の幅も広げたいところなので、チャレンジしてみることにしました。っても、そんな凝ったレシピではなく、至って簡単な煮付けですけどね。それにしてもクックパットってありがたいですね。家庭的な視点でどんなメニューでも調理できるよう解説されているんですからね。今回も大いに参考になりました。

Img_8294 美味しく食べてね。

 先ずやっておかなければならないことは、マダイの中でお暮らしになっている居候君たちにご退去いただくことです。別に気にならなければそのままいてもらっても良いのですが、万が一目に触れてしまった場合、食欲を落としかねない方たちなもので・・・今回は食のネタなので、彼らのご紹介は次回にしておきましょう。

Img_8304 ×入れて・・・北斗の拳かよ。

 先ず下処理をしていきます。マダイは鱗がきつい魚なので、しっかりと鱗を落とします。今までマダイ料理を遠ざけてきた原因がこの鱗落としがめんどくさかったからです。次に内蔵とエラを取って側面に×型の飾り包丁を入れましょう。「飾り包丁」とはいえ、これは大きめの魚に火が通りやすいようにするためです。下処理した魚に酒をふりかけたら、20分ほど冷蔵庫で寝かせます。

Img_8305 いやぁ~酒に風呂に極楽だね。

 冷蔵庫で寝かせた魚を取り出したら熱湯をかけます。酒で寝かせて更に熱湯をかけることで魚の臭みを消す処理らしいんですが、後になって思えば、魚が新鮮だったのでその必要はなかったかもしれません。

Img_8306 何か寂しいよなぁ~

 鍋だと煮た後に魚が崩れてしまうので。広めのフライパンを使って煮付けることにしました。水2:酒2:みりん1:醤油1に砂糖大さじ3杯を入れ、生姜を摺り下ろした(今回はチューブでしたが)煮汁にマダイとじゃがいもを入れました。参考レシピには、レンコンやゴボウなどの根菜と煮るのが良いと書いてあったのですが、家の中には見当たらなかったので、目が伸びきって何とも毒々モンスター化していたじゃがいもをスライスしていれました。

Img_8311 やっぱ葬送は華やかでなくちゃ。

 フライパンで送られるマダイが少し寂しそうな顔をしていたので、何かないかと思案していると、かみが「冷蔵庫にパプリカが入っているよ。もうすぐ腐っちゃうから」と勧めてくれました。毒々ポテトに腐りパプリカ・・・魚の王者マダイに失礼だろ!とは決して言えませんけどね(汗)

Img_8307 旅立たれます・・・合唱

 アルミホイルを落し蓋代わりに乗せて煮付けましょう。

Img_8313 美味しくなっちゃった♪

 美味しそうに仕上がったマダイ2尾。我が家とババに1尾ずつ。盛りつけをしていると・・・

Img_8320 あー!早っ
 お魚大好き盗賊団が一の膳です。

2018年6月23日 (土)

大磯沖マダイ3連発!

 梅雨時期に入り、山が遠くなる一方で海は魚の活性が上がって釣りのベストシーズンです。釣り会だと気になる天気も一人気ままな釣りなら少しの雨ならなんのその。シトシトと雨の降る中、一人魚信に向き合うのもたまには良いものです。

 梅雨時期が旬な魚といえばイサギです。今まで釣り会では、イサギを釣りに外房の勝浦や大原まで行っていましたが、初島周りでも良型のイサギが釣れているというではありませんか。一人で行くなら近いに越したことはありませんからね。早速、網代の船宿に電話したところこれが満員御礼。ふむぅ・・・やっぱり近所にしておきましょう。アジも旬ですからね。

Img_8242 右舷は私だけ?

 平塚庄治郎丸でLT(ライトタックル)五目をやることにしました。何だかんだいっても勝手知った釣りが一番気楽なものです。大型の乗合船で6時半の出船を待ちますが、指示された右舷は、コマセの桶が1つしか置かれていません。左舷は2つですから、3人で乗合とはなんとも贅沢です。結局、滑り込みでもう1人乗りましたが、この方は埼玉の飯能からいらっしゃったとか。好きな人は遠くても来るんですね。

Img_8246 大磯港前

 結局、両舷2人づつで定刻に出船です。出船後、最初のポイントは大磯沖です。大磯港周辺は根が沈んでいるので、根魚が釣れる好ポイントです。水深は25mほど。タナは下から3~5mです。

Img_8245_2 アジがコンスタントに釣れだしました♪

 開始後、間もなくアジが釣れだしました。25cmほどの美味しそうな黄アジ(マアジ)です。平塚のLT五目は、五目釣りといってもメインはアジです。調理も簡単ですし食べて美味しいですからね。先ずは1目♪

Img_8243 メジナ

Img_8276 可愛らしいスズメダイ

 たまにアジとは違うモソモソと不明瞭な当たりの後、大きな引き込みがありましたが、なかなか針掛りしません。ようやくゴツンと重たく針掛りしましたが、上がってきたのは30cmほどのメジナでした。2目♫大磯沖では、メジナの他にスズメダイやベラ、ネンブツダイなどのエサ取り釣れました。早くも5目達成じゃん。

Img_8249 江ノ島西沖

 2時間ほど経って、船は東に向かい江ノ島西までやってきました。水深は90mほどありますが、指示は上から20mまで落として、そこから水面まで誘い上げるとのこと。

Img_8265 ウルメイワシ入れ食い(大きいのはサバ)

 コマセが効くとすぐに小刻みな当たりが。小サバの予感がして慌てて巻き上げるとウルメイワシでした。このウルメ、20~25cmと良型で、仕掛けを落としたら入れ食いでした。3本の針に3尾確実に釣れてくるので、1時間余りの間に50尾を超える大漁でした。この時点で、クーラーは満タン状態です。たまに浅いタナで大きな当たりがありましたが、おなじみのサバです。小さいのから大きいのまで雑多に掛かってきましたが、大きいのだけ3尾キープしました。7目♬

Img_8261 烏帽子岩と江ノ島

 その後、船は少し西に移動して茅ヶ崎沖、湘南のシンボル烏帽子岩近くの隠れ根を狙いました。根掛りするので、タナは上から20mまでとのこと。

Img_8268 イサギ

 釣れてきたのは15cm前後の小型イサギです。イサギの子は、背中にはっきりとした横縞があるので、イノシシの子に例えて「うり坊」とか「ウリンボ」と呼ばれます。これもまた入れ食いです。船頭さんは「小さくても脂がのっているから食べて美味しいよ」と言いますが・・・ふむぅ、元々初島沖の大イサギを釣るつもりだっただけに、イサギは全てお帰りいただきました。大きくなって後楽園遊園地でボクと握手!もとい、初島沖で再開しましょう。(イサギにとってはご免でしょうけど)8目。

 最後は大磯沖に戻ってきました。この頃になると予報通り雨が降ってきました。北風も強くなってきて、寒いくらいの陽気です。潮の流れが早いので、タナが捉えにくいのですが、当てると30cmほどの良型アジが掛かってきました。これぐらいのアジになると、釣り味も食べ味も最高ですね。クーラーは定員オーバーなので、バケツの中で泳いでもらいます。

 ガツン!と強烈が引き込みがありました。アジとは違う中層、水面でも抵抗を見せるこの引きといえば・・・

Img_8277 マダイです♪

Img_8278 生きているマダイは青いヒレが美しい

 35cmほどの大きさで、1キロに届くか届かないかくらいの大きさですが、食べて美味しそうなマダイが上がってきました。五目釣りの醍醐味は当にこれですね♪9目。

Img_8280 1尾が2尾に・・・♫

 ところが、間髪を入れずに2尾目が上がりました。大きさはほぼ同じ。マダイの群れがいるんでしょうね。

Img_8286 何と3連発♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦

 さらに3連発。立て続けにマダイが釣れました。上機嫌のうちに納竿となりました。

 この日の釣果は、マダイ3尾、メジナ1尾、アジ30尾、ウルメイワシ56尾、サバ3尾(キープ)でした。リリースした魚を含めると、100を優に超える大漁でした。近場で帰りも楽々。最高の釣りになりました。

2018年6月20日 (水)

天然児3度目の身延山

 橋屋の御朱印ツアー。最後は日蓮宗の総本山、身延山久遠寺にやってきました。橋屋にとっては初身延山で喜んでいましたが、天然児にとっては3度目になります。前回は平成26年の9月。木曽の御嶽山が噴火をした日の翌日でした。あの時は身延山の山頂までロープウェーで上がって、奥の院に折しも高校受験だった長男の合格を祈願してきました。(結果、見事受かりました)

Img_8225 久遠寺本堂(左奥の山が身延山)

 身延山久遠寺は、辻説法などで鎌倉幕府を非難したことを咎められて佐渡に流されていた日蓮上人が、流刑を釈かれた後、甲斐国南部一帯を治めていた地頭職南部氏の招きにより1274年、この地に草庵を結んだことに発します。この後、日蓮はこの地に約9年滞在して、弟子の教育と道場の拡充に努めることになりますが、1282年に両親の墓参のため常陸国を訪れる途中、武蔵国池上(大田区池上本門寺)にて生涯を閉じました。日蓮上人の遺骨は、遺言により身延山に奉納され、以降、弟子たちによって身延山久遠寺は日蓮宗の本山として守られてきました。

Dsc05183 有名なしだれ桜・・・しだれ葉桜

 身延山の境内にある樹齢400年といわれるしだれ桜は有名で、春には花を求めて多くの観光客で賑わいます。

Img_8224 287段の菩提梯
 身延山の山懐にある久遠寺の参拝は、山麓の門前町から三門を経て、鬱蒼とした杉の大木の並ぶ参道を歩いてみたいですが、天然児とババという五体不満足2人を連れてでは到底かなうものではありません。

Dsc05169_2 駐車場からモノレールで本堂へ

Dsc05172 ボタンを押すと下ってきてくれます。

 足腰が不自由な人でも心配ご無用!上の駐車場から本堂前まで斜行エレベーターが設置されていて、誰もが無料で利用することができるのです。平成21年に五重塔が再建された時の付帯事業として、境内のバリアフリー化が行われたひとつとして設置されたそうです。これには天然児も大満足。

Img_8229 エレベーターから正面に身延山が望めます。

 さて、日蓮宗の寺院で御朱印をもらうときのには注意したいことがあります。全ての寺院がそうではないようですが、日蓮宗の寺院では日蓮宗寺院専用の御朱印帳を提示するのがマナーのようです。「髭文字」という髭のように伸びた字体で「南無妙法蓮華経」のお題目を書いてもらえるようですが、一方で他宗派と混在の御朱印帳を提示すると「妙法」とお題目の一部のみの記帳となることが多いようです。今回、橋屋も後者の記帳となりました。

 身延山参拝の後、橋屋を静岡駅まで送って御朱印の度は終了です。ちなみにこの日、新幹線内での殺傷事件が発生しました。事件が発生した区間や時間こそ違いましたが、橋屋にとっては一層心に刻まれた旅になったことでしょう。

2018年6月18日 (月)

富士川の戦い異聞

 時は平安末期の源平争乱の折、平治の乱で破れ伊豆に配流になっていた源頼朝は、治承4年(1180年)8月に以仁王の平家追討の院宣を受けて挙兵し、伊豆目代山木兼隆を討ちます。その後、有力な支援者である三浦氏と合流するため東に向かうものの、石橋山で平家方の大庭景親の軍に遮られ、合戦に及ぶも大敗を喫してしまいます。破れた頼朝は、落武者狩りから身を隠しつつ山中を彷徨い、その後、真鶴半島から海上を経て房総半島まで逃れました。

 その後、頼朝はかつて源頼義、義家や父義朝が拠点とした鎌倉を拠点と定め、相模の三浦党や中村党の他、千葉や上総、安西など房総方面の勢力の助けによって兵を進めます。すると、当初平家方だった武蔵の河越、畠山、江戸らも手のひらを返して参陣したため、石橋山の敗戦から1ヶ月後の10月6日には、晴れて鎌倉入りを果たします。

 一方、頼朝の挙兵の報は、数日後9月初めには福原の平清盛の耳に達することとなりました。清盛の対応は迅速で、すぐに孫の平維盛を総大将にした頼朝討伐の軍勢の派遣を決定します。ところが、出陣の日の縁起をめぐって、平家幹部の間で意見の対立が生じたため、京を出陣したのは9月も末になっていました。初期消火が必要な時に約1ヶ月もの時間をロスすることになったわけです。この間、頼朝と同時期に挙兵した甲斐源氏武田信義が、兵を南下させて駿河に侵攻し、10月14日には駿河の目代橘遠茂を討ったため、富士川以東は源氏の勢力となっていました。

 平維盛率いる頼朝追討軍7万は、10月18日に富士川西岸に布陣します。一見、7万の兵力は大したものですが、はるばる西国から東下してきた平家直営軍と途中で徴兵された兵たちの士気は低く、更に折からの飢饉の影響で兵糧が不足する有様でした。これに対して、富士山麓に集結した源氏軍は、頼朝と甲斐源氏軍を合わせると20万を号し、盛んに平家軍を挑発するなど意気盛んでしたので、平家方の士気はさらに低下していきました。夜、対岸はおろか周囲の山々にまで灯った源氏軍の松明を見て動揺した平家軍からは、数千人規模の逃亡者が出たといわれています。

 10月20日、両軍は富士川を挟んで対陣します。その夜、平家方の気勢を削ぐため、甲斐源氏武田信義が密かに富士川を渡って平家の陣に夜襲を試みます。ところが、これに驚いた数百、数千の水鳥が一斉に飛び立ったため、寝静まっていた平家の軍勢は「すわ、源氏の大軍が夜襲をかけてきた!」と大混乱に陥って、戦うことなく西へ壊走していったということです。水鳥の話はかなりの誇張があると思いますが、初めから勝負にならないと思った平維盛ら主将たちは、戦わずして撤退していったということでしょう。

 有名な源平、富士川の戦いの概略を書いてみましたが、富士宮からR469で一山越えたところに稲子という山間の集落があります。稲子温泉ユー・トリオという温泉がある他は、採石場と山の斜面に棚田があるだけののんびりとした風景です。

Dsc05163 棚田の一角に・・・

 のどかな棚田の風景の中にポツンと立つ石塔が目に入りました。石塔を動かすこともなく、水田のど真ん中にある石塔は、なんともいわくありげではないですか。

Dsc05165_2 何やら石塔が!?

 この石塔を解説した立札を見てみると、何と平維盛の墓と伝えられているものだそうです。平家滅亡後も源氏の目を逃れた維盛がこの地に隠世して天寿を全うしたと述べられています。

Dsc05167 伝 平維盛の墓

 ちょ、ちょっと待った!平維盛といえば、確かに頼朝追討軍の総大将としてこの富士川流域まで来ていますが、この地で戦死したわけでなく、富士川の戦いから4年後、源氏の攻勢により西へと落ち行く平家一門中から密かに抜け出して、平家縁の紀州の海に身を投げたという悲劇的な最後が定説となっていますよ。

 でも調べてみると、定説の他に平維盛の墓と伝えられているものは、この稲子の他にも奈良の十津川郷、伊勢津にも伝えられていて、さらに四国に渡って隠世したとか、何と琉球に渡って第2の人生を送ったという伝説まであるそうです。

 美形が多かったといわれる平家の公達の中でも、平維盛は群を抜いていて、光源氏や桜の花に例えられるほどのイケメンだったようです。そんな維盛がどこかで生きて延びていて欲しいという人々の願いが、各地に維盛生存説を残したのでしょうね。

2018年6月17日 (日)

富士宮浅間大社にアヒル鳴く

 6月9日(土)、橋屋と天然児、ババもおまけで、富士宮市にある富士宮本宮浅間大社に行ってきました。浅間大社は、富士山そのものを御神体として崇め奉る浅間信仰の総本山です。富士山の周辺には、富士宮の他に、北麓富士吉田と東麓須走にもありますが、どの大社にも登山口に本宮があって、山頂に奥宮があります。

Dsc01507 富士宮口奥宮(H29.8.28)

 浅間信仰の祭神は、浅間大神=木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)といって、火を司る神様です。そんなこと聞いてもイマイチピンときませんが、この神様については、有名なエピソードがあるんです。勝気な富士山の女神様が、かつては富士山より高かった八ヶ岳の神様に高さ比べを挑みました。当然負けてしまうのですが、勝気な女神様ですから負けたのが悔しくて、何と怒って八ヶ岳の頭を叩いて八つに割ってしまったということです。私はこの話が子供の頃から大好きなのですが、神様のくせに女性的なヒステリックな面が窺える微笑ましいものですよね。浅間信仰は、古来より噴火を繰り返して、人々を恐れさせた富士山を荒ぶる火の神が宿る山として崇めた我が国を代表する山岳信仰です。(我が家にも噴火を繰り返す浅間しいかみがいますけどね)富士山の夏山シーズンの終わりに富士吉田で行われる「吉田の火祭り」なんかは、火の神様を慰める神事としてわかり易いものですね。

Dsc05143 富士宮浅間大社拝殿

 富士宮浅間大社の起源は、紀元前27年に垂仁天皇が噴火した富士山を鎮めるためこの地に浅間大神を祀ったことが起源と伝えられています。その場所は今では山宮と言われて、現在の本宮大社より山手にあるそうです。かつて日本武尊が東征の折、富士山麓で賊徒によって火攻めにあって危機に陥った際、日本武尊が浅間大神に祈念して危機を脱し、賊徒を討伐することができたので、山宮を厚く祀ったことが伝えられています。

Dsc05145 家康の建てた本殿と信玄の植えた枝垂れ桜(左)

 その後、平安時代に蝦夷を討伐した坂上田村麻呂によって、現在の地に遷宮されたそうです。以降、源頼朝、武田信玄、徳川家康と武家の信仰を集め、現在まで残る朱塗りの本殿、拝殿、楼門、舞台などは、徳川家康が関ヶ原合戦の後に勝利の御礼として造営したものだそうです。

Dsc05146 湧玉池には・・・

Dsc05152 ニジマスが泳ぎます。

 本殿の東側脇からは、1日あたり30万トンといわれる富士山の伏流水が湧出する湧玉池があります。日本を代表する湧水として、平成の全国名水百選にもエントリーしているそうです。透き通った水にはバイカモなどの水草が青々と茂り、その間をニジマスが悠々と泳いでいました。「神社の池にマスが泳いでいるのは初めて見た」と橋屋は驚いていました。

Dsc05161 禊ちう

 また、湧玉池は浅間信仰の禊の場所となっています。浅間講の信者たちは、この池の水で身を清めた後、富士登山をするそうです。池から流れ出る神田川の畔には、水辺公園が整備されていますが、折から夏の暑さとなったこの日、子供たちのはしゃぐ声の傍らで身を清める白装束の御一行を見かけました。最近、禊や滝行などの信仰は、若い人や外国人観光客の間でも結構人気のようです。どれどれ・・・ムフフ・・・富士信仰失格ですね。

Dsc05157 一見するとカモですよね?

 さて、湧玉池に数羽のカモが羽を休めていました。なんとも微笑ましい風景です。でも、何か違和感があるんですよ。カモにしては一回り大きいような気がするし、ガーガーやたら鳴いています。「あの鳥なんだかわかりますか?」突然一人のオジさんが絡んできました。「カモですよね?」と答える山笑。その解答に待ってましたとばかりにオジさんが、「申し訳ないけどね、はっきり言って勉強不足。あれはアオクビアヒル。カモよりずっと大きいでしょ。もう少し勉強してください」と、富士宮市の小冊子「ことりっぷ」を手渡されました。いやぁ~何かおかしいとは思っていたんですが、まんまとオジさんにしてやられましたね。でも、あの鳥を見た100人のうち、何人がアオクビアヒルと正答できるんでしょう?おそらく1人か2人もいますかね。それを指して「勉強不足」はないんじゃないの?まあ、熱くなるような話でもないか(笑)

 次行ってみよー!

2018年6月13日 (水)

新井薬師で眼力を養う

 西武新宿線上井草から10分ほど新宿に戻ったところに新井薬師駅があります。今度はここで下車して、新井薬師を訪れました。関東三大師の西新井大師というのは知っていましたが、新井薬師は知りませんでしたが、高尾山薬王院、伊勢原の日向薬師、相模原の峰薬師と並んで四大薬師なんだそうです。駅から懐かしい昭和風情の残る商店街を通り抜けて15分ほど。ちなみに新井薬師の駅にもコインロッカーがなかったので、例によって橋屋のキャリーバックをガラガラと。橋屋ときたら、この頃になるとキャリーバックは人に任せ切りとなり、挙句の果てには人をポーター呼ばわりする始末。

Img_8206 新井薬師

 新井薬師こと新井山・梅照院は、安土桃山時代創建の真言宗寺院です。本尊は表が薬師如来、裏が如意輪観音という表裏一体の秘仏で、12年に1度の寅年に御開帳が催されるそうです。本尊は寺の創建よりもさらに古く、弘法大師空海の作といわれていますが、中世新田氏の居城上州金山城(太田市)に安置されていたものだそうです。

Img_8208 本堂

 薬師如来は病気快癒のご利益がありますが、徳川二代将軍秀忠の五女、後水尾天皇に嫁いだ和子が目を患った際、新井薬師に快癒祈願をしたところ見事回復をしたことから、特に眼病の快癒に御利益があると信仰を集めています。そろそろ老眼という言葉が目先をちらつく年齢となった山笑ですが、前日の健康診断では裸眼で左右とも1.0でした。クックックッ・・・ジオンはあと10年は戦える。病気はともかく、人を見る目。品定めの目。危険を察知する目など眼力を授かるよう祈願してまいりました。

Img_8207 金魚屋さん

 境内には、お菓子、乾物、雑貨、金物、衣類などを商う露天が並んでいました。並ぶそう品がいかにもシニア層向けなので、巣鴨のとげぬき地蔵尊みたいだと思ったら、案の定、あっちとこっちと掛け持ちしているそうです。その中で金魚屋さんが懐かしく、暫し釘付けになってしまいましたが、この後飲み会があり、家まで生かして帰る自信がなかったので、諦めました。

Img_8213 哲学堂にも行きました。

 新井薬師から駅に戻って、更に駅の反対側にある哲学堂公園にも行きました。中野哲学堂は、東洋大学創始者で哲学者の井上円了が世界四大哲学者ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀る四聖堂を建て、その後公園として東京都に寄贈した場所です。公園内には、哲学的な意匠を凝らした奇妙な石像が点在しているので、別名「妖怪公園」と呼ばれてB級スポット的な扱いも受けています。香ばしいものが大好物な山笑。ここは楽しみしていたのですが、訪れてみると至って真面目な公園で残念でした(笑)

 暑い中、重い荷物を引きながらの半日でしたので、喉がカラカラです。ビール!ビール飲みに行こう♪

2018年6月12日 (火)

ガンダムとラグビーの街 上井草で御朱印集め

 以前、出向先で机を並べた橋屋さんが、都内で研修のため、はるばる尾道からやってきました。お互い所帯持ちなので、こういう機会でもないとなかなか会うこともできませんから、研修が終わってもそのまま帰すわけにはいきません。とりあえず当時のメンバーを呼集して、研修最終日の夜は都内で酒盛を設定してもてなすことにしました。

 とはいえ、研修はお昼に終わるというので、日のあるうちからブラつこうという話になり、やって来たのは西武新宿線の上井草駅です。西武新宿線に乗車するのは、記憶の限りでは初めてです。それも上井草なんて駅名は聞いたこともありませんでしたし。

 しかし、駅を降りてみると・・・ててて~て~てて~てててて~てててて♪?!Oh!きどう~せ~んし~ガンダム~ガンダム♪だよ。おまけに改札くぐったらRX78のブロンズ像が杉並区長選挙の宣伝に一役買っているし。なして?なして?あとで調べたら、機動戦士ガンダムを制作した日本サンライズがあるんだそうですね。日本サンライズ意外にも上井草周辺にはアニメ制作会社が集まっているらしいですよ。ふむぅ~聖地だ。

Img_8187_2 どうせならア・バオア・クーのラストシーンが良いけど

Img_8186_2 皆さん区長選挙の日は投票に行きましょうね。

 さて、職場からここまで1時間。どう考えても研修所からの方が近いはずなのに、橋屋は未だ到着していません。ラインでは小平あたりにまだいるとか。相変わらずのマイペースなようです。時間があるので駅周辺をブラブラしてみると、何やら見覚えのある赤と紺のストライプカラーが目につきました。そうです。名門早稲田大学のラグビー部のジャージカラーです。この上井草の駅近に早大ラグビー部の拠点が置かれていました。いやぁ驚いた。

Img_8189 線路の向こうが早大ラグビー部のグラウンド

 そうこうしているうちに何やらお腹がムズムズと(汗)実は前日に健康診断があって、まだお腹にバリウムを宿している状態だったのです。再び改札をくぐって○×▼した後に、西武特急レッドアロー「小江戸」が通過するのでホームに上がって眺めていると、「まだそんなところにおったんですか?」とホームの先の踏切から声がかかりました。何とも間の悪いことです。

Img_8190 本川越行き「小江戸」

 橋屋は御朱印集めが大好物です。出向中の2年間に坂東三十三観音や江戸東京三十三観音、秩父三十四霊場を巡り、西国三十三観音もクリアして満願成就を達成している猛者で、御朱印帳の数も10冊以上だとか。この日も御朱印のもらえる寺社仏閣に行きたいというので、もらえそうな場所を考えていたのですが、東京はそんな場所は五万とあります。そこで、私がこの機会じゃないと行きそうもない場所。でも近隣に史跡なんかもあって、少しは興味がある場所として、この上井草に白羽の矢が立ちました。

 上井草の駅から北に1kmほど行くと石神井公園があります。都会のオアシスとして知られた公園ですが、かつてのワニ騒動で私は知ることになり、今でもワニが静かに暮らしていることを信じている一人です。また、公園内には室町時代の豪族豊島氏居城、石神井城の城址があります。戦国時代の幕開けである長尾景春の乱に呼応して、関東管領上杉氏に反旗を翻した豊島氏ですが、名将太田道灌に滅ぼさてしまいます。その滅亡の地がこの石神井城で、豊島一族の照姫が公園内の三宝池に身を投げた伝説が残っています。(その絡みで心霊スポットでもある)

 とはいえ、石神井公園で御朱印はもらえないので、先ずは西武線の南側、閑静な住宅街を歩いていきます。それにしても暑い!おまけに橋屋は外国旅行に出かけるようなキャリーバックを持っています。小さな駅にはコインロッカーもなく、最近は手荷物屋みたいなところもありません。巨大なキャリーバックを交代でガラガラと押したり引いたり。

Img_8192 井草八幡宮大鳥居

Img_8195 広い境内です。

 ひーこらと歩くこと30分ほど。早稲田通りと青梅街道が交差する場所にあるのが井草八幡宮です。閑静な住宅地の中にあって、鬱蒼とした大木が生い茂る境内は1万坪と都内の神社では有数の広さだそうです。創建は平安時代末期で、当初は奈良春日大社の分社だったそうですが、源頼朝が奥州藤原氏討伐の折に戦神の八幡神を祀って戦勝を祈願したのを機に八幡宮になったそうです。その後、武家の信仰厚く、先述の太田道灌が石神井城を攻めた折にも、この地で戦勝祈願を行ったそうです。

Img_8194 本殿

 境内には頼朝お手植えの松の木があったり、5年毎に流鏑馬が行われるそうですが、平日の昼下がり、訪れる人もまばらで静かな境内でした。我々も武家らしくドカ~ン!(道灌)といきたいものですね(笑)

Img_8205 街は今川だらけ

 さて、井草八幡宮から早稲田通りをまっすぐ東に1kmほど歩いてくると、信号にも電柱にも商店も不動産もお医者さんも「今川」が。この今川地区は、戦国時代に駿河、遠江、三河の三国を治め「東海道一の弓取り」と謳われた戦国大名今川義元の子孫が徳川幕府から与えられた地です。

Img_8199 宝珠山・観泉寺

 今川地区のやったら広大な敷地にあるのが今川氏の菩提寺・宝珠山観泉寺です。どこまでも続く白壁の塀を辿って境内に入ると、池と石、樹木を組み合わせた庭園があって、これまた驚くばかりの広さです。さすがは今川氏の菩提寺だけのことはありますね。

Img_8200 本堂

 我々以外に境内にいるのは池を掃除していた庭師さんだけで、一見、御朱印をいただけそうもない雰囲気でしたが、庫裡を訪ねると大黒さんが応対に出てくれて、快く御朱印を引き受けてくれました。

Img_8204 今川家墓所

 本堂裏手の墓地の中に今川家歴代当主の墓所がありましたが、ここにあるのは今川義元の子氏真以降の当主の墓です。

 ちなみに桶狭間の戦い(1560年)で今川義元が織田信長に討たれると、今川氏真が後継者となりますが、今までの定説では、氏真が政治に興味がない暗愚な遊人であっあため、その後今川氏が急速に衰退、滅亡したと言われています。でも、実際はそうではないでしょう。桶狭間の戦いでは、今川義元と共に多くの重臣や有力国人が戦死したため、事実、今川家は大きく弱体化してしまいます。これを機に、父義元の時代の武断的な統治に苦しめられてきた遠江や三河の国人の間に独立の機運が高まります。氏真は必死に国内の掌握に努めますが、これに目をつけた甲斐の武田信玄と今川家から離反した三河の徳川家康に東西から挟み撃ちとなります。信玄に本拠地駿府(静岡市)を追われた氏真は、重臣朝比奈氏の掛川城に籠りますが、掛川も徳川家康に攻められて、父義元の戦死後9年目(1569年)で降伏、戦国大名としての今川家は滅亡します。

 掛川開城後の氏真は、夫人の実家である小田原に落ちたものの、しばらくすると徳川家康の庇護を受け、更にはふらりと京都を訪れて父の仇である織田信長とも会見するなど、生々流転の人生を歩みます。信長の前ではお得意の蹴鞠を披露しました。その後は家康の庇護を受けて井草の地を与えられ隠棲し、子孫は幕府の儀礼・式典を司る格式の高い高家として厚遇されました。大軍を持ってしても上洛を果たせなかった父義元に対して、身一つ鞠一つで京に上って信長に蹴鞠を見せつけた氏真は天性の趣味人だったのでしょう。何かと嫌われ者の今川氏真ですが、私的には愛すべき人だと思っています。

 観泉寺から上井草の駅まで1kmをガラガラで戻ると、「もう体力の限界!」石神井公園は諦めることにしました。

2018年6月 9日 (土)

山行 カヤトの原に風たちぬ 三国峠周辺その3

 三国山から三国峠に戻った山笑。今度は峠を挟んで北にある鉄砲木ノ頭(明神山)に登ります。7年前の大晦日にババ、天然児の三世代編成で登った思い出の山です。あの時、山頂からは富士山の素晴らしい展望が得られました。

P1020145 山頂の展望(平成23年12月)

 日当たりの良い南向きの斜面を登っていくと汗が流れてきます。富士山の火山灰が堆積する登山道沿いには各種のウツギの木が多いですが、既に花の見頃は終わっていました。

Img_8168 ヤブウツギはもう終わり

Img_8171 ウツギとスイカズラ
 足元には、ジシバリ、キンポウゲ、ツルキンバイ、キジムシロ、コナスビ、フタリシズカ、サンリンソウ、ヘビイチゴなど多種の白や黄色の花が咲いていました。

Img_8145 コナスビ
Img_8149 フタリシズカ
 山の西側は一面のカヤト(萱所)の原になっています。かつて、山中湖畔、平野集落で茅葺き家屋の葺替えに使用されていたのでしょう。振り返って見る三国山の鬱蒼としたブナ林とは対照的に青々とした草原と空が広がっています。陽気は暑いのですが、時折雲が日光を遮ると爽やかな風が渡っていました。

 誰が風を見たのでしょう 僕も貴方も見やしない けれど木の葉を震わせて 風は通り抜けてゆく・・・

Img_8144 空に憧れて~♪
Img_8164 振り返ると三国山稜
 峠からものの20分で鉄砲木ノ頭(明神山 1291m)です。山中諏訪神社奥宮が鎮座する山頂からは、晴れていれば真正面に富士山が大きく、見下ろす山中湖の先には南アルプスの山並み。振り返ると御正体山を中心とした都留の山々を望むことができます。あいにくこの日、富士山は雲に覆われていましたが、見下ろす霞んだ山中湖は何とものどかでした。

Img_8157 山頂から富士山と山中湖

 テッペンカケタカ・・・誰一人いない静かな山頂には、ただホトトギスの鳴き声だけが聞こえていました。

Img_8165 プチ砂走り

 下山は真っすぐな火山灰の道を下ります。遮るものもなく、まるで富士山の砂走りを思わせる道を駆け下りていきました。三国峠までの所要時間はなんと10分(笑)

 三山三様。梅雨入り前の爽やかな初夏の山をつまみ食いできました。

2018年6月 7日 (木)

山行 ブナの広がる魅惑の森 三国峠周辺その2

 明神峠から車を進めて、今度は三国峠に向かいます。三国峠のちょっと手前、三国山の山腹を巻く道路から望む丹沢の山並みがまた素晴らしいんですよ。東丹沢の一角を除くほぼ全山を望むことができます。路肩に車を停車してゆっくり望みたいところですが、この区間の路肩という路肩には駐停車防止の障害物が置かれています。不法投棄の対策ですが、実に残念なことです。

Img_8106 三国峠

 車だと明神峠からものの5分で三国峠です。三国峠といっても正しくは甲斐と相模の国境。山梨県と神奈川県の県境で、駿河(静岡県)を加えた三国の国境は、峠から少し南に位置する三国山の山頂に位置しています。その三国山に行ってみることにしました。

Img_8112 ツルシロカネソウ

 西の富士山麓、東の丹沢に挟まれた三国山稜は、東西約5km程の小さな山並みですが、アップダウンのない穏やかな山並みと豊かなブナ林を擁する人気のハイキングコースです。西端の篭坂峠は御殿場~河口湖間のバスが通じているので、ここを起点として東に山稜を歩いて山中湖半の平野に下山するのが一般的ですが、健脚な人は明神峠~不老山を経由して御殿場線沿線に下山することも可能です。

Img_8116 三国山付近のブナ林

Img_8137 三国山山頂は展望なし

 三国峠から20分歩いて三国山(1320m)の山頂です。峠の標高が1168mもありますから余裕のヨッちゃんですね。周囲はブナの樹林に覆われているので展望は全くありません。一服していると、爽やかな風に乗ってミョーキン、ミョーキン・・・初夏の風物詩エゾハルゼミの鳴き声が聞こえてきました。今季初だなぁ~♪

Img_8120 魅惑の森

 このまま峠に引き返すのも物足りないので、三国山稜を少し歩いてみることにしました。広い稜線上はブナを中心にカエデ、ヒメシャラの森が続いていて、それらの木々の根元にはバイケイソウの葉が広がっていました。起伏のない平坦な森を通じる道は、自然と足が進んしまいます。引き込まれるような魅惑の森です。

Img_8132 オオカメノキ

Img_8127 カマツカ Img_8139 ミヤマザクラ
 ブナばかりの森と思いきや、よくよく観察してみるとオオカメノキ、ミヤマザクラ、カマツカ、ヤマツツジなどの花が控えめに咲いていました。花や木々の間をガガンボやハムシ、小さなカミキリムシなどが飛び交っていて、何とも雰囲気が良いではありませんか。

Img_8114 サカネラン Img_8135 ホウキタケ

 更に地面に目を凝らせば、腐生植物のサカネランやホウキタケを見つけました。華やかさはありませんが、森の名脇役たちです。

Img_8126 楢木山(1353m)

 楢木山という鞍部の手前で折り返して三国峠に戻りました。往復で要した時間は1時間20分。まだまだ余裕があります。もういっちょいく?ウッス!

2018年6月 4日 (月)

山行 サンショウバラは今年も・・・ 三国峠周辺その1

 5月下旬、丹沢の稜線をヤマツツジが飾る頃、丹沢の西端、甲相駿三国の境に位置する三国峠周辺では、サンショウバラの花が満開を迎えます。サンショウバラは、富士山から箱根にかけて分布する固有種の木生バラで、葉が山椒の葉に似ていることからその名がつきました。毎年、満開のヤマツツジを見た満足感に酔っているうちに見頃が終わっているという、私にとって相性の悪い花なのです。

Img_8105 明神峠からの展望(眼下に富士スピードウェイ)

 結論を先に言えば、今年もやっちまいました。ヤマレコなどネットで情報をつかんだときには、「樹下の二人」こと、サンショウバラの丘は見頃を終わっていて、既に明神峠まで花が上っていました。「こりゃあもうダメかもわからんね」と思いつつも、6月2日(土)に明神峠にやってきました。

Dsc05121 名物看板

 明神峠付近には駐車スペースがありませんので、いつも路肩のスペースは先行車両でいっぱいのハズなのですが、この日はスロースタートにもかかわらずガラ空きでした。と、いうことは・・・もう花を見に来る人がいないってことか(汗)百聞は一見に如かず。道路沿いの空き地に停めて出発です。

Dsc05124 サンショウバラの木

 明神峠からものの5分でサンショウバラの大木があります。この木は大木なので、花が枝先につくサンショウバラの花を見るには適しません。

Dsc05127 しおれ気味

 花は咲いてはいましたが、色があせてしおれ気味でした。やはり遅かったですね。(昨年の状況:http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-1a62.html

Dsc05135 湯船山山頂

 とりあえずこの稜線の最高峰湯船山まで往復することにしました。ブナを中心とした自然林が気持ちよく、アオバトやホトトギスの鳴き声を聞きながら歩きます。でも、野鳥よりもバイクの爆音が煩いのが残念です。三国峠はライダー人気の道路ですからね。

Img_8100 湯船山付近のヤマツツジ

 花といえば、ヤマツツジがポツポツ程度。その他、ツル生のヤマアジサイくらいでした。

Dsc05122 これはナメコのような・・・

Img_8104 アミガサダケ

 この山稜は駿河湾や相模湾からの湿った風が吹き付けるので、湿気が多いらしく、きのこの類がよく見られました。

 明神峠~湯船山(1041m)間の往復は1時間でした。これでは終われないなぁ。次行ってみよー!(つづく)

2018年6月 3日 (日)

不忍池 初夏の風景

 6月になりいよいよ夏の到来です。夏と聞いて子供のようにワクワク感がある山笑ですが、6月は釣りのベストシーズン、7、8月は高山に登れるチャンス到来ですからね。それに仕事でも休みが取り易いというのが理由でしょうか。(まあ、どこまで行けるかわからんけどねbleah

Img_8092 紫陽花が見頃です。

Img_8087 芙蓉の花

 梅雨入り前ですが、アジサイが見頃を迎えています。白や水色、薄紫色と控えめな彩色が心和みますね。不忍池周辺では、その他フヨウやウツギの花が楽しめます。

Img_8091 今日も暑くなりそうだ。

Img_8093 無賃乗船はダメですよ。

 朝と日中の気温差が大きい時期です。朝の通勤時間帯は、空気がひんやりして羽織る上着が欲しくなります。まだ公園を訪れる人が少ない時間帯ですので、動物たちものんびりとした時間を送っていました。

Img_7998 ふぅ~暑い、暑い

Img_8095 一方通行ですね。

 お昼休みの散歩時間は汗ばむ陽気です。朝はほとんど姿を見せなかったカメたちですが、どこからともなくやってきて、甲羅干しをする姿は不忍池の夏の光景です。

Img_8019 蓮の下にライギョ

 先日、流入口で小魚を盛んに捕食していたライギョ(雷魚)。この日はハスの葉の下で丸太ん棒のようにじっとしていました。図鑑どうりの習性が微笑ましく思えました。ポカン釣りがしたくなりましたね。

Img_8081 お~い!そっちはどうだ?

 スズメたちが花壇の土を掘り起こして、1羽がちょうど収まるタコ壺陣地を構築している姿も、夏の上野公園の風景です。表面温度の高い地面を掘り起こして、温度の低い地中の土で体を冷やしているようですが、実に可愛らしいです。

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