旅行・地域

2018年6月20日 (水)

天然児3度目の身延山

 橋屋の御朱印ツアー。最後は日蓮宗の総本山、身延山久遠寺にやってきました。橋屋にとっては初身延山で喜んでいましたが、天然児にとっては3度目になります。前回は平成26年の9月。木曽の御嶽山が噴火をした日の翌日でした。あの時は身延山の山頂までロープウェーで上がって、奥の院に折しも高校受験だった長男の合格を祈願してきました。(結果、見事受かりました)

Img_8225 久遠寺本堂(左奥の山が身延山)

 身延山久遠寺は、辻説法などで鎌倉幕府を非難したことを咎められて佐渡に流されていた日蓮上人が、流刑を釈かれた後、甲斐国南部一帯を治めていた地頭職南部氏の招きにより1274年、この地に草庵を結んだことに発します。この後、日蓮はこの地に約9年滞在して、弟子の教育と道場の拡充に努めることになりますが、1282年に両親の墓参のため常陸国を訪れる途中、武蔵国池上(大田区池上本門寺)にて生涯を閉じました。日蓮上人の遺骨は、遺言により身延山に奉納され、以降、弟子たちによって身延山久遠寺は日蓮宗の本山として守られてきました。

Dsc05183 有名なしだれ桜・・・しだれ葉桜

 身延山の境内にある樹齢400年といわれるしだれ桜は有名で、春には花を求めて多くの観光客で賑わいます。

Img_8224 287段の菩提梯
 身延山の山懐にある久遠寺の参拝は、山麓の門前町から三門を経て、鬱蒼とした杉の大木の並ぶ参道を歩いてみたいですが、天然児とババという五体不満足2人を連れてでは到底かなうものではありません。

Dsc05169_2 駐車場からモノレールで本堂へ

Dsc05172 ボタンを押すと下ってきてくれます。

 足腰が不自由な人でも心配ご無用!上の駐車場から本堂前まで斜行エレベーターが設置されていて、誰もが無料で利用することができるのです。平成21年に五重塔が再建された時の付帯事業として、境内のバリアフリー化が行われたひとつとして設置されたそうです。これには天然児も大満足。

Img_8229 エレベーターから正面に身延山が望めます。

 さて、日蓮宗の寺院で御朱印をもらうときのには注意したいことがあります。全ての寺院がそうではないようですが、日蓮宗の寺院では日蓮宗寺院専用の御朱印帳を提示するのがマナーのようです。「髭文字」という髭のように伸びた字体で「南無妙法蓮華経」のお題目を書いてもらえるようですが、一方で他宗派と混在の御朱印帳を提示すると「妙法」とお題目の一部のみの記帳となることが多いようです。今回、橋屋も後者の記帳となりました。

 身延山参拝の後、橋屋を静岡駅まで送って御朱印の度は終了です。ちなみにこの日、新幹線内での殺傷事件が発生しました。事件が発生した区間や時間こそ違いましたが、橋屋にとっては一層心に刻まれた旅になったことでしょう。

2018年6月17日 (日)

富士宮浅間大社にアヒル鳴く

 6月9日(土)、橋屋と天然児、ババもおまけで、富士宮市にある富士宮本宮浅間大社に行ってきました。浅間大社は、富士山そのものを御神体として崇め奉る浅間信仰の総本山です。富士山の周辺には、富士宮の他に、北麓富士吉田と東麓須走にもありますが、どの大社にも登山口に本宮があって、山頂に奥宮があります。

Dsc01507 富士宮口奥宮(H29.8.28)

 浅間信仰の祭神は、浅間大神=木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)といって、火を司る神様です。そんなこと聞いてもイマイチピンときませんが、この神様については、有名なエピソードがあるんです。勝気な富士山の女神様が、かつては富士山より高かった八ヶ岳の神様に高さ比べを挑みました。当然負けてしまうのですが、勝気な女神様ですから負けたのが悔しくて、何と怒って八ヶ岳の頭を叩いて八つに割ってしまったということです。私はこの話が子供の頃から大好きなのですが、神様のくせに女性的なヒステリックな面が窺える微笑ましいものですよね。浅間信仰は、古来より噴火を繰り返して、人々を恐れさせた富士山を荒ぶる火の神が宿る山として崇めた我が国を代表する山岳信仰です。(我が家にも噴火を繰り返す浅間しいかみがいますけどね)富士山の夏山シーズンの終わりに富士吉田で行われる「吉田の火祭り」なんかは、火の神様を慰める神事としてわかり易いものですね。

Dsc05143 富士宮浅間大社拝殿

 富士宮浅間大社の起源は、紀元前27年に垂仁天皇が噴火した富士山を鎮めるためこの地に浅間大神を祀ったことが起源と伝えられています。その場所は今では山宮と言われて、現在の本宮大社より山手にあるそうです。かつて日本武尊が東征の折、富士山麓で賊徒によって火攻めにあって危機に陥った際、日本武尊が浅間大神に祈念して危機を脱し、賊徒を討伐することができたので、山宮を厚く祀ったことが伝えられています。

Dsc05145 家康の建てた本殿と信玄の植えた枝垂れ桜(左)

 その後、平安時代に蝦夷を討伐した坂上田村麻呂によって、現在の地に遷宮されたそうです。以降、源頼朝、武田信玄、徳川家康と武家の信仰を集め、現在まで残る朱塗りの本殿、拝殿、楼門、舞台などは、徳川家康が関ヶ原合戦の後に勝利の御礼として造営したものだそうです。

Dsc05146 湧玉池には・・・

Dsc05152 ニジマスが泳ぎます。

 本殿の東側脇からは、1日あたり30万トンといわれる富士山の伏流水が湧出する湧玉池があります。日本を代表する湧水として、平成の全国名水百選にもエントリーしているそうです。透き通った水にはバイカモなどの水草が青々と茂り、その間をニジマスが悠々と泳いでいました。「神社の池にマスが泳いでいるのは初めて見た」と橋屋は驚いていました。

Dsc05161 禊ちう

 また、湧玉池は浅間信仰の禊の場所となっています。浅間講の信者たちは、この池の水で身を清めた後、富士登山をするそうです。池から流れ出る神田川の畔には、水辺公園が整備されていますが、折から夏の暑さとなったこの日、子供たちのはしゃぐ声の傍らで身を清める白装束の御一行を見かけました。最近、禊や滝行などの信仰は、若い人や外国人観光客の間でも結構人気のようです。どれどれ・・・ムフフ・・・富士信仰失格ですね。

Dsc05157 一見するとカモですよね?

 さて、湧玉池に数羽のカモが羽を休めていました。なんとも微笑ましい風景です。でも、何か違和感があるんですよ。カモにしては一回り大きいような気がするし、ガーガーやたら鳴いています。「あの鳥なんだかわかりますか?」突然一人のオジさんが絡んできました。「カモですよね?」と答える山笑。その解答に待ってましたとばかりにオジさんが、「申し訳ないけどね、はっきり言って勉強不足。あれはアオクビアヒル。カモよりずっと大きいでしょ。もう少し勉強してください」と、富士宮市の小冊子「ことりっぷ」を手渡されました。いやぁ~何かおかしいとは思っていたんですが、まんまとオジさんにしてやられましたね。でも、あの鳥を見た100人のうち、何人がアオクビアヒルと正答できるんでしょう?おそらく1人か2人もいますかね。それを指して「勉強不足」はないんじゃないの?まあ、熱くなるような話でもないか(笑)

 次行ってみよー!

2018年6月13日 (水)

新井薬師で眼力を養う

 西武新宿線上井草から10分ほど新宿に戻ったところに新井薬師駅があります。今度はここで下車して、新井薬師を訪れました。関東三大師の西新井大師というのは知っていましたが、新井薬師は知りませんでしたが、高尾山薬王院、伊勢原の日向薬師、相模原の峰薬師と並んで四大薬師なんだそうです。駅から懐かしい昭和風情の残る商店街を通り抜けて15分ほど。ちなみに新井薬師の駅にもコインロッカーがなかったので、例によって橋屋のキャリーバックをガラガラと。橋屋ときたら、この頃になるとキャリーバックは人に任せ切りとなり、挙句の果てには人をポーター呼ばわりする始末。

Img_8206 新井薬師

 新井薬師こと新井山・梅照院は、安土桃山時代創建の真言宗寺院です。本尊は表が薬師如来、裏が如意輪観音という表裏一体の秘仏で、12年に1度の寅年に御開帳が催されるそうです。本尊は寺の創建よりもさらに古く、弘法大師空海の作といわれていますが、中世新田氏の居城上州金山城(太田市)に安置されていたものだそうです。

Img_8208 本堂

 薬師如来は病気快癒のご利益がありますが、徳川二代将軍秀忠の五女、後水尾天皇に嫁いだ和子が目を患った際、新井薬師に快癒祈願をしたところ見事回復をしたことから、特に眼病の快癒に御利益があると信仰を集めています。そろそろ老眼という言葉が目先をちらつく年齢となった山笑ですが、前日の健康診断では裸眼で左右とも1.0でした。クックックッ・・・ジオンはあと10年は戦える。病気はともかく、人を見る目。品定めの目。危険を察知する目など眼力を授かるよう祈願してまいりました。

Img_8207 金魚屋さん

 境内には、お菓子、乾物、雑貨、金物、衣類などを商う露天が並んでいました。並ぶそう品がいかにもシニア層向けなので、巣鴨のとげぬき地蔵尊みたいだと思ったら、案の定、あっちとこっちと掛け持ちしているそうです。その中で金魚屋さんが懐かしく、暫し釘付けになってしまいましたが、この後飲み会があり、家まで生かして帰る自信がなかったので、諦めました。

Img_8213 哲学堂にも行きました。

 新井薬師から駅に戻って、更に駅の反対側にある哲学堂公園にも行きました。中野哲学堂は、東洋大学創始者で哲学者の井上円了が世界四大哲学者ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀る四聖堂を建て、その後公園として東京都に寄贈した場所です。公園内には、哲学的な意匠を凝らした奇妙な石像が点在しているので、別名「妖怪公園」と呼ばれてB級スポット的な扱いも受けています。香ばしいものが大好物な山笑。ここは楽しみしていたのですが、訪れてみると至って真面目な公園で残念でした(笑)

 暑い中、重い荷物を引きながらの半日でしたので、喉がカラカラです。ビール!ビール飲みに行こう♪

2018年6月12日 (火)

ガンダムとラグビーの街 上井草で御朱印集め

 以前、出向先で机を並べた橋屋さんが、都内で研修のため、はるばる尾道からやってきました。お互い所帯持ちなので、こういう機会でもないとなかなか会うこともできませんから、研修が終わってもそのまま帰すわけにはいきません。とりあえず当時のメンバーを呼集して、研修最終日の夜は都内で酒盛を設定してもてなすことにしました。

 とはいえ、研修はお昼に終わるというので、日のあるうちからブラつこうという話になり、やって来たのは西武新宿線の上井草駅です。西武新宿線に乗車するのは、記憶の限りでは初めてです。それも上井草なんて駅名は聞いたこともありませんでしたし。

 しかし、駅を降りてみると・・・ててて~て~てて~てててて~てててて♪?!Oh!きどう~せ~んし~ガンダム~ガンダム♪だよ。おまけに改札くぐったらRX78のブロンズ像が杉並区長選挙の宣伝に一役買っているし。なして?なして?あとで調べたら、機動戦士ガンダムを制作した日本サンライズがあるんだそうですね。日本サンライズ意外にも上井草周辺にはアニメ制作会社が集まっているらしいですよ。ふむぅ~聖地だ。

Img_8187_2 どうせならア・バオア・クーのラストシーンが良いけど

Img_8186_2 皆さん区長選挙の日は投票に行きましょうね。

 さて、職場からここまで1時間。どう考えても研修所からの方が近いはずなのに、橋屋は未だ到着していません。ラインでは小平あたりにまだいるとか。相変わらずのマイペースなようです。時間があるので駅周辺をブラブラしてみると、何やら見覚えのある赤と紺のストライプカラーが目につきました。そうです。名門早稲田大学のラグビー部のジャージカラーです。この上井草の駅近に早大ラグビー部の拠点が置かれていました。いやぁ驚いた。

Img_8189 線路の向こうが早大ラグビー部のグラウンド

 そうこうしているうちに何やらお腹がムズムズと(汗)実は前日に健康診断があって、まだお腹にバリウムを宿している状態だったのです。再び改札をくぐって○×▼した後に、西武特急レッドアロー「小江戸」が通過するのでホームに上がって眺めていると、「まだそんなところにおったんですか?」とホームの先の踏切から声がかかりました。何とも間の悪いことです。

Img_8190 本川越行き「小江戸」

 橋屋は御朱印集めが大好物です。出向中の2年間に坂東三十三観音や江戸東京三十三観音、秩父三十四霊場を巡り、西国三十三観音もクリアして満願成就を達成している猛者で、御朱印帳の数も10冊以上だとか。この日も御朱印のもらえる寺社仏閣に行きたいというので、もらえそうな場所を考えていたのですが、東京はそんな場所は五万とあります。そこで、私がこの機会じゃないと行きそうもない場所。でも近隣に史跡なんかもあって、少しは興味がある場所として、この上井草に白羽の矢が立ちました。

 上井草の駅から北に1kmほど行くと石神井公園があります。都会のオアシスとして知られた公園ですが、かつてのワニ騒動で私は知ることになり、今でもワニが静かに暮らしていることを信じている一人です。また、公園内には室町時代の豪族豊島氏居城、石神井城の城址があります。戦国時代の幕開けである長尾景春の乱に呼応して、関東管領上杉氏に反旗を翻した豊島氏ですが、名将太田道灌に滅ぼさてしまいます。その滅亡の地がこの石神井城で、豊島一族の照姫が公園内の三宝池に身を投げた伝説が残っています。(その絡みで心霊スポットでもある)

 とはいえ、石神井公園で御朱印はもらえないので、先ずは西武線の南側、閑静な住宅街を歩いていきます。それにしても暑い!おまけに橋屋は外国旅行に出かけるようなキャリーバックを持っています。小さな駅にはコインロッカーもなく、最近は手荷物屋みたいなところもありません。巨大なキャリーバックを交代でガラガラと押したり引いたり。

Img_8192 井草八幡宮大鳥居

Img_8195 広い境内です。

 ひーこらと歩くこと30分ほど。早稲田通りと青梅街道が交差する場所にあるのが井草八幡宮です。閑静な住宅地の中にあって、鬱蒼とした大木が生い茂る境内は1万坪と都内の神社では有数の広さだそうです。創建は平安時代末期で、当初は奈良春日大社の分社だったそうですが、源頼朝が奥州藤原氏討伐の折に戦神の八幡神を祀って戦勝を祈願したのを機に八幡宮になったそうです。その後、武家の信仰厚く、先述の太田道灌が石神井城を攻めた折にも、この地で戦勝祈願を行ったそうです。

Img_8194 本殿

 境内には頼朝お手植えの松の木があったり、5年毎に流鏑馬が行われるそうですが、平日の昼下がり、訪れる人もまばらで静かな境内でした。我々も武家らしくドカ~ン!(道灌)といきたいものですね(笑)

Img_8205 街は今川だらけ

 さて、井草八幡宮から早稲田通りをまっすぐ東に1kmほど歩いてくると、信号にも電柱にも商店も不動産もお医者さんも「今川」が。この今川地区は、戦国時代に駿河、遠江、三河の三国を治め「東海道一の弓取り」と謳われた戦国大名今川義元の子孫が徳川幕府から与えられた地です。

Img_8199 宝珠山・観泉寺

 今川地区のやったら広大な敷地にあるのが今川氏の菩提寺・宝珠山観泉寺です。どこまでも続く白壁の塀を辿って境内に入ると、池と石、樹木を組み合わせた庭園があって、これまた驚くばかりの広さです。さすがは今川氏の菩提寺だけのことはありますね。

Img_8200 本堂

 我々以外に境内にいるのは池を掃除していた庭師さんだけで、一見、御朱印をいただけそうもない雰囲気でしたが、庫裡を訪ねると大黒さんが応対に出てくれて、快く御朱印を引き受けてくれました。

Img_8204 今川家墓所

 本堂裏手の墓地の中に今川家歴代当主の墓所がありましたが、ここにあるのは今川義元の子氏真以降の当主の墓です。

 ちなみに桶狭間の戦い(1560年)で今川義元が織田信長に討たれると、今川氏真が後継者となりますが、今までの定説では、氏真が政治に興味がない暗愚な遊人であっあため、その後今川氏が急速に衰退、滅亡したと言われています。でも、実際はそうではないでしょう。桶狭間の戦いでは、今川義元と共に多くの重臣や有力国人が戦死したため、事実、今川家は大きく弱体化してしまいます。これを機に、父義元の時代の武断的な統治に苦しめられてきた遠江や三河の国人の間に独立の機運が高まります。氏真は必死に国内の掌握に努めますが、これに目をつけた甲斐の武田信玄と今川家から離反した三河の徳川家康に東西から挟み撃ちとなります。信玄に本拠地駿府(静岡市)を追われた氏真は、重臣朝比奈氏の掛川城に籠りますが、掛川も徳川家康に攻められて、父義元の戦死後9年目(1569年)で降伏、戦国大名としての今川家は滅亡します。

 掛川開城後の氏真は、夫人の実家である小田原に落ちたものの、しばらくすると徳川家康の庇護を受け、更にはふらりと京都を訪れて父の仇である織田信長とも会見するなど、生々流転の人生を歩みます。信長の前ではお得意の蹴鞠を披露しました。その後は家康の庇護を受けて井草の地を与えられ隠棲し、子孫は幕府の儀礼・式典を司る格式の高い高家として厚遇されました。大軍を持ってしても上洛を果たせなかった父義元に対して、身一つ鞠一つで京に上って信長に蹴鞠を見せつけた氏真は天性の趣味人だったのでしょう。何かと嫌われ者の今川氏真ですが、私的には愛すべき人だと思っています。

 観泉寺から上井草の駅まで1kmをガラガラで戻ると、「もう体力の限界!」石神井公園は諦めることにしました。

2018年4月12日 (木)

丹沢の麓に7万本のチューリップ

 暖かくなって丹沢表を歩く登山者がかなり多くなってきました。土日はおろか平日でも登山口である大倉に向かうバスは満員です。塔ノ岳に直登する人気の大倉尾根の登山口にあるのが戸川公園です。水無川を挟んだ段丘面に広がる戸川公園は、四季折々の花が咲く花の公園でもあります。

Dsc04531 チューリップ、菜の花、桜
 春先から河津桜、オカメザクラ、ソメイヨシノ、ウコンザクラ、ギョイコウ、山桜と色々な種類がリレーしてきた桜も最後の八重桜が見頃となって最終コーナーといったところ。その八重桜にと共に今見頃なのがチューリップです。その数7万本!

Dsc04537 大倉尾根を見上げる。

 4月7日から22日までの期間でチューリップフェアが行われています。今が見頃ですが、種によっては散り始めているものもあります。チューリップお目当てに訪れる人も多いのですが、大倉尾根を下山してきたハイカーもチラホラと。バス停は行列なので、ついつい先を急いでしまう気持ちもわかりますが、これを見ないのは勿体無い。

Dsc04538 三ノ塔を見上げる。

 訪れたのが夕方だったので、公園管理のおじさんたちがチューリップ園の周囲にネットを張っていました。夜間に目の前の山からシカやイノシシが降りてきて、チューリップを食い荒らしてしまうので、その防止のためだとか。いやはや、毎日ご苦労様です。チューリップの見頃も下り坂にさしかかろうとしています。見に行く人はお早めに!

2018年4月 8日 (日)

花の都の東御苑

 4月7日(土)、長男の大学入学式に出席するため日本武道館にやってきました。首都圏のマンモス校は日本武道館で入学式をやるんですからすごいものです。それも学部別に午前と午後に別れるそうです。入学式に出席する新入生と親族の行列は、九段下の駅から続いていました。

Img_7679 各々方登城でござる!

 長男の関係するセレモニーは決まって雨(逆に天然児は晴)というのが定説で、今回も天予報では雨の予報だったのですが、直前で雨は回避され、当日は雲が多いものの晴れの天気でした。武道館のある北の丸公園といえば、千鳥ケ淵や靖国神社なども桜の名所も近いのですが、既に東京の桜は何処へやら。すっかり葉桜になっております。

Dsc04463 オメデトサン
 式は滞りなく、厳かに終了しました。でも、規模が大きいもののちょっと有り難みに欠けると思ったのは私だけでしょうか?マンモス校だから仕方ないのでしょうけど。

Dsc04479 各々方登城でござる!その2

 式典終了後、靖国神社にでも参拝してかみを教化しようと思ったのですが、入学式出席者は動線の規制があって、入ってきた靖国神社側の田安門からは出れないとのこと。仕方ないので、皇居の東御苑を見物しながら東京駅まで歩くことにしました。

 東御苑は旧江戸城の本丸があった場所です。さすが皇居だけあって、入場する者に対しての手荷物検査がありました。あ、あのぅ~手荷物よりもこの人(かみ)そのものが危険なんですけど…と、喉まで出ていました。

Dsc04486 巨大な天守台

Dsc04482 見事な加工、そして積み上げ

 北桔橋門から東御苑に入ると目の前に巨大な石で組み上げられた石垣が登場します。今では天守閣がありませんが、ここが江戸城の本丸天守台です。慶長11年(1607年)に徳川政権の象徴として、当時また存在した豊臣家の大坂城を凌ぐ規模で完成した天守閣でしたが、1657年に江戸の街の大半を焼き尽くした明暦の大火で焼失。以降、天守閣は再建されることはなかったそうです。この天守台をはじめ、江戸城普請で使用された巨大な石材の多くが、小田原や伊豆周辺で切り出されて船積みで運ばれたそうです。

Dsc04485 天守台から望む大手町

 東御苑の樹木は新緑が眩しく、庭園内にはツツジやシャクナゲなどの花が早くも見頃を迎えていました。それにしても今年は花が早いなぁ~

Dsc04487 ミツバツツジとシャクナゲ

Img_7696 早くも花盛りのシャクナゲ

 都心で思いがけない花見を楽しめました。

2018年4月 6日 (金)

県下随一の桜の名木 長興山のしだれ桜

 4月1日(日)、朝の散歩に出て町内の桜を見て回っているうちに、ふと思いつきで下り電車に乗って、更に小田原から箱根登山鉄道(小田急線)に乗り換えて、箱根口の入生田までやってきました。

Dsc04426 入生田駅

 入生田駅から山手に5分ほど歩いたところにあるのが、小田原藩主稲葉一族の菩提寺長興山・紹太寺です。往時は長興山の山腹一帯にかなり大規模な堂宇と山門を有する寺院でしたが、幕末の火災で大半が焼失してしまい、今は小ぢんまりとした境内です。

Dsc04388 現在の紹太寺

 その境内には、しだれ桜やシャクナゲ、ミツマタなどの春の花が咲いていました。

Dsc04418 境内には早くもシャクナゲが咲いていました。

Dsc04423 境内のしだれ桜は満開

 江戸時代初期に小田原藩主となった稲葉氏は、戦国時代の名将で西美濃三人衆の一人稲葉一鉄(良通)の子重道の養子となり、後に小早川秀秋の家老として関ヶ原の戦いで東軍を勝利に導いた稲葉正成と妻福(春日局)の間に生まれた稲葉正勝を藩祖として、三代約50年に渡って小田原藩を治めました。稲葉正勝は、母福が徳川三代将軍家光の乳母であったことから、家光の小姓から老中にまで出世した人物です。まあ親の七光りってところでしょうか。

Dsc04391 往時を偲ぶ参道

 正勝の子二代目藩主正則が、寛文9年(1669年)京都宇治にある黄檗宗本山万福寺の僧鉄牛禅師を招いて、稲葉一族の菩提寺として開山したのが長興山・紹太寺です。

Dsc04395 稲葉一族の墓所

 現在の本堂脇から長い石段を辿っていくと、山の中腹にある広々とした畑に出ますが、そこがかつての本堂跡。裏手の木立の中には稲葉一族の墓所があり、小田原藩主稲葉正勝、正則ほか春日局らの五輪塔が静かに並んでいます。本堂跡から右手の山に入って沢を渡るとお目当ての桜の名木があります。

Dsc04413 長興山のしだれ桜

 神奈川県下随一の桜の名木、長興山のしだれ桜です。この桜の木は、長興山開山の頃に植えられと伝えられていますから樹齢は350年になろうとしています。しだれ桜らしく四方八方に枝を垂らして、流れ落ちるばかりに花を咲かせています。

Dsc04410 真下から見上げる。

 この桜を訪れたのは、10代中半に親に連れられて訪れて以来実に30年ぶりです。毎年この時期に意識はしていたものの、近いといつでも行けるという思いもあってか、なかなか足が向きませんでした。子供の目では何気なく眺めた桜も、今改めて花を愛でる心で眺めてみると実に見事に感じられました。今後は毎年足を運ぶことになりそうです。

2018年4月 3日 (火)

軍馬南房総の花道をラストラン

 3月24日(土)、長男の高校卒業と大学進学祝いを口実に、我が家とババ、かみの両親を連れ立って南房総まで行ってきました。理系学部は忙しいという話なので、三世代揃って旅行できるのも最後になるかもしれません。

 実は、軍馬の車検満了日が3月20日という認識だったので、かみのKカーで行くつもりだったのですが、車内を片付けていたときに、ふとフロントガラスのステッカーを確認したら3月30日になっているではありませんか。車検証も同じ。一応ディーラーに確認してみたら、確かに登録日が平成13年3月21日だったので、自然に考えれば満了日は20日なのですが、整備か修理が長引いて車検がずれてしまった年があったのかもしれないとのこと。思いがけぬラストランになりました。

 思えば我が家にとって南房総は、子供が幼い頃に毎年海水浴に訪れていましたし、長男が成長して乗ってこなくなった後も、天然児の聖地カモシーに通った思い出たっぷりの場所です。海笑の釣行も含めれば、軍馬が東京湾を渡ったのは50回近くに達しています。勘違いの10日間で、偶然にも軍馬のラストランを房総ドライブ旅行という花道で飾ってあげることができました。

Dsc04184 南房総市の菜の花畑

 南房総市、館山市、鴨川市辺りを周遊しましたが、南国安房は花盛り。地元二宮でもおなじみの菜の花は、車窓から見える田園風景の至るところに咲いていました。

Dsc04229 水仙も最後の見せ場

 南房総市富山、岩井付近は水仙の名所として知られています。4年前にババ、天然児と登った富山を思い出しました。(参照:http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-4fa1.html)ちなみにババは、このときの記憶を全く喪失していました。

Dsc04251 温室のポピー

 更に下って洲崎や白浜あたりでは沿道をポピーの花が賑やかに飾っていました。ポピーってパンジーくらいの大きさかと思っていましたが、それよりもひと回り大きくて、原色が眩しい実に印象深い花です。

Img_7502 百花繚乱 Img_7504 名も知らぬ花も

 その他、立ち寄った道の駅などでは、花壇に珍しい花がきれいに植えられていました。

Dsc04192 鈴生りのいちご

 富浦のいちご園では、いちご狩りを楽しみました。南房総のいちご狩りは元旦を皮切りにゴールデンウィーク辺りまで楽しめるそうです。最近の品種改良された名産地のいちごには劣りますが、甘酸っぱい春の味を堪能しました。

Dsc04225 館山城の桜
 南房総随一の桜の名所が館山城公園です。ちょうど東京の満開宣言が出たところだったので、早起きして偵察に行ったのですが、山裾の桜は八分咲きで見頃でした。天守閣がある山上は未だつぼみが多くて、ちょうど1週間後の今頃が見頃だったのではないでしょうか。ただ残念だったのは、日中家族で訪れた時はお花見客でかなり渋滞していて、かなり遠くの臨時駐車場に誘導されてしまい、見物を諦めざるを得ませんでした。歩行困難者乗車証明証を出していたんですけどね。

Dsc04296 天然児と別れを交わす軍馬

 帰路、アクアラインの渋滞を前に農園の駐車場で休憩をとりました。家族皆が軍馬を囲んでの最後のひと時。南房総を飾る花のように原色の輝きを放つその姿からは、あとわずかで解体される運命が待っていようとは夢のように思われてなりません。軍馬17年目の春、その有終の美を飾る旅でした。現在軍馬ロスの山笑です。

2018年3月 4日 (日)

第20回松田桜まつり

 神奈川県の県西部、足柄平野を見下ろす松田山の河津桜が今年も見頃だそうで、今日4日朝、見物に行ってきました。

 事前に松田町のホームページで開花情報をちょくちょくチェックしていましたが、2月26日(月)に「ついに満開」の情報が更新されたのでこの週末がちょうど良いかと思っていた矢先、3月2日(金)の更新では「既に葉が出始めている。お早めに」との更新で今年は見送ろうと思っていましたが…

Dsc03865 松田駅付近から山を見る。

 4日(日)朝、金時山でも登ろうかと出たところ、意外と雲が出ていて富士山も見えず。おまけに鼻がムズムズ、目がカイカイ、頭がボーッと朝から花粉の猛攻撃でたちまち戦意喪失。ふと、松田山を見上げれば山腹がピンク色に染まっていたので、原点回帰で桜まつりになりました。

Dsc03871_2 桜と菜の花のよくばりセット♪

 桜まつり会場の西平畑公園にやってきてみれば、河津桜が植えられている斜面の遊歩道は満開の桜でピンクのトンネル状態でした。確かに葉っぱも出始めていましたが、これならまだ十分に満開といえますよ。根元に植えられている菜の花もちょうど良い咲き具合で、欲張りセットになりました。

Dsc03883 見ごたえ十分!

 現地にやって来たのは朝8時と早い時間にもかかわらず、既にかなりの人出がありました。やはりカメラの愛好者が多いのですが、ワンコと桜を撮っている人が多かったですね。

Dsc03891 酒匂川鉄橋を渡る小田急線

 空気が澄んでいる日であれば、富士山とのコラボや足柄平野から相模湾の展望とのセットも最高のロケーションなのですが、この日は気温が高めでガスガスです。(H29年の模様はコチラ→参照:http://yama-umi.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-01a3.html)それでも、眼下に見える酒匂川鉄橋を渡る小田急線なんかとセットにしてみると結構楽しめました。

Dsc03899 ヒヨちゃんも忙しそうです。

 30分も見ればお腹いっぱい。帰ろうと思っていたら…

Dsc03902 ボンヤリ富士山が

 富士山が見えてきました。やっぱり皆さんこれが一番でしょうからね。地域に貢献してください!

2018年2月17日 (土)

寄ロウバイまつりは明日まで

 丹沢鍋割山南稜と丹沢前衛の山に囲まれた松田町寄(やどろき)地区。こののどかな山村には日本最大級のロウバイ園があります。平成17年に寄の中学生が植えた250本のロウバイが13年経った今や100倍の2万本の規模になりました。

Dsc03762 寄を見下ろす斜面にあるロウバイ園

 今年も年明け最初の花便りとして1月13日から2月12日までの1ヶ月間、「寄ロウバイまつり」が開催されてきましたが、寒波の影響か開花が遅れたため、期間を1週間延長して2月18日までとなりました。

Dsc03764 満開は続いています。

 今日17日、山歩きも兼ねてロウバイ園を訪ねました。ロウバイまつりが明日終わろうというのにロウバイは満開、見頃です。黄色いトンネルを歩いていると、甘い香りが辺りを包んでいました。お祭りは明日18日までですが、しばらくは楽しめるでしょう。

Dsc03765 甘い香りが漂います♪

 松田町では、先週末からもうひとつの早春の花祭り「まつだ桜まつり」がスタートしています。会場の西平畑公園の河津桜の満開はもう少し先のようですが、そちらも近いうちに訪れてみたいと思います。

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