« 山行 カヤトの原に風たちぬ 三国峠周辺その3 | トップページ | 新井薬師で眼力を養う »

2018年6月12日 (火)

ガンダムとラグビーの街 上井草で御朱印集め

 以前、出向先で机を並べた橋屋さんが、都内で研修のため、はるばる尾道からやってきました。お互い所帯持ちなので、こういう機会でもないとなかなか会うこともできませんから、研修が終わってもそのまま帰すわけにはいきません。とりあえず当時のメンバーを呼集して、研修最終日の夜は都内で酒盛を設定してもてなすことにしました。

 とはいえ、研修はお昼に終わるというので、日のあるうちからブラつこうという話になり、やって来たのは西武新宿線の上井草駅です。西武新宿線に乗車するのは、記憶の限りでは初めてです。それも上井草なんて駅名は聞いたこともありませんでしたし。

 しかし、駅を降りてみると・・・ててて~て~てて~てててて~てててて♪?!Oh!きどう~せ~んし~ガンダム~ガンダム♪だよ。おまけに改札くぐったらRX78のブロンズ像が杉並区長選挙の宣伝に一役買っているし。なして?なして?あとで調べたら、機動戦士ガンダムを制作した日本サンライズがあるんだそうですね。日本サンライズ意外にも上井草周辺にはアニメ制作会社が集まっているらしいですよ。ふむぅ~聖地だ。

Img_8187_2 どうせならア・バオア・クーのラストシーンが良いけど

Img_8186_2 皆さん区長選挙の日は投票に行きましょうね。

 さて、職場からここまで1時間。どう考えても研修所からの方が近いはずなのに、橋屋は未だ到着していません。ラインでは小平あたりにまだいるとか。相変わらずのマイペースなようです。時間があるので駅周辺をブラブラしてみると、何やら見覚えのある赤と紺のストライプカラーが目につきました。そうです。名門早稲田大学のラグビー部のジャージカラーです。この上井草の駅近に早大ラグビー部の拠点が置かれていました。いやぁ驚いた。

Img_8189 線路の向こうが早大ラグビー部のグラウンド

 そうこうしているうちに何やらお腹がムズムズと(汗)実は前日に健康診断があって、まだお腹にバリウムを宿している状態だったのです。再び改札をくぐって○×▼した後に、西武特急レッドアロー「小江戸」が通過するのでホームに上がって眺めていると、「まだそんなところにおったんですか?」とホームの先の踏切から声がかかりました。何とも間の悪いことです。

Img_8190 本川越行き「小江戸」

 橋屋は御朱印集めが大好物です。出向中の2年間に坂東三十三観音や江戸東京三十三観音、秩父三十四霊場を巡り、西国三十三観音もクリアして満願成就を達成している猛者で、御朱印帳の数も10冊以上だとか。この日も御朱印のもらえる寺社仏閣に行きたいというので、もらえそうな場所を考えていたのですが、東京はそんな場所は五万とあります。そこで、私がこの機会じゃないと行きそうもない場所。でも近隣に史跡なんかもあって、少しは興味がある場所として、この上井草に白羽の矢が立ちました。

 上井草の駅から北に1kmほど行くと石神井公園があります。都会のオアシスとして知られた公園ですが、かつてのワニ騒動で私は知ることになり、今でもワニが静かに暮らしていることを信じている一人です。また、公園内には室町時代の豪族豊島氏居城、石神井城の城址があります。戦国時代の幕開けである長尾景春の乱に呼応して、関東管領上杉氏に反旗を翻した豊島氏ですが、名将太田道灌に滅ぼさてしまいます。その滅亡の地がこの石神井城で、豊島一族の照姫が公園内の三宝池に身を投げた伝説が残っています。(その絡みで心霊スポットでもある)

 とはいえ、石神井公園で御朱印はもらえないので、先ずは西武線の南側、閑静な住宅街を歩いていきます。それにしても暑い!おまけに橋屋は外国旅行に出かけるようなキャリーバックを持っています。小さな駅にはコインロッカーもなく、最近は手荷物屋みたいなところもありません。巨大なキャリーバックを交代でガラガラと押したり引いたり。

Img_8192 井草八幡宮大鳥居

Img_8195 広い境内です。

 ひーこらと歩くこと30分ほど。早稲田通りと青梅街道が交差する場所にあるのが井草八幡宮です。閑静な住宅地の中にあって、鬱蒼とした大木が生い茂る境内は1万坪と都内の神社では有数の広さだそうです。創建は平安時代末期で、当初は奈良春日大社の分社だったそうですが、源頼朝が奥州藤原氏討伐の折に戦神の八幡神を祀って戦勝を祈願したのを機に八幡宮になったそうです。その後、武家の信仰厚く、先述の太田道灌が石神井城を攻めた折にも、この地で戦勝祈願を行ったそうです。

Img_8194 本殿

 境内には頼朝お手植えの松の木があったり、5年毎に流鏑馬が行われるそうですが、平日の昼下がり、訪れる人もまばらで静かな境内でした。我々も武家らしくドカ~ン!(道灌)といきたいものですね(笑)

Img_8205 街は今川だらけ

 さて、井草八幡宮から早稲田通りをまっすぐ東に1kmほど歩いてくると、信号にも電柱にも商店も不動産もお医者さんも「今川」が。この今川地区は、戦国時代に駿河、遠江、三河の三国を治め「東海道一の弓取り」と謳われた戦国大名今川義元の子孫が徳川幕府から与えられた地です。

Img_8199 宝珠山・観泉寺

 今川地区のやったら広大な敷地にあるのが今川氏の菩提寺・宝珠山観泉寺です。どこまでも続く白壁の塀を辿って境内に入ると、池と石、樹木を組み合わせた庭園があって、これまた驚くばかりの広さです。さすがは今川氏の菩提寺だけのことはありますね。

Img_8200 本堂

 我々以外に境内にいるのは池を掃除していた庭師さんだけで、一見、御朱印をいただけそうもない雰囲気でしたが、庫裡を訪ねると大黒さんが応対に出てくれて、快く御朱印を引き受けてくれました。

Img_8204 今川家墓所

 本堂裏手の墓地の中に今川家歴代当主の墓所がありましたが、ここにあるのは今川義元の子氏真以降の当主の墓です。

 ちなみに桶狭間の戦い(1560年)で今川義元が織田信長に討たれると、今川氏真が後継者となりますが、今までの定説では、氏真が政治に興味がない暗愚な遊人であっあため、その後今川氏が急速に衰退、滅亡したと言われています。でも、実際はそうではないでしょう。桶狭間の戦いでは、今川義元と共に多くの重臣や有力国人が戦死したため、事実、今川家は大きく弱体化してしまいます。これを機に、父義元の時代の武断的な統治に苦しめられてきた遠江や三河の国人の間に独立の機運が高まります。氏真は必死に国内の掌握に努めますが、これに目をつけた甲斐の武田信玄と今川家から離反した三河の徳川家康に東西から挟み撃ちとなります。信玄に本拠地駿府(静岡市)を追われた氏真は、重臣朝比奈氏の掛川城に籠りますが、掛川も徳川家康に攻められて、父義元の戦死後9年目(1569年)で降伏、戦国大名としての今川家は滅亡します。

 掛川開城後の氏真は、夫人の実家である小田原に落ちたものの、しばらくすると徳川家康の庇護を受け、更にはふらりと京都を訪れて父の仇である織田信長とも会見するなど、生々流転の人生を歩みます。信長の前ではお得意の蹴鞠を披露しました。その後は家康の庇護を受けて井草の地を与えられ隠棲し、子孫は幕府の儀礼・式典を司る格式の高い高家として厚遇されました。大軍を持ってしても上洛を果たせなかった父義元に対して、身一つ鞠一つで京に上って信長に蹴鞠を見せつけた氏真は天性の趣味人だったのでしょう。何かと嫌われ者の今川氏真ですが、私的には愛すべき人だと思っています。

 観泉寺から上井草の駅まで1kmをガラガラで戻ると、「もう体力の限界!」石神井公園は諦めることにしました。

« 山行 カヤトの原に風たちぬ 三国峠周辺その3 | トップページ | 新井薬師で眼力を養う »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1468968/73659802

この記事へのトラックバック一覧です: ガンダムとラグビーの街 上井草で御朱印集め:

« 山行 カヤトの原に風たちぬ 三国峠周辺その3 | トップページ | 新井薬師で眼力を養う »