« 富士宮浅間大社にアヒル鳴く | トップページ | 天然児3度目の身延山 »

2018年6月18日 (月)

富士川の戦い異聞

 時は平安末期の源平争乱の折、平治の乱で破れ伊豆に配流になっていた源頼朝は、治承4年(1180年)8月に以仁王の平家追討の院宣を受けて挙兵し、伊豆目代山木兼隆を討ちます。その後、有力な支援者である三浦氏と合流するため東に向かうものの、石橋山で平家方の大庭景親の軍に遮られ、合戦に及ぶも大敗を喫してしまいます。破れた頼朝は、落武者狩りから身を隠しつつ山中を彷徨い、その後、真鶴半島から海上を経て房総半島まで逃れました。

 その後、頼朝はかつて源頼義、義家や父義朝が拠点とした鎌倉を拠点と定め、相模の三浦党や中村党の他、千葉や上総、安西など房総方面の勢力の助けによって兵を進めます。すると、当初平家方だった武蔵の河越、畠山、江戸らも手のひらを返して参陣したため、石橋山の敗戦から1ヶ月後の10月6日には、晴れて鎌倉入りを果たします。

 一方、頼朝の挙兵の報は、数日後9月初めには福原の平清盛の耳に達することとなりました。清盛の対応は迅速で、すぐに孫の平維盛を総大将にした頼朝討伐の軍勢の派遣を決定します。ところが、出陣の日の縁起をめぐって、平家幹部の間で意見の対立が生じたため、京を出陣したのは9月も末になっていました。初期消火が必要な時に約1ヶ月もの時間をロスすることになったわけです。この間、頼朝と同時期に挙兵した甲斐源氏武田信義が、兵を南下させて駿河に侵攻し、10月14日には駿河の目代橘遠茂を討ったため、富士川以東は源氏の勢力となっていました。

 平維盛率いる頼朝追討軍7万は、10月18日に富士川西岸に布陣します。一見、7万の兵力は大したものですが、はるばる西国から東下してきた平家直営軍と途中で徴兵された兵たちの士気は低く、更に折からの飢饉の影響で兵糧が不足する有様でした。これに対して、富士山麓に集結した源氏軍は、頼朝と甲斐源氏軍を合わせると20万を号し、盛んに平家軍を挑発するなど意気盛んでしたので、平家方の士気はさらに低下していきました。夜、対岸はおろか周囲の山々にまで灯った源氏軍の松明を見て動揺した平家軍からは、数千人規模の逃亡者が出たといわれています。

 10月20日、両軍は富士川を挟んで対陣します。その夜、平家方の気勢を削ぐため、甲斐源氏武田信義が密かに富士川を渡って平家の陣に夜襲を試みます。ところが、これに驚いた数百、数千の水鳥が一斉に飛び立ったため、寝静まっていた平家の軍勢は「すわ、源氏の大軍が夜襲をかけてきた!」と大混乱に陥って、戦うことなく西へ壊走していったということです。水鳥の話はかなりの誇張があると思いますが、初めから勝負にならないと思った平維盛ら主将たちは、戦わずして撤退していったということでしょう。

 有名な源平、富士川の戦いの概略を書いてみましたが、富士宮からR469で一山越えたところに稲子という山間の集落があります。稲子温泉ユー・トリオという温泉がある他は、採石場と山の斜面に棚田があるだけののんびりとした風景です。

Dsc05163 棚田の一角に・・・

 のどかな棚田の風景の中にポツンと立つ石塔が目に入りました。石塔を動かすこともなく、水田のど真ん中にある石塔は、なんともいわくありげではないですか。

Dsc05165_2 何やら石塔が!?

 この石塔を解説した立札を見てみると、何と平維盛の墓と伝えられているものだそうです。平家滅亡後も源氏の目を逃れた維盛がこの地に隠世して天寿を全うしたと述べられています。

Dsc05167 伝 平維盛の墓

 ちょ、ちょっと待った!平維盛といえば、確かに頼朝追討軍の総大将としてこの富士川流域まで来ていますが、この地で戦死したわけでなく、富士川の戦いから4年後、源氏の攻勢により西へと落ち行く平家一門中から密かに抜け出して、平家縁の紀州の海に身を投げたという悲劇的な最後が定説となっていますよ。

 でも調べてみると、定説の他に平維盛の墓と伝えられているものは、この稲子の他にも奈良の十津川郷、伊勢津にも伝えられていて、さらに四国に渡って隠世したとか、何と琉球に渡って第2の人生を送ったという伝説まであるそうです。

 美形が多かったといわれる平家の公達の中でも、平維盛は群を抜いていて、光源氏や桜の花に例えられるほどのイケメンだったようです。そんな維盛がどこかで生きて延びていて欲しいという人々の願いが、各地に維盛生存説を残したのでしょうね。

« 富士宮浅間大社にアヒル鳴く | トップページ | 天然児3度目の身延山 »

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1468968/73700866

この記事へのトラックバック一覧です: 富士川の戦い異聞:

« 富士宮浅間大社にアヒル鳴く | トップページ | 天然児3度目の身延山 »